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フランケンシュタイン (創元推理文庫 (532‐1)) (創元推理文庫 532-1) 文庫 – 1984/2/24
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十一月も雨の寂しい夜、消えかかる蝋燭の薄明かりの下でそれは誕生した。解剖室などから各器官を寄せ集め、つぎはぎされた体。血管や筋が透けて見える黄色い皮膚。そして茶色くうるんだ目。若き天才科学者フランケンシュタインが生命の真理を究めて創りあげた物、それがこの見るもおぞましい怪物だったとは!あまりに有名な不朽の名作。
- ISBN-104488532012
- ISBN-13978-4488532017
- 出版社東京創元社
- 発売日1984/2/24
- 言語日本語
- 本の長さ329ページ
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登録情報
- 出版社 : 東京創元社 (1984/2/24)
- 発売日 : 1984/2/24
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 329ページ
- ISBN-10 : 4488532012
- ISBN-13 : 978-4488532017
- Amazon 売れ筋ランキング: - 44,091位本 (の売れ筋ランキングを見る本)
- - 156位創元推理文庫
- - 354位SF・ホラー・ファンタジー (本)
- - 654位英米文学
- カスタマーレビュー:
カスタマーレビュー
5つ星のうち3.3
星5つ中の3.3
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2017年3月18日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
電子書籍のフランケンシュタインは他に三冊程あり、すべて邦訳が異なります。
解説が素晴らしいとのレビュアーさんの御意見を読んで創元版を選んだのですが、kindle版には肝心の解説がありませんでした…。
(出版社は異なりますがハヤカワの『一九八四年』といい、kindleには有用な解説が無い書籍が結構あって、それが残念です)
せめて商品説明でkindle版には巻末の解説が無いと記載されてたら、
他の邦訳をサンプルで読み比べて、自分の好みに合うものを検討したのですが…。
内容は名作だけあって素晴らしいものでした。
解説が読みたい方は紙の書籍をお勧めします。
解説が素晴らしいとのレビュアーさんの御意見を読んで創元版を選んだのですが、kindle版には肝心の解説がありませんでした…。
(出版社は異なりますがハヤカワの『一九八四年』といい、kindleには有用な解説が無い書籍が結構あって、それが残念です)
せめて商品説明でkindle版には巻末の解説が無いと記載されてたら、
他の邦訳をサンプルで読み比べて、自分の好みに合うものを検討したのですが…。
内容は名作だけあって素晴らしいものでした。
解説が読みたい方は紙の書籍をお勧めします。
2018年12月24日に日本でレビュー済み
2015年2月に放映されたNHKの「100分de名著」に触発されて本書を購入して早3年。今回やっと読むことができました。サブテキストとしてNHKのテレビテキストも再読しました。
SFを読んで約半世紀、今まで読まなかった自分が言うのも恥ずかしい限りですが、SF読みには必読の書です。
歴史的名著であるだけに関連するテキストが充実していることも重要。深読みする際には参考になります。
本編も面白いですが、巻末の新藤純子氏の解説が大変面白い。目からうろこが落ちます。
本書のテーマは〈怪物〉を創造した青年と創られた〈怪物〉の悲劇ですが、この両者は共に不幸に陥ります。
創造者である青年は自らの心が欲する探究心のままに行動した結果によって苦しみ、被創造物である〈怪物〉は自分がそのように創られてしまったという事実によって苦しみます。置き換えてみると、青年の苦悩は暴走する技術の制御を誤ってしまった現代科学者の姿であり、出会った人々に恐れられ嫌われる〈怪物〉の苦悩は社会から疎外されて苦しんでいる現代人の姿に他なりません。そのように考えると本書は優れて現代的な物語であるとも言えます。
ところで、青年の苦悩を本書の物語だけに限定して考えるなら、〈怪物〉を滅ぼしさえすれば、一度は〈怪物〉を生みだしてしまったという事実は残るにしても、それ以上の苦悩は解消する筈です。しかし、主人公の青年はなかなかその手段を取ろうとしません。
一度防衛のために撃った銃弾をかわされた他は、何度もひどい言葉を投げつけるだけです。時には素手でとびかかっていきます。北極海での追跡についても戦う手段を用意している様子はありません。〈怪物〉が銃弾で傷つく存在であることを自ら明かしているにもかかわらず。
これは、怪談(ゴシック・ホラー)の特徴として、または作者が女性ゆえに非物理的な争いを強調するためなのでしょうか?このため、クライマックスに娯楽映画的な“怪物対人間の戦い“という構図を期待すると空振りに終わります。
一方、〈怪物〉の不幸は、不完全な創造者によって不完全に作られ、不完全な世界に生みだされたこと、そして、心を持たされてしまったことにあります。このため、自らの創造主に不幸を与えようが、たとえ恨みを晴らすために彼を殺してしまったとしてもその苦悩が晴れることはありません。〈怪物〉が(非常に高度な?)心をもつことさえ無かったら、あれほどの苦悩は感じなくて済んだはずなのですが。
そのように考えると、不完全な存在である人間が、心を持った存在を作りだすことの無謀さを思い知らされます。
〈怪物〉の立場に立てば、その不幸は、第一に、そのような外見に創られてしまったということにありますが、第二に、心を持ってしまったということがあります。その意味で〈怪物〉は我々人間とまったく同じです。〈怪物〉は、もしかしたらそうであったかも知れない自分なのです。
こう考えると、進化の結果としてたまたま心を持ってしまった人間が、苦悩から逃れられないのは仕方がないことかもしれません。(このテーマは、伊藤計劃の『ハーモニー』に繋がっているのかな。)
ところで、もし、世の中に一人でも〈怪物〉を受け入れてくれる人がいたならば、〈怪物〉は〈怪物〉ではなくなることができたのでしょうか?
もし、それを書いていたとしたら本書はまったく違う物語になってしまうので、メアリ・シェリーはそれを選ばなかったということなのですが、空想としては興味深い分岐点だと思います。
なお、解説では『ブレードランナー』とフランケンシュタインの関係が指摘されていますが、そうだったのかと思わず膝を打ちました。
SFを読んで約半世紀、今まで読まなかった自分が言うのも恥ずかしい限りですが、SF読みには必読の書です。
歴史的名著であるだけに関連するテキストが充実していることも重要。深読みする際には参考になります。
本編も面白いですが、巻末の新藤純子氏の解説が大変面白い。目からうろこが落ちます。
本書のテーマは〈怪物〉を創造した青年と創られた〈怪物〉の悲劇ですが、この両者は共に不幸に陥ります。
創造者である青年は自らの心が欲する探究心のままに行動した結果によって苦しみ、被創造物である〈怪物〉は自分がそのように創られてしまったという事実によって苦しみます。置き換えてみると、青年の苦悩は暴走する技術の制御を誤ってしまった現代科学者の姿であり、出会った人々に恐れられ嫌われる〈怪物〉の苦悩は社会から疎外されて苦しんでいる現代人の姿に他なりません。そのように考えると本書は優れて現代的な物語であるとも言えます。
ところで、青年の苦悩を本書の物語だけに限定して考えるなら、〈怪物〉を滅ぼしさえすれば、一度は〈怪物〉を生みだしてしまったという事実は残るにしても、それ以上の苦悩は解消する筈です。しかし、主人公の青年はなかなかその手段を取ろうとしません。
一度防衛のために撃った銃弾をかわされた他は、何度もひどい言葉を投げつけるだけです。時には素手でとびかかっていきます。北極海での追跡についても戦う手段を用意している様子はありません。〈怪物〉が銃弾で傷つく存在であることを自ら明かしているにもかかわらず。
これは、怪談(ゴシック・ホラー)の特徴として、または作者が女性ゆえに非物理的な争いを強調するためなのでしょうか?このため、クライマックスに娯楽映画的な“怪物対人間の戦い“という構図を期待すると空振りに終わります。
一方、〈怪物〉の不幸は、不完全な創造者によって不完全に作られ、不完全な世界に生みだされたこと、そして、心を持たされてしまったことにあります。このため、自らの創造主に不幸を与えようが、たとえ恨みを晴らすために彼を殺してしまったとしてもその苦悩が晴れることはありません。〈怪物〉が(非常に高度な?)心をもつことさえ無かったら、あれほどの苦悩は感じなくて済んだはずなのですが。
そのように考えると、不完全な存在である人間が、心を持った存在を作りだすことの無謀さを思い知らされます。
〈怪物〉の立場に立てば、その不幸は、第一に、そのような外見に創られてしまったということにありますが、第二に、心を持ってしまったということがあります。その意味で〈怪物〉は我々人間とまったく同じです。〈怪物〉は、もしかしたらそうであったかも知れない自分なのです。
こう考えると、進化の結果としてたまたま心を持ってしまった人間が、苦悩から逃れられないのは仕方がないことかもしれません。(このテーマは、伊藤計劃の『ハーモニー』に繋がっているのかな。)
ところで、もし、世の中に一人でも〈怪物〉を受け入れてくれる人がいたならば、〈怪物〉は〈怪物〉ではなくなることができたのでしょうか?
もし、それを書いていたとしたら本書はまったく違う物語になってしまうので、メアリ・シェリーはそれを選ばなかったということなのですが、空想としては興味深い分岐点だと思います。
なお、解説では『ブレードランナー』とフランケンシュタインの関係が指摘されていますが、そうだったのかと思わず膝を打ちました。
2011年11月10日に日本でレビュー済み
その名を知らぬものがいないほど「フランケンシュタイン」は有名だが、原作はマイナーである。フランケンシュタインは映画で有名になったらしい。著者は、メアリー・シェリーという女流作家で、「フランケンシュタイン」のほかにはほとんど作品がない。17歳で駆け落ちし、18歳で出産し、19歳から「フランケンシュタイン」の執筆に取りかかるという、かなり早熟な人のようである。
若き科学者・ヴィクター・フランケンシュタインは、科学信仰と真理探究の果てに人造人間(怪物)を作り上げる。俗に言うフランケンシュタインとは、主人公ヴィクターの名前であり、この怪物には「名前」がない。フランケンというと藤子不二雄の怪物くんの「フンガー」のイメージがあるが、原作の怪物はかなり口達者である。ヴィクターは、生命の神秘に対する探究心から怪物を創り上げたものの、完成と同時にそれを嫌悪し、「なかったこと(捨て子)」にする。ある日、ヴィクターの幼い弟が殺される。このとき、ヴィクターは怪物(犯人)への激しい憎悪にかられる。そして再会する怪物とヴィクター。
醜い怪物は、自分が放浪の果てにいろいろな知識を得たこと、人の真情が欲しくてよかれと思うことをしても人からは憎しみしか受けなかったこと、そのように生まれた世界唯一の人造人間としての絶望的な孤独に陥っていること、をヴィクターに訴える。「人がおれを蔑むとき、そいつを敬わなきゃならんのか?」と怪物なりの論理を訴え、「伴侶を作って欲しい」とヴィクターに頼む。怪物を憐れみ、これ以上の犠牲を出さないため、ヴィクターは女怪物をつくることにいったんは同意するのだが、結局、完成前に女怪物の体を破壊。これが怪物の怒りに火をつけ、怪物はヴィクターの親友と許嫁を殺害。伴侶を得られなかった怪物と伴侶を失ったヴィクターは、それぞれ、孤独と罪悪感に苦しむとともに、激しい復讐心をもつことになる。ヴィクターは怪物を北の果てまで追いかけるがついにそこで息を引き取る。怪物は、ヴィクターの死を確認すると、自分は地球の最北で死ぬと宣言し、やがて消えていく。
怪物にとってヴィクターは親であり、もっとも理解して欲しい人だったのかもしれない。知識探求の果てに一方は孤独により、他方は罪悪感により悲しい結末を迎える。ヴィクターと怪物がお互いに憎み合いながらも協奏する、恐怖小説というよりは、「アルジャーノンに花束を」の「知ることの悲しさ」にも通じるようなせつなさがある。
若き科学者・ヴィクター・フランケンシュタインは、科学信仰と真理探究の果てに人造人間(怪物)を作り上げる。俗に言うフランケンシュタインとは、主人公ヴィクターの名前であり、この怪物には「名前」がない。フランケンというと藤子不二雄の怪物くんの「フンガー」のイメージがあるが、原作の怪物はかなり口達者である。ヴィクターは、生命の神秘に対する探究心から怪物を創り上げたものの、完成と同時にそれを嫌悪し、「なかったこと(捨て子)」にする。ある日、ヴィクターの幼い弟が殺される。このとき、ヴィクターは怪物(犯人)への激しい憎悪にかられる。そして再会する怪物とヴィクター。
醜い怪物は、自分が放浪の果てにいろいろな知識を得たこと、人の真情が欲しくてよかれと思うことをしても人からは憎しみしか受けなかったこと、そのように生まれた世界唯一の人造人間としての絶望的な孤独に陥っていること、をヴィクターに訴える。「人がおれを蔑むとき、そいつを敬わなきゃならんのか?」と怪物なりの論理を訴え、「伴侶を作って欲しい」とヴィクターに頼む。怪物を憐れみ、これ以上の犠牲を出さないため、ヴィクターは女怪物をつくることにいったんは同意するのだが、結局、完成前に女怪物の体を破壊。これが怪物の怒りに火をつけ、怪物はヴィクターの親友と許嫁を殺害。伴侶を得られなかった怪物と伴侶を失ったヴィクターは、それぞれ、孤独と罪悪感に苦しむとともに、激しい復讐心をもつことになる。ヴィクターは怪物を北の果てまで追いかけるがついにそこで息を引き取る。怪物は、ヴィクターの死を確認すると、自分は地球の最北で死ぬと宣言し、やがて消えていく。
怪物にとってヴィクターは親であり、もっとも理解して欲しい人だったのかもしれない。知識探求の果てに一方は孤独により、他方は罪悪感により悲しい結末を迎える。ヴィクターと怪物がお互いに憎み合いながらも協奏する、恐怖小説というよりは、「アルジャーノンに花束を」の「知ることの悲しさ」にも通じるようなせつなさがある。






