医療ドラマや映画の中で
日本人の医師が「患者」のことを
「クランケ」
と呼ぶシーンをよく目にします。
あとで語源などは説明しますが
これはガラパゴス化した現象です。
日本でしか通じません(しかも一部限定)。
「イングリッシュ・ペイシェント」という
映画(もともと小説)がありますように
英語なら「ペイシェント」
ドイツ語なら「パツィエント」です。
本書はあるドイツ人医師が
「パツィエント・アー」(Patient A)
に諸種の麻薬を投与し続けた記録です。
種を明かしてしまえば
「パツィエント・アー」(患者A)とは
ドイツ第三帝国(ナチス・ドイツ)の
「フューラー」(総統)
アドルフ・ヒトラー(1889-1945)
のことです。医師はその悪名高き主治医
テオドール・モレル(1886-1948)
です。カタカナではモーレルと書く
こともあります。
なおモレルのカルテを見ますと
名前の欄には Patient の略語 Pat.を用いて
Pat.A.
と記載されています(p.183)。
余談ですが「カルテ」はドイツ語で
英語なら「チャート」(chart)です。
第三帝国ナンバーツーで
「ライヒスマーシャル」(帝国元帥)だった
ヘルマン・ゲーリング(1893-1946)は
モレルのことを
「ライヒスシュプリッツェンマイスター」
(帝国注射マイスター)と呼んで
揶揄しました。ゲーリング自身が
麻薬(モルヒネ)中毒だったのは有名ですが
そのゲーリングから皮肉られるほど
モレルは「注射」が好きでした。
初期の頃からヒトラーに
①各種ビタミン
②ストリキニーネ(毒性の強いアルカロイド)
③アトロピン(抗コリン薬)
(アセチルコリン受容体阻害薬)
④テストステロン(男性ホルモン)
‥などを混合した「カクテル」を
注射していました。
たまたま一時的に「奏功」したので
ヒトラーの信頼を増して行きました。
ヒトラーにはもともと
カール・ブラント(1904-1948)
という外科医が主治医としてついていました。
ブラントは第三帝国全体の医師のトップに
まで昇りつめました(階級は親衛隊中将)が
「モレル医師が総統に処方している薬」
に疑義・反対を唱えたことから
ヒトラーの不興を買い
1944年10月、総統付き医師を解任され
後に、ゲシュタポに逮捕されます。
戦後ニュルンベルグ継続裁判で
「人体実験」を行ったかどで
死刑判決を受け処刑されました。
ブラントが疑義を唱えたころ
モレルがヒトラーに注射していたのは
本書によりますと次の麻薬を含みます。
1)商品名「ペルビチン」。
一般名「メタンフェタミン」。
「アンフェタミン」のN原子をメチル基で
置換したもの。メトアンフェタミン。
メチルアンフェタミン。
要するに「覚せい剤」です。
2)「コカイン」。
1944年7月20日
シュタウフェンベルグ(1907-1944)
らによる暗殺計画(爆弾で爆殺)を
あやうく逃れたヒトラーは
鼓膜を損傷したため耳鼻咽喉科医から
「コカイン」を処方されました。
(現在では使いませんが)
局所麻酔としての作用があるので
痛みを取る目的があったと考えられますが
要するに「多幸感のある麻薬」ですから
鼓膜治療が終わった後も
ヒトラーは耽溺して行ったようです。
モレルはそれを承知で注射を続け
ブラントがそれに気づいたものの
かえって遠ざけられたというのが
考えられるストーリーです。
3)商品名「オイコダール」。
一般名「オキシコドン」。
アヘンに含まれる成分から作られた麻薬です。
オピオイド系鎮痛剤のひとつで
医療用には「モルヒネ」などとともに
「がん」による痛みを除く目的で使います。
以上まとめますと
本書の主張は
モレルはヒトラーに対して
ペルビチン+コカイン+オイコダール
を注射し続けていたという内容です。
つまり本書の主張が正しいとしますと
「覚せい剤+コカイン+(モルヒネ似の)麻薬」
ということになります。
専門的な医学的知識がなくても
この3種類を続けていたら
心身ともボロボロになることが分かります。
実際、晩年のヒトラーが
実年齢以上に老け込み生気を失っていたことは
いろいろな人の証言があります。
ヒトラーが映っている最後の動画は
1945年4月20日
(たまたま56歳の誕生日)に
「ヒトラー・ユーゲント」
「ドイッチャー・フォルクスシュトルウム」
などの少年兵たち(12歳を含む)に
第二級鉄十字章を授与した儀式です。
第三帝国の国民向けに公開された
ニュース映画ではカットされましたが
片手がけいれんするように小刻みに
震えているのが明瞭に映っていました。
本書によりましても
特に左手のけいれんが著しく
右手もけいれんすることがありました。
作戦会議でもヒトラーが
右手で左手を強く押さえるのが
目撃されています。けいれんする手を
見せないようにするためです。
専門家たちは晩年のヒトラーが
「パーキンソン病」を患っていた
と考えています。
モレル自身が1945年4月
「パーキンソン病の疑い」をメモ帳に
書いていました(p.236)。
パーキンソン病は中脳黒質・線条体で
ドーパミンが不足し
アセチルコリンが増加することによって
起こると考えられています。
本書の著者は
「無秩序なドラッグ乱用の直接的作用」
として「パーキンソン病」に罹患した
(p.236)と主張しています。
この点、私には何とも言えません。
ドラッグの影響はなにがしかあるかも
しれませんが、そういたしますと
本態性の「パーキンソン病」なのか
原因は別で症状が同じである
「パーキンソニズム」(パーキンソン症候群)
なのかは鑑別が難しいような気がします。
著者はよく取材はしていますが
基本的な医学的知識は欠落している
ようにも感じます。概念が整理されて
いなくて蛇足的情報が付加された
記述が目に付きます
(あくまで個人の感想です)。
やはり
「パーキンソン病」という確定診断を
下せるだけのデータが確認できない
のであれば、目撃者による症状から
「パーキンソニズム」(パーキンソン症候群)
という診断にとどめておくのが
常識的な判断ということになりましょう。
いずれせよ
本書の主張が確認されたならば
ヒトラーが3種類のドラッグ
(覚せい剤+麻薬)に加えて
医学的根拠に乏しい
諸種のホルモンやビタミンなどの
処方を受け、自殺する頃には
心身ともボロボロだったことは明らかです。
しかしそれが
ヒトラーの犯罪を軽減するものではなく
ましてや免罪するものでもないことは
いくら強調しても過ぎることはありません。
ちなみに
評価が確立されている伝記
例えば
イアン・カーショー氏(1943-)による
『ヒトラー(下)』(白水社 2016)(原著 2000)
副題:1936ー1945 天罰
によりますと
①鎮痛剤の中毒になっていた可能性は
除外できる。
②ギージング博士から処方された
結膜炎用の点眼薬にはその1パーセントの
コカインが含まれていたが
コカイン依存症になっていた可能性も
除外できる。
③メタンフェタミンを服用していたか
どうかは不明。
‥というのがカーショー氏の主張です
(上掲書 p.749 上段)。
しかしカーショー氏は別のところで
「モレルが毎日処方する多数の錠剤や注射」
の内容について
「戦時中に全部で九〇種類に上り、
一日に服用した錠剤は二八種類を数えた」
と書いていますま(上掲書 p.637 下段)。
医学的根拠がなかったり
あるいは量や頻度が過剰であるような
薬の内服や注射をモレルが続けていた
ことは間違いないようです。
モレルは
ヒトラーの個人的寵臣であったため
側近たちも診療を受けました。
「パツィエント ベー」(患者B)は
ヒトラーの愛人で死の直前に結婚した
エーファ・ブラウン(1912-1945)
のことであり
「パツィエント デー」(患者D)は
ファシスト・イタリアの独裁者
ムッソリーニ(1883-1945)
のことでした。「デー」は
「ドゥーチェ」(統領)のDに由来します。
本書の別の箇所では「患者M」という
記載もありますがそれは名前の頭文字でしょう。
ちなみに日本人では駐独大使の
大島浩(1886-1975)
(極東軍事裁判でA級戦犯として
終身刑判決。1955年 仮釈放)
がモレルの患者でした(p.200)。
ドイツ第三帝国では
何の科学的根拠もないのに
ユダヤ人を「害毒」と決めつけ
600万人とも言われるユダヤ人を
物理的に排除しました(ホロコースト)。
同じ論理で、タテマエ上は害毒である
「麻薬」を排除する法律も制定しましたが
実際は、第三帝国全体が「麻薬」に
どっぷりつかっていたことが分かります。
実は1933年にナチ党が政権を執る直前
ドイツの製薬業界はまさに
「世界に冠たるドイツ」として
興隆をきわめていました。
下地はできていたことになります。
従って、第二次世界大戦が始まると
商品名「ペルビチン」
一般名「メタンフェタミン」
要するに「覚せい剤」を
大量に兵士に配給し使用していたことが
本書に詳細に書かれています。
あのロンメル(1891-1944)も
第7師団(いわゆる幽霊師団)をひきいて
西部戦線で突進したときに
「メタンフェタミンの過剰摂取」の
典型的症状が見られた(p.103)
と著者は記述しています。
それが著者の独自見解なのか
史実として確認されていることなのかは
判然としない書き方です。
本書の著者は歴史家ではないので
このエピソードも含めて
同様に確認されるべき要素がいくつか
本書には含まれているように思います。
ちなみにメタンフェタミンは
世界で初めて、日本の薬学者
長井長義(1845-1929)が
合成した薬として有名です。
まず麻黄からエフェドリンを抽出し
そのエフェドリンから合成したのが
メタンフェタミンでありその成果を
1893年に雑誌に発表しました。
同じく日本人薬学者
緒方章(1887-1978)が
1919年 メタンフェタミンの
結晶化に成功しました。
商品名「ヒロポン」
(ギリシャ語で「労働を愛する」という
フレーズにちなんだ商品名)で
売られていた時期もありましたが
現在では「覚せい剤取締法」で
使用も所持も禁止されています。
なおヒトラーが注射されていた
あと2種類のドラッグすなわち
「コカイン」と一般名「オキシコドン」は
いずれも「麻薬及び向精神薬取締法」によって
取締の対象となっています。
最後に Patient「パツィエント」の
語源について補足しておきます。
ルーツはギリシャ語 "pathein"であり
「苦しむ」という意味です。
ギリシャ語からラテン語に入り
ラテン語から仏・伊・西など
ラテン語系の原語および
ドイツ語や英語にも入りました。
ドイツ語 = Patient (パツィエント)
英語 = patient (ペイシェント) は
「苦しむ人」という意味で
転じて「患者」を指します。
なお英語の単語においては
①アクセントがある母音は
アルファベットの通りに発音する。
②アクセントがない母音は
軽く「ア」に近く発音する。
‥というルールがあります。よって
patient の発音は「ペイシェント」というより
「ペイシャント」に近いかもしれません。
同じ語源の passion(パッション)は
「受難」を意味します。
特にキリスト教圏では
「イエスが磔(はりつけ)にかけられて
死んで行くという受難」を意味します。従って
”St.Matthew Passion”
(セイント・マチュー・パッション)
と言えば「聖マタイによる受難曲」
つまり「マタイ受難曲」を指します。
また果物ジュースで
「パッション・フルーツ」ジュースが
ありますが、この「パッション」は
やはり「受難」の意味です。
その植物のトゲトゲのある形態が
イエス受難のときの茨の冠を連想させる
という説もあれば
ジュースの赤い色が
イエス受難のときの血を連想させる
という説もあります。
「パッション・フルーツ」自体が
一種類ではなく何百種類あるらしく
諸説ありますがいずれせよ
「イエスの受難」を意味する
「パッション」からとった名前です。
混同しやすいことには
ギリシャ語に pathos(パトス)
というコトバがあり、これは
「情熱」を意味します。現代では
pathos も passion というつづりに
なってしまいました。
私たち日本人は「受難」よりも
「情熱」の意味で「パッション」を
使うことが多いので注意が必要です。
「パッション・フルーツ」は
南国の「情熱」などとは全く無関係です。
「情熱」と言えば
”Passion of John” ”John's Passion”
を「ジョンの情熱」と訳した
「世紀の誤訳」がある(ネタかもしれません)
と聞いたことがあります。もちろん
ここでは「ヨハネ受難曲」の意味です。
なお Kranke(クランケ)は
ギリシャ語系でもラテン語系でもないドイツ語です。
krank(クランク)が「病気の」で
Krankheit(クランクハイト)が「病気」
Kranke(クランケ)が「病人」です。
ただし「クランケ」は「疾病に罹患している人」
のニュアンスが強く通常の意味の
「患者」としては日常的には使用しないようです。
従って「患者」を「クランケ」と呼ぶのは
日本の医療ドラマ・映画の中だけと
考えていいでしょう。
ヒトラーの主治医でさえ「クランケ」でなく
「パツィエント」を使用しているのですから。
明治以後のある時期
日本の医学はドイツの医学を模範とする
時代が続きました。その残滓です。
「クランケ」→ ペイシェント(患者)
「カルテ」→ チャート(診療録)
「ナート」→ スティッチ(縫合)
「エッセン」→ 食事
などの単語があたかも
ガラパゴス諸島のゾウガメの如く
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