アシュケナージユダヤ系オーストリア人フロイトの、ユダヤ教の宗教的起源を論じた小論である、多分、西欧のユダヤ人の大半は人種的には、パレスティナに住んでいた、本来のセム系の人種ではなく、7世紀に国家的な一大改宗をした、騎馬民族カザール帝国の住人の末裔である。故に、一般的には、ユダヤ人としているが、本来の人種的には、黒海の北に広がるスラブ系人種の一族であろう。「アシュケナージ」と呼ばれるユダヤ教信奉者の大半は、旧約が伝えるアブラハムの子孫と謂う訳ではない。サルトルはその著書「ユダヤ人とは何か」で、西欧の中に、偏見と差別の歴史としてのユダヤ人を論じたが、国家的改宗をしたカザールにも政治的理由があり、ユダヤ人問題の起源はこの辺にある。フロイトの小論「モーセと一神教」は、ユダヤ人の聖典ーバイブルと、ユダヤ教の成立に起因するモーセという人間と一神教の謎を、正面から論じた印象的な省察であった。
ここでフロイトは、ユダヤ教とユダヤ民族の父とも称せられるモーセの、伝承と旧約の記述から客観的事実を探り、伝説の内に秘められた矛盾の意味を深く分析する。バイブルの記述は、永い時代を通じて注意深く幾多の改竄が為されており、ユダヤ人の深層心理の中に秘められた、願望と現実、欲求と悔悟の意味を、精神分析の手法を駆使して推察する。遠い昔に起こった、エジプトの宗教と賤民に強制された、一神教の伝説と真実は、おそらく、事実と虚構が転倒されて居り、ユダヤ人の無意識の中に込められた願望と非情なる現実を、現在のユダヤ教の原型の中に省察する。伝説として残された物の中に、無意識の衝動、抑圧された過去の隠蔽、恐らく歴史書と謂うものは、取分け、宗教の場合にはそうであろう。ユダヤ教の様な、強圧的な、狂信的な戒律を込めた、旧約全書のような典範には、公式に記述されない重要な核心部、内陣には、おいそれと記述できない、象徴的な物が隠されている。と、フロイトは、考えている様だ。割礼も本来はエジプトの風習であり、永い期間、奴隷としてエジプトに居た間に、それが何らかの理由で定着したものであろう。あるいは、モーセが強制した物であるかも知れない。
古代に於いては、宗教と政治は一つの鏡面構造となっており、過去に起こった記録に無い事実、おぞましきモーセの殺害、それは、バイブルの記述から抹消され、永遠に秘匿されたかに見えても、フロイトが、エスと呼んでいる、根源的性エネルギーの如く、抑圧された願望、秘められたかに見えた真実を、鏡は、丸裸に映し出し、無限の深みを提示する。宗教の起源、特に、一神教の様な、異常な厳格さを持った世界観が、何時、どの様にして成立したのか?イクナートンとは、如何なる人物であったのか?アメンホテプ四世の宗教の規範とは、どの様な綱領を持っていたのか。イクナートンのアトン信仰の賛歌は、旧約の中に酷似するものがあり、それは詩篇の中に採用されており、旧約全書の幾つかには、古代エジプト中期18王朝の記録がさり気無く収録されている。恐らく、旧約全書は、多くの記述の源泉としてエジプトの歴史、風俗、伝承が、雛型となって潜んであると思われる。さて、文化的に遅れた、セム族の奴隷を引き連れて、テル・エル・アマルナを脱出し、オンの一神教神官団を引き連れた、その指導者と目されるモーセは如何なる人物であったのだろうか?彼はイクナートン(アトンに愛される者)治世の高官であったのか?イクナートンと、血縁上極めて近い人物であった?可能性もあるが、根本的な疑問として、一体、史上初の一神教は、誰が、何ゆえに、はじめた物か?イクナートンに、一神教を吹き込んだ人物が居るのではないか?という、推測である。
仮にこの謎の人物をΩとしよう、このΩには、何人かの弟子が居た。或いは、このΩは、秘密の教団を持って居たかも知れない。それは、多神教の神官団とは、根本的に対立するものだ。多神教の神官団に多大な政治的圧力を受けていたイクナートンは、一神教の神官団を選択した。イクナートンの治世には、このΩは、影響力を行使できたが、アトン信仰は、その死と共に滅ぼされ掛かった。ゆえに、エジプトを脱出する以外に、宗教的に生き延びる道は無かったのだろうか?フロイトの晩年の宗教論、「モーセと一神教」「精神分析学概説」は、他の文化論と共に、精神分析の症例や技法とは、また異なった、興味深い論考である。遙か遠い昔に起こった事実、その歴史的記述の裏に隠匿された事実を暴く、一つの例として、各国の歴史、宗教、を考察する上で、また、イクナートン時代のエジプト文明を考察する上で、無二の参考論文の一つであろう。
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