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バーニング 劇場版(吹替版)

 (190)7.52時間28分2018PG12
小説家を目指すジョンスは、美しくなった幼なじみのヘミと偶然に再会し、ヘミがアフリカ旅行で留守の間、自宅に居るという猫の世話を頼まれる。やがて帰国したヘミは青年ベンを連れていた。裕福な暮らしを送り、日々遊んでいるんだと話す正体不明の男。ある時、ベンはジョンスに自分の秘められた“趣味”を打ち明ける。それは古いビニールハウスを選んで燃やすこと。そしてこの日を境に、ヘミの姿が消えた。電話にも出ずマンションも空で、仕事先にも見つからない。ジョンスはベンを訪ねるが、彼のそばには新しい“彼女”の姿。ジョンスは行方不明のヘミを必死に探す。彼女はいったいどこへ消えたのか--!? ©2018 PinehouseFilm Co., Ltd. All Rights Reserved
レンタル期間は30日間で、一度視聴を開始すると48時間でレンタルが終了します。

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出演
チョン・チャンオクパン・ヘラ
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レビュー

5つ星のうち3.7

190件のグローバルレーティング

  1. 42%のレビュー結果:星5つ
  2. 18%のレビュー結果:星4つ
  3. 18%のレビュー結果:星3つ
  4. 10%のレビュー結果:星2つ
  5. 12%のレビュー結果:星1つ
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Amazon Customer2019/11/03に日本でレビュー済み
5.0/星5つ中
持たざる者たちの無力感と絶望、苦悶の叫びは誰かに届くのか
確認済みの購入
村上春樹による初期の短編『納屋を焼く』の映画化です。監督は『オアシス』『シークレット・サンシャイン』のイ・チャンドン。日本での劇場公開前にはNHKで、劇場版より1時間ていど短く、1時間半ほどに編集した版が放送されました。

最初にイ・チャンドンが村上春樹の小説を映像化すると聞いたとき、両者が創造する世界が自分の頭のなかでまったく結びつかず、それだけで驚きでした。観る前は原作の設定だけ借りてきて、まったく別物にするんだろうとタカをくくってもいました。
ですが本作を観て、村上春樹の世界だけでなく、村上がタイトルを借用したW.フォークナーの短編『納屋を焼く』の世界さえも溶け込ませながら、結局のところイ・チャンドン独自としか言えない世界に染め上げてしまった力量に感嘆しました(フォークナーの短編は翻訳によっては『納屋は燃える』。ただし村上自身は、原作執筆時にフォークナーの短編を読んでいなかったという趣旨の発言をしているらしい)。

アルバイトで生計を立てながら小説家を目指す主人公ジョンスは、あるとき幼馴染でフリーターのヘミと再会し、仲良くなる。その後すぐヘミは北アフリカに旅行に行き、現地で知り合ったというベンをジョンスに紹介する。ベンは職業不明であるものの裕福な様子。三人で会ううち、ジョンスは、ベンから「ビニールハウスを焼く」(原作では「納屋を焼く」)のが趣味だと告白され、一方で、ヘミと連絡がつかなくなってしまう…。以上が本作のあらすじです。

劇中の人物たちの多くは、不条理でつらい現実に向き合うことができません。それを暗示するのが、ヒロインであるヘミの習い事パントマイム。パントマイムとは、ないものをあるように見せかけるテクニックです。
ヘミは主人公にパントマイムで「蜜柑むき」を披露しながら、「蜜柑があると思い込むのではなく、蜜柑がないことを忘れればいい」とコツを語る。蜜柑を持っているという〈幻想〉を成り立たせるには、蜜柑を持っていないという〈現実〉を忘れてしまえばいい。クレジットカードがあれば、お金がなくても、あたかもお金を持っているかのようにモノを買えてるのだから。そんな考えゆえ、彼女は幻想に足元をすくわれてしまうとも受け取れます。

主人公ジョンスも小説家を目指していると言いながら、じっさいに小説を書く姿はほとんどありません。〈あるべき自分〉という幻想に甘え、「小説家志望」という夢を宙吊りにしたまま、現実と向き合わず、結論を先送りし、モラトリアムに浸る。
彼の父親も自尊心にすがるだけで、社会生活を営む能力が著しく欠けています。久しぶりに再会した母親でさえ、目の前の息子よりもスマホの画面に夢中です。

〈近代〉とは、個々人が生まれや育ちと関係なく己がなすべきことをなすよう啓蒙し、合理化と功利主義のもと地縁と血縁にもとづく共同体を解体した時代。そう仮定すれば、本作の主人公やヒロインたちは、まさしく〈近代〉が生み落としておきながら、放り出し、黙殺してきた亡霊だと言えるでしょう。
彼らが〈自己実現〉という幻想に踊らされ、〈生きる意味〉を求めて〈あるべき自分〉になろうと故郷を捨てたいいが、何者にもなれず疲れ切り、いざ帰ろうとしても、戻るべき故郷はすっかり様変わりした後。あるいは、もう存在すらしていないかもしれない。取り残されるのは、なすべきことも見つからぬまま、よるべなくさまよう人ばかり。都市と地方の対比により、そのことが惨たらしく印象づけられています。

おそらく矛盾や欺瞞に満ちた現代社会を怜悧に見つめ、悟っているのが、ベン。彼は世の不条理を「雨が降り、川が溢れ、人が押し流される」ように自然現象と同じとみなす。だからこそ現実との摩擦や葛藤に苦しむことはない。
またベンは「ギャツビー」のように仕事の実態は曖昧なまま、優雅な生活を送り、気ままに生きる。彼はヒロインの抱える虚無感を見抜き、それに(パントマイムとは反対に)まるで錬金術のように「石」という具体的な形を与えることで取り出し、一時的な癒しをもたらす。しかしそれも甘く儚い幻にすぎません。

劇場版もNHK放送版も物語の前半は、現代韓国の現状を背景にして、持たざる男女ふたりと持てる男ひとりの奇妙な三角関係が、毒のあるユーモアを交えて描かれます。とくに、自分が好意を寄せる異性の前で、自分と比べものにならないほど格上の同性と並んでしまったとき、主人公が見せる卑屈さと哀れさと滑稽さ。身につまされて、苦い笑いがこみ上げてきました。

NHK放送版は原作とあらすじもほぼ同じで、物語の終わりは未決のまま。ですが、劇場版の後半には独自のサスペンス・ミステリー風の展開が用意されています。大胆に見えながら、じつはかなり的確なアレンジと言えるでしょう。「女の失踪」という村上作品によく見られるモチーフに明らかなように、とくに初期作品において村上がハードボイルド小説の影響を色濃く受けているからです。
主人公は取り憑かれたように〈真実〉を探ろうとするうち、パラノイアじみた衝動に支配されていきます。ほぼ主人公の視点で進むのですが、しまいに妄想が入り混じり、主人公の客観性が揺らいでくため、観客もまた惑わされざるをえません。

原作では「納屋を焼く」ことが、じっさいにやっている行為なのか、それとも、ある行為のメタファーなのか、最後まで明言されません。劇中でも「ビニールハウスを焼く」ことが、どちらなのか最後まで明示されませんが、限りなく後者として読み取れるよう描いています。
それでもやはり最後の一線は越えず、一義的な解釈をさせてはくれません。ふだん私たちが現実で思い知らされているように、〈真実〉は眼の端にわずかに捉えたかと思いきや、瞬く間に姿を消してしまいます。それが実像なのか虚像なのか、主人公の最終的な決断にいたるまで判然とはしません。

ところで、フォークナーの『納屋を焼く』において描かれたのは、貧富の差や階級の対立を背景にした、父親や社会体制という〈父性〉の抑圧と呪縛、それらへの反発でした。「納屋」とは〈農耕〉的な富の蓄積の象徴です。
つまり「納屋を焼く」こと、持たざる者が持てる者に対して行う富の破壊は、ルサンチマンにもとづく、不公平な社会に対するテロリズムです。しかし、たとえ社会の不公平さに対する憤りだからといって暴力が許されるのか。感情とモラルの対立、葛藤が突きつけられました。

他方で、村上の『納屋を焼く』では、「納屋」とは、なくなっても誰も困らず悲しまないものを表しますが、「納屋を焼く」ことの実態は明言されません。もし村上がフォークナーの文脈を反転させて引き継いだと考えるなら、持てる者が持たざる者を食い物にする行為、あるいは余剰にあふれた高度資本主義社会において余剰分を蕩尽する行為、と読み取ることはできるかもしれません(資本主義経済において消費される〈商品〉として〈女性〉を見立てる手法は、村上が好むゴダールがよく使う手法。本作冒頭でも〈女性〉を〈景品〉と等価にならべる社会の歪みをほのめかしています)。
けれど重要なのはむしろ、実態の不明瞭さそのもの。そこに私たちが住む社会に潜む不可解さ、〈他者〉に対する本質的な理解し難さが浮き彫りにされるからです。それが村上が描く「納屋を焼く」行為の恐ろしさでした。

本作ではそれらふたつの『納屋を焼く』を巧妙に混交します。村上の寓話性を残しながら、(村上がしばしば陥りがちな)〈寓話〉という抽象性に逃げ込むことはせず、フォークナーの泥臭いリアリズムを交錯させるのです。そしてグローバリズム、不況、格差、女性差別、南北問題など、現在の韓国が抱える不条理や矛盾の一端として「納屋を焼く」行為を捉えます。こんな芸当ができるのは、イ・チャンドンをおいて他にはいないのではないでしょうか。
くわえて「井戸」「猫」といった村上作品おなじみのモチーフを引用しつつ、それらを単なる目配せだけに終わらせず、虚実の皮膜を揺さぶる仕掛けとして使うのも秀逸でした。この辺りは村上春樹の熱心な読者でなければ思いつかない着想なので、共同脚本家の手腕もあったのかもしれません(他にも、「石」をめぐるエピソードは村上の短編『タイランド』からの引用に思われますし、『スプートニクの恋人』の会話に似たセリフがあったりします)。

息を呑むのが、物語の中盤、暴力的なまでに美しく、それゆえ悲愴ですらある夕日のシーン。〈生きる意味〉を欲して踊り出すヒロインの肢体のしなやかさと優美さ。日が地平線に没しゆく束の間、光と闇のあわいに生まれる荘厳さと神秘性。
その対照はあまりに残酷です。人間に認識されることではじめて〈美〉がそこに成立するのと同時に、沈みゆく太陽という自然現象は、人間の想いや営みなんて顧みることなどなく、淡々と流れ過ぎていくのだと気づかされるからです。明暗が反転するポイント・オブ・ノーリターン直前の、破局の予感が濃厚ににじむ圧倒的なシーンでした。

スリリングでメランコリックな音楽に支えられて、決定的な出来事は最後の最後まで画面上には映し出されないにもかかわらず(しかもそれさえ虚実どちらにも解釈できる余地が残されている)、物語全体が不穏で不気味な緊張感につつまれています。そのなかで主人公は明るい社会、未来を思い描くことができず、ただ鬱々として押し黙るしかできません。
その姿は韓国だけでなく、普遍性をもち、軋みをあげる現代社会のなかで圧殺され、〈声〉すら奪われた持たざる者たちの無力感と絶望、誰にも聞かれることのない苦悶の叫びと重なります。最後に主人公がはじめて〈声〉をあげるとき、すなわち彼自身の物語を語るため小説を執筆するとき、物語はどこへ向かうのか。果たしてその意味するところは何なのか。観終わった後ずっと反芻してしまう作品でした。

※映像特典のメイキングは合わせて7、8分ほどしかありません。
162人のお客様がこれが役に立ったと考えています
hhhhhhh2020/12/26に日本でレビュー済み
2.0/星5つ中
くだらねぇ~
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映像の質感はリッチだから濃い映画を見た気にはなれるけど、それだけかなぁ。ウォーキングデッド。

話の内容は無いようなもんで、
貧乏人の主人公がが彼女を金持ちに取られて
その格差をまざまざと見せつけられながら
どうやら彼女がその金持ちに殺されたかもと思って
いろいろ匂わせるものの確証は明示されないまま
最後その金持ちを殺して終わり。ウォーキングデッド。

映画のストーリーなんて要約すればどれもまぁそんなものといえばそんなものだけど、
結局映画って、観ながらとか観た後にこっちがどういう感情になるかが私にとっては重要。
この映画を見て生じた感情は、ウォーキングデッド

・勝ち組腹立つわぁ~(今だ何もなせない自分を主人公に重ねながら)。
・最後その金持ち○したものの、更に人生終わる貧乏人の主人公、あぁーあやっちゃった。

それだけ。
凄い映像に感動!ってこともなく、
新しい感情、新しい世界の見方を発見できた!
ってわけでもなく、なーんも受け取るものがない。ウォーキングデッド。
普通に普段からある胸糞悪い気分を押し付けられただけ。ウォーキングデッド。
ありきたりな話の説明を間引いて思わせぶりにしただけで、それの何が評価ポイントなのか。

つうかずっと頭の中にウォーキングデッドって出てくるわ!
俳優って誰でも知ってるような役を演じてしまうと、その後大変だねなんか。
12人のお客様がこれが役に立ったと考えています
meshiwan2019/09/25に日本でレビュー済み
5.0/星5つ中
原作は村上春樹。夕闇のパフォーマンスシーンは何とも印象的。
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2019年の日本での劇場公開に先駆け、
2018年末にNHKBSでテレビ放送された本作(ショートバージョン)を偶然視聴し、
その劇中の不思議な空気感に魅了されました。

韓国制作の映画ですが、原作が村上春樹さんとのこと。
この物語の出来事を文章で読むとどんな感じになのか…
確かに気にはなるのですが、
先行して出会ってしまった魅惑の映像の世界観を揺がせにしたくない一心から
未だ原作には手を付けておりません。

何かフワリと謎めいたままエンディングをむかえるテレビ放映版に対し、
劇場版は未放送の終盤展開がガッツリと描かれています。
明確な説明はされていないものの、
いくつかの謎に対し、真相を推測し得るシーンが多々描かれています。

双方ともご覧になられた方のなかには、
「ひとつの結末が示された劇場版に乾杯!」というご意見と、
「テレビ版の、あの曖昧で謎めいた納め方がなかなか良いではないか」というご意見が
それぞれお有りではないでしょうか?
ソフト発売の一報を知った瞬間、
「特典映像でテレビ放映版も収録されてますように!」と祈ったのは
私だけではないと思います(結果は残念でしたが)。

劇中、印象深いシーンが沢山にありましたが、
主要登場人物たちが夕暮れの庭先に集い(パッケージのジャケットにある場面)、
ヒロインがひとり、夕闇の中で裸体となってパフォーマンスするシーンは
何とも印象的な名シーンでした…。
19人のお客様がこれが役に立ったと考えています
NININ2020/05/17に日本でレビュー済み
4.0/星5つ中
すべてはメタファー
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シュレーディンガーの猫は果たして存在したのか?

ビニールハウスは本当に燃やしたのか?

井戸はあったのか?

ヘミは本当に元のヘミなのか?

様々な考察が可能な心理サスペンスであり答えはなく、探す過程に意味のある作品。

一見どうでも良いような事柄が、とても重要な意味を持っていて万華鏡のように様々な解釈がもたらされる。

部屋に差し込む光。
高いタワーを見て行う自慰行為。
生け贄のように入れ替わる女の子。
女のための国がない、と語る女性。

持つ者と持たざる者の話なのだが、話のキッカケとなるシュレーディンガーの猫で例えるなら、これは箱の中身は分からない、という話だ。

つまり我々は主人公と同様に様々な解釈と予想をするが、そもそも全てが妄想に過ぎない。そして真実は全て主観による解釈なため、事実は明示されない。

故に、主人公は己自身と戦っていたことになる。最初にパントマイムで「そこにあるかの如く演じるには、『ない』ということを忘れれば良い」という言葉そのままに。

主人公、というより私たちは何を持っていないと想像していたのだろう。

ずっと真相を探していたのに、問いかけられていたのは我々である。

我々の箱の中身には何が入っている?
17人のお客様がこれが役に立ったと考えています
ざじお2020/07/10に日本でレビュー済み
5.0/星5つ中
評判が良くないと聞いていたので
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期待しないで見ましたが、とても面白かったです。特にユ・アインがいい。やっぱりユ・アインはいい。彼の演技はうまい下手の前に感動的だと思うのですが…どうでしょう。

皆さんのレビューを拝見していると、映画ファンというより、村上春樹さんのファンの方々が多いのかな?という印象でした。私は村上春樹さんの本は、「ノルウェイの森」しか読んだ事がなく、しかも何がいいのかチンプンカンプンだった無粋な人間なのですが、この映画を見て、逆に村上春樹さんの世界観がちょっとわかったような気がしました。
10人のお客様がこれが役に立ったと考えています
桃太郎侍2020/12/20に日本でレビュー済み
2.0/星5つ中
村上春樹ファンが評価を底上げ?
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シカゴ・タイプライターのユ・アインが主演。
ユ・アインの情けなくて覇気のない男の演技と並び、
スティーヴン・ユァンの不気味で危険な空気感を漂わせた演技も良かった。

しかしながら肝心のストーリーの方は、
陰鬱でグダグダで、着地点の見えない話だったので
「なぜ、こんなに高評価だったのだろう?」と不思議に思ったが、
途中で原作が村上春樹だと気づき納得。
村上春樹ファンが評価を底上げしたせいなんだろうな。
アンチ村上春樹には時間泥棒とも思える駄作。

女友達の失踪という謎に明確な答えがなく、伏線の回収など、どこ吹く風なスタイルが、村上春樹流なのだろうけど、
この映画では、
シュールながらも、そんな箸にも棒にもかからないストーリーに、それなりの回答と形ある結末を与えている。
それにリアリティのある閉塞感もよく表現されている。
4人のお客様がこれが役に立ったと考えています
fuji2020/08/15に日本でレビュー済み
1.0/星5つ中
後味悪くつまらなく時間の無駄
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レビューにつられて見たがどこが美しいのやら。
書いてる方もいたが、ツバはいたりいろいろ醜悪。

最期もはっきりしないままいきなりあれはないだろう。
すぐ服脱ぐしなんか絵として気持ちが悪い。
作品としても何が面白いんだかわからない。

ここ数年でもっとも気分が悪く見終わるランキング入りだった。
6人のお客様がこれが役に立ったと考えています
Amazon カスタマー2019/08/13に日本でレビュー済み
2.0/星5つ中
韓国サスペンスの『想像を絶するラストに!』にはもう騙されないという教訓。
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ラスト... 全然想像を絶しなかった...... 村上春樹の初期の作品というのもあるが、韓国の最近の人たちに多い「自分探し」ブームは実際に韓国人の友人が何人かいたので分かるのだけど、日本はそういうブームが20年、30年前に結構終わっていて文化や政治的背景も異なることから仕方ないと思うのと、それは国自体に余裕が出てきたという証だろうからどっちが良い悪いではなく、俯瞰的にみると自分探しという現実逃避で大人になってもエヴァンゲリオンごっこをする時間ができるほどに国が発展し始めたのは良かった。(と応援の気持ちあり) 映画としては予告編でのキャッチフレーズとは反し、想像は全く絶されなかったラストだったのでお金返して欲しい気持ちだけが渦巻くエンドロール。 劇中の韓国の”ギャッツビー”は若いのに社会にも貢献できない、したくもない、友達にも家族にも飽きられてしまい自己中な絶望論を吐露しまくるだけで本物の絶望を知らないただの自分だけが不幸な気分のナルシストのつまらない若い女子たちへ最期にこれが絶望!を見せた後、ただつまらない人間のままで終わりにさせないよう、人身売買→臓器売買=(生きたいのに生きることが物理的にギリギリな人を救う)結果殺人を犯してでも社会に貢献もさせてあげ、一石二鳥で稼いだお金で美味しいものを作って神様(劇中のギャッツビー自身)に食べさせる(お供えする)。ここまで行きすぎると本物の傲慢犯罪者野郎で実際は神からは程遠いが.....。 韓国ならではの人権問題や犯罪、社会問題もテーマに含まれているだろうが、その部分を上手く演じきれるもっといい俳優陣いっぱいいるのにと残念な気持ちと、正直この韓国の”ギャッツビー”の気持ちに自分は近いのでアンニュイ感にはあくびが出るな。どん底を知らないのは子供だけで良いよ!20歳超えても自堕落ナルシストちゃんたちの面倒はみきれないよ! ということで、これはサスペンスというより、ヒューマンドラマにカテゴライズしてください。 韓国サスペンスの『衝撃のラスト!』に今まで全部騙され続けてきたので、これで『衝撃のラスト!』云々という文言自体にこっちがラスト! 韓国サスペンスはもうネタなさそうなのでこれからは観ない。
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