柴健介氏の本のレビュー欄なのに、レビューにすらなってない、あまりに出鱈目なことを書いている人物がいるので、遺憾ながら全部反論します。酷すぎ。なお、柴健介氏のこの本は非常にコンパクトかつわかりやすく丁寧にホロコーストが説明されており、同書で著者が仰る通り書き尽くせていない部分もあるものの、新書レベルでは十分な内容だと思われます。読みやすいのが良いです。なお、このレビューはあまりにも長いので、ご注意願います。
>(1)戦後、連合軍が押収した膨大な戦時中のドイツ政府公文書の中に、ヒトラーもしくは他のドイツ政府指導者が、「ユダヤ人絶滅」を命じた命令書は一枚も発見されて居ない。
「ヒトラーの命令書を見つけたら1000ドルくれてやる!」と豪語したのは映画『否定と肯定』の中のホロコースト否定者であったデヴィッド・アーヴィング(後にホロコースト否定者を辞めている)だが、ホロコースト否定派の多くは昔からこれを主張している。ところが、この主張、よく考えると非常に奇妙な主張であることはあまり言われないのが不思議。何故ならば、例えばホロコーストがあったとする証言はほんとに数え切れないくらい存在するのだけれど、否定派はそれら証言は全て嘘であり、例えば加害者側の人物が「殺しました」的な自白をしていると、それらは嘘をつかされたのであろう、と特にその証明もなく否定派は主張する。有名なホロコーストの証拠資料とされるヴァンゼー議定書にしても、多くの否定派は偽造と断言。こうした証拠文書は意外と多いのだが、否定派は解釈的に否定し得ないと判断すると、どんな証拠文書でも偽造と主張する。(決してその偽造は証明されない。実態は内容を誤って解釈しているだけである)では、どうしてヒトラーの命令書が「偽造され」ていないのだろうか? つまり、ヒトラーの命令書が存在していないことは、ホロコースト偽造者があり得ないほどの間抜け、と言うことに他ならない。
否定派でない多くの研究者はどう言っているかと言うと、命令書はあったかもしれないが処分された、命令書自体を作らず口頭命令とした、ヒトラー配下がヒトラーの意思を忖度し、ヒトラーもただ暗黙の了承をしただけ、などである。ホロコースト(ユダヤ人絶滅)を極秘裏に実行しようとした証拠はいくらでもあり(例えば、「再定住」「特別処置」「東方への移住」などと言い換えているし、絶滅収容所はあまり人目につかない場所にあった。ユダヤ人たちは労働のために移住させるなどと説明されて虐殺された)、明確な証拠になってしまう「ヒトラーの命令書」などなくて当然だと考えているのである。否定派の主張のような不合理な不自然さは全くない。
ヒトラー本人も自殺、ヒムラーも自殺、ハイドリヒはとっくに暗殺、ホロコーストの主要な人物は死んでいるのだから、命令書を偽造したってバレやしないのに、何故偽造者はヒトラーの命令書という決定的な証拠になる文書を偽造していないのか? 否定者がそれを説明することはない。
>(2)ナチスドイツ政府は、「ユダヤ人絶滅」と言った計画の為の予算を計上して居なかった事が判明して居る。
実際のところ、アウシュヴィッツやその他の絶滅収容所(否定派は通過収容所だと言っているが)を存在しなかったとは100%誰も主張し得ないわけで、細かい話だが、例えばアウシュヴィッツ火葬場の建設費用などの詳細資料は多数残っている。ソ連でのユダヤ人虐殺部隊の中心であるアインザッツグルッペンにしたって、否定派はパルチザンを掃討していただけだのようなことを言っているが、存在そのものを否定した人はいない。「ユダヤ人絶滅」と銘打った予算計上項目がないことは、決してそれらが存在しなかったことを意味しないのは本当に火を見るよりも明らか。どうしてそんな意味不明な難癖的文句を言うのか、理解不能である。例えば、政治家への賄賂を、「政治家への賄賂」と記述した文書資料がないからと言って、政治家への賄賂はなかった、という馬鹿はいるのだろうか?(ある意味、こうして実際にいるわけではあるが)
>(3)それどころか、押収された戦時中のドイツ政府文書の中には、アウシュヴィッツ等に収容したユダヤ人を、ソ連を打倒した後、ソ連領内に移住させる計画が有った事を明記した文書が複数見られる。これは、アウシュヴィッツなどでユダヤ人を「絶滅」する計画だったとする連合国側歴史家の主張と両立しない。
ドイツ政府文書ってなんなのか知らないが、有名なマダガスカル計画を含め、ニスコ計画(ルブリン地区にユダヤ人国家を作る)や東方移住計画(要するにシベリア送りにする)などもあったことは事実であり、誰もそんなこと否定していない。N氏はいわゆるストローマン論法をしており、最初からユダヤ人絶滅計画がなければならなかった(それがないからホロコーストは嘘である)と言いたいのだろうが、ユダヤ人絶滅の意思は別として、計画自体は少なくとも1940年頃まではそもそもなかった。それが独ソ戦開始と同時に展開されたソ連領域のユダヤ人=ボリシェビキの手先と見做して殲滅する動きをきっかけに、どんどん過激化・急進化していった。1942年初めくらいまではそれでもまだ強制移送計画は存在していたようだが、それと並行する形でラインハルト作戦も進められ、独ソ戦の状況悪化と共にソ連移送計画は不可能となり、ユダヤ人をドイツ支配圏から排除するには、支配圏内で殺すしかなくなったのである。まともな歴史家たちは事実に立脚して歴史を以上のように読む。まともでないN氏のような否定派は、存在しない事実を勝手にでっち上げて歴史を捏造する。
>(4)ソ連軍が、アウシュヴィッツで押収した膨大なドイツ側文書の中に、処刑用ガス室の設計図は一枚も発見されて居ない。死体焼却炉の設計図は多数有るにも関はらず、その隣りに有ったとされる「ガス室」の設計図が一枚も発見されて居ないのは余りにも不自然である。
図面に「ガス室」と書いていないだけである(笑)。例えば、自宅の当初の図面に「寝室」とある場所を、「納戸」として使っても別に構わないのは誰でも同意するだろう(笑)。何故こんな馬鹿げた幼稚な主張をするのか理解に苦しむが、実際には多数の図面がアウシュヴィッツには残されていた。アウシュヴィッツの政治部が持っていたほんとにやばい資料は火葬場で焼却処分されたが、アウシュヴィッツ建設部の資料は、証拠隠滅から見過ごされた。それをソ連が回収した。やがてそれらの資料はゴルバチョフ時代のグラスノスチで西側にも公開されるようになり、ある人物(プレサック)がアウシュヴィッツの図面を大量に収集コピーしたのである。それらの図面の変化の推移から、明らかにビルケナウの火葬場はある時期を境に、殺人ガス室を併設するように設計変更されたことが分かった。最初は地下の死体置き場だった箇所に、死体を地下へ下ろすための死体シュートが図面から消え去り、死体置き場の扉が内開きから外開きに変更されていたのである(外開きにしないと、ガス殺後にガス室のドアを開けにくくなってしまう)。
そこがガス室であったことは、戦後の証言や既に見つかっていた文書資料などで判明はしていたが、ソ連から見つかった図面資料でそれが裏付けられたのである。残念ながらN氏の見方とは全く逆に、いかなる当時の史料からも、ガス室があったことが示されるのみなのであって、否定的な証拠は全く存在しないのが事実である。図面に記載されていた「Leichenkeller(死体置き場)」は実際には「Vergasngskeller(ガス室)」だった。
>(5)今日、アウシュヴィッツで「処刑用ガス室」であった部屋として公開されて居る部屋は、ソ連軍が押収したドイツ側の図面を見ると、病死者などを安置する為の死体安置室(Leichenkeller)として設計されて居た事が、明瞭に見て取れる。即ち、戦後、ポーランドの共産主義政権は、ドイツが病死者などを安置する目的で建設した死体安置室(霊安室)を「ガス室」と偽って公開して来たと考えられる。
現在残っているガス室は、ドイツが来る前は、その建物自体はポーランド軍が使用していた火薬庫(弾薬庫)だった。ナチス親衛隊が強制収容所に使用するにあたって、そこに遺体用の火葬場を作ることになった。1941年9月初頭、収容所内のブロックの一つ、ブロック11で最初のガス殺が実験として行われた。ところがこのブロック11(の地下室)は換気に時間がかかり、ガス処刑には使い難いことが判明。そこで、火葬場の建物にあった死体置き場をガス室に使うことにしたのである。したがってN氏仰る通りそこは火葬場への用途変更以降、設計上は死体置き場だった(笑)。
ところで、このアウシュヴィッツ1の火葬場1の図面は、元からアウシュヴィッツ博物館が有しており、ソ連は押収していない。だから、1970年代後半に既に、否定派の重鎮であるフォーリソンも博物館からコピーを貰っていたのである。N氏は否定派のクセしてそんなことも知らないのかとガッカリする(笑)。
なおこの火葬場1についてはN氏は後述する主張をしているので、こちらも後述する。
>(6)(5)を裏ずける様に、アウシュヴィッツで「処刑用ガス室」として公開されてきた複数の部屋もしくは建物の残骸からは、青酸化合物が殆ど検出されない。(対照(コントロール)として採取された衣服消毒用ガス室の断片からは、戦後40年以上が経っても高濃度の青酸化合物が検出されて居る)
N氏が言っているのは、いわゆるロイヒターレポートのことである。このレポートに示されたシアン成分の調査結果の読み方については、否定派でない側も否定派に反論したい勢いで間違った読み方をしている場合もあるので、多少注意が必要である。N氏が「殆ど」と書いているように、ロイヒターもガス室とされた場所からシアン成分を全く検出しなかったわけではなく、ロイヒター調査の感度レベルで極微量のシアン成分を検出している。このことから、「微量でも検出されているのだからガス室だった証拠だ!」とするのは早とちりである。もしかするとそれはいわゆるバックグラウンドレベルなのかもしれない。また、N氏が「衣服消毒用ガス室」と呼ぶ害虫駆除室(害虫駆除なのであって消毒ではない)から高濃度のシアン成分を検出したのは、その検体試料は「プルシアンブルー」と呼ばれるフェリシアン化合物成分が主体だったからである。
プルシアンブルーは、壁面素材などに残っていたであろうそれ以外のシアン成分とは性質が異なる。顔料にすら使われるほどの長期安定性があり、逆にそれ以外のシアン残留成分は容易に水分に流出してしまう。このように長い年月が経った時に重要となる物性の異なるものを、比較対象には出来ない。また、害虫駆除室とガス室の青酸ガス(チクロンB)の使い方はかなり異なる。対象害虫であるシラミは数時間の青酸ガス燻蒸を行わないと駆虫出来ない。したがって衣服の害虫駆除燻蒸は24時間掛けて行われた。しかし、ガス処刑は30分程度しか要しない上に、火葬処理の都合上、1日一回程度しかできないのである。最初のガス室のあった火葬場1では火葬炉が少ないので、数日に一回程度しかガス処刑はできなかった。
以上のような問題を踏まえて、ポーランドの公的機関であるクラクフ法医学研究所が、ロイヒターレポートに対抗する目的で同様の調査を行った。感度を上げるため、マイクロ拡散法を用い、さらにプルシアンブルーのシアン成分を検出しない方法を用いた。またロイヒターの無許可調査では対象とされなかった、囚人住居棟(シラミ駆除のため1942年に一度だけ青酸ガス燻蒸作業が行われている)の試料も採取された。結果は、住居棟では全ての検体でシアン成分はゼロであり、処刑用ガス室は害虫駆除室よりも濃度は低かったものの、極端な濃度差のないシアン成分濃度が得られ、有意にガス処刑室だったと見做すことのできる結果が得られたのである。
ある否定派論者は、このクラクフ報告に「インチキだ!」と主張したが、化学調査を証拠もなしにインチキだと主張し始めたら、ロイヒターもインチキ呼ばわりすることができてしまうので、それは禁句である(笑)
>(7)アウシュヴィッツを含めた戦争中のナチス収容所では多くの病死者の死体が発見された。しかし、「ガス室」で、即ち何らかの毒ガスで殺された事が医学的に確認された死体の報告は、実は、一件も無い。
ある。私が個人的に知っているのは二件、マイダネク(収容所)とクラスノダール(虐殺及び埋葬地)。個人的にはマイダネクのソ連による報告書は信頼性に問題があるとは思っているが、クラスノダールは遺体写真付きで、ガス殺遺体の数も具体的に報告に挙げられているので疑い難い。ともあれ、「一件も無い」は明確なウソである。
しかし、問題は検死された死体の存在が、ガス処刑の証明に必須であるわけでは無いことだ。何故ならば、明らかに親衛隊は証拠隠滅作業を行なっているからである。殺人事件において、死体の証拠隠滅を行うことは古今東西広く行われており、ナチスドイツレベルならば数百万体の遺体について死体の証拠隠滅を行なっていたとしても不思議はない。実際に、死体の証拠隠滅を行なっていた証拠は多数上がっているので、たとえアウシュヴィッツに限定して「ガス殺遺体はなかった」と主張しても無意味である。アウシュヴィッツに火葬場があったことを否定する人は否定派にもいない。火葬処理されているのに、ガス処刑遺体が残っているわけがないことは論理的に必然である。
ところで少々余談ではあるが、否定派はアウシュヴィッツ(ビルケナウ)の火葬場について、その能力を過剰なまでに過小評価し、そんなに多くの遺体処理は出来たわけはない、と主張する。が、当時のナチス親衛隊の文書資料が残っていて、それによると1日あたり、全火葬場の能力は4756体の処理能力があり、単純計算で一年でざっと200万体弱処理出来る計算になる。実際には火葬場の能力は諸条件によりこれより低くなるが、処理能力が足りない時は野外火葬を行なっており、これは遺体量に応じて作業していたであろうから理論計算できない。現在のアウシュヴィッツ・ビルケナウの犠牲者数は110万人とされており、能力的には全く問題はない。
>(8)実際に青酸ガスによる処刑を死刑の一手段として行なって来たアメリカの経験では、青酸ガスを使ったガス室は、最も費用のかかる処刑法である。その様な方法を「民族絶滅」の手段に選んだと言ふ話は根本的に不合理である。
これもフォーリソンの主張の受け売りである。アメリカの青酸ガスによる死刑の費用など知らないが、アウシュヴィッツで用いられた青酸ガスは、害虫駆除剤のチクロンBによるものであり、当時ドイツでは害虫駆除用として広く用いられていた。そんなに高価だったのなら、広く使われた筈はない。
ところで、N氏はフォーリソンの主張を勘違いしており、フォーリソンが言っていたのは、毒ガス自体のことではなく、アメリカのガス処刑室のことである。簡易な深海調査船にも似た頑丈な鉄製で、見た目も費用が掛かってそうな見栄えの処刑室で、絶対に外に毒ガスが漏れ出さないような設計になっていることは一目でわかる。そのような高価な処刑室でないと毒ガス処刑などできた筈はなく、アウシュヴィッツのガス室とされる箇所は、どう見ても設計が貧弱すぎる、とフォーリソンは主張したのだ。
ここでそのフォーリソンの主張に反論は敢えてしない(アウシュヴィッツの害虫駆除室やチクロンBが広く使われたことを考えてみるといい)が、N氏は重鎮の主張を誤って理解するトンデモであることは確かだ(笑)
>(9)アウシュヴィッツ他の収容所で、ドイツは、病気に成ったユダヤ人に病院で医療を行なって居る。(アンネ・フランクの父親もその一人)これは、アウシュヴィッツ収容の存在目的が「ユダヤ人絶滅」であったとする説明と矛盾する。
これもストローマンである。ユダヤ人大量虐殺が始まった当初、つまり独ソ戦開始から数ヶ月、あまりにユダヤ人を殺しすぎるので、現地のドイツ行政当局から苦情が起きた。経済的な生産活動に労働力としてのユダヤ人は必要だから、全部殺すな、という苦情である。その苦情に従ってユダヤ人をある程度残したり、あるいは聞かずに全員殺したりさまざまなケースがあったが、それは収容所においても同様だった。虐殺する側の国家保安本部(RSHA)はどんどん殺してくださいとばかりにユダヤ人をアウシュビッツなどの収容所に強制移送するが、強制収容所の管轄は経済行政管理本部(WVHA)であり、こちらは労働力としてのユダヤ人囚人を欲していた。親衛隊トップのヒムラーは、アウシュヴィッツ司令官のヘスの自伝によると、その二つの主張の間で、定見がなかったそうである。ある時には囚人に容赦なく厳しくしろと言い、ある時にはきちんと休養と栄養を与えよと言う。N氏おっしゃる通り、実際に矛盾していたのである(笑)。
しかし、N氏は定説を無視しており、史実として基本的にユダヤ人絶滅にあたって「選別」が行われたことである。老人や子供、子供のいる女性、病人は労働力にならないからと、生かしておいても無駄飯食いになるだけなので、即座の虐殺対象とされた。それ以外のユダヤ人が基本的には生かされたのだ、もちろん過酷な強制労働で何れは死ぬことが前提である。アウシュビッツでは前者は75%に達した。アウシュヴィッツの囚人登録者数は約40万人しかいないのに、移送数が130万人に達する、この差は登録されずにそのままガス室で大量に殺されたからだ。
なお、注意すべきは、「無駄飯食い」には例外もいたことである。否定派は決まって、アウシュヴィッツの解放時の写真を持ち出し、子供がいたではないか!「無駄飯食い」が絶滅されてない!ウソだ!と主張する。誰も例外がいなかったとは言ってないのでこれもストローマンである。選別時に見栄えが老人に見えなかったからと高齢でも労働者(囚人)登録されたユダヤ人もいたし、基準年齢より低い子供でも基準年齢に見えて選別を免れた子供もいた。双子はメンゲレ医師の実験対象として多くが即座のガス室行きにはならなかった。全ては、選別する親衛隊医師の指一本で決められただけなのである。
>(10)(9)と同様に、アウシュヴィッツ(ビルケナウを含む)には被収容者の為のプールや売春宿まで存在した。これは、「絶滅」が目的の収容所とは到底考えられない事ではないか?
ビルケナウが絶滅の現場であることを意識しての主張なのであろうが、姑息なN氏である(笑)。遊泳プールも売春宿もビルケナウには存在していない。アウシュヴィッツ1の遊泳プールは、主目的は防火用であり、1944年中頃に作られたものであって、ユダヤ人絶滅はそれよりずっと前から行われていた。遊泳プールとしても使えるように飛び込み台を作らされたのはユダヤ人囚人だったが、ユダヤ人がそこで遊泳したと言う記録(証言)はない。証言されているのは、親衛隊員とドイツ人囚人である。アウシュビッツにいた囚人はユダヤ人だけではない。
収容所内の慰安所は、その使用を認められた囚人のみが利用した。ヒムラーの発案で、囚人の労働意欲を高めるために何箇所かの収容所に慰安所が設置されたようである。これもまた、ユダヤ人囚人が利用できたと言う証言は全く存在しない。ちなみにNetflixにあった映画『マウトハウゼンの写真家』で慰安所シーンが登場したのを覚えている。
ともかく、常識として、「アウシュビッツ(ビルケナウ含む)」は絶滅収容所でありかつ強制収容所だったし、そこにいたのがユダヤ人だけでないことも知っておくべき常識である。特に親衛隊員にとっては、極めて稀に殺されることもあったが、移送されてきたユダヤ人達から奪い取った金品から私服のために横領も出来たし、食糧だって自分達だけ美味しい食材を選んで食えたし、中には司令官ヘスのようにポーランド人の女性囚人を愛人にして不倫に勤しんだ奴までいた(妊娠させてしまったので殺そうとしたらしい)、ある意味パラダイスのような場所だった。ユダヤ人にとってはもちろん地獄そのものだった。
>(11)アウシュヴィッツ他の収容所に収容されたユダヤ人やレジスタンスの中には、「ガス室」の存在に否定的な証言をする人々が実は多数居た。
ガス室の存在否定をしたユダヤ人囚人経験者なんて知らないけどなぁ? でもここで言及されているのがホロコースト否定派の始祖とされるポール・ラッシニエであることは「レジスタンス」で分かる。ラッシニエが如何に狂った主張をしていたかについては、あえてここでは言わないが、「多数居た」と仰るのであれば、ガス室の存在を肯定証言した証言者はその何倍いるのかな?(笑)。ラッシニエは確かにナチスの強制収用所に居たが、彼はガス室のない収容所にいたのであるから、ガス室を直接知らなくても何の不思議もない。アウシュヴィッツにいた囚人でもガス室のことを知らなかった人もいたわけだし、N氏はそのことを知っている筈。その囚人は幅500メートルくらいしかないビルケナウの端っこにいたそうだが、火葬場まで5キロもあったと証言している人(認識を誤ることは誰にだってあるが、否定派は証言の些細な誤りでも認めなかった筈だ(笑))で、ガス室のことなど知らなかったとあのツンデル裁判でツンデル側証人として証言している。ちなみにその囚人はドイツ人である。
>(12)ビルケナウ収容所のクレマ2地下室には処刑用ガス室が有ったとされて居る。そして、「証言」に依れば、その地下室と成った「ガス室」には、地上部分に四つツィクロンBの投入孔が有り、そこから、青酸ガスを遊離するツィクロンBが投げ込まれたとされて居る。ところが(!)現地(第二アウシュヴィッツ)でその「ガス室」とされる地下室の天井(地上部分)を見ると、穴は一つしか無い(!)しかも、新しい穴で、戦後開けられた物と考えられる。穴が無い「ガス室」にどうやってツィクロンBは投げ込まれたのか?
その戦後開けられたであろう穴は、そこがガス投入口だった、とは主張されていない。2000年ごろに、反否定派として著名だったハリー・マザールらによってクレマトリウム2のそのガス投入口について現地調査が行われた。報告書は2004年に発表された。親衛隊が撤収時にダイナマイトでクレマトリウムを爆破してしまったので、穴のあった天井は破壊されてしまって瓦礫ばかりとなっていたので、その穴の特定は困難だったと思われるが、四箇所のうち三箇所までは見つけられた。なぜそこが穴だと判明したかと言うと、その断面に防水用のタールの痕跡があったり、鉄筋が曲がって再びコンクリートの中に入っているような構造が見つかったからである。断面のタールは施工時に誤って付着したとしか考えられないし、曲がった鉄筋は施工時に穴を想定して鉄筋を曲げたものだとしか考えられないからである。
ビルケナウのクレマトリウムの現在がどんなことになっているのかは、Googleマップの航空写真で見てもらいたい。クレマトリウム2のあんな状況でよく穴を見つけたなと思うし、クレマトリウム3に至ってはあんなの絶対穴なんか見つけられない。N氏は簡単そうに言っているが、アウシュヴィッツに行ったことある癖に、ちゃんと見てないのだろう(笑)。
このクレマトリウム2や3の天井のガス穴については、私見の範囲では30人程度の戦後・戦中の文書記録や証言が残されている。私自身が見つけたものでは、その穴に付属する金網投下装置と呼ばれる器具の中にあったチクロンBを入れる容器のメンテナンスをしていたという囚人の証言もあった。そんな細かい内容の証言まで偽証なのだろうか?(笑)
>(13)「ガス室」に関するアウシュヴィッツ博物館の説明は変はって居る。特に、第一アウシュヴィッツで「ガス室」として公開されて居るクレマ1について、アウシュヴィッツ博物館は、戦後永い間、「オリジナルな建物だ」と主張して居た。しかし、1990年代前半ころから、「復元された建物でした」と説明を変えて居る。実際、ソ連軍が1945年に撮影したこの建物(クレマ1)の写真を見ると、今日、そこにある煙突が映って居ない。即ち、その煙突は、戦後捏造された物であるが、それをアウシュヴィッツ博物館は、長い間「オリジナルな物」だと説明して居た。(テープ、ビデオに博物館職員の説明は記録されて居る)
建物自体は、オリジナルというか、元々ポーランド軍の使用していた火薬庫であることは既に述べた通りである。だからオリジナルで合ってる(笑)。問題は、元々死体安置室だった箇所をガス室として利用したことであり、そのガス室は1942年末で使用されなくなり、1944年中頃に防空壕に改修されたのち、戦後にポーランド当局が博物館にするために、再びガス室に見えるように再現工事を行ったことにある。この工事が完全再現ではなかったから、否定派達に「ん?なんか変だぞ」と気付かれるきっかけになってしまったのである。
実は、1944年7月にソ連軍の急襲でマイダネク収容所がさっさと解放され、八月か九月頃だったかと記憶するけど、さっさと博物館にされている。その時に、火事でなくなっていた火葬場を再建している。そこにはガス室もあって(実際には処刑用ガス室でなかったが)、それも含めて再現されている。しかし、このマイダネクの火葬場の再現工事が否定派に問題にされたことはない。何故なら、明確に再現工事が行われたという記録が残っているからである。
アウシュヴィッツの場合は、再現工事の明確な記録はなかった。そこが否定派の目の付け所になったのであろうが、実はポーランドの地元の戦後裁判で判事を務めたヤン・セーンがその裁判の後にすぐ、その問題のガス室が再現されたものであることを報告書に記載していた。ヤン・セーンはその再現工事のことを1957年出版の本にも書いているそうだ。また、アウシュヴィッツ博物館の初代館長であるカジミエシュ・スモレンは1960年代に行われたフランクフルト・アウシュヴィッツ裁判でそのガス室が再建されたものであることを証言している。つまりは、再現工事があったことは別に秘密にされてはいなかったのである。
秘密にされていなかったことは、そのN氏が言っているビデオ自身でも証明される。確かにビデオの主役である当時否定派のデビッド・コールの案内係は「当時のままです」と述べたが、コールに色々と突っ込まれて、呼び出された案内係の主任は「当時のままではありません」と答えた。これを、コールらは「当時のままでないことを認めた!」と主張するのだが、秘密でないから案内係の主任は即答したのである(笑)。博物館側は当時、まさかオリジナルかどうかを尋ねてくる客が来るとは想定してなかっただろうし、そんな質問をするのは否定派だけであろう(笑)。
今となっては実に笑える話ではあるのだが、しかし、そのガス室が再現されたものであることは当時はほとんど知られていなかったのは事実である。従って、当時は否定派でない側の人たちも「一体どういうことなのか?」みたいな反応はあったようだ。それ故、そこそこ今で言う「炎上」状態になっていたようではある。ところがこの話、盛り上がったのは1990年代なのだが、1989年に出版された『アウシュヴィッツ、ガス室の操作と技術』という有名な本に既に、再現されたものであることは書かれていた。コールもこの本をそのビデオの中で紹介しているにもかかわらず、そのことには一切触れない。ちゃんと読んでないのかそれともダンマリを決め込んでいるのか、謎である。
ともかく、この話、1990年代に済んでいる話なのだが、否定派は絶対にガス室だけは認めたくないので、今でもそのガス室を捏造だと言って憚らない。同じ話を永久に繰り返すのが否定派の特徴の一つで、てめぇらは「修正主義者」と呼ばれたい癖に、自らの主張は決して修正しないのだ(笑)。嘘だと思うならN氏に直接聞いてみたらいい、N氏は修正主義者、あるいは見直し論者と呼んで欲しいと絶対に言う筈である(笑)
N氏は、かつて思いっきりホロコーストを否定した論文の最後に「この記事をアウシュヴィッツその他の地で露と消えたユダヤ人の霊前に捧げたい」と抜け抜けと言ってのけた人物である。当時にも怒りに震えたり呆れ返ったりした人は多かったに違いない。私は欧米の否定論者の主張も多少は知っているが、こんなセリフを言った否定論者はN氏以外知らない。
ところであまりにも長くなったついでに、他にもある否定論レビューを少しだけ反論しておきます。
>その理由は、すべての強制収容所で赤十字の監督が許されていたからです。
許されてません。例えばアウシュヴィッツでは、国際赤十字(ICRC)のモーリス・ロッセル代表が司令官と30分話が出来ただけで、収容所内には立ち入らせてもらっていません。このことはICRCの当時の報告書に記載されています。他にも「国際委員会は、これらの人々(ユダヤ人)が抑留されている収容所を訪問することができない」などと書かれた文書などもあり、他の内容も含め、これらの「赤十字」を用いた否定派の主張は全てウソです。
そもそも当時の赤十字は、戦争法規に記された戦時捕虜に対してはジュネーブ条約に基づいた対応を取る権限がありましたが、ユダヤ人などのナチスが抑留した強制収容所の囚人に対しては何の権限もありませんでした。これが大きな障壁となって、何度ユダヤ人への援助を行おうとしても、ナチスから門前払いを食らったのです。一部収容所に食料供給を行えた程度だったし、ユダヤ人への非道な行為を把握することもできませんでした。
>やはり、「見直し派」が研究・発表してきた事と比べても説得力が無い。
あなたのレビューも説得力は皆無ですね(笑)
>600万人分の屍体はどこにあるの?隙間だらけの部屋で青酸ガス流したら看守も周辺住人もみんな死んでるよ。
では、人口統計調査などにより、500万〜600万と推定計算されるユダヤ人減少量をどう説明するのですか? 例えばアウシュヴィッツでは死体が火葬されていたことは誰も否定しません。火葬されたら、死体はどうなるのですか? あるいは、多数の死体が写った写真はいくらでもありますけど、600万人写ってないとダメなのですか? あるいは、絶滅収容所跡地を掘ってみると、遺骨や遺灰などが見つからないことはないそうなのですが、その程度じゃダメってことなんですか?
青酸ガスには、致死濃度というものがあるのはご存知ですか? 300ppmくらいが致死量で、これより低いと死なないケースも出てくることをご存知ですか? あるいは青酸ガスは空気との比重が0.9であり、従って大気中では容易に上昇してしまうので、外環境ではガス室内の青酸ガスが漏れても地上にいる人は吸引しにくい、って理屈はわかりますか? ていうかあなたガス室の隙間って見たことあるのですか? 私は知りません。こうした青酸ガスの危険・否定論はかなり古いものですが、屁理屈以上のものではありません。青酸ガス同様、危険な一酸化炭素ガスを含む排ガスを撒き散らしている自動車が走り回っている現代社会を何年も生きておりますが、死にそうになったことは一度もありません(笑)
以上。長過ぎてごめんなさい。
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ホロコースト―ナチスによるユダヤ人大量殺戮の全貌 (中公新書) 新書 – 2008/4/1
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ヒトラー政権下、ナチ・ドイツによって組織的に行われたユダヤ人大量殺戮=ホロコースト。「劣等民族」と規定されたユダヤ人は、第二次世界大戦中に六〇〇万人が虐殺される。だが、ヒトラーもナチ党幹部も、当初から大量殺戮を考えていたわけではなかった。本書は、ナチスのユダヤ人政策が、戦争の進展によって「追放」からアウシュヴィッツ絶滅収容所に代表される巨大な「殺人工場」に行き着く過程と、その惨劇の実態を描く。
- 本の長さ282ページ
- 言語日本語
- 出版社中央公論新社
- 発売日2008/4/1
- ISBN-104121019431
- ISBN-13978-4121019431
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商品の説明
内容(「BOOK」データベースより)
ヒトラー政権下、ナチ・ドイツによって組織的に行われたユダヤ人大量殺戮=ホロコースト。「劣等民族」と規定されたユダヤ人は、第二次世界大戦中に六〇〇万人が虐殺される。だが、ヒトラーもナチ党幹部も、当初から大量殺戮を考えていたわけではなかった。本書は、ナチスのユダヤ人政策が、戦争の進展によって「追放」からアウシュヴィッツ絶滅収容所に代表される巨大な「殺人工場」に行き着く過程と、その惨劇の実態を描く。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
芝/健介
1947(昭和22)年、愛媛県生まれ。東京大学法学部政治学科卒業。80年東京大学大学院社会学研究科国際関係論博士課程単位取得退学。82年國學院大學文学部助教授。89年より東京女子大学文理学部史学科助教授、91年より同教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
1947(昭和22)年、愛媛県生まれ。東京大学法学部政治学科卒業。80年東京大学大学院社会学研究科国際関係論博士課程単位取得退学。82年國學院大學文学部助教授。89年より東京女子大学文理学部史学科助教授、91年より同教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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登録情報
- 出版社 : 中央公論新社 (2008/4/1)
- 発売日 : 2008/4/1
- 言語 : 日本語
- 新書 : 282ページ
- ISBN-10 : 4121019431
- ISBN-13 : 978-4121019431
- Amazon 売れ筋ランキング: - 24,752位本 (の売れ筋ランキングを見る本)
- - 6位ドイツ・オーストリア史
- - 60位ヨーロッパ史一般の本
- - 104位中公新書
- カスタマーレビュー:
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父親がユダヤ人である
ドイツの哲学者・社会評論家・作曲家
テオドール・W・アドルノ
(Theodor W. Adorno 1903-1969)は
『文化批判と社会』(原著 1949)
(Cultural Criticism and Society)
において
「アウシュヴィッツ以後
詩を書くことは野蛮である」
(To write poetry after Auschwitz
is barbaric.)
と述べました。ここで言う「詩」とは
文学のみならず音楽も含めて
芸術ないし文化・文明の総称です。
もちろんアドルノのコトバは
逆説であり標語ですが
パンチ力を持たせるために
奇をてらった表現になっています。
わかりやすく言い換えると
ゲーテ(1749-1832)や
ベート―ヴェン(1770-1827)を
生んだ国(ドイツ)が
アウシュヴィッツを生んでしまった
という事実の前に
詩や音楽という芸術または文化は
いかに無力であったかという絶望です。
ドイツは同時に
ハイネ(1797-1856)や
メンデルスゾーン(1809-1847)を
生んだ国でもあります。
両人ともユダヤ系です。
アウシュヴィッツなどの収容所では
殺される運命にあるユダヤ人たちに
モーツアルト(1756-1791)を
演奏させドイツ人の看守たちは
美しい音楽に聴き入っていました。
音楽は人間の野蛮性に対して
万能ではないことの証明です。
と言って無力でもないように
感じるところがあります
(あくまで個人の見解です)。
さて「アウシュヴィッツ」とは
現在ポーランドのオシフィエンチム
(ドイツ語読みでアウシュヴィッツ)
にあった「絶滅収容所」のことです。
最大規模の絶滅収容所であったために
「ホロコースト」の代名詞ないし象徴
として使われることが多いです。
アドルノのコトバの中でも
「アウシュヴィッツ」は
「ホロコースト」と言い換える
(一般化する)ことが可能です。
そもそも
「ホロコースト」(独語・英語)とは
ドイツ第三帝国(ナチス・ドイツ)が
ユダヤ人やシンティ・ロマなど少数民族
あるいは精神障害者に対して行った
計画的大量殺害のことです。
ヘブライ語では「ショアー」です。
ホロコーストの犠牲者数は
600万人とも言われています
(細かい数字については諸説あります)。
本書の著者は次のように書いています。
【日本で絶滅収容所を取り上げる場合、
アウシュヴィッツ絶滅収容所の場合が
圧倒的に多く、その知名度は高い。】
【だが、(中略)(別の)
三つの絶滅収容所の犠牲者は、(中略)
175万名であり、後述する
アウシュヴィッツ絶滅収容所の犠牲者を
上回るものである。】(p.190)
‥つまり
アウシュヴィッツはホロコーストの
「氷山の一角」に過ぎません。
ホロコーストはアウシュヴィッツだけ
ではないのです。
本書の見開き186-187ページの地図
「ナチ・ドイツの絶滅収容所、
強制収容所配置図」
をご参照ください。ここには
「絶滅収容所」として
次の6つの収容所が記載されています。
1)トレブリンカ
2)フウムノ
3)ソビブル
4)マイダネク
5)ベウジェツ
6)アウシュヴィッツ
‥なおここで
アウシュヴィッツは
隣接するビルケナウ収容所
(当初はアウシュヴィッツ第二収容所
として建設。その間の距離は2キロ)
とあわせて
アウシュヴィッツ=ビルケナウ収容所
のことを指します。実は
ガス室による大量虐殺を行う機能は
ビルケナウの方に集中していました。
さらに同上の地図には
「基幹強制収容所」として
次の13収容所が記載されています。
1)ダハウ
2)ザクセンハウゼン
3)ブーヘンヴァルト
4)フロッセンビュルク
5)マウトハウゼン
6)ラーヴェンスブリュック
7)ノイエンガンメ
8)グロス=ローゼン
9)ナッツヴァイラ―=シュトゥルットホーフ
10)テレージエンシュタット
11)シュトゥットホーフ
12)ベルゲン=ベルゼン
13)ドーラ・ミッテルバウ
「その他の強制収容所、支所、
強制労働キャンプ」は
小さい黒い点で記されていますが
地図のほぼ全体にわたって分布し
その数はざっと何百という単位に
なることが見てとれます。
これによって、繰り返しますが
ホロコーストはアウシュヴィッツだけ
だけではなく
ドイツ第三帝国・占領地域東側全域に
及んでいることが視覚的に実感できます。
あらためまして
「強制収容所」とは
「敵性とみなした人間集団を
法的手続きなしに
拘禁し収容する施設」(p.166)
として定義されます。
【古くは南アフリカ戦争(1899-1902)で、
イギリスが敵国であるトランスヴァール共和国
などの非戦闘員を拘禁した例が挙げられる。】
(p.166)と著者は述べています。
第二次世界大戦中、米国で
日系人や日系移民を強制収容した収容所
(Japanese Internment Camps)も実態は
「強制収容所」
(Concentration Camps)です。
米国から見れば同じ敵国であった
ドイツ人もドイツ系も
イタリア人もイタリア系も
強制収容所に収容されることはなく
日本人と日系だけが強制収容されました。
二重の差別であったことが分かります。
ナチ党は
1933年1月30日に政権を取ると
たった2カ月後
(厳密には2カ月も経たないうちに)
同年3月20日
ダハウに最初の強制収容所を開設します。
ダハウはミュンヘンの近郊(北西20キロ)
にあり「ダッハウ」と書くこともあります。
これは【大統領緊急令】に基づく措置です。
【大統領緊急令】は正式名称
「国民と国家を防衛するための大統領緊急令」
であり国会議事堂放火事件の翌日に
出されたものです。ひとつには
この【大統領緊急令】の乱発によって
ナチ党はあっと言うまに「独裁」体制を
整えて行きます。これ以降
「人身の自由」をはじめとする
国民の基本的な権利が停止され
ナチ党当局が裁判所の許可なく
人々を拘禁できるようになりました。
「ダハウ強制収容所」を
開設し運営したのは
親衛隊全国指導者(SS長官)
ヒムラー(1900-1945)です。
つまり親衛隊です。
最初に収容されたのはユダヤ人ではなく
共産党員や社会民主党員です。
「強制収容所」は英語で(既出ですが)
「コンセントレーション・キャンプ」
(Concentraton Camps) と言い
ドイツ語では頭文字をとって
ナチ時代には「KL」と略され
現在では「KZ」(カーツェット)と
呼ばれています。
なお一般には
「強制収容所」というコトバで
「絶滅収容所」も含めて呼ぶことが
多々あるようです。つまり
「強制収容所」は広義には
「絶滅収容所」を含めることもありますが
厳密には両者は別物です。
定義を再確認しておきますと
・絶滅収容所=ユダヤ人殺害のみを
目的とした収容所。
・強制収容所=ナチ党の敵対者など
対象となる囚人を拘禁し
再教育の名のもとに懲罰や強制労働
による圧迫や搾取を行う収容所。
その対象はナチ党の政治的敵対者、
ユダヤ人、シンティ―=ロマ(ツィゴイナー)、
外国人、外国人捕虜など。
対象は20カ国以上に及ぶ。
数的にはユダヤ人は多数ではないが
他の集団に比べて劣等な扱いを受けた。
‥となります(p.165)。
ちなみに
定義の問題で補足しておきますと
日本では
「夜と霧」というコトバで
「絶滅収容所におけるホロコースト」
を意味するようになってしまいました。
これは誤りです。
誤用が定着した原因は日本の出版社にあります。
順を追って説明しましょう。
オーストリアの精神科医
ビクトル・フランクル(1905-1997)は
ユダヤ人であったために
「絶滅収容所」であるアウシュヴィッツに
収容されましたが奇跡的に
生きて戻ってくることができました。
「ホロコースト・サヴァイヴァー」
(Holocaust Survivor)
(大量虐殺からの生還者)です。
1946年に出版された手記のタイトルが
『それでも人生にイエスと言う。
ある心理学者が強制収容所を体験する』
”Nevertheless,Say "Yes" to Life.
A Psychologist Experiences
the Concentration Camp.”
(原題のドイツ語を英語に直訳)
でした。
フランクルも「強制収容所」というコトバで
「絶滅収容所」を意味しています。
なぜなら「強制収容所」と「絶滅収容所」
の違いはナチの側からの呼称であり
収容された人々にとっては
どちらでも同じだったに違いありません。
1956年
フランクルの手記の翻訳が日本でも
出版されますが、その時のタイトルが
なぜか『夜と霧』でした(現在に至ります)。
「夜と霧」というのは
1941年12月7日
ヒトラーが出した「命令」であり
命令書が残っていて「機密」指定です。
ドイツ軍の占領下で
ナチ党に敵対する政治犯や
レジスタンスの人々について
(ジュネーブ協定などの国際法規に
のっとることなく)
家族や関係者に一切通知すること無く
ドイツの強制収容所に収容すべし
とする命令です。
結果として
誰にも見られることなく
夜と霧になって消えていくことから
「夜と霧」(独語 Nacht und Nebel)
と呼ばれることになりました。
英語では
”Night and Fog Decree”
(「夜と霧」命令)と呼ばれます。
ドイツ軍占領下での捕虜・レジスタンス
を対象とする命令であったため
国防軍最高司令部(OKW)総長だった
カイテル(1882-1946)も
副署しました。カイテルは
「ソ連の政治将校(コミッサール)は
見つけ次第、処刑せよ」という
「コミッサール命令」にも署名しており
戦後ニュルンベルグ裁判で死刑判決を受け
絞首刑となりました。
つまり「夜と霧」の段階では
政治犯とレジスタンスが対象であって
全ユダヤ人を対象とする「ホロコースト」には
まだ至っていませんでした。
従って単にオーストリア在住の
ユダヤ人精神科医に過ぎなかった
フランクルが「夜と霧」命令のために
強制収容所に収容される
ということはありえません。
「夜と霧」の犠牲者は
ノルウェー・オランダ・ベルギーそして
フランスなどのレジスタンスが主体です。
従って
全ユダヤ人の無差別大量殺人である「ホロコースト」
を告発した書であるフランクルの手記に
「夜と霧」
というタイトルをつけるのは事実誤認です。
日本だけの現象です。
英仏では工夫して別の題名をつけています。
このような誤用が定着した理由として
ひとつには
1955年のフランス映画『夜と霧』
(Nuit et broullard)に
ひきづられたかもしれません。
「絶滅収容所」であるアウシュヴィッツの
ホロコーストを描いた短い(32分)作品です。
なぜか「夜と霧」というタイトルでした。
そういう題名をつけたのは
芸術的効果という理由と思われます。
「夜と霧」命令のときには「強制収容所」
しかなかったナチ体制のシステムが
やがて「絶滅収容所」を生んで行った
という理由も可能ではありますが
「あとづけ」と思われます。
もうひとつには
日本の作家・北杜夫(1927-2011)が
『夜と霧の隅で』
という短編小説を書き、それが
芥川賞(1960年)を受賞したことにも
ひきづられたかもしれません。
実際にこの作品を読んだ人には
一目瞭然ですが、これは
ドイツ国内でドイツ人の精神障害者を
安楽死させる医師の葛藤を描いています。
つまり「T4計画」描いた小説です。
よく言われるように
ナチスの「夜と霧」作戦を描いた小説
ではありません。
ましてや「ホロコースト」を描いた小説
でもありません。
ナチ党の犯罪はあまりに膨大です。
600万人とも言われるホロコーストには
結果的に前兆がありました。
まずは同じドイツ人の中で
精神障害者が殺されました。
次に共産党員や社会民主党員が
ダハウ強制収容所に収容されました。
【大統領緊急令】の濫用です。
戦争が始まると
その占領下で政治犯やレジスタンスが
強制収容所に収容されました
(このステップが「夜と霧」です)。
さらに独ソ戦が開始され継続され
日本が米国と開戦すると
「絶滅収容所」でユダヤ人の
計画的大量殺人が組織的に
開始されていきました
(その象徴となる例が
「ラインハルト作戦」です)。
絶滅収容所としては
アウシュヴィッツが有名ですが
上述の通り
ソ連軍が攻めてくる前に
絶滅収容所を閉鎖し破壊し
生存者もほとんどいなかったために
結果としてあまり知られていない
絶滅収容所も複数あります。
こうした膨大な犯罪を知るには
膨大な文献を読まなくてはなりません。
本書は一冊目の概説書として有効です。
ドイツの哲学者・社会評論家・作曲家
テオドール・W・アドルノ
(Theodor W. Adorno 1903-1969)は
『文化批判と社会』(原著 1949)
(Cultural Criticism and Society)
において
「アウシュヴィッツ以後
詩を書くことは野蛮である」
(To write poetry after Auschwitz
is barbaric.)
と述べました。ここで言う「詩」とは
文学のみならず音楽も含めて
芸術ないし文化・文明の総称です。
もちろんアドルノのコトバは
逆説であり標語ですが
パンチ力を持たせるために
奇をてらった表現になっています。
わかりやすく言い換えると
ゲーテ(1749-1832)や
ベート―ヴェン(1770-1827)を
生んだ国(ドイツ)が
アウシュヴィッツを生んでしまった
という事実の前に
詩や音楽という芸術または文化は
いかに無力であったかという絶望です。
ドイツは同時に
ハイネ(1797-1856)や
メンデルスゾーン(1809-1847)を
生んだ国でもあります。
両人ともユダヤ系です。
アウシュヴィッツなどの収容所では
殺される運命にあるユダヤ人たちに
モーツアルト(1756-1791)を
演奏させドイツ人の看守たちは
美しい音楽に聴き入っていました。
音楽は人間の野蛮性に対して
万能ではないことの証明です。
と言って無力でもないように
感じるところがあります
(あくまで個人の見解です)。
さて「アウシュヴィッツ」とは
現在ポーランドのオシフィエンチム
(ドイツ語読みでアウシュヴィッツ)
にあった「絶滅収容所」のことです。
最大規模の絶滅収容所であったために
「ホロコースト」の代名詞ないし象徴
として使われることが多いです。
アドルノのコトバの中でも
「アウシュヴィッツ」は
「ホロコースト」と言い換える
(一般化する)ことが可能です。
そもそも
「ホロコースト」(独語・英語)とは
ドイツ第三帝国(ナチス・ドイツ)が
ユダヤ人やシンティ・ロマなど少数民族
あるいは精神障害者に対して行った
計画的大量殺害のことです。
ヘブライ語では「ショアー」です。
ホロコーストの犠牲者数は
600万人とも言われています
(細かい数字については諸説あります)。
本書の著者は次のように書いています。
【日本で絶滅収容所を取り上げる場合、
アウシュヴィッツ絶滅収容所の場合が
圧倒的に多く、その知名度は高い。】
【だが、(中略)(別の)
三つの絶滅収容所の犠牲者は、(中略)
175万名であり、後述する
アウシュヴィッツ絶滅収容所の犠牲者を
上回るものである。】(p.190)
‥つまり
アウシュヴィッツはホロコーストの
「氷山の一角」に過ぎません。
ホロコーストはアウシュヴィッツだけ
ではないのです。
本書の見開き186-187ページの地図
「ナチ・ドイツの絶滅収容所、
強制収容所配置図」
をご参照ください。ここには
「絶滅収容所」として
次の6つの収容所が記載されています。
1)トレブリンカ
2)フウムノ
3)ソビブル
4)マイダネク
5)ベウジェツ
6)アウシュヴィッツ
‥なおここで
アウシュヴィッツは
隣接するビルケナウ収容所
(当初はアウシュヴィッツ第二収容所
として建設。その間の距離は2キロ)
とあわせて
アウシュヴィッツ=ビルケナウ収容所
のことを指します。実は
ガス室による大量虐殺を行う機能は
ビルケナウの方に集中していました。
さらに同上の地図には
「基幹強制収容所」として
次の13収容所が記載されています。
1)ダハウ
2)ザクセンハウゼン
3)ブーヘンヴァルト
4)フロッセンビュルク
5)マウトハウゼン
6)ラーヴェンスブリュック
7)ノイエンガンメ
8)グロス=ローゼン
9)ナッツヴァイラ―=シュトゥルットホーフ
10)テレージエンシュタット
11)シュトゥットホーフ
12)ベルゲン=ベルゼン
13)ドーラ・ミッテルバウ
「その他の強制収容所、支所、
強制労働キャンプ」は
小さい黒い点で記されていますが
地図のほぼ全体にわたって分布し
その数はざっと何百という単位に
なることが見てとれます。
これによって、繰り返しますが
ホロコーストはアウシュヴィッツだけ
だけではなく
ドイツ第三帝国・占領地域東側全域に
及んでいることが視覚的に実感できます。
あらためまして
「強制収容所」とは
「敵性とみなした人間集団を
法的手続きなしに
拘禁し収容する施設」(p.166)
として定義されます。
【古くは南アフリカ戦争(1899-1902)で、
イギリスが敵国であるトランスヴァール共和国
などの非戦闘員を拘禁した例が挙げられる。】
(p.166)と著者は述べています。
第二次世界大戦中、米国で
日系人や日系移民を強制収容した収容所
(Japanese Internment Camps)も実態は
「強制収容所」
(Concentration Camps)です。
米国から見れば同じ敵国であった
ドイツ人もドイツ系も
イタリア人もイタリア系も
強制収容所に収容されることはなく
日本人と日系だけが強制収容されました。
二重の差別であったことが分かります。
ナチ党は
1933年1月30日に政権を取ると
たった2カ月後
(厳密には2カ月も経たないうちに)
同年3月20日
ダハウに最初の強制収容所を開設します。
ダハウはミュンヘンの近郊(北西20キロ)
にあり「ダッハウ」と書くこともあります。
これは【大統領緊急令】に基づく措置です。
【大統領緊急令】は正式名称
「国民と国家を防衛するための大統領緊急令」
であり国会議事堂放火事件の翌日に
出されたものです。ひとつには
この【大統領緊急令】の乱発によって
ナチ党はあっと言うまに「独裁」体制を
整えて行きます。これ以降
「人身の自由」をはじめとする
国民の基本的な権利が停止され
ナチ党当局が裁判所の許可なく
人々を拘禁できるようになりました。
「ダハウ強制収容所」を
開設し運営したのは
親衛隊全国指導者(SS長官)
ヒムラー(1900-1945)です。
つまり親衛隊です。
最初に収容されたのはユダヤ人ではなく
共産党員や社会民主党員です。
「強制収容所」は英語で(既出ですが)
「コンセントレーション・キャンプ」
(Concentraton Camps) と言い
ドイツ語では頭文字をとって
ナチ時代には「KL」と略され
現在では「KZ」(カーツェット)と
呼ばれています。
なお一般には
「強制収容所」というコトバで
「絶滅収容所」も含めて呼ぶことが
多々あるようです。つまり
「強制収容所」は広義には
「絶滅収容所」を含めることもありますが
厳密には両者は別物です。
定義を再確認しておきますと
・絶滅収容所=ユダヤ人殺害のみを
目的とした収容所。
・強制収容所=ナチ党の敵対者など
対象となる囚人を拘禁し
再教育の名のもとに懲罰や強制労働
による圧迫や搾取を行う収容所。
その対象はナチ党の政治的敵対者、
ユダヤ人、シンティ―=ロマ(ツィゴイナー)、
外国人、外国人捕虜など。
対象は20カ国以上に及ぶ。
数的にはユダヤ人は多数ではないが
他の集団に比べて劣等な扱いを受けた。
‥となります(p.165)。
ちなみに
定義の問題で補足しておきますと
日本では
「夜と霧」というコトバで
「絶滅収容所におけるホロコースト」
を意味するようになってしまいました。
これは誤りです。
誤用が定着した原因は日本の出版社にあります。
順を追って説明しましょう。
オーストリアの精神科医
ビクトル・フランクル(1905-1997)は
ユダヤ人であったために
「絶滅収容所」であるアウシュヴィッツに
収容されましたが奇跡的に
生きて戻ってくることができました。
「ホロコースト・サヴァイヴァー」
(Holocaust Survivor)
(大量虐殺からの生還者)です。
1946年に出版された手記のタイトルが
『それでも人生にイエスと言う。
ある心理学者が強制収容所を体験する』
”Nevertheless,Say "Yes" to Life.
A Psychologist Experiences
the Concentration Camp.”
(原題のドイツ語を英語に直訳)
でした。
フランクルも「強制収容所」というコトバで
「絶滅収容所」を意味しています。
なぜなら「強制収容所」と「絶滅収容所」
の違いはナチの側からの呼称であり
収容された人々にとっては
どちらでも同じだったに違いありません。
1956年
フランクルの手記の翻訳が日本でも
出版されますが、その時のタイトルが
なぜか『夜と霧』でした(現在に至ります)。
「夜と霧」というのは
1941年12月7日
ヒトラーが出した「命令」であり
命令書が残っていて「機密」指定です。
ドイツ軍の占領下で
ナチ党に敵対する政治犯や
レジスタンスの人々について
(ジュネーブ協定などの国際法規に
のっとることなく)
家族や関係者に一切通知すること無く
ドイツの強制収容所に収容すべし
とする命令です。
結果として
誰にも見られることなく
夜と霧になって消えていくことから
「夜と霧」(独語 Nacht und Nebel)
と呼ばれることになりました。
英語では
”Night and Fog Decree”
(「夜と霧」命令)と呼ばれます。
ドイツ軍占領下での捕虜・レジスタンス
を対象とする命令であったため
国防軍最高司令部(OKW)総長だった
カイテル(1882-1946)も
副署しました。カイテルは
「ソ連の政治将校(コミッサール)は
見つけ次第、処刑せよ」という
「コミッサール命令」にも署名しており
戦後ニュルンベルグ裁判で死刑判決を受け
絞首刑となりました。
つまり「夜と霧」の段階では
政治犯とレジスタンスが対象であって
全ユダヤ人を対象とする「ホロコースト」には
まだ至っていませんでした。
従って単にオーストリア在住の
ユダヤ人精神科医に過ぎなかった
フランクルが「夜と霧」命令のために
強制収容所に収容される
ということはありえません。
「夜と霧」の犠牲者は
ノルウェー・オランダ・ベルギーそして
フランスなどのレジスタンスが主体です。
従って
全ユダヤ人の無差別大量殺人である「ホロコースト」
を告発した書であるフランクルの手記に
「夜と霧」
というタイトルをつけるのは事実誤認です。
日本だけの現象です。
英仏では工夫して別の題名をつけています。
このような誤用が定着した理由として
ひとつには
1955年のフランス映画『夜と霧』
(Nuit et broullard)に
ひきづられたかもしれません。
「絶滅収容所」であるアウシュヴィッツの
ホロコーストを描いた短い(32分)作品です。
なぜか「夜と霧」というタイトルでした。
そういう題名をつけたのは
芸術的効果という理由と思われます。
「夜と霧」命令のときには「強制収容所」
しかなかったナチ体制のシステムが
やがて「絶滅収容所」を生んで行った
という理由も可能ではありますが
「あとづけ」と思われます。
もうひとつには
日本の作家・北杜夫(1927-2011)が
『夜と霧の隅で』
という短編小説を書き、それが
芥川賞(1960年)を受賞したことにも
ひきづられたかもしれません。
実際にこの作品を読んだ人には
一目瞭然ですが、これは
ドイツ国内でドイツ人の精神障害者を
安楽死させる医師の葛藤を描いています。
つまり「T4計画」描いた小説です。
よく言われるように
ナチスの「夜と霧」作戦を描いた小説
ではありません。
ましてや「ホロコースト」を描いた小説
でもありません。
ナチ党の犯罪はあまりに膨大です。
600万人とも言われるホロコーストには
結果的に前兆がありました。
まずは同じドイツ人の中で
精神障害者が殺されました。
次に共産党員や社会民主党員が
ダハウ強制収容所に収容されました。
【大統領緊急令】の濫用です。
戦争が始まると
その占領下で政治犯やレジスタンスが
強制収容所に収容されました
(このステップが「夜と霧」です)。
さらに独ソ戦が開始され継続され
日本が米国と開戦すると
「絶滅収容所」でユダヤ人の
計画的大量殺人が組織的に
開始されていきました
(その象徴となる例が
「ラインハルト作戦」です)。
絶滅収容所としては
アウシュヴィッツが有名ですが
上述の通り
ソ連軍が攻めてくる前に
絶滅収容所を閉鎖し破壊し
生存者もほとんどいなかったために
結果としてあまり知られていない
絶滅収容所も複数あります。
こうした膨大な犯罪を知るには
膨大な文献を読まなくてはなりません。
本書は一冊目の概説書として有効です。
2020年7月11日に日本でレビュー済み
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良質な、ホロコーストに関する概説書。後半まで淡々と出来事の発生とその積み重ねの記述が続くが終盤にはホロコーストにまつわる「意図派」と「機能派」に関する解説や、ラウル・ヒルバーグの大著「ヨーロッパ・ユダヤ人の絶滅」に対する言及、その際に援用される概念「絶滅機構(マシーナリー・オブ・デストラクション)」に対する簡潔な解説も見られまた本書の筆者(芝)によるホロコーストの犠牲者の積算も具体的な各地の絶滅収容所や強制収容所、アインザッツグルッペ(複数形アインザッツグルッペン)による独ソ戦などでの大量射殺やその他の気まぐれな射殺、餓死、労働を通じての絶滅政策等を加味して「600万人以上」と提示しており実に説得力がある。
本書の記述には、目を背けたくなる、人間が人間に対して行いうる蛮行の極致が記載されている。ユダヤ人居住区、いわゆるゲットー内の様子の具体性(摂取カロリー、食事内容、衛生環境、女性の場合は生理現象がとまった、体重の推移など)、殺害方法、殺害人数などは言語に絶する。しかしこれらは豊富な資料によって裏付けられており、まさに本書は題名通り「ユダヤ人大量殺戮の全貌」を新書の枠内ではあるが十二分に真摯に描いておりこの問題に関心を持つ日本語話者読者の入門書としてふさわしい内容と質を誇っていると言える。ホロコーストの問題は広範な人権侵害でもあるから、その考察と再発防止の為の法と制度の確立は今日性を持つ。高校レベルの必須課題図書として、ヨーロッパの出来事であろうとも指定する価値すら有すると信じる次第である。推薦優良書籍。
本書の記述には、目を背けたくなる、人間が人間に対して行いうる蛮行の極致が記載されている。ユダヤ人居住区、いわゆるゲットー内の様子の具体性(摂取カロリー、食事内容、衛生環境、女性の場合は生理現象がとまった、体重の推移など)、殺害方法、殺害人数などは言語に絶する。しかしこれらは豊富な資料によって裏付けられており、まさに本書は題名通り「ユダヤ人大量殺戮の全貌」を新書の枠内ではあるが十二分に真摯に描いておりこの問題に関心を持つ日本語話者読者の入門書としてふさわしい内容と質を誇っていると言える。ホロコーストの問題は広範な人権侵害でもあるから、その考察と再発防止の為の法と制度の確立は今日性を持つ。高校レベルの必須課題図書として、ヨーロッパの出来事であろうとも指定する価値すら有すると信じる次第である。推薦優良書籍。
2021年1月31日に日本でレビュー済み
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新書ですが、ホロコーストに関する概論として読みごたえがありました。
個人的には、最後の章の「ホロコーストはなぜ行われたのか?」という疑問を巡る論争に興味を惹かれました(というか、このことを知りたくて本書を読んだわけですが)。ヒトラーという一人の極悪人にドイツ国民が振り回されたという捉え方は無理があると思っていたので、ホロコーストが生じてしまったことに対する官僚、軍人、あるいは一般国民の責任はどう捉えられているのかについてある程度議論がまとめられていて(そして、最近の議論についても概説があり)、よい学びになりました。
個人的には、最後の章の「ホロコーストはなぜ行われたのか?」という疑問を巡る論争に興味を惹かれました(というか、このことを知りたくて本書を読んだわけですが)。ヒトラーという一人の極悪人にドイツ国民が振り回されたという捉え方は無理があると思っていたので、ホロコーストが生じてしまったことに対する官僚、軍人、あるいは一般国民の責任はどう捉えられているのかについてある程度議論がまとめられていて(そして、最近の議論についても概説があり)、よい学びになりました。





