私は、本は月に2~3冊ほど読みますが、詳しいわけではありません。
純文学はほとんど読みません。
という私個人の意見です。
沖縄の那覇で巻き起こる日常を描いた作品です。
一般の観光客が目にする華やかな「楽園・沖縄」ではありません。
人間らしさ、人間j関係の闇、そこに沖縄独特の文化がまじわる。
個人的に沖縄が好きで土地勘もあるので、イメージしながら読めました。
この商品をお持ちですか?
マーケットプレイスに出品する

無料のKindleアプリをダウンロードして、スマートフォン、タブレット、またはコンピューターで今すぐKindle本を読むことができます。Kindleデバイスは必要ありません 。詳細はこちら
Kindle Cloud Readerを使い、ブラウザですぐに読むことができます。
携帯電話のカメラを使用する - 以下のコードをスキャンし、Kindleアプリをダウンロードしてください。
ファイアーキング・カフェ 単行本 – 2010/5/20
居場所を失った男たちが、いる場所を見つけたい女たちが、那覇の街に流れ着く。哀しい思いや辛さを暑い湿気の底に沈めながら生きてきた人々の街へ。ディープな「那覇」を背景に、心の中の大切な何かを喪いながら、他人との出会いに新しい自分を見つけていく人々の姿を描く、傑作連作長編小説。
- 本の長さ228ページ
- 言語日本語
- 出版社光文社
- 発売日2010/5/20
- ISBN-104334927106
- ISBN-13978-4334927103
この商品をチェックした人はこんな商品もチェックしています
ページ: 1 / 1 最初に戻るページ: 1 / 1
商品の説明
内容(「BOOK」データベースより)
私は魂を東京に落としてきたに違いない。居場所をなくした男たちが、生きる意味を探す女たちが、自分の場所を求めて那覇の街にやってくる。それぞれの思いを、東シナ海からの湿気の底に沈めて。今日の那覇と人を描いた連作長編。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
いしかわ/じゅん
1951年愛知県生まれ。明治大学卒業後、短いサラリーマン生活を経て、漫画家としてデビュー(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
1951年愛知県生まれ。明治大学卒業後、短いサラリーマン生活を経て、漫画家としてデビュー(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
Kindle化リクエスト
このタイトルのKindle化をご希望の場合、こちらをクリックしてください。
Kindle をお持ちでない場合、こちらから購入いただけます。 Kindle 無料アプリのダウンロードはこちら。
このタイトルのKindle化をご希望の場合、こちらをクリックしてください。
Kindle をお持ちでない場合、こちらから購入いただけます。 Kindle 無料アプリのダウンロードはこちら。
登録情報
- 出版社 : 光文社 (2010/5/20)
- 発売日 : 2010/5/20
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 228ページ
- ISBN-10 : 4334927106
- ISBN-13 : 978-4334927103
- Amazon 売れ筋ランキング: - 730,231位本 (の売れ筋ランキングを見る本)
- - 22,016位日本文学
- カスタマーレビュー:
この商品を買った人はこんな商品も買っています
ページ: 1 / 1 最初に戻るページ: 1 / 1
著者について
著者をフォローして、新作のアップデートや改善されたおすすめを入手してください。

著者の本をもっと発見したり、よく似た著者を見つけたり、著者のブログを読んだりしましょう
カスタマーレビュー
5つ星のうち4.5
星5つ中の4.5
8 件のグローバル評価
評価はどのように計算されますか?
全体的な星の評価と星ごとの割合の内訳を計算するために、単純な平均は使用されません。その代わり、レビューの日時がどれだけ新しいかや、レビューアーがAmazonで商品を購入したかどうかなどが考慮されます。また、レビューを分析して信頼性が検証されます。
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2011年5月17日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
上は40から下は17まで、あんまり若くないのから女子高生までが、那覇の繁華街で生活する。そして、何かをつかみ、失い、別の人生の局面へと乗り出していく。
場所はずっと那覇なのだが、連作短編で、それぞれ完結しているので、記憶に負荷がかからなくて、気楽に読める。
那覇の食べ物、気候、沖縄方言、ファッション、性風俗、街並みが緻密に描写され、行ったことがないのに、観光旅行をした気分になれる。
ファイアーキングという陶器を表紙にした装丁は美しく、コーヒーはおいしそうだ。いしかわじゅんが常に書いている「センスのいい本」「美しい装丁」とは、こういうものを言うのかと思った。
場所はずっと那覇なのだが、連作短編で、それぞれ完結しているので、記憶に負荷がかからなくて、気楽に読める。
那覇の食べ物、気候、沖縄方言、ファッション、性風俗、街並みが緻密に描写され、行ったことがないのに、観光旅行をした気分になれる。
ファイアーキングという陶器を表紙にした装丁は美しく、コーヒーはおいしそうだ。いしかわじゅんが常に書いている「センスのいい本」「美しい装丁」とは、こういうものを言うのかと思った。
2010年5月28日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ここにはテレビや新聞では決して知ることの出来ない生身の沖縄がある。同じ言葉を話すのだけれど、どうしてもたどり着けない何か。むしろ最初はそこに惹かれて真新しい人生を送ろう等と勝手な夢を見て移り住むのだけれど、あんなにやさしく大きな心の人々と、どこまでも高い空と遠い海に、流れ者はいつしか孤独を抱くようになり、何時しか誰とも知り合えないまま東京に帰ってゆく。思い出すのは58号線のあの日差しとハイビスカスの鮮やかさだけで、そこには何故か島の人がいない。そんなやるせない切なさを思い出させてくれる初めての本。沖縄を知るに一番大切なことがちりばめられた珠玉の名作だ。基地をいくら論じても海とどれだけ戯れても決してわからない、本当の沖縄がここにはある。
2010年6月3日に日本でレビュー済み
複数の登場人物が、物語の舞台である「沖縄 那覇」ですれ違っていきます。
どの登場人物も背負っている背景は違うものの、「那覇に逃げてきた」ような側面があり、
だからといって那覇が安住の地だと思っているわけではない。
帯にある、「ここではない何処か」ということば通り、
「何処かを探して、さまよって、今は那覇にいる人々の物語」です。
それぞれが短編なので読みやすく、那覇の空気が再現されています。
那覇に住んでみたいと思う人は、読んだらいいんじゃないかな?
ちょっとだけ、夢が破れるかもしれませんが。
読んでいて、頭の中に蘇ったのが、いしかわじゅんさんが昔、書かれていた漫画「東京物語」でした。
舞台はバブルの頃の東京でしたが、あの時の登場人物(特に男性陣)が、仕事がうまくいかなくて、
那覇にやって来た・・・としても不思議はない・・・と思ってしまいました。
いしかわさんが描く人は、さすらっている人ばかりだなと思ったのです。
東京物語の登場人物も、バブルな東京でさまよっていたんじゃないか・・・
そんなことを思いました。
どの登場人物も背負っている背景は違うものの、「那覇に逃げてきた」ような側面があり、
だからといって那覇が安住の地だと思っているわけではない。
帯にある、「ここではない何処か」ということば通り、
「何処かを探して、さまよって、今は那覇にいる人々の物語」です。
それぞれが短編なので読みやすく、那覇の空気が再現されています。
那覇に住んでみたいと思う人は、読んだらいいんじゃないかな?
ちょっとだけ、夢が破れるかもしれませんが。
読んでいて、頭の中に蘇ったのが、いしかわじゅんさんが昔、書かれていた漫画「東京物語」でした。
舞台はバブルの頃の東京でしたが、あの時の登場人物(特に男性陣)が、仕事がうまくいかなくて、
那覇にやって来た・・・としても不思議はない・・・と思ってしまいました。
いしかわさんが描く人は、さすらっている人ばかりだなと思ったのです。
東京物語の登場人物も、バブルな東京でさまよっていたんじゃないか・・・
そんなことを思いました。
2013年4月25日に日本でレビュー済み
私は地元人(沖縄人)です。
本土からやって来て、沖縄に移住、あるいは長期滞在している若者たちを
主に国際通り周辺で日常的によく目にします。
彼らの多くはドミトリー(安宿)に暮らし、レゲエファッションのような身なりで
国際通りの路上で自作のアクセサリや絵や詩などを売って暮らし、
いわゆる「ゆる〜いライフスタイル」を実践しています。
彼らが金科玉条のように信奉している信条は「ユルさ」です。
私はそうした彼らを目にするにつれ失笑を禁じ得ません。むしろ滑稽に感じます。
地元人(沖縄人)のリアルな生活はけっしてああしたお気楽なものではないからです。
彼らはキューバかタヒチあたりに来たように思い込みたいようですが、お仲間うちの
中だけにしか共有されない共同幻想です。
いわく「癒しの島」「青い海と空」「温かい人柄」「時間に追われないゆる〜い社会」.......
彼らは彼らにとって都合のいい沖縄像だけを見たいようですが、残念ながら幻想です。
本気で沖縄で生きていく以上、時間にルーズでは仕事にならないことは本土と同じです。
じつは那覇より東京のほうが緑(樹木)が多いです。
年間で見ればじつは曇り空のほうが多いです。
沖縄人はじつは狭量で排他的です。
(以上、地元人の私が言うのだからまちがいありません)
そもそも沖縄は南洋の楽園ではなく、日本です。日本の経済・政治システムの一部です。
漠然とした満たされないものを抱えたり、現代社会に疲れたり、挫折したりして、その反動から
いわく「癒しの島」へやって来るのは結構なのですが、過剰な幻想はいずれ幻滅に変わることは
覚悟するべきだと思います。
―上記のような機微を、本土人の内面の側から活写した珍しい作品です。
沖縄を描いた文学といえば、とかく戦争や基地や土着風習をテーマにしたものばかりでしたが、
比較的若い人 (地元人、移住人問わず) にとっての「今のリアルな沖縄」が描かれています。
※以下余談ですが−
「癒しの島」「青い海と空」「温かい人柄」「時間に追われないゆる〜い社会」etc のような
本土発の宣伝文句を、当の沖縄人のほうが本気で信じ始めているらしい逆転現象もあって
かなりこじれてます。そんなおめでたい一部の沖縄人は、やたら沖縄を自画自賛するし、
カラオケではかならずオリオンビールの歌の合唱を強要するし、変なナショナリズムみたいで
たいへん鬱陶しいものです。
私は地元人(沖縄人)です。
本土からやって来て、沖縄に移住、あるいは長期滞在している若者たちを
主に国際通り周辺で日常的によく目にします。
彼らの多くはドミトリー(安宿)に暮らし、レゲエファッションのような身なりで
国際通りの路上で自作のアクセサリや絵や詩などを売って暮らし、
いわゆる「ゆる〜いライフスタイル」を実践しています。
彼らが金科玉条のように信奉している信条は「ユルさ」です。
私はそうした彼らを目にするにつれ失笑を禁じ得ません。むしろ滑稽に感じます。
地元人(沖縄人)のリアルな生活はけっしてああしたお気楽なものではないからです。
彼らはキューバかタヒチあたりに来たように思い込みたいようですが、お仲間うちの
中だけにしか共有されない共同幻想です。
いわく「癒しの島」「青い海と空」「温かい人柄」「時間に追われないゆる〜い社会」.......
彼らは彼らにとって都合のいい沖縄像だけを見たいようですが、残念ながら幻想です。
本気で沖縄で生きていく以上、時間にルーズでは仕事にならないことは本土と同じです。
じつは那覇より東京のほうが緑(樹木)が多いです。
年間で見ればじつは曇り空のほうが多いです。
沖縄人はじつは狭量で排他的です。
(以上、地元人の私が言うのだからまちがいありません)
そもそも沖縄は南洋の楽園ではなく、日本です。日本の経済・政治システムの一部です。
漠然とした満たされないものを抱えたり、現代社会に疲れたり、挫折したりして、その反動から
いわく「癒しの島」へやって来るのは結構なのですが、過剰な幻想はいずれ幻滅に変わることは
覚悟するべきだと思います。
―上記のような機微を、本土人の内面の側から活写した珍しい作品です。
沖縄を描いた文学といえば、とかく戦争や基地や土着風習をテーマにしたものばかりでしたが、
比較的若い人 (地元人、移住人問わず) にとっての「今のリアルな沖縄」が描かれています。
※以下余談ですが−
「癒しの島」「青い海と空」「温かい人柄」「時間に追われないゆる〜い社会」etc のような
本土発の宣伝文句を、当の沖縄人のほうが本気で信じ始めているらしい逆転現象もあって
かなりこじれてます。そんなおめでたい一部の沖縄人は、やたら沖縄を自画自賛するし、
カラオケではかならずオリオンビールの歌の合唱を強要するし、変なナショナリズムみたいで
たいへん鬱陶しいものです。