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ブエノスアイレス午前零時 (河出文庫) Kindle版
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言語日本語
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出版社河出書房新社
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発売日1999/10/4
-
ファイルサイズ627 KB
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商品の説明
著者について
1959年生まれ。『死亡遊戯』でデビュー。その後『SATORI』『刺青』『ソロ』等を刊行。'98年『ブエノスアイレス午前零時』第119回芥川賞受賞。(『ソロ』をのぞいて上記すべて河出書房新社刊)
--このテキストは、paperback_bunko版に関連付けられています。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
藤沢/周
1959年、新潟県生まれ。’94年、『死亡遊戯』で衝撃のデビュー。’98年には『ブエノスアイレス午前零時』で芥川賞受賞。ベストセラーとなる(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) --このテキストは、paperback_bunko版に関連付けられています。
1959年、新潟県生まれ。’94年、『死亡遊戯』で衝撃のデビュー。’98年には『ブエノスアイレス午前零時』で芥川賞受賞。ベストセラーとなる(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) --このテキストは、paperback_bunko版に関連付けられています。
内容(「BOOK」データベースより)
場末の温泉旅館にブエノスアイレスの雪が舞う。老嬢と青年の孤独なタンゴに幻滅とパッション、リリシズムと幻想が交錯する胸うつ名作。芥川賞受賞作。
--このテキストは、絶版本またはこのタイトルには設定されていない版型に関連付けられています。
内容(「MARC」データベースより)
場末の温泉旅館のダンスホール。老嬢と青年の孤独なタンゴに、幻滅とパッション、リリシズムと幻想が交錯する胸うつ名作。芥川賞受賞の表題作のほか1編を収録。
--このテキストは、絶版本またはこのタイトルには設定されていない版型に関連付けられています。
--このテキストは、絶版本またはこのタイトルには設定されていない版型に関連付けられています。
登録情報
- ASIN : B00K1YHP2G
- 出版社 : 河出書房新社 (1999/10/4)
- 発売日 : 1999/10/4
- 言語 : 日本語
- ファイルサイズ : 627 KB
- Text-to-Speech(テキスト読み上げ機能) : 有効
- X-Ray : 有効にされていません
- Word Wise : 有効にされていません
- 本の長さ : 146ページ
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Amazon 売れ筋ランキング:
- 191,993位Kindleストア (の売れ筋ランキングを見るKindleストア)
- - 989位芥川賞受賞(101-125回)作家の本
- - 1,537位河出文庫
- - 25,303位日本の小説・文芸
- カスタマーレビュー:
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カスタマーレビュー
5つ星のうち3.9
星5つ中の3.9
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2015年7月18日に日本でレビュー済み
第 119 回芥川賞受賞作。
雪深い農村の温泉旅館を舞台に、従業員のカザマと、そこを訪れた盲目の老女ミツコのささやかな交流を描いた作品。痴呆が進んだミツコは、自身の華やかなりし頃、ブエノスアイレスで暮らした往時にいる。旅館のダンスホールで、カザマはミツコとタンゴを踊りながらブエノスアイレスの夢幻を垣間見る ... と簡単にまとめてしまうとこういうお話し。
Uターンで故郷に戻ったカザマは、ひなびた旅館に職を求めた。宿泊客の社交ダンスの相手を務めることに辟易としながらも、殊更不平不満を表すこともせず、淡々と日々を過ごしている。周囲の人々とはどこか冷めた距離感だ。そんなカザマが、横浜で娼婦をしていた70過ぎの老女の手をとりダンスに誘う。
従業員だからでも、同情しているからでもない。その理由は語られないが、東京の広告代理店で働いていたカザマは、今の日常に閉塞感を抱いていたのだろう。カザマの日課である温泉卵づくりにそんな鬱屈した思いが凝縮されているように思える。輝いていた頃に思いを馳せているミツコに、カザマが自身を重ねわせているのかもしれない。
そこはかとない哀しさと美しさを感じる作品である。
雪深い農村の温泉旅館を舞台に、従業員のカザマと、そこを訪れた盲目の老女ミツコのささやかな交流を描いた作品。痴呆が進んだミツコは、自身の華やかなりし頃、ブエノスアイレスで暮らした往時にいる。旅館のダンスホールで、カザマはミツコとタンゴを踊りながらブエノスアイレスの夢幻を垣間見る ... と簡単にまとめてしまうとこういうお話し。
Uターンで故郷に戻ったカザマは、ひなびた旅館に職を求めた。宿泊客の社交ダンスの相手を務めることに辟易としながらも、殊更不平不満を表すこともせず、淡々と日々を過ごしている。周囲の人々とはどこか冷めた距離感だ。そんなカザマが、横浜で娼婦をしていた70過ぎの老女の手をとりダンスに誘う。
従業員だからでも、同情しているからでもない。その理由は語られないが、東京の広告代理店で働いていたカザマは、今の日常に閉塞感を抱いていたのだろう。カザマの日課である温泉卵づくりにそんな鬱屈した思いが凝縮されているように思える。輝いていた頃に思いを馳せているミツコに、カザマが自身を重ねわせているのかもしれない。
そこはかとない哀しさと美しさを感じる作品である。
2004年4月28日に日本でレビュー済み
『ブエノスアイレス午前零時』と聞くと、南米を舞台にした壮大な物語か、と思ったのですが、実際には作品の舞台は辺鄙な雪国のはやらない温泉旅館です。
そういう舞台設定なのでどうしても、川端康成『雪国』のイメージと抒情が先入観となって頭を離れない、という状況で読んでしまいました。ただ、読了後もそのイメージは壊れることがなかったので、この作品自体にも、先入観と期待を裏切らない雪景色の情緒と日本語の描写の旨さがあるということだと思います。
作品には美しい芸者は登場しません。主人公の冴えない孤独な青年と、ヒロインの盲目の物忘れの激しい老女が踊るのですが、どう考えたって美しくはないはずのその場面が、ブエノスアイレスの雪とあいまって、どうしても醜い場面とは感じられないのです。
温泉卵の黄身の半熟加減のような、つかみどころのない味わいです。
そういう舞台設定なのでどうしても、川端康成『雪国』のイメージと抒情が先入観となって頭を離れない、という状況で読んでしまいました。ただ、読了後もそのイメージは壊れることがなかったので、この作品自体にも、先入観と期待を裏切らない雪景色の情緒と日本語の描写の旨さがあるということだと思います。
作品には美しい芸者は登場しません。主人公の冴えない孤独な青年と、ヒロインの盲目の物忘れの激しい老女が踊るのですが、どう考えたって美しくはないはずのその場面が、ブエノスアイレスの雪とあいまって、どうしても醜い場面とは感じられないのです。
温泉卵の黄身の半熟加減のような、つかみどころのない味わいです。
2005年1月15日に日本でレビュー済み
世の中に「ハードボイルド」という言葉がある。
男が男らしく、強く、モテモテな感じの奴だ。
この本の文面、作者の他の作品から判断するに、「ハード」とは行かないが「ソフト」位に止めたと思われる。
表題どおりの「ブエノスアイレス午前零時」。有名な旅行小説「深夜特急」のような、旅が舞台と思わせておきながら、実は日本の雪国にあるしがない旅館の従業員と上品な耄碌ばあちゃんのお話。
他に収録されているのは「屋上」。これはそのまんまで、デパートの屋上にあるさびれたゲーセン従業員のお話。
上記二つに共通するのは、
「どこかエリート意識を持ちつつ、冷めた視点で世の中を眺める男の主人公がいること。」
「情景描写が多いこと」
であろう。
影を背負っている男のイメージから来るのか、斜に構えた印象。文章のほとんどが、人物の特徴だったり独特の比喩。集中して一時間位かけ、ガッと読み通してしまえば面白いかも。
男が男らしく、強く、モテモテな感じの奴だ。
この本の文面、作者の他の作品から判断するに、「ハード」とは行かないが「ソフト」位に止めたと思われる。
表題どおりの「ブエノスアイレス午前零時」。有名な旅行小説「深夜特急」のような、旅が舞台と思わせておきながら、実は日本の雪国にあるしがない旅館の従業員と上品な耄碌ばあちゃんのお話。
他に収録されているのは「屋上」。これはそのまんまで、デパートの屋上にあるさびれたゲーセン従業員のお話。
上記二つに共通するのは、
「どこかエリート意識を持ちつつ、冷めた視点で世の中を眺める男の主人公がいること。」
「情景描写が多いこと」
であろう。
影を背負っている男のイメージから来るのか、斜に構えた印象。文章のほとんどが、人物の特徴だったり独特の比喩。集中して一時間位かけ、ガッと読み通してしまえば面白いかも。
2003年5月16日に日本でレビュー済み
タイトルをどこかで聞いたことがあるなと思って、図書館で借りてみたら、22刷にもなっていて、かなり驚きました。。。。
と思うくらい、少し拍子抜けしてしまった感じのフィクションです。2編入っているのですが、そのどちらも無気力(?)な男の人が主人公で、そのまま物語が終わってしまいます。それを挽回するだけの美しい日本語の表現もあるかと思えば、いまいち「男性作家特有」の少しごつごつした文体で、読みやすさとしても…うーんという感じですね。ただ、かなり売れているので、私の意見が一般的ではないのかな、なんて思うのですが。
と思うくらい、少し拍子抜けしてしまった感じのフィクションです。2編入っているのですが、そのどちらも無気力(?)な男の人が主人公で、そのまま物語が終わってしまいます。それを挽回するだけの美しい日本語の表現もあるかと思えば、いまいち「男性作家特有」の少しごつごつした文体で、読みやすさとしても…うーんという感じですね。ただ、かなり売れているので、私の意見が一般的ではないのかな、なんて思うのですが。
2010年7月24日に日本でレビュー済み
痴呆の老嬢はボケている時とそうでない時がはっきり分かれていて。ボケている時には数十年の時を遡った感情、そして人格になる。
青年はその遡った状態の老嬢に恋のような感情を抱く。だが、けっしてそれは恋ではない。恋に似た何か別なものだ。その感情でダンスを交わしている時、二人は雪国の場末の温泉ではなく、そことは違う別次元のブエノスアイレスにいるのだ。作者はその微妙な感情を描いているのだと思う。
なお表題作は
【第119回(1998年上半期)芥川龍之介賞】受賞作。
青年が盲目で痴呆の老嬢とダンスをしたのは、けして哀れみなどの感情からくるものではない。興味本意でもない。
痴呆の老嬢はボケている時とそうでない時がはっきり分かれていて。ボケている時には数十年の時を遡った感情、そして人格になる。
青年はその遡った状態の老嬢に恋のような感情を抱く。だが、けっしてそれは恋ではない。恋に似た何か別なものだ。その感情でダンスを交わしている時、二人は雪国の場末の温泉ではなく、そことは違う別次元のブエノスアイレスにいるのだ。作者はその微妙な感情を描いているのだと思う。
なお表題作は
【第119回(1998年上半期)芥川龍之介賞】受賞作。
痴呆の老嬢はボケている時とそうでない時がはっきり分かれていて。ボケている時には数十年の時を遡った感情、そして人格になる。
青年はその遡った状態の老嬢に恋のような感情を抱く。だが、けっしてそれは恋ではない。恋に似た何か別なものだ。その感情でダンスを交わしている時、二人は雪国の場末の温泉ではなく、そことは違う別次元のブエノスアイレスにいるのだ。作者はその微妙な感情を描いているのだと思う。
なお表題作は
【第119回(1998年上半期)芥川龍之介賞】受賞作。

5つ星のうち2.0
恋のようだが、それはけっして恋ではない別の何か
ユーザー名: カムパネルラ、日付: 2010年7月24日
青年が盲目で痴呆の老嬢とダンスをしたのは、けして哀れみなどの感情からくるものではない。興味本意でもない。ユーザー名: カムパネルラ、日付: 2010年7月24日
痴呆の老嬢はボケている時とそうでない時がはっきり分かれていて。ボケている時には数十年の時を遡った感情、そして人格になる。
青年はその遡った状態の老嬢に恋のような感情を抱く。だが、けっしてそれは恋ではない。恋に似た何か別なものだ。その感情でダンスを交わしている時、二人は雪国の場末の温泉ではなく、そことは違う別次元のブエノスアイレスにいるのだ。作者はその微妙な感情を描いているのだと思う。
なお表題作は
【第119回(1998年上半期)芥川龍之介賞】受賞作。
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