本書の購入を後悔はしていないが、本書に係る内容の理解は私ごときのレベルを遥かに越えていると言うのが率直な感想である。従って内容はニュートン自身の力学的・物理学的功績からして文句なく5星であるが、私自身の理解が覚束ない(故に客観性を欠くことになる)ので評点はあくまで“本書邦訳”に対するものである。勿論“邦訳の評価”とは原著があって自分なりの訳出等と比較してなすべきものだが、本稿では係る意味ではなくて単なる日本人読者として日本語の物理学・力学的解説書の(内容に関わらない)“読みやすさの程度”を示すものでしかないことをおことわりしておきたい。端的には概念的・論理的にも高難度な内容に加えて、日本語(邦訳)としても些か硬い印象が強い。
書誌的になるが…本書『プリンシピア』(現在の主流著名表記は“プリンキピア”だろうが本稿では本書表記を尊重する)は第3版までラテン語で書かれており、英訳は1729年に「原著3版」から刊行されている。なお初版は1687年刊行、第3版は1726年刊行、ニュートンは1727年に没しているので前記英訳本に直接関与していない?ことになる。また本書は1977年の『
プリンシピア―自然哲学の数学的原理
』を新書版に復刻したものとある(「訳者解説」など)。本書が日本語として読みやすいかを基準と観た場合さえ、原著(ラテン語)又は本書の底本となった、1952年刊行の「叢書」(※1)のうちの「Mathematical Principles of Natural Philosophy」にしても、喩えラテン語を理解できた前提での初版でも恐らく私の能力では全ての理解は無理だろう。但し翻訳者が前記ラテン語初版に拘りながらも敢えて英訳本(原著第3版)を底本としたのは、推測でしかないが英語の方がよりニュートンの「原意」を訳出しやすかったのであろう(「訳者解説」参照)。
【※注1】
本書では「泰西名著全集」とあるが、些か古めかしいので、原題を示すと“Great Books of the Western World”である。
本書翻訳者は前示「訳者解説」で、「『プリンシピア』はけっして読み易い本ではない(※2)…そこに使われている術語の呼称、ないしはそれの意味が、今日のそれと必ずしも同じでない…」とその例句等を挙げて吐露している。ただ併せて言えば訳者としても「ガリレオ」、「デカルト」は使用する一方で、「ケプレル」とあるのには些か面食らう。この“ケプラー”の第2・3法則の証明は本編第1章に早々と登場するが、私はここで既に6~7割方理解すべく読み取ろうとする心が折れた?ような気がする。“ケプラーの第2法則”は周知のように、惑星の楕円軌道において一定時間のその焦点(太陽)と当該惑星の線分が作る面積は常に一定とするもの、同第3法則は惑星の公転周期の2乗は当該惑星の軌道(長)半径の3乗に比例すると言うものである 。係る表現なら簡明であるが、これが複数の「補助定理」及び「系」において図示・比(等式)等で複雑(微分概念的)に(私見では“冗長”に)記述されているのが悩ましい。
【※注2】
前段でも適示したが、『プリンシピア』は本来(ニュートン自身の生前においては)ラテン語に依る書籍であり、ニュートン没後のイギリス辺りの学術的書籍類(哲学・思想等含む)では英語が主流となるも、ラテン語的表記(形式的表現)の散見される書籍等も学生時代に読んだ記憶がある。推測ながら、訳者の言う「読み易い本ではない」は実質的意義に留まらず形式的用法等も示唆しているように思う。
例えば後者なら「系Ⅴ.またDB、dbは窮極においては平行で、かつ線分AD、Adの自乗に比例するから、窮極における曲線的図形面積ADB、Adbは(放物線の性質により)直線で囲まれた三角形ADB、Adbの2/3となるであろう。また弓形AB、Ab〔の面積〕はそれら同じ三角形の1/3となるであろう。したがって、それらの曲線的図形面積や弓形の面積は、接線AD、Adの3乗に、また弦及びAB、Abの3乗に比例することになろう。」(80~1頁)とある。ちなみにここまでに「補助定理」(+幾つかの「系」:1種の部分的結論ないし場合分け)及びその証明が11個あるので注意を要するが、これはまだまだ序の口・宵の口である。
次にニュートンで著名な「引力」は第10~14章辺りを中心に展開されているが、一例を挙げると第10章末での次の一文(証明)は前部3/4程を割愛しているところ…「命題56.問題37…与えられた中心に向かう求心力の法則…ゆえに、その射影の各点Pから平面AOPに垂線PTを立て、曲面とTにおいて交わらせれば、軌道の各点Tが与えられることになる。よって見いだされた。」(261~2頁)とこんな叙述である(勿論各図表等は与えられている)。最後の「よって見いだされた」は、数学(的証明)上の“よって書き”(結論として当該演繹/帰納が正しい意)だろう。なおついでながら、本章では振り子の等時性に関わる、「サイクロイド(振動)」についても考察があるが(244~257頁など)、「ハイゲンス」との表記(255頁)に当初は???だった(現在の主流表記で言えば“C・ホイヘンス”のこと)。
私はいわゆる“とんでも本”や“駄本”(=評価が1星以下は余程の理由が無い限りレビューしない)を除き、読書中途では投げ出さないように努力することを信条としているが、次の『
プリンシピア 第2編 抵抗を及ぼす媒質内での物体の運動
』も同時に購入しているがこの先は見えない。と言うよりも読了時間が掛かり過ぎること、並びに前半戦(本書)の理解不充分等により体系的概観さえも厳しい読後感など、右第2編(第3編は未購入)の継読を多少?躊躇っている(ついでにレビューも結構時間がかかる)。
プリンシピア 自然哲学の数学的原理 第1編 物体の運動 (ブルーバックス) (日本語) 新書 – 2019/6/20
アイザック・ニュートン
(著),
中野 猿人
(翻訳)
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本の長さ448ページ
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言語日本語
-
出版社講談社
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発売日2019/6/20
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寸法11.4 x 2 x 17.4 cm
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ISBN-104065163870
-
ISBN-13978-4065163870
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商品の説明
内容(「BOOK」データベースより)
『プリンシピア』は序論と三つの編から成る本論とから成り立っている。まず序論では、力学上の基礎的な諸概念として、質量、運動量、力をはじめ、絶対時間、絶対空間、絶対運動などが定義される。つづいて、運動の3法則、力の合成・分解の法則など、力学の理論的・方法論的な基礎が確立される。そしてこの基礎の上に立って、第1編では、物体の運動の諸形態があらゆる角度から詳細に論じられている。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
ニュートン,アイザック
1642‐1727年。イギリスの自然哲学者・数学者。ニュートン力学の創始者。万有引力の法則、微積分法の発見などの功績を残す
中野/猿人
1908年、佐賀県生まれ。1930年、東京帝国大学理学部天文学科卒業。1938年、東京帝国大学より博士号(理学博士)を授与される。1968年、気象庁退官。東海大学海洋学部教授を務める。2005年、97歳で逝去(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
1642‐1727年。イギリスの自然哲学者・数学者。ニュートン力学の創始者。万有引力の法則、微積分法の発見などの功績を残す
中野/猿人
1908年、佐賀県生まれ。1930年、東京帝国大学理学部天文学科卒業。1938年、東京帝国大学より博士号(理学博士)を授与される。1968年、気象庁退官。東海大学海洋学部教授を務める。2005年、97歳で逝去(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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2019年12月2日に日本でレビュー済み
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いみわからん
2020年1月29日に日本でレビュー済み
今日は久しぶりに街に出かけた。今朝まで小雨が降り続き、この一月も雨と曇りの日が呆れるほど長く、お天道様の光を仰げまいと思いながら。ところが少し行くと北の空には大きな虹がかかっている。おお!と二人は歓声を上げた。大きな虹だね、真冬の虹か!好いものを見た今日は幸があると好い。虹を穴のあくほど見つめて言う。なんで外側が赤で内側が紫なの?、よく気がついたね。太陽光はいろんな光が混じって白色だが、雨粒のなかを突き進むと回析を起こす。雨粒はプリズムなのだよ、光はその中で波長によって分けられ、波長の短いものほど回析角が大きい、あれ反対だったかな??つまり内側になるという事だ。という事は赤は波長が長く紫は波長が短い、サンマがうまく焼けるのは赤外線と言って赤よりももっと波長の長い光だ、目には見えないがね。また紫よりも短い光があるよ紫外線だ。もっと短いとエックス線さらに短いとガンマー線となり、此れに曝されると生物は死ぬ。プリズムってきれいよね、でも、そんな事なんで知ってるの?。そりゃ頭のおかしな人が調べたからさ、I・Newtonという人だ。
という話をしながら、街の百貨店に着いた。今11時だからこの場所で12時に待ち合わせね。しばらくぶりだから目の保養をしてくるわ。という事で私は老眼鏡のケースが壊れたので眼鏡を買った店に行きケースを交換してくれと言ったら有料です330円いただきます、と言われた。で、その後は百貨店の中にある本屋に行き、いろいろと新刊を見て回った。基本的に新刊は買わないことにしている。然しブルーバックスの前に行くと、あの頭のおかしな人の本「プリンキピア・マシュマティカ」3巻本が在るではないか。あら~偶然しては出来すぎている!、翻訳者は中野猿人さん、あれ、この人は昔に中央公論社で出した、世界の名著のNewtonの巻で、プリンキピアを翻訳していた人だな?あれは抄訳だったし、この3巻本は完訳だろう。これは新刊は買わないという決心を破れという事か??。天体物理の先端部ではNewton力学は引退して一般相対論に代わっている。この一般相対論もいずれは書き換えられる可能性がある。それは確実だと言える。
前に友人とNewtonついて話をしたとき、今更Newton力学でもないだろうと彼はいう。確かに我々はNewton力学のEssenceを習い、それの手法のみを記憶し、それを問題に適用する。だが、それはNewtonの創造した力学を本当に理解したことにはならない。それで解った気でいるのは知的誠実さに欠けるものだ。物事を新たに創造するという事は月並みな事ではない。つまり普通の人には所詮無理な事なのだ。頭のおかしい人にしかできない仕事だ。いわばサヴァン症候群と言われる天才にしかできる仕事ではない。何処にでも居るような月並みな凡人に、天空の力学が創造できると思う方が狂っている。半年間も同じ問題を集中して考えられるかね??それをNewtonはやったのだ。彼はとても子供のころからとても器用で、ある嵐の晩にカンデラを凧に繋いで、中空に揚げて火の玉が出たと村人を驚かした悪さもしている。後年、この器用さは史上初めて反射望遠鏡を制作したことでも伺われよう。このような孤独な少年はやがて一族の中の有力者に見いだされて、Cambridge・UniversityのなかのTrinity・collegeに給費生として入学する。学費はcollegeの下働きをして免除されるというsystemである。大貴族は権威と領地から上がる金が幾らでもある為に給費生などには間違ってもならないし、彼らが真剣に勉強も真面目にしているかは疑問だが、村のgently(自作農)という階級のNewtonには、働きながら学ぶという重要な機会が訪れたのだ。私はCambridgeどころかイギリスにさえ行ったことは無いが、collegeは写真で見ると石造りの豪壮なゴシック建築である。若い時にああいう所で勉強してみたかったなと心から思う。
ここでIsaac・Newtonは、その人生に際して極めて重要な人物に出会うことになる。当時の一流の数学者で司祭のIsaac・Barraultである。後年BarraultはNewtonの才能を認め、自分の教授職の椅子をNewtonに提供している。それは今でも有名な教授職になっている。物理学者のDiracもその教授だった。この教授職を得たNewtonは、Einsteinの1905年の奇跡の年と同様に、ペストを逃れて田舎に移った1年間に、微積分の発明、天体運動への引力の導入、光学の研究と、現代科学の源流となる芽を創りあげている。だが、驚くのは是ではない。この近代科学の源流を求めて研究した時間よりも、もっと多くの時間を何に捧げていたか??という事である。「雇用の一般理論」で有名な経済学者、ジョン・メイナード・ケインズが「人物評伝」の中で言うには、Newtonが思索に使った9割の時間は、なんと(聖書研究や錬金術)なのです。ケインズは競売に出されたIsaac・Newtonの自筆原稿、ノート、論文、メモ、などが散逸するのを恐れて、莫大な金額で落札している。ケインズがいうのはNewtonは「最初の科学者」というよりは「最後の魔術師」と言ったら方が現実に近いと書いている。だが確かにそのような見方も有るだろうが、投稿者はNewtonの神学研究を自然科学研究の継続とみている。万有引力と運動の法則を見つけたときに抱いた感情は、このような一つの根源的な原理を、神はなぜ導入したのかという問いであったのだろう。これは現代の素粒子物理でも時々目にする見解だ、なぜ陽子の質量を、神はこのように決め、光速の速度を、なぜ30万キロとしたのか、というような問いである。これはNewtonの問いと何ら変わらない考え方なのだ。
つまり「自然哲学の数学的原理」という、別名プリンキピアという本は、Isaac・Newtonの天空に関する沈思黙考の思索の跡なのである。ゆえに、この本が誰にでも解る本とは到底思えない。この様な本はIsaac・Newtonと同じ知的レベルになって自然がどの様な力で統合されているのかを考え、現象を統合している(ある種の力の起源について)その力の源を知る為に、掴む為に、考え続けた人でなければ本当には解らないと思うのだ。是はNewtonの知的Energyの結晶なのである。中野さんの翻訳は素晴らしく、これほどの明晰な日本語はない。偉大で頭の変な人Isaac・Newtonの人類史に残る名著を、こんなに安く買えるとは!、私は良い時代に生まれたものだと感謝している。恐らくNewtonの思索の後を追うことは知的スリルに満ちているはずだ。そしてNewtonの思考の後を追うことは、極めて不思議な体験をするはずだし、また挫折してたぶん死屍累々であろう。この書は自然研究の哲学の見本のようなものである。自然哲学という物は何であれ、このプリンキピアを模範にしなければならないだろう。これを読む多くの人が挫折せず、頭のおかしな人Isaac・Newtonの沈思黙考の跡を追うことに成功することを祈る。
という話をしながら、街の百貨店に着いた。今11時だからこの場所で12時に待ち合わせね。しばらくぶりだから目の保養をしてくるわ。という事で私は老眼鏡のケースが壊れたので眼鏡を買った店に行きケースを交換してくれと言ったら有料です330円いただきます、と言われた。で、その後は百貨店の中にある本屋に行き、いろいろと新刊を見て回った。基本的に新刊は買わないことにしている。然しブルーバックスの前に行くと、あの頭のおかしな人の本「プリンキピア・マシュマティカ」3巻本が在るではないか。あら~偶然しては出来すぎている!、翻訳者は中野猿人さん、あれ、この人は昔に中央公論社で出した、世界の名著のNewtonの巻で、プリンキピアを翻訳していた人だな?あれは抄訳だったし、この3巻本は完訳だろう。これは新刊は買わないという決心を破れという事か??。天体物理の先端部ではNewton力学は引退して一般相対論に代わっている。この一般相対論もいずれは書き換えられる可能性がある。それは確実だと言える。
前に友人とNewtonついて話をしたとき、今更Newton力学でもないだろうと彼はいう。確かに我々はNewton力学のEssenceを習い、それの手法のみを記憶し、それを問題に適用する。だが、それはNewtonの創造した力学を本当に理解したことにはならない。それで解った気でいるのは知的誠実さに欠けるものだ。物事を新たに創造するという事は月並みな事ではない。つまり普通の人には所詮無理な事なのだ。頭のおかしい人にしかできない仕事だ。いわばサヴァン症候群と言われる天才にしかできる仕事ではない。何処にでも居るような月並みな凡人に、天空の力学が創造できると思う方が狂っている。半年間も同じ問題を集中して考えられるかね??それをNewtonはやったのだ。彼はとても子供のころからとても器用で、ある嵐の晩にカンデラを凧に繋いで、中空に揚げて火の玉が出たと村人を驚かした悪さもしている。後年、この器用さは史上初めて反射望遠鏡を制作したことでも伺われよう。このような孤独な少年はやがて一族の中の有力者に見いだされて、Cambridge・UniversityのなかのTrinity・collegeに給費生として入学する。学費はcollegeの下働きをして免除されるというsystemである。大貴族は権威と領地から上がる金が幾らでもある為に給費生などには間違ってもならないし、彼らが真剣に勉強も真面目にしているかは疑問だが、村のgently(自作農)という階級のNewtonには、働きながら学ぶという重要な機会が訪れたのだ。私はCambridgeどころかイギリスにさえ行ったことは無いが、collegeは写真で見ると石造りの豪壮なゴシック建築である。若い時にああいう所で勉強してみたかったなと心から思う。
ここでIsaac・Newtonは、その人生に際して極めて重要な人物に出会うことになる。当時の一流の数学者で司祭のIsaac・Barraultである。後年BarraultはNewtonの才能を認め、自分の教授職の椅子をNewtonに提供している。それは今でも有名な教授職になっている。物理学者のDiracもその教授だった。この教授職を得たNewtonは、Einsteinの1905年の奇跡の年と同様に、ペストを逃れて田舎に移った1年間に、微積分の発明、天体運動への引力の導入、光学の研究と、現代科学の源流となる芽を創りあげている。だが、驚くのは是ではない。この近代科学の源流を求めて研究した時間よりも、もっと多くの時間を何に捧げていたか??という事である。「雇用の一般理論」で有名な経済学者、ジョン・メイナード・ケインズが「人物評伝」の中で言うには、Newtonが思索に使った9割の時間は、なんと(聖書研究や錬金術)なのです。ケインズは競売に出されたIsaac・Newtonの自筆原稿、ノート、論文、メモ、などが散逸するのを恐れて、莫大な金額で落札している。ケインズがいうのはNewtonは「最初の科学者」というよりは「最後の魔術師」と言ったら方が現実に近いと書いている。だが確かにそのような見方も有るだろうが、投稿者はNewtonの神学研究を自然科学研究の継続とみている。万有引力と運動の法則を見つけたときに抱いた感情は、このような一つの根源的な原理を、神はなぜ導入したのかという問いであったのだろう。これは現代の素粒子物理でも時々目にする見解だ、なぜ陽子の質量を、神はこのように決め、光速の速度を、なぜ30万キロとしたのか、というような問いである。これはNewtonの問いと何ら変わらない考え方なのだ。
つまり「自然哲学の数学的原理」という、別名プリンキピアという本は、Isaac・Newtonの天空に関する沈思黙考の思索の跡なのである。ゆえに、この本が誰にでも解る本とは到底思えない。この様な本はIsaac・Newtonと同じ知的レベルになって自然がどの様な力で統合されているのかを考え、現象を統合している(ある種の力の起源について)その力の源を知る為に、掴む為に、考え続けた人でなければ本当には解らないと思うのだ。是はNewtonの知的Energyの結晶なのである。中野さんの翻訳は素晴らしく、これほどの明晰な日本語はない。偉大で頭の変な人Isaac・Newtonの人類史に残る名著を、こんなに安く買えるとは!、私は良い時代に生まれたものだと感謝している。恐らくNewtonの思索の後を追うことは知的スリルに満ちているはずだ。そしてNewtonの思考の後を追うことは、極めて不思議な体験をするはずだし、また挫折してたぶん死屍累々であろう。この書は自然研究の哲学の見本のようなものである。自然哲学という物は何であれ、このプリンキピアを模範にしなければならないだろう。これを読む多くの人が挫折せず、頭のおかしな人Isaac・Newtonの沈思黙考の跡を追うことに成功することを祈る。