本書、鹿島茂著『パリの異邦人』という本については、著者「あとがき」から記したほうが本書の内容を簡潔に語っているので下の・・・内にその一部を転載してみたい。
・・・パリというのは、どうやら触媒都市であるらしい。<中略>
すなわち、パリは、そこにやってくる異邦人(エトランゼ)に対して、何らかの影響を及ぼそうともせず、また影響を与えられることもない。つまり、まったく変わらないのである。
それは、パリには2000年以上も続く「伝統」というものがあるからだ。
その伝統のおかげで、パリジャンは少しも変わらなくてすんだし、その無変化ゆえに、パリジャンは異邦人をなんらロマンチックな気分も、感傷もなく、あるがままの事実として、ある意味無関心に受け入れることができた。それは、異邦人が異邦人のままでいることを許しているということであった。
ところが、この二つの事実、つまり、「パリジャンは変わらない」と「異邦人は異邦人のままでいることを許す」という事実のおかげで、異邦人は自らを見つめ、自らを変容させ、そして、そこから新しいものを創り出すことができるようになったのだ。
これぞ、触媒的パラドックスである。
この意味で、異邦人が大量にパリにやってきて、「モダン」なるものを創造した20世紀前半のパリほど興味深いスポットはない。<後文略>・・・
本書は、このようにパリに来た異邦人たち八人を選んで、パリという街を触媒として彼ら異邦人が創造した小説をとりあげて著者ならの視点で解説している本である。
本を開き、いきなりリルケと目にはいり評者は、これは評者の手に余る本ではないだろうかと、戸惑ってしまったのである。
最初のページでは、パリに思いを馳せる文人たちの解説から始め、「陽パリ派」「陰パリ派」と、二つに区分けすることを説いているが、評者の感想を下に短く書いてみた。
リルケ・・・『マルテの手記』
リルケがパリでの自身の生活を題材にして書いた小説である。
貧乏で不安に苛まれる主人公マルテは、若さゆえの「落魄の気分」を見事に描写していると著者は考察している。
マルテが住んでいた街区や安宿や彼の心理の奥底を探りながら著者の考察が語られていくが、リルケの日記ではなくあくまでフィクションの世界でマルテが苦悩する姿を自身に投影しながら描いている。
著者が、この小説を解りやすく解説していたから、この小説を読んでいない評者なのに、『マルテの手記』を読んだような気分を味わうことができた。
ヘミングウェイ・・・『移動祝祭日』
ヘミングウェイの小説なら少しは読んだことがあるが、この『移動祝祭日』は読んだことがない。
というより、著者が本書でとりあげている小説を一冊も読んだことがないから、それならそれでいいと居直って本書を読むことにした。
『移動祝祭日』は、ヘミングウェイが第一次大戦後パリで結婚したころのパリの思い出話として書かれた小説である。
貧乏暮らしなのに、ヘミングウェイは一瞬としてパリを切り取って捉えることの連続が、この移動祝祭日という言葉で表現している、と著者は解説しているように評者は読みとったのです。
貸本屋兼新刊書店「シェクスピア書店」の店主シルヴィア・ビーチの好意などの挿話は感動的ともいえるようなエピソードである。
店主のシルヴィア・ビーチとの関係は、ガードルード・スタインの章でも驚かされることになるのだが・・・。
ジョージ・オーウェル・・・『パリ・ロンドンどん底生活』
恵まれた生活を捨てて自ら貧乏暮らしへ身を投げだす「わたし=オーウェル」を、著者は「自分探しの旅」と表現していた。
評者にはそんな生易しいものではないのでは、と、「わたし」のパリどん底生活を読んだのです(ドーバーを超えれば元の生活があるといえども)。
この章の最後で著者が「オーウェルは、パリでこの貧乏ゆえに生まれる明るさを発見することで、禁欲生活に基づく資本主義的労働の欺瞞性に気付くことになる。マルクスとは違った意味において。」と、終えていたのが印象的であった。
ヨーゼフ・ロート・・・『聖なる酔っぱらいの伝説』
評者は、この小説が映画化されたものを観た記憶であるが、残念ながら小説は読んではいない。
映画の内容もおぼろげであったので本書の解説であらためて物語を思い出すことができた。
パリのホームレスでも異邦人(オーストリア)のアンドレアスには誇りがあり、何度も奇跡に恵まれるという大人のおとぎ話である。
この物語を、著者の解説が秀逸なのでこの小説を読んだような気分を味わうことができました。
ヘンリー・ミラー・・・『北海帰線』
評者の好みではないと思いこんでいた作家の登場である。
ポルノ小説すれすれの文学作品としか思えないが、著者は懇切丁寧に、この小説を熱っぽく解説している。
ヨーゼフ・ロートの小説は、なにかよさそうなものを選んで読んでみたいと思ったのだが、評者は、ミラーのものは遠慮したい。
アナイス・ニン・・・『アナイス・ニンの日記』
アナイス・ニンがヘンリー・ミラーと出会うことから、『日記』が小説として世に出ることになる。
が、ミラーとニンが不倫関係になってゆく過程を著者は解説している。
ミラーの妻、そしてニンの夫と・・・めくるめくよな関係にはついていくことができない。
エリザベス・ボウエン・・・『パリの家』
十一歳の少女ヘンリエッタがイギリスからパリ北駅に朝早く着いてから、その日の夕方までパリの知り合いのフィッシャー家に時間を過ごすことを描写している。
母を亡くしたヘンリエッタは、南仏のマントンに住む祖母に引き取られて行くのだが、汽車乗り継ぎのためパリ北駅に迎えに来ていたフィッシャー嬢とタクシーに乗ってパリの街を走る。
タクシーの窓からヘンリエッタが眺め、パリという街を描写するところが引用されていたが、著者の解説で少女の目線ではなくボウエンの目線であろうと、その描写した文章を読にながら納得したのです。
このフィッシャー家の当主のフィッシャー夫人が、重い病気で明日を.もしれぬ状態ながら、なかなか根性ワルで読みごたえがあった。
鹿島さんの解説だけで、面白い短編小説を一冊読んだ気分でした。
ガートルート・スタイン・・・『パリ フランス 個人的回想』
この人のことをあまりにも知らなかったから、この章は本当に興味深く読んでしまった。
印象派の画家がまだ売れない頃に、その絵を購入したり、ピカソのモデルになったり、などなど名のある芸術家が続々登場してくる(かれらがまだ売れてない頃のことです)。
「彼女がパリで出会った天才、鬼才、異才は、大物だけに限っても大変な数になる」と、鹿島さんも記していたが、とにかく驚きの連続でした。
「シェクスピア書店」の店主シルヴィア・ビーチを介してアーネスト・ヘミングウエイにも出会うことになり、その後、彼に多く影響を与えていたのである。
「彼の原稿を念入りに読み、そして、さまざまな助言を与えた」というエピソードを興味深く読んでしまった。
評者にとって少々高尚だった本書『パリの異邦人』を、なんとか興味深く読み終えました。
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