パスカル研究者です。
前田・由木訳『パンセ』は、ブランシュヴィック版を底本とし、原則として直訳調の訳文であるという点に特徴があります。日本語としてはこなれていませんが、原文にはきわめて忠実です。
他方、岩波文庫の塩川訳『パンセ』は、第一写本(ほとんどラフュマの配列と等しい)に従い、最新の研究成果を踏まえた豊富な注を付し、日本語として自然な訳文を備えています。
実は、『パンセ』の三分の二は聖書の内容とイエスがメシアであることのきわめて複雑(でときに強引)な論証に割かれていて、この部分は信者であってもついていくのは相当つらいと思います。ブランシュヴィックの配列に基づく本書では、その部分はおおむね後回しで、人間とは何か、信じるとはどういう行為か、なぜ信じられないのか、上手な説得の技術は何か、などの、いわば信仰の外部に関わる哲学的考察から入っていくことができるので、初心者にはよりとっつきやすいと思います。
『パンセ』を詳しく知るには両者を併読するのがよいでしょう。
この「中公文庫プレミアム」では、通常版にはなかった語句索引が新たに付けられ、巻末の訳注が各断章の直後に移行してとても読みやすくなりました。
パンセ (中公文庫プレミアム) (日本語) 文庫 – 2018/7/20
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本の長さ743ページ
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言語日本語
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出版社中央公論新社
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発売日2018/7/20
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ISBN-104122066212
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ISBN-13978-4122066212
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商品の説明
内容(「BOOK」データベースより)
近代科学史に不滅の業績をあげた不世出の天才パスカルが、厳正で繊細な批判精神によって人間性にひそむ矛盾を鋭くえぐり、人間の真の幸福とは何か思索した『パンセ』。時代を超えて現代人の生き方に迫る鮮烈な人間探究の記録。パスカル研究の最高権威による全訳。年譜、重要語句索引、人名索引付き。
著者について
パスカル
一六二三―六二。フランスの数学者、物理学者、哲学者。幼少のころから数学に天分を発揮、16歳で『円錐曲線試論』を発表し世を驚嘆させる。「パスカルの原理」を発見するなど科学研究でも業績をあげる。後年は「プロヴァンシアル」の名で知られる書簡を通して、イエズス会の弛緩した道徳観を攻撃、一大センセーションをまきおこした。主力を注いだ著作『護教論』は完成を見ることなく、残されたその準備ノートが、死後『パンセ』として出版された。
前田陽一
一九一一年(明治四十四)、群馬県生まれ。東京大学仏文学科卒。パリ大学に留学。第一高等学校教授、東京大学助教授を経て同大学教授となる。東京大学名誉教授。一九八七年(昭和六十二)、没。
由木康
一八九六年(明治二十九)、鳥取県生まれ。関西学院大学文学部卒。聖書と神学を学び、東京二葉独立教会(現・東中野教会)牧師となり五十年間在任。同教会名誉牧師。一九八五年(昭和六十)、没。
一六二三―六二。フランスの数学者、物理学者、哲学者。幼少のころから数学に天分を発揮、16歳で『円錐曲線試論』を発表し世を驚嘆させる。「パスカルの原理」を発見するなど科学研究でも業績をあげる。後年は「プロヴァンシアル」の名で知られる書簡を通して、イエズス会の弛緩した道徳観を攻撃、一大センセーションをまきおこした。主力を注いだ著作『護教論』は完成を見ることなく、残されたその準備ノートが、死後『パンセ』として出版された。
前田陽一
一九一一年(明治四十四)、群馬県生まれ。東京大学仏文学科卒。パリ大学に留学。第一高等学校教授、東京大学助教授を経て同大学教授となる。東京大学名誉教授。一九八七年(昭和六十二)、没。
由木康
一八九六年(明治二十九)、鳥取県生まれ。関西学院大学文学部卒。聖書と神学を学び、東京二葉独立教会(現・東中野教会)牧師となり五十年間在任。同教会名誉牧師。一九八五年(昭和六十)、没。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
パスカル
ブレーズ・パスカル。1623年、フランス生まれ。数学者、物理学者、哲学者。幼少の頃から数学に天分を発揮し、十六歳で『円錐曲線試論』を発表。「パスカルの原理」を発見するなど科学研究でも業績をあげる。後年は『プロヴァンシアル』の名で知られる書簡を通して、イエズス会を批判。1662年、没
前田/陽一
1911年(明治44)、群馬県生まれ。東京帝国大学仏文学科卒業後、パリ大学に留学。東京大学名誉教授。1987年(昭和62)、没
由木/康
1896年(明治29)、鳥取県生まれ。関西学院大学文学部卒業後、聖書と神学を学び、東京二葉独立教会(現・東中野教会)牧師として五十年間在任。1985年(昭和60)、没(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
ブレーズ・パスカル。1623年、フランス生まれ。数学者、物理学者、哲学者。幼少の頃から数学に天分を発揮し、十六歳で『円錐曲線試論』を発表。「パスカルの原理」を発見するなど科学研究でも業績をあげる。後年は『プロヴァンシアル』の名で知られる書簡を通して、イエズス会を批判。1662年、没
前田/陽一
1911年(明治44)、群馬県生まれ。東京帝国大学仏文学科卒業後、パリ大学に留学。東京大学名誉教授。1987年(昭和62)、没
由木/康
1896年(明治29)、鳥取県生まれ。関西学院大学文学部卒業後、聖書と神学を学び、東京二葉独立教会(現・東中野教会)牧師として五十年間在任。1985年(昭和60)、没(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
登録情報
- 出版社 : 中央公論新社; 改版 (2018/7/20)
- 発売日 : 2018/7/20
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 743ページ
- ISBN-10 : 4122066212
- ISBN-13 : 978-4122066212
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Amazon 売れ筋ランキング:
- 96,440位本 (の売れ筋ランキングを見る本)
- - 122位フランス・オランダの思想
- - 383位西洋哲学入門
- - 550位中公文庫
- カスタマーレビュー:
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カスタマーレビュー
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2018年8月26日に日本でレビュー済み
人間は考える葦である。
あまりに有名なこの文を我々はどのように解釈すべきなのか。
この本の素晴らしい点は巻末にパンセに対する小林秀雄のエッセイが載せられていることである。そこには次のように記されている。
パスカルは、人間はあたかも脆弱な葦が考えるように考えねばならぬと言ったのである。人間に考えるという能力があるお陰で、人間が葦でなくなるはずがない。従って、考えを進めて行くにつれて、人間がだんだん葦ではなくなってくるような気がしてくる、そういう考えは全く不正であり、愚鈍である、パスカルはそう言ったのだ。
つまり小林秀雄は、人間の不完全性、可謬性の洒落として、この文をとらえたのである。
このくだりだけでない。他にも、いかに人間が間違えやすい生き物か、ということをありありと私達の前に提示してくれている。
天才パスカルが人間の不完全性・可謬性を描くという逆説を味わってみては。
あまりに有名なこの文を我々はどのように解釈すべきなのか。
この本の素晴らしい点は巻末にパンセに対する小林秀雄のエッセイが載せられていることである。そこには次のように記されている。
パスカルは、人間はあたかも脆弱な葦が考えるように考えねばならぬと言ったのである。人間に考えるという能力があるお陰で、人間が葦でなくなるはずがない。従って、考えを進めて行くにつれて、人間がだんだん葦ではなくなってくるような気がしてくる、そういう考えは全く不正であり、愚鈍である、パスカルはそう言ったのだ。
つまり小林秀雄は、人間の不完全性、可謬性の洒落として、この文をとらえたのである。
このくだりだけでない。他にも、いかに人間が間違えやすい生き物か、ということをありありと私達の前に提示してくれている。
天才パスカルが人間の不完全性・可謬性を描くという逆説を味わってみては。
殿堂入りベスト10レビュアー
"人間はひとくさの葦にすぎない。自然の中で最も弱いものである。だが、それは考える葦である。"近代科学史に名を残す天才の死後、遺族などにより断片記述を編集して1670年初版発行された本書は、現在でも新たな編集の試みが続いている当初意図された護教書の範疇を超えて読み継がれる不朽の人間探求思想の名著。
個人的には、1897年ブランシュヴィック版を前田陽一、由木康訳を今回手にとりましたが。何しろ本人の意図が不明なままの遺稿集なので【前半は人間について、後半はキリスト教について】まとめられているとはいえ、ある意味【本はね、ただ文字を読むんじゃない。自分の感覚を調整するためのツールでもある】(PSYCHO-PASS)と、その日の気分で好きなページをめくる楽しみ方も読者が許される本書。
とはいえ圧倒されるのは、冒頭紹介の文章以外では『クレオパトラの鼻。それがもっと短かったなら、大地の全表面は変わっていただろう』も有名ですが。"脱魔術"科学が著しく進歩し、キリスト教に基づく世界観が宗教改革などで揺らいだ時代が背景にあるからこそか『パスカルの定理』やシェアリングエコノミー先取り『5ソルの馬車』と幅広く活躍した不世出の天才による【深く鋭く人間を考察した名言】がどのページにも溢れている事だ。(今でも内容が全く時代を感じさせないことも凄まじい)
一方で、そんな中で時折出てくる同時代の先輩、デカルトへの『役立たずであやふや』や影響を受けたモンテーニュへの『欠陥は大きい』といった批判めいた言葉には逆に【等身大の人間性を感じさせられ安堵させられる】のですが。。いずれにしろデカルトの『方法序説』理性重視、合理主義に警鐘を鳴らしているこの遺稿集から影響を受けて【人間の経験や感情を社会的な根本的な要素、構造と考える】ニーチェやベルクソン、サルトルにまたつながっていったのか。と考えると、そちらも何とも感慨深く思ったり。
人間とは何か。を真剣に考えたい誰か、39歳で若くして亡くなった天才に刺激を受けたい人にもオススメ。
個人的には、1897年ブランシュヴィック版を前田陽一、由木康訳を今回手にとりましたが。何しろ本人の意図が不明なままの遺稿集なので【前半は人間について、後半はキリスト教について】まとめられているとはいえ、ある意味【本はね、ただ文字を読むんじゃない。自分の感覚を調整するためのツールでもある】(PSYCHO-PASS)と、その日の気分で好きなページをめくる楽しみ方も読者が許される本書。
とはいえ圧倒されるのは、冒頭紹介の文章以外では『クレオパトラの鼻。それがもっと短かったなら、大地の全表面は変わっていただろう』も有名ですが。"脱魔術"科学が著しく進歩し、キリスト教に基づく世界観が宗教改革などで揺らいだ時代が背景にあるからこそか『パスカルの定理』やシェアリングエコノミー先取り『5ソルの馬車』と幅広く活躍した不世出の天才による【深く鋭く人間を考察した名言】がどのページにも溢れている事だ。(今でも内容が全く時代を感じさせないことも凄まじい)
一方で、そんな中で時折出てくる同時代の先輩、デカルトへの『役立たずであやふや』や影響を受けたモンテーニュへの『欠陥は大きい』といった批判めいた言葉には逆に【等身大の人間性を感じさせられ安堵させられる】のですが。。いずれにしろデカルトの『方法序説』理性重視、合理主義に警鐘を鳴らしているこの遺稿集から影響を受けて【人間の経験や感情を社会的な根本的な要素、構造と考える】ニーチェやベルクソン、サルトルにまたつながっていったのか。と考えると、そちらも何とも感慨深く思ったり。
人間とは何か。を真剣に考えたい誰か、39歳で若くして亡くなった天才に刺激を受けたい人にもオススメ。
2018年8月19日に日本でレビュー済み
書店の棚でふと眼界に入り、故小林秀雄氏のエッセイが収載されている事と、
TV番組「100分de名著」に於いて鹿島茂氏の解説で取り上げられていたことから購入。
ブレーズ・パスカルBlaise Pascal著『パンセPensées』へ繋げてくれた、訳者故前田陽一氏も合わせて、
三人の日本人は共に東京(帝国)大学仏文科卒業ということも
興味深く、この名著を読む推進力となりました。
今でこそ、小林秀雄氏の著作を愛読していますが、かつて大学受験の際、
模試や過去問でこの頻出作家は、私には隘路となり、
受験科目の中で高スコアが出せた国語科評論の分野で、
当時の私の読解力では難解だったため、失点を免れないことでも際立った評論家でした。
嗜好も変われば変わるものです。
“彼女はもはや同じではないので、彼だって同じではない。”(『パンセ』第2章123より,98頁)
翻訳を故前田陽一氏が務めていることも、私には嬉しい邂逅であり、
令妹の故神谷美恵子女史による著作中の言葉に、
生きる活力を与えてもらい蘇生した私には、
彼女が翻訳した、
マルクス・アウレリウスMarcus Aurelius Antoninus著『自省録Τὰ εἰς ἑαυτόν』
と比較することも楽しかったのです。
パスカルをはっきりと知ったのは、息子の高校倫理の教科書からでした。
しかも「パスカルの原理」の物理学者と同一人物であると知ったのは、
本書を手にしてからです。倫理の教科書を読み直すと、
“パスカルは、「パスカルの原理」でもよく知られているように、
若くして数学、物理学の領域で業績をあげた人物である。”
と明記されているにも関わらずです。
フランス文学史上で、人間性探求を断章形式で著わした、
「風俗習慣」を原義とするmoral、モラリストmoralistesと呼ばれる人々の代表的思想家パスカルは、
私がイメージしていたフランス的な精神構造を感じさせる文章を呈する一人でした。
思想家ですから、正に当然と言えば当然。
しかし、この「フランス的な」という感覚はどんな要素を包含するものでしょうか。
日頃、古典を読む時は常に普遍性を強く感じるものの、
この『パンセ』には時代性を強く感じました。
例えば、モリエールMolièreの舞台を鑑賞する際は、フランス的な台詞にも関わらず、
時代や国を超える普遍性に首肯し、励まされ、力づけてもらいます。
この『パンセ』、普遍性より時代性を強く感じさせるのは、
原稿が未整理で編集前に著者が亡くなってしまっていることも、
関係しているかもしれません。
もし、パスカル本人が上梓していれば、文章や言い回しにも推敲の洗練により、
より完成度の高いものが出版されたと存じます。
通読するという意志を持ったからではなく、読み飽きることがなかった本書。
しかし、私には共鳴する箇所が少ない点も、『パンセ』の個性でした。
読む際、日本の思想家より親和性がよいのは私の尊属の職業からで、
内容においては不明瞭で意味が読みとれないものも少なからずありました。
確率論の論理からなる、所謂“パスカルの賭け”という「第3章賭けの必要性 233節」は、
その論理構造を知らないと味わえません。読み過ごしてしまうのです。
読解に苦労するものが散見することも否めません。
端的に言えば、彼の片言隻句を書き留めたものから編集されているからかもしれません。
時代思潮が変わって行く中で、著述の主目的とは言え、
キリスト教義とその周辺との関わりに於ける格闘の痕跡とも感じられます。
キリスト教信者でも研究者でもない現代人で一般読者の私が読むと、
無理がある論も見受けられます。
思索した言葉のメモの集積という点で同様の、
先に挙げたマルクス・アウレリウス著『自省録』と比較すると、
マルクス・アウレリウス帝は哲学者でもあり、臨戦態勢下で記したこともあるからか、
簡潔で完結した言葉が並び、心身の深奥に瞬時に浸透していく至言が多数あります。
ローマ皇帝という重責、多数の生死に関わる状況で、
常に迅速な判断を求められた人生であったことを
名実ともに裏付け、読者に体感させる著作であることが窺えます。
有名な、<人間は「考える葦である」>よりも、共感した思惟。
“人を有益にたしなめ、その人にまちがっていることを示してやるには、
彼がその物事をどの方面から眺めているかに注意しなければならない。
なぜなら、それは通常、その方面からは真なのであるから。
そしてそれが真であることを彼に認めてやり、
そのかわり、それがそこから誤っている他の方面を見せてやるのだ。”
(『パンセ』第1章9,14頁)
読み進めていくうちに、関心の持続と食傷しない内容に惹かれ、
息子の高校倫理の教科書を、合理的精神の確立から読み直しました。
宗教改革Protestant Reformation後のスコラ哲学scholasticismにかわる科学革命Scientific Revolution、
ベーコンFrancis Bacon, Baron Verulam and Viscount St. Albansからパスカルまでの範囲を再読し、
理解を深める良い機縁となりました。
教科書と著作を読む両輪で、漸く血肉になっていくことは当然のことで、
教科書の真価を再認識しました。
MAK演奏による『フランスのパルナッソス山LE PARNASSE FRANÇAIS 』を聴きながら通読。
仏作文の教科書を上梓した言語学者だった故実父と
油彩を専攻し美術教師だった故実祖父を追想、
ブレーズ・パスカルBlaise Pascalの祥月命日(1662年)に。
TV番組「100分de名著」に於いて鹿島茂氏の解説で取り上げられていたことから購入。
ブレーズ・パスカルBlaise Pascal著『パンセPensées』へ繋げてくれた、訳者故前田陽一氏も合わせて、
三人の日本人は共に東京(帝国)大学仏文科卒業ということも
興味深く、この名著を読む推進力となりました。
今でこそ、小林秀雄氏の著作を愛読していますが、かつて大学受験の際、
模試や過去問でこの頻出作家は、私には隘路となり、
受験科目の中で高スコアが出せた国語科評論の分野で、
当時の私の読解力では難解だったため、失点を免れないことでも際立った評論家でした。
嗜好も変われば変わるものです。
“彼女はもはや同じではないので、彼だって同じではない。”(『パンセ』第2章123より,98頁)
翻訳を故前田陽一氏が務めていることも、私には嬉しい邂逅であり、
令妹の故神谷美恵子女史による著作中の言葉に、
生きる活力を与えてもらい蘇生した私には、
彼女が翻訳した、
マルクス・アウレリウスMarcus Aurelius Antoninus著『自省録Τὰ εἰς ἑαυτόν』
と比較することも楽しかったのです。
パスカルをはっきりと知ったのは、息子の高校倫理の教科書からでした。
しかも「パスカルの原理」の物理学者と同一人物であると知ったのは、
本書を手にしてからです。倫理の教科書を読み直すと、
“パスカルは、「パスカルの原理」でもよく知られているように、
若くして数学、物理学の領域で業績をあげた人物である。”
と明記されているにも関わらずです。
フランス文学史上で、人間性探求を断章形式で著わした、
「風俗習慣」を原義とするmoral、モラリストmoralistesと呼ばれる人々の代表的思想家パスカルは、
私がイメージしていたフランス的な精神構造を感じさせる文章を呈する一人でした。
思想家ですから、正に当然と言えば当然。
しかし、この「フランス的な」という感覚はどんな要素を包含するものでしょうか。
日頃、古典を読む時は常に普遍性を強く感じるものの、
この『パンセ』には時代性を強く感じました。
例えば、モリエールMolièreの舞台を鑑賞する際は、フランス的な台詞にも関わらず、
時代や国を超える普遍性に首肯し、励まされ、力づけてもらいます。
この『パンセ』、普遍性より時代性を強く感じさせるのは、
原稿が未整理で編集前に著者が亡くなってしまっていることも、
関係しているかもしれません。
もし、パスカル本人が上梓していれば、文章や言い回しにも推敲の洗練により、
より完成度の高いものが出版されたと存じます。
通読するという意志を持ったからではなく、読み飽きることがなかった本書。
しかし、私には共鳴する箇所が少ない点も、『パンセ』の個性でした。
読む際、日本の思想家より親和性がよいのは私の尊属の職業からで、
内容においては不明瞭で意味が読みとれないものも少なからずありました。
確率論の論理からなる、所謂“パスカルの賭け”という「第3章賭けの必要性 233節」は、
その論理構造を知らないと味わえません。読み過ごしてしまうのです。
読解に苦労するものが散見することも否めません。
端的に言えば、彼の片言隻句を書き留めたものから編集されているからかもしれません。
時代思潮が変わって行く中で、著述の主目的とは言え、
キリスト教義とその周辺との関わりに於ける格闘の痕跡とも感じられます。
キリスト教信者でも研究者でもない現代人で一般読者の私が読むと、
無理がある論も見受けられます。
思索した言葉のメモの集積という点で同様の、
先に挙げたマルクス・アウレリウス著『自省録』と比較すると、
マルクス・アウレリウス帝は哲学者でもあり、臨戦態勢下で記したこともあるからか、
簡潔で完結した言葉が並び、心身の深奥に瞬時に浸透していく至言が多数あります。
ローマ皇帝という重責、多数の生死に関わる状況で、
常に迅速な判断を求められた人生であったことを
名実ともに裏付け、読者に体感させる著作であることが窺えます。
有名な、<人間は「考える葦である」>よりも、共感した思惟。
“人を有益にたしなめ、その人にまちがっていることを示してやるには、
彼がその物事をどの方面から眺めているかに注意しなければならない。
なぜなら、それは通常、その方面からは真なのであるから。
そしてそれが真であることを彼に認めてやり、
そのかわり、それがそこから誤っている他の方面を見せてやるのだ。”
(『パンセ』第1章9,14頁)
読み進めていくうちに、関心の持続と食傷しない内容に惹かれ、
息子の高校倫理の教科書を、合理的精神の確立から読み直しました。
宗教改革Protestant Reformation後のスコラ哲学scholasticismにかわる科学革命Scientific Revolution、
ベーコンFrancis Bacon, Baron Verulam and Viscount St. Albansからパスカルまでの範囲を再読し、
理解を深める良い機縁となりました。
教科書と著作を読む両輪で、漸く血肉になっていくことは当然のことで、
教科書の真価を再認識しました。
MAK演奏による『フランスのパルナッソス山LE PARNASSE FRANÇAIS 』を聴きながら通読。
仏作文の教科書を上梓した言語学者だった故実父と
油彩を専攻し美術教師だった故実祖父を追想、
ブレーズ・パスカルBlaise Pascalの祥月命日(1662年)に。
2020年2月15日に日本でレビュー済み
順番は気にせず目を引かれたところを読めます。
読み進み次第またレビューしたいです。
読み進み次第またレビューしたいです。