先日読んだ『チョムスキーと言語脳科学』に、「チョムスキー批判の急先鋒」と紹介されており、興味を持ち購入。
アマゾンにすむピダハン族の言語には、チョムスキーが「どんな言語にも必ずある」と言う再帰(リカージョン)がないという。チョムスキー派は、「それに対する答えはある」というが、果たしてどうなのか。
というと言語研究の本に見えますが、実際には先住民フィールドワークもの(そんなジャンルあるのかわかりませんが)の要素が強い一冊で、言語学に興味のない人でも、というかそういう人がメインの読者といってもいい内容となっている。
なにより感銘を受けたのが、ピダハンの人たちが自分たちの生活習慣や言葉に迷いなき自信を持っていること。
確かに外の世界の人たちは便利な道具を持っているが、自分たちはそれがなくても幸せなのだから、別にいいではないか。
結局、異文化へのコンプレックスは比べることから始まるが、それをしないピダハンには、異文化への憧れも起こらない。
著者は言語研究と布教とを兼ねて彼らのところに来たのだが、布教とはまさに、相手に異文化を押し付けること。
ピダハンと接するうちに、布教のバカらしさに気づいてしまった著者のエピソードはなかなか考えさせられる。
また、ピダハンの詩、あるいは物語の独特な言い回しは、人類はこうして物語を紡いできたのではないかというイメージを掻き立てられる。 ホメロスの叙事詩につながるものを感じた。
そして肝心?のチョムスキーとの関連だが、確かにリカージョンはピダハン語にはないのかもしれない。ただ、本書を読んだだけでは何とも言えないというのが正直なところ。
ただ、著者のチョムスキーへの反感は、フィールドワーク実践者としてのプライドに根ざしていることはよくわかった。研究室にこもっている人に何がわかるのか、と。
理論の対立というより、感情の対立、なのか?
フィールドワーク本としては言語に対する記述が多すぎ、言語研究本としては著者の体験談が多すぎる、なんとも言えない本だが、どちらにも興味がある人にはお勧めです。
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