燃え殻さんのエモい文章が、読み手の記憶をかきむしる
発売一ヶ月で七万部以上売れている、新しい書き手による小説。ある43歳の男の過去の恋愛と仕事についての記憶の物語です。なぜ売れているのかというとエモいからだと思います。
エモいとは「エモーショナル(情緒的、叙情的、感情的)である」を縮めた言葉です。だったら略さずそう書けよと思うかもしれないけれど「エロい」と「エロチックである」が違うように「エモい」と「エモーショナルである」もけっこう違う。エロいもエモいも、対象を褒めたり論じたりするための形容詞ではなく、そう感じた人の心の中で起きていることなのです。
インターネットによくある言葉は自分の感情を垂れ流しているだけ。床屋政談的に世を憂う人も、その根っこは個人的なナルシシズムや被害者意識で、それが党派性によって拡散されたり炎上したり。出版されてる文学やエッセイにも書き手の自己愛や立場で書かれているものがあり、読む人も自分の立ち位置を確認しているだけの本が、とりあえずの売り上げが見込めるから多く出版されます。予定調和の一方的エモーションは、ひとつもエモくなくて、もうエモくない文章に私は飽きました。
ところが本書の著者・燃え殻さんもネットから現れた人なのに、そのツイートは(内容は勤め人としての日々のボヤキなのに)胸に迫るメロディや詩のように、読む人が忘れていたその人の感情の記憶をかきむしったのでした。彼のサービス精神はエモかったのです。やがてウェブ媒体「ケイクス」の編集者が彼に声をかけ小説っぽいエッセイを書かせた。いくつかの出版社からの「ツイートを本に」との安直な提案を燃え殻さんは断り、早くに声をかけてきていた文芸編集者の「小説を書いて本にしましょう」との言葉に応えて、時間をかけてケイクスの連載を改稿、追憶の感触を表現した美しい小説に仕上げた。それがこの本です。
エモい歌声や歌詞は、理屈とか歌い手の承認欲求を押しつけてはこず、こちらが過去に感じたことがある情動を想起させます。糸井重里さんが本書を「長い曲を聴いているみたいだ」と評したのは、そういうことでしょう。
私は仕事(セックスの撮影)が終わって女優も男優もスタッフも帰ってしまったホテルのベッドに一人で寝っ転がって読みました。書かれている燃え殻さんの実体験や創作と私の仕事は何の関係もないのに、さっき仕事中に殺していた感情が湧き立って涙が出てきました。似ていないのに、自分の過去の恋愛のことも思い出しました。
評者:二村ヒトシ
(週刊文春 2017.09.07号掲載)
元恋人に友達申請
初めてフェイスブックを使ったとき、「これは過去への回覧板だ」と感じた。登録した途端、先月会ったばかりの人から30年近く音信のなかった人まで、私の過去に関わった数百の知人から「友達リクエスト」が届いて驚いた。そこは、油断するとすぐに「あの頃」に引きずりこまれる世界だった。
燃え殻の初の小説『ボクたちはみんな大人になれなかった』は、主人公のボク43歳が、かつての恋人にフェイスブックの友達申請をするところからはじまる。彼女は〈間違いなくブス〉だったが、ボクにとっては唯一、〈自分よりも大切な存在〉だった。こうして過去とつながってしまったボクの、彼女との出会いから別れまでがハードボイルド風に、短い文章の連なりでリズミカルに描かれる。
1995年、アルバイト求人誌の文通欄をきっかけに彼女と知りあったボクは、生まれて初めて頑張りたいと思う。誇れる学歴も職歴もない若者は奮起し、六本木にあるテレビ業界末端のあやしい会社の社員となって必死で働く。偏った美意識を持つ彼女だけが心の支えだった。
二人が別れる99年までつづくボクの回想は、どこを読んでもセンチメンタルな気分に満ちている。彼女がいない人生にも慣れ、妥協や挫折も呑みこんでどうにかやりすごしてきたのに、フェイスブックで封印していた記憶が蘇り、フェイスブックのなかった時代の、冴えないけど必死だった「あの頃」に引きずりこまれたからだ。「あの頃」にくらべたら、たしかに今は燃え殻かもしれない。
この時代の中年男が喜ぶ、瘡蓋を剥ぐような抒情にあふれた恋愛小説である。
評者:長薗安浩
(週刊朝日 掲載)
会社員。休み時間にはじめたTwitterで、ありふれた風景の中の抒情的なつぶやきが人気となり、多くのフォロワー数を獲得。「140文字の文学者」とも呼ばれている。