終始患者の立場にたった内容です。
患者ファーストの優しい先生です。
ボケ老人と蔑み、隠していたような時代から、
誰にでも起こりえる病気で、
決して恥じるものではない。
という地位まで理解が進んだのは、
先生方が尽力を尽くして下さったからだと思います。
とはいえ、去年まで親の介護をしていた者としては、
「とは言っても、現実はね。」
と、正直冷めた気持ちで読んでいました。
認知症になっても、
尊厳やプライド、羞恥心などは変わらない。
だから、認知症の方に寄り添い、
理解し、優しく接してほしい。
この本にも、今まで読んだ認知症の本にも、
みんなそう書いてあります。
そんなの、わかってます。
病気であって本人のせいじゃないですもん。
当たり前じゃないですか。
大事な家族なんですから。
でも、朝起きた時から、
目つきが変わった親が、
財布を盗まれたと騒ぎ立てる。
「否定せず寄り添う」
って、結局冤罪を被る事になったりします。
それって、嘘をついてることになってないですか?
どうせ午後には忘れるんだからそれでいいの?
明日また同じ繰り返しだからいいの?
でも、こちらにも感情があるんです。
犯人扱いされたら頭にくるし、
忘れられると悲しい。
一日に何十回も同じ事を聞かれたら、
イライラしてきます。
特に、親は認知症により、
感情のコントロールができません。
今まで見たこともないむき出しの感情で、
罵倒してきます。
「これは病気だから。」
頭では分かっていても、
こんな親の姿は見たくなかったと思ってしまうのは間違っているのでしょうか。
毎日毎日、同じ事を繰り返し。
同じ昔話、同じ質問、同じ会話の繰り返し。
良くなる事はなく、悪くなるだけ。
一緒にいる家族も疲れてきます。
心がすり減り、ささくれ立っていきます。
全て、そうだね。そうだね。
と認めるのも、
向き合っているのかもしれません。
ですが、分かってほしい。
どうして分かってくれないの。
と感情的になってしまうのだって、
本気で向き合っているからです。
本の中に、
家族がもう40日間もご飯をくれない。
と訴える患者の例がありました。
家族はもちろん、
著者が説明しても分かってくれない。
カレンダーに
「私は、ご飯を食べました」
と実際に書いてもらっても、
これは自分の字ではない。
と言い張る。とのこと。
(うちでも似たような事がありました)
上記の患者さんの場合は、
病院の一番の権威の先生が
「あなたはご飯を食べましたよ」
と言ってくれたことにより、
権威がある先生がそういうのなら間違いないだろう。と納得した。とのこと。
その後は、権威のある先生の声を録音し、自宅で流す事で、スムーズに進むようになりました。
良かった良かった。
ちゃんちゃん♪
といった内容がありました。
それって、良かった良かった。
で納められる事なんでしょうか。
40日間もご飯を出してないといわれる、
家族のやるせなさ。
めったに会わない他人同然の、
権威のある先生の一言で、
納得されてしまう、家族の悲しさ。
ずっと一緒にいる家族はどんな気持ちなのか。
そもそも、この録音だって、
どのくらいの期間効果があったんでしょうか?
一年?半年?
その先を思うと、
私には良かった良かったなんて、
到底思えませんでした。
この本に限らず、
認知症について書いた本は、
介護している家族の気持ちや大変さ、
ストレスなどは置き去りにされていることが多く感じます。
先生の仰る、
「笑顔の耐えない家庭が大事。」
なんて、
認知症の家族を抱えて、
きれいごとです。
先生の仰る通り、
親の症状にもムラがあり、
正常に戻ったように思える日もありました。
ごくたまに、昔にもどったような、
穏やかな時間を過ごせることもありました。
親の記憶がはっきりしてくると、
認知症の自分を冷静に見つめ、
「こんな年の取り方をするとは思わなかった。
早く死にたい。」
と何度も言っていました。
元々、死ぬより、
認知症になるのが怖いといっていた親でした。
苦しんでいる親の気持ちが痛いほど分かるからこそ、なんと言えばいいのか。
「それでも生きててほしいよ。」
苦しんでいる親を、
生きなくては。と、
更に苦しめる言葉になっていないか。
、、本当に自分はそう思っているの?
自己嫌悪になることもありました。
親は、なんて言ってほしかったんだろう。
なんて言えば正解だったのだろう。
生きるとは一体何なのか、
本当に長生きすることが幸せなのか。
自分のこれからの人生観についても、
考えさせられました。
本に書いてある事は、
あくまで理想です。
現実はなかなか厳しいです。
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ボクはやっと認知症のことがわかった 自らも認知症になった専門医が、日本人に伝えたい遺言 単行本 – 2019/12/27
購入を強化する
『NHKスペシャル』著者出演で大反響、感動が感動を呼んで12万部突破。
「この本は、これまで何百人、何千人もの患者さんを診てきた専門医であるボクが、また、『痴呆』から『認知症』への呼称変更に関する国の検討委員も務めたボクが、実際に認知症になって、当事者となってわかったことをお伝えしたいと思ってつくりました」――(「はじめに」より抜粋)
2017年、「長谷川式スケール」開発者である認知症の権威、長谷川和夫さんは自らが認知症であることを公表しました。その選択をされたのはなぜでしょう? 研究者として接してきた「認知症」と、実際にご自身がなってわかった「認知症」とのギャップは、どこにあったのでしょうか?
予防策、歴史的な変遷、超高齢化社会を迎える日本で医療が果たすべき役割までを網羅した、「認知症の生き字引」がどうしても日本人に遺していきたかった書。認知症のすべてが、ここにあります。
〈目次〉
第1章 認知症になったボク
第2章 認知症とは何か
第3章 認知症になってわかったこと
第4章 「長谷川式スケール」開発秘話
第5章 認知症の歴史
第6章 社会は、医療は何ができるか
第7章 日本人に伝えたい遺言
〈内容例〉
「確かさ」が揺らぐ/自ら公表/認知症の定義/多かったのは脳血管性/治る認知症も/危険因子は加齢/MCIとは/予防で重要なこと/固定したものではない/時間を差し上げる/役割を奪わない/笑いの大切さ/その人中心のケア/騙さない/「長谷川式スケール」とは/スケール創設の経緯/何を検査しているのか/「93から7を引く」は間違い/「お願いする」姿勢/全国を歩いて調査/納屋で叫ぶ人/国際老年精神医学会の会議開催/「痴呆」は侮蔑的/スピリチュアル・ケア/進む日本の政策/有効な薬/薬の副作用/耐えること/いまの夢/死を上手に受け入れる……ほか
「この本は、これまで何百人、何千人もの患者さんを診てきた専門医であるボクが、また、『痴呆』から『認知症』への呼称変更に関する国の検討委員も務めたボクが、実際に認知症になって、当事者となってわかったことをお伝えしたいと思ってつくりました」――(「はじめに」より抜粋)
2017年、「長谷川式スケール」開発者である認知症の権威、長谷川和夫さんは自らが認知症であることを公表しました。その選択をされたのはなぜでしょう? 研究者として接してきた「認知症」と、実際にご自身がなってわかった「認知症」とのギャップは、どこにあったのでしょうか?
予防策、歴史的な変遷、超高齢化社会を迎える日本で医療が果たすべき役割までを網羅した、「認知症の生き字引」がどうしても日本人に遺していきたかった書。認知症のすべてが、ここにあります。
〈目次〉
第1章 認知症になったボク
第2章 認知症とは何か
第3章 認知症になってわかったこと
第4章 「長谷川式スケール」開発秘話
第5章 認知症の歴史
第6章 社会は、医療は何ができるか
第7章 日本人に伝えたい遺言
〈内容例〉
「確かさ」が揺らぐ/自ら公表/認知症の定義/多かったのは脳血管性/治る認知症も/危険因子は加齢/MCIとは/予防で重要なこと/固定したものではない/時間を差し上げる/役割を奪わない/笑いの大切さ/その人中心のケア/騙さない/「長谷川式スケール」とは/スケール創設の経緯/何を検査しているのか/「93から7を引く」は間違い/「お願いする」姿勢/全国を歩いて調査/納屋で叫ぶ人/国際老年精神医学会の会議開催/「痴呆」は侮蔑的/スピリチュアル・ケア/進む日本の政策/有効な薬/薬の副作用/耐えること/いまの夢/死を上手に受け入れる……ほか
- 本の長さ224ページ
- 言語日本語
- 出版社KADOKAWA
- 発売日2019/12/27
- 寸法12.1 x 1.8 x 19 cm
- ISBN-104046044993
- ISBN-13978-4046044990
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商品の説明
内容(「BOOK」データベースより)
予防策や歴史的経緯から、社会・医療が果たす役割まで、認知症のすべてがここにある。「長谷川式スケール」開発者の眼にはいま、どんな世界が映っているのか?自らも認知症になった専門医が、日本人に伝えたい遺言。
著者について
●長谷川 和夫:1929年愛知県生まれ。53年、東京慈恵会医科大学卒業。74年、「長谷川式簡易知能評価スケール」を公表(改訂版は91年公表)。89年、日本で初の国際老年精神医学会を開催。2004年、「痴呆」から「認知症」に用語を変更した厚生労働省の検討会の委員。「パーソン・センタード・ケア」を普及し、ケアの第一人者としても知られる。現在、認知症介護研究・研修東京センター名誉センター長、聖マリアンナ医大名誉教授。認知症を描いた絵本『だいじょうぶだよ――ぼくのおばあちゃん――』(ぱーそん書房)の作者でもある。
●猪熊 律子:読売新聞東京本社編集委員。1985年4月、読売新聞社入社。2014年9月、社会保障部長、17年9月、編集委員。専門は社会保障。98~99年、フルブライト奨学生兼読売新聞社海外留学生としてアメリカに留学。スタンフォード大学のジャーナリスト向けプログラム「John S. Knight Journalism Fellowships at Stanford」修了。早稲田大学大学院法学研究科修士課程修了。著書に、『#社会保障、はじめました。』(SCICUS)、『社会保障のグランドデザイン』(中央法規出版)などがある。
●猪熊 律子:読売新聞東京本社編集委員。1985年4月、読売新聞社入社。2014年9月、社会保障部長、17年9月、編集委員。専門は社会保障。98~99年、フルブライト奨学生兼読売新聞社海外留学生としてアメリカに留学。スタンフォード大学のジャーナリスト向けプログラム「John S. Knight Journalism Fellowships at Stanford」修了。早稲田大学大学院法学研究科修士課程修了。著書に、『#社会保障、はじめました。』(SCICUS)、『社会保障のグランドデザイン』(中央法規出版)などがある。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
長谷川/和夫
1929年愛知県生まれ。53年、東京慈恵会医科大学卒業。74年、診断の物差しとなる「長谷川式簡易知能評価スケール」を公表(改訂版は91年公表)。89年、日本で初の国際老年精神医学会を開催。2004年、「痴呆」から「認知症」に用語を変更した厚生労働省の検討会の委員。「パーソン・センタード・ケア(その人中心のケア)」を普及し、認知症医療だけでなくケアの第一人者としても知られる。現在、認知症介護研究・研修東京センター名誉センター長、聖マリアンナ医科大学名誉教授
猪熊/律子
読売新聞東京本社編集委員。1985年4月、読売新聞社入社。2014年9月、社会保障部長、17年9月、編集委員。専門は社会保障。98~99年、フルブライト奨学生兼読売新聞社海外留学生としてアメリカに留学。スタンフォード大学のジャーナリスト向けプログラム「John S.Knight Journalism Fellowships at Stanford」修了。早稲田大学大学院法学研究科修士課程修了(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
1929年愛知県生まれ。53年、東京慈恵会医科大学卒業。74年、診断の物差しとなる「長谷川式簡易知能評価スケール」を公表(改訂版は91年公表)。89年、日本で初の国際老年精神医学会を開催。2004年、「痴呆」から「認知症」に用語を変更した厚生労働省の検討会の委員。「パーソン・センタード・ケア(その人中心のケア)」を普及し、認知症医療だけでなくケアの第一人者としても知られる。現在、認知症介護研究・研修東京センター名誉センター長、聖マリアンナ医科大学名誉教授
猪熊/律子
読売新聞東京本社編集委員。1985年4月、読売新聞社入社。2014年9月、社会保障部長、17年9月、編集委員。専門は社会保障。98~99年、フルブライト奨学生兼読売新聞社海外留学生としてアメリカに留学。スタンフォード大学のジャーナリスト向けプログラム「John S.Knight Journalism Fellowships at Stanford」修了。早稲田大学大学院法学研究科修士課程修了(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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登録情報
- 出版社 : KADOKAWA (2019/12/27)
- 発売日 : 2019/12/27
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 224ページ
- ISBN-10 : 4046044993
- ISBN-13 : 978-4046044990
- 寸法 : 12.1 x 1.8 x 19 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 2,583位本 (の売れ筋ランキングを見る本)
- - 15位脳・認知症
- - 400位社会・政治 (本)
- - 449位ノンフィクション (本)
- カスタマーレビュー:
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2020年2月16日に日本でレビュー済み
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長谷川式認知症スケールを作った人が認知症になって思ったことが書かれているということで興味を持って読んでみましたが認知症になった人の気持ちがわかる内容で認知症の人とあまり接触したことがない人が読むには最適でしょうか。
筆者はアルツハイマー型やレビー小体型認知症といった代表的な認知症ではなく、嗜銀顆粒性認知症という進行がゆっくりとしたものだそうです。
超高齢社会になり誰もが認知症になる時代です。まだ認知症と診断されても本人に告知することは現実には難しい現状ですが、ガンのように告知が当たり前になる時代が認知症にも来ると信じています。そのためには本人自身もそうですが家族や周囲の人たちが認知症や介護、施設の現状を知り、知らないことから来る不安をなくす努力を認知症になる前からはるか前から知るということが何よりも大切になってくると思います。
認知症になり錯乱状態になったり弄便をする認知症患者の家族の戸惑いや苦痛などについて書かれていないので残念です。
筆者はアルツハイマー型やレビー小体型認知症といった代表的な認知症ではなく、嗜銀顆粒性認知症という進行がゆっくりとしたものだそうです。
超高齢社会になり誰もが認知症になる時代です。まだ認知症と診断されても本人に告知することは現実には難しい現状ですが、ガンのように告知が当たり前になる時代が認知症にも来ると信じています。そのためには本人自身もそうですが家族や周囲の人たちが認知症や介護、施設の現状を知り、知らないことから来る不安をなくす努力を認知症になる前からはるか前から知るということが何よりも大切になってくると思います。
認知症になり錯乱状態になったり弄便をする認知症患者の家族の戸惑いや苦痛などについて書かれていないので残念です。
ベスト500レビュアー
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猪熊が「認知症界のレジェンド(p.219)」と評する長谷川が、「実際に認知症になって、いま、何を思い、どう感じているか、当事者となってわかったこと(p.6)」を、自身の来歴や日本の認知症の歴史と合わせて記す書。
長谷川は、認知症診断の物差しである「長谷川式スケール」を中心的に開発し、日本初の国際老年精神医学会大会長を務め、「痴呆」から「認知症」への用語変更にも関わり、アリセプトの治験統括医師でもありということで、猪熊の評そのものの人物と言えよう。
認知症についての平易な解説や、著者が医師として辿ってきた道も興味深く読んだが、何と言っても「認知症になってわかったこと」の章がよい。いくつか引用。
「認知症になったからといって突然、人が変わるわけではありません。昨日まで生きてきた続きの自分がそこにいます(p.66)」。
「認知症は『固定されたものではない』(p.66)、「よくなったり、悪くなったりというグラデーションがある(p.67)」。
「何かを決めるときに、ボクたち抜きに物事を決めないでほしい。ボクたちを置いてきぼりにしないでほしい(p.69)」。
「自分からどんどん話を進めてしまう人がいます。そうすると、認知症の人は戸惑い、混乱して、自分の思っていたことがいえなくなってしまいます」「その人が話すまで待ち、何をいうか注意深く聴いてほしい(pp.69-70)」。
「認知症の人を、ただ『支えられる人』にして、すべての役割を奪わないということも心がけていただきたい(p.72)」。
91歳になったという著者は「生きるということは、やはりたいへんです。ときどき疲れて、もういいよ、もう十分だよと、ボク自身もいいたくなります(p.188)」と弱音をはくこともあるが、一方で「ボクには、まだやらなければいけないことがある(p.198)」「いま、心がけているのは、明日やれることは今日手をつけるということです(p.204)」と前向きの姿勢を崩さない。その精神力に感服する。本書や著者の生きる姿勢は、認知症患者や家族を励まし、認知症患者への世間の先入観や偏見を正すのに大いに役立つだろう。
長谷川は、認知症診断の物差しである「長谷川式スケール」を中心的に開発し、日本初の国際老年精神医学会大会長を務め、「痴呆」から「認知症」への用語変更にも関わり、アリセプトの治験統括医師でもありということで、猪熊の評そのものの人物と言えよう。
認知症についての平易な解説や、著者が医師として辿ってきた道も興味深く読んだが、何と言っても「認知症になってわかったこと」の章がよい。いくつか引用。
「認知症になったからといって突然、人が変わるわけではありません。昨日まで生きてきた続きの自分がそこにいます(p.66)」。
「認知症は『固定されたものではない』(p.66)、「よくなったり、悪くなったりというグラデーションがある(p.67)」。
「何かを決めるときに、ボクたち抜きに物事を決めないでほしい。ボクたちを置いてきぼりにしないでほしい(p.69)」。
「自分からどんどん話を進めてしまう人がいます。そうすると、認知症の人は戸惑い、混乱して、自分の思っていたことがいえなくなってしまいます」「その人が話すまで待ち、何をいうか注意深く聴いてほしい(pp.69-70)」。
「認知症の人を、ただ『支えられる人』にして、すべての役割を奪わないということも心がけていただきたい(p.72)」。
91歳になったという著者は「生きるということは、やはりたいへんです。ときどき疲れて、もういいよ、もう十分だよと、ボク自身もいいたくなります(p.188)」と弱音をはくこともあるが、一方で「ボクには、まだやらなければいけないことがある(p.198)」「いま、心がけているのは、明日やれることは今日手をつけるということです(p.204)」と前向きの姿勢を崩さない。その精神力に感服する。本書や著者の生きる姿勢は、認知症患者や家族を励まし、認知症患者への世間の先入観や偏見を正すのに大いに役立つだろう。
2020年5月12日に日本でレビュー済み
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当事者の言葉はとても重い。しかもその当事者が認知症の専門家となれば、その症状を内側から眺め、科学的に精神医学的に分析して言葉に表現できるのである。そのため心の内側をたどった言葉にはより一層の真実味がある。
本書では心の内側が吐露され、この疾患にかかる前の自分と後の自分は連続した存在であって、疾患によってこれまでの自分が失われるわけではない。だからこれまでと同じように自分に接して欲しいという言葉が印象的であった。また自分には聞こえていないと思い込んで、本人が不在であるかのような態度で話し、勝手に物事を決めていくこともやめて欲しいということだった。自分には聞こえているし、話の内容も理解できているので、自分が自分として扱われないのには、悲しみを覚えるという。
これは重みがある。認知に障害が出るとはいうが、耳で聴いて大脳で理解し、辺縁系で感情を持つという過程では、障害がそれほど大きくないということかもしれない。
一方、記憶の面では失われるものがあり、それを失うために感情は不安や焦燥に陥る。喪失感からうつ状態になる。その様子は外界に反応が少ない茫然自失の状態で、一見何もわかっていないように見えるかもしれない。しかし、著者が言う自分は連続した存在であるという言葉を心にとめておけば、周りの人はその人の本当の姿を見失わず、接することができるのではないかと思った。
あと本書には記述があまりないが、備忘録としてNHK特集「認知症の第一人者が認知症になった」のことを記しておく。特集では著者の長谷川先生は、認知症の人が陥りやすいうつ状態を体験し、死にたいとまで言っていた。また、自分がいるところが夢か現実かわからないことがあるということも。グループホーム体験の時には、「家に帰りたい、家に帰ってあのごちゃごちゃした自分の戦場で、自分の戦いをしたい」と言った。それを聴いて私は本人にとっての住み慣れた処には他者にはわからない無数の刺激に満ちているのではないかと考えた。記憶の一端をほんの一瞬であっても点灯させるような刺激である。失われそうな記憶をもう一度呼び戻してくれるものである。(これはもちろんグループホーム批判ではなく、致し方ないこと) NHK特集の最後に著者に認知症になった後の景色がどう見えるか質問すると、著者は見える景色も会う人も「何も前と変わらない」「普通である」と答えた。本人にとっては周囲の世界はいつも通りの世界なのである。変わったと思っているのは周りの人なのである。記憶が失われていても、外界を理解する力は残されている。周りの人は本人がわかっていると思って、接していかなければならないのだと気付かされる。
2020年8月に発行された長谷川先生の『認知症でも心は豊かに生きている』では貴重な言葉が多数載っていてとても重宝する。また『認知障害作業療法ケースブック』という本が専門書だが認知症の人のできることを見つけ具体的に生活改善する方法が載っている。ご参考まで。
認知症の人がどのように人を、景色を見ているか、本書は伝えてくれる。著者の経歴についても記載があり、内面の記載は一部ではあるが、認知症の実態を内側から照らし出して本としてまとめられたのはとても貴重である。
本書では心の内側が吐露され、この疾患にかかる前の自分と後の自分は連続した存在であって、疾患によってこれまでの自分が失われるわけではない。だからこれまでと同じように自分に接して欲しいという言葉が印象的であった。また自分には聞こえていないと思い込んで、本人が不在であるかのような態度で話し、勝手に物事を決めていくこともやめて欲しいということだった。自分には聞こえているし、話の内容も理解できているので、自分が自分として扱われないのには、悲しみを覚えるという。
これは重みがある。認知に障害が出るとはいうが、耳で聴いて大脳で理解し、辺縁系で感情を持つという過程では、障害がそれほど大きくないということかもしれない。
一方、記憶の面では失われるものがあり、それを失うために感情は不安や焦燥に陥る。喪失感からうつ状態になる。その様子は外界に反応が少ない茫然自失の状態で、一見何もわかっていないように見えるかもしれない。しかし、著者が言う自分は連続した存在であるという言葉を心にとめておけば、周りの人はその人の本当の姿を見失わず、接することができるのではないかと思った。
あと本書には記述があまりないが、備忘録としてNHK特集「認知症の第一人者が認知症になった」のことを記しておく。特集では著者の長谷川先生は、認知症の人が陥りやすいうつ状態を体験し、死にたいとまで言っていた。また、自分がいるところが夢か現実かわからないことがあるということも。グループホーム体験の時には、「家に帰りたい、家に帰ってあのごちゃごちゃした自分の戦場で、自分の戦いをしたい」と言った。それを聴いて私は本人にとっての住み慣れた処には他者にはわからない無数の刺激に満ちているのではないかと考えた。記憶の一端をほんの一瞬であっても点灯させるような刺激である。失われそうな記憶をもう一度呼び戻してくれるものである。(これはもちろんグループホーム批判ではなく、致し方ないこと) NHK特集の最後に著者に認知症になった後の景色がどう見えるか質問すると、著者は見える景色も会う人も「何も前と変わらない」「普通である」と答えた。本人にとっては周囲の世界はいつも通りの世界なのである。変わったと思っているのは周りの人なのである。記憶が失われていても、外界を理解する力は残されている。周りの人は本人がわかっていると思って、接していかなければならないのだと気付かされる。
2020年8月に発行された長谷川先生の『認知症でも心は豊かに生きている』では貴重な言葉が多数載っていてとても重宝する。また『認知障害作業療法ケースブック』という本が専門書だが認知症の人のできることを見つけ具体的に生活改善する方法が載っている。ご参考まで。
認知症の人がどのように人を、景色を見ているか、本書は伝えてくれる。著者の経歴についても記載があり、内面の記載は一部ではあるが、認知症の実態を内側から照らし出して本としてまとめられたのはとても貴重である。