パスカルは「
人間は考える葦である
」という言葉で知られているが、それは、か弱くちっぽけな人間でもその思考は宇宙すら包み込めるという点に、思考する人間の尊厳を見出そうとしたものである。このイメージをあの〈天才ホーキング博士〉ほどに体現している人物がいるだろうか。筋萎縮性側索硬化症 (ALS) という難病を患い、身体を動かせず車椅子に座りながら、それでも彼の頭脳は宇宙の根本原理を探求する。不自由な身体から飛翔する天才の自由な精神 ――。
本書は、我々が考えるこの〈天才ホーキング博士〉が実際のところ〈いかに構築されているのか〉を明らかにする。ある意味で、我々の多くが抱いているこのイメージは、それがまさにイメージに過ぎないことを暴露されるだろう。しかし、それは本書の片面にすぎない。
こういうようなわけで、本書はホーキングの宇宙論の解説書でもなければ、彼の伝記でもない。ホーキングの「舞台裏」が覗ける本ではあるが、安いゴシップ本でもない。やや社会構成主義寄りではある。しばしば仄めかしが鼻につく。しかし、明示された主張自体は根拠との釣り合いもとれていて、読む価値は十分ある哲学書 ―― ただし専門書の部類 ―― であると思う。
本書の著者、科学哲学者のミアレが用いるのは、近年の科学哲学でしばしば行われる社会学ないし人類学の手法、すなわち、科学の現場で実際に起こっていることを、その場に参加しながら観察するという
科学人類学の手法
である。文化人類学者なら、ある氏族の、自らの祖先がワニであるという信念(トーテミズム)に基づく生活習慣を、彼らの生活に参加しながら見聞きして記録するかもしれない。このとき文化人類学者本人は「彼らの祖先はワニだった」と信じるわけではない。だから彼女は「彼らは自分たちの祖先がワニだと信じている」と記録するだろう。この文化人類学者と同じように、科学人類学者の著者は、科学の現場でホーキングが何をやっているのかを観察する。このとき、必ずしもホーキング自身や彼を取り巻く人々の発言を頭から信用する必要はない。むしろ、そうした発言を一歩引いたところから分析することによって、当人たちも気がつかないような興味深い事実すら明らかにできるのである。(こういった分野の手頃な文献には『
An Introduction to Science and Technology Studies
』などがある。本書では、このあたりの知識は前提として読者に要求されていて、まったく解説がない。)
著者の分析によれば、生身のホーキングは、看護師、アシスタント学生、複雑なコミュニケーション・プログラムや音声合成装置、選抜された優秀な大学院生たち、それらとの緊密な依存関係や協調行動に支えられている。我々が〈天才ホーキング博士〉と見なしているものは、じつはそれらの機械や人間からなる複雑なシステムなのである! この一部が欠けてしまえば、たとえば、もし実際に自分の〈身体〉を動かして方程式を解き論文を書く大学院生がいなければ、〈天才ホーキング博士〉は存在できない。だから、〈天才ホーキング博士〉とは企業「ホーキング Inc.」のようなものであり、同時に、生身のホーキング自身もその企業に取り込まれている (incorporated)。ホーキングは、美しい理論やそれを表現する方程式を、彼の〈孤独な精神〉から産み出しているわけではないのである。
著者は、このホーキングと繋がっているネットワークの存在が、我々からどのように隠されてしまうのかも示している。どのようにメディアが取材し、どのように論文が作成され、どのようにホーキングに関するアーカイブ(永久保存資料)が選別されるのか。〈天才ホーキング博士〉が構築される具体的な過程は、こうして丹念に跡づけられて行く。
だが、本書の目的を誤解してはいけない。本書はけっしてホーキング個人を単純に貶めようとするものではない。著者が「現地調査」の対象に「ホーキング Inc.」を選んだのは、それをモデルケースにすることによって、ある一般的な真理が理解しやすくなるからである。すなわち、ふつうは純粋に個人的な精神から生み出されたと考えられている理論的研究の成果でさえ、このような人間と機械からなる集団的営為 ―― 専門用語で「アクター・ネットワーク」と呼ばれる ―― の所産なのである。著者は言う、「ここに例外的なことは何一つ見あたらない。他の教授たちが同じようにして仕事をしていることは容易に想像できる。」(p. 112)
著者の主張するように、〈天才ホーキング博士〉の正体が、相互に依存し協力しあう要素からなるネットワークなのだとすれば、知識を生産する主体は、そのネットワークを構成する人々や機械に外在化し、分散化しているということである。こうして、科学的知識を産み出すのはデカルトのコギトのような「孤独な合理的主体」である、という近代以来の我々の想定は打ち崩される。これこそが本書の野心的な目標なのである。だから原書のサブタイトルには「知の主体の人類学」とある。
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ホーキングInc. 単行本 – 2014/6/1
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- 本の長さ405ページ
- 言語日本語
- 出版社柏書房
- 発売日2014/6/1
- ISBN-104760144102
- ISBN-13978-4760144105
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商品の説明
内容(「BOOK」データベースより)
学生アシスタントや看護師、コンピューター技師にジャーナリスト。彼らの「究極の管理職」、スティーヴン#ホーキング。圧倒的な組織力によって生み出される「天才」。ALSを発症しながらも、宇宙の謎に挑み続けるその舞台裏に迫る。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
ミアレ,エレーヌ
パリ第一大学修了。コーネル大学、ハーバード大学、オックスフォード大学などで教鞭を取り、現在はカリフォルニア大学バークレー校で教えている。主観性や認知に関する研究など、幅広い分野で活躍
河野/純治
1962年生まれ。明治大学法学部卒業。翻訳家(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
パリ第一大学修了。コーネル大学、ハーバード大学、オックスフォード大学などで教鞭を取り、現在はカリフォルニア大学バークレー校で教えている。主観性や認知に関する研究など、幅広い分野で活躍
河野/純治
1962年生まれ。明治大学法学部卒業。翻訳家(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
登録情報
- 出版社 : 柏書房 (2014/6/1)
- 発売日 : 2014/6/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 405ページ
- ISBN-10 : 4760144102
- ISBN-13 : 978-4760144105
- Amazon 売れ筋ランキング: - 946,869位本 (の売れ筋ランキングを見る本)
- - 593位科学史・科学者
- カスタマーレビュー:
カスタマーレビュー
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2014年8月8日に日本でレビュー済み
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2014年8月31日に日本でレビュー済み
難病のために、顔の筋肉の一部と1本の指を動かすことしかできない、天才物理学者がホーキングである。
本書の引用によれば、ホーキングは次のように述べている。
すなわち、「障害のある人が観測天文学者になるのは難しいでしょう。しかし、天体物理学者になるのは難しくありません。なぜなら、すべて頭の中だけでやるからです。」と言う。
しかし、この言葉を裏切るように、本書はホーキングを脱中心化している。
真空状態のようななかで、ホーキングの頭脳だけが機能して最先端の宇宙理論を創造しているのではないことが明らかになるからである。
中心としての、ホーキングの頭脳だけに、最先端の宇宙理論の創造を求めてはならない。
改めて言うまでもなく、ホーキングは身体が不自由である。
そのため、車いすに乗り、看護師の介護を必要とする。
大学の外部との接触は、個人秘書が担当する。
研究活動には、アシスタントである優秀な大学院生による計算や図の作成を必要とする。
場合によっては、アシスタントの大学院生に論文を読ませ、彼が論文の内容を理解するのを1年間以上も待って、ホーキングの研究に貢献する研究課題を与えることもある。
また、看護師や秘書、大学院生とのコミュニケーションにおいて、ホーキングは自分の意思を表現するために、音声を発したり文章を表示したりすることができるコンピュータを使用する。
あるいは、眉を上げ下げして、イエスかノーかを、それだけを伝えるのである。
筆者は、何度も問う。
ホーキングは、どこにいるのか、と問うのである。
生物学的な身体としてのホーキングは、宇宙の成り立ちを理論的に明らかにするために必要な、計算も図の作成できない。
そこには、わたしたちが知っているホーキングはいないのである。
筆者は「拡張された身体」と言う。
すなわち、理論物理学者としてのホーキングは、ネットワークなのである。
大学院生による研究活動と論文代筆、及び彼らに意思を伝え、文書を書くことができるコンピュータも含み込んで、それらがネットワークとなって、理論物理学者のホーキングは構成されているのである。
さらには、看護師による介護も、ホーキングが研究活動の実践を指示する意思表示の援助に欠かせない。
加えて、講演活動やメディアによる取材等が行えるように秘書が実務を行い、メディアが報道することによって、ようやくホーキングはよく知られている天才物理学者のホーキングとなることができるのである。
本書は、アクター・ネットワーク理論による事例研究である。
その理論は、天才と呼ばれるような研究者であっても、その科学研究の活動は個人の頭脳のなかでは実現も完結もしないことを明らかにする。
直接的に、さらには間接的に関係を持たざるを得ない他者、及び物的道具や資源をアクターとして、ネットワークを結ぶことによって研究活動が可能になり、研究成果を生むことができる。
そのようなネットワークに分散するのが知性であり、生物学的な身体を超える研究者そのものなのである。
しかし、知性は研究者だけに与えられたものではない。
研究者以外の誰にも、見方によっては動植物にも人間とは異なる知性が与えられていると言えよう。
すると、知性を与えられて生きる者は、知的な活動を可能にする生態学的なネットワークの一部として存在しているとみることができる。
このことについては、G・ベイトソンの『精神の生態学』がより雄弁に語っているように思う。
ベイトソンが語る木を切り倒す樵、及びアルコール依存症者、さらにはベイトソンのイルカの場合等を参照してほしい。
知性はもちろん、精神は情報のサーキットであり、それをどう区切るかによって、自己意識及び身体が伸縮したり、分散あるいは集中したりするのである。
それにしても、ホーキングは宇宙については深く認識しているのだが、自己についてはよく知らないようである。
なぜなら、冒頭に引用したように、近代合理主義が自明とする主体のイデオロギーにとらわれているからである。
本書の引用によれば、ホーキングは次のように述べている。
すなわち、「障害のある人が観測天文学者になるのは難しいでしょう。しかし、天体物理学者になるのは難しくありません。なぜなら、すべて頭の中だけでやるからです。」と言う。
しかし、この言葉を裏切るように、本書はホーキングを脱中心化している。
真空状態のようななかで、ホーキングの頭脳だけが機能して最先端の宇宙理論を創造しているのではないことが明らかになるからである。
中心としての、ホーキングの頭脳だけに、最先端の宇宙理論の創造を求めてはならない。
改めて言うまでもなく、ホーキングは身体が不自由である。
そのため、車いすに乗り、看護師の介護を必要とする。
大学の外部との接触は、個人秘書が担当する。
研究活動には、アシスタントである優秀な大学院生による計算や図の作成を必要とする。
場合によっては、アシスタントの大学院生に論文を読ませ、彼が論文の内容を理解するのを1年間以上も待って、ホーキングの研究に貢献する研究課題を与えることもある。
また、看護師や秘書、大学院生とのコミュニケーションにおいて、ホーキングは自分の意思を表現するために、音声を発したり文章を表示したりすることができるコンピュータを使用する。
あるいは、眉を上げ下げして、イエスかノーかを、それだけを伝えるのである。
筆者は、何度も問う。
ホーキングは、どこにいるのか、と問うのである。
生物学的な身体としてのホーキングは、宇宙の成り立ちを理論的に明らかにするために必要な、計算も図の作成できない。
そこには、わたしたちが知っているホーキングはいないのである。
筆者は「拡張された身体」と言う。
すなわち、理論物理学者としてのホーキングは、ネットワークなのである。
大学院生による研究活動と論文代筆、及び彼らに意思を伝え、文書を書くことができるコンピュータも含み込んで、それらがネットワークとなって、理論物理学者のホーキングは構成されているのである。
さらには、看護師による介護も、ホーキングが研究活動の実践を指示する意思表示の援助に欠かせない。
加えて、講演活動やメディアによる取材等が行えるように秘書が実務を行い、メディアが報道することによって、ようやくホーキングはよく知られている天才物理学者のホーキングとなることができるのである。
本書は、アクター・ネットワーク理論による事例研究である。
その理論は、天才と呼ばれるような研究者であっても、その科学研究の活動は個人の頭脳のなかでは実現も完結もしないことを明らかにする。
直接的に、さらには間接的に関係を持たざるを得ない他者、及び物的道具や資源をアクターとして、ネットワークを結ぶことによって研究活動が可能になり、研究成果を生むことができる。
そのようなネットワークに分散するのが知性であり、生物学的な身体を超える研究者そのものなのである。
しかし、知性は研究者だけに与えられたものではない。
研究者以外の誰にも、見方によっては動植物にも人間とは異なる知性が与えられていると言えよう。
すると、知性を与えられて生きる者は、知的な活動を可能にする生態学的なネットワークの一部として存在しているとみることができる。
このことについては、G・ベイトソンの『精神の生態学』がより雄弁に語っているように思う。
ベイトソンが語る木を切り倒す樵、及びアルコール依存症者、さらにはベイトソンのイルカの場合等を参照してほしい。
知性はもちろん、精神は情報のサーキットであり、それをどう区切るかによって、自己意識及び身体が伸縮したり、分散あるいは集中したりするのである。
それにしても、ホーキングは宇宙については深く認識しているのだが、自己についてはよく知らないようである。
なぜなら、冒頭に引用したように、近代合理主義が自明とする主体のイデオロギーにとらわれているからである。
2015年5月16日に日本でレビュー済み
身動きできない話もできないホーキングが研究できているのは本当に理論物理学が頭脳だけがあれば十分な分野だからなのか、あるいはホーキングの頭脳が天才的だからできる離れ業なのかという疑問に答えを与えた著作。答えはホーキングはアイデアだけで計算はぜんぶ大学院生にやらせているから。しかし、そんなことはわざわざ調べるまでもなく当たり前のこと。
著者自身が正しく指摘している通り(そしてそれこそが著者の最も言いたかったことなのだと思うが)、ホーキングはただどの理論物理学の教授もしていることを極端な形で示しているに過ぎない。彼を支える集団とコンピューターとの結びつきの中に置かれた存在として描かれるホーキングは、現代の科学者の存在のネットワーク的本質をシンボリックに示しているのだと。今日の創造的人物の創造性とはすべからく「企業的」事業なのだというわけだろう。
孤独の中で沈思黙考する「天才」の神話を破壊せんとする社会学的目論見に大いに共感しつつ(だから非常に面白かった)、しかし結局のところ、量子重力理論に新局面を拓いたという意味できわめて画期的だった「ブラックホールの蒸発」という創造的アイデアがどこから出てきたのかを検証すること抜きにホーキングを分析しても、その創造性の本質を分析したことにはならないと思える。それはプリンストン高等研究所時代のアインシュタインをいくら観察分析したところでけっして相対性理論や光量子論の創造のメカニズムは見えてはこないだろうと言うのと同じことだ。ミアレ教授の企図とその結論には大いに納得するが、しかしホーキングの「天才」とはそもそも何ゆえであったかを忘れた議論のように思えてならない。
著者自身が正しく指摘している通り(そしてそれこそが著者の最も言いたかったことなのだと思うが)、ホーキングはただどの理論物理学の教授もしていることを極端な形で示しているに過ぎない。彼を支える集団とコンピューターとの結びつきの中に置かれた存在として描かれるホーキングは、現代の科学者の存在のネットワーク的本質をシンボリックに示しているのだと。今日の創造的人物の創造性とはすべからく「企業的」事業なのだというわけだろう。
孤独の中で沈思黙考する「天才」の神話を破壊せんとする社会学的目論見に大いに共感しつつ(だから非常に面白かった)、しかし結局のところ、量子重力理論に新局面を拓いたという意味できわめて画期的だった「ブラックホールの蒸発」という創造的アイデアがどこから出てきたのかを検証すること抜きにホーキングを分析しても、その創造性の本質を分析したことにはならないと思える。それはプリンストン高等研究所時代のアインシュタインをいくら観察分析したところでけっして相対性理論や光量子論の創造のメカニズムは見えてはこないだろうと言うのと同じことだ。ミアレ教授の企図とその結論には大いに納得するが、しかしホーキングの「天才」とはそもそも何ゆえであったかを忘れた議論のように思えてならない。


