柴田元幸さんが語る「ハックルベリー・フィンとトランプ大統領の共通点」
ハックルベリー・フィンはどれくらい漢字が書けるか? そんな奇問を考え抜いた柴田元幸さん。結果、〈「険」は無理でも「冒」は(横棒が一本足りないくらいのことはありそうだが)書けそうな気がする〉と、アメリカ文学の金字塔は新たな訳題で生まれ変わった。
「原文での綴り間違いなどを日本語に移すなら漢字が書けるかどうかに相当するんじゃないかと思い、ハックの語り口に寄り添って一語ずつ考えていきました」
こんな具合だ。〈すこしは文しょうも書けたし、九九(くく)も六七(ろくしち)=三十五まで言えたけど(中略)どのみちさんすうなんてキョウミない〉
カタカナや傍点を駆使した文章はかなり独特ながらも読みやすい、絶妙なバランスを保っている。
「この小説の最大の魅力はハックの“声"の伸びやかさなので、それを活かす訳文を目指しました。少年の語り口がこれほど自然でしなやかな小説は滅多にない。少年小説の原点であり、現代に至るまでベストの一作でもあります」
柴田さんが「今こそ読んでほしい」と思うのには、もうひとつ意外な理由が。
「ハックの態度に一貫している脱権威、脱知性というのは自由を尊ぶアメリカの真髄です。彼はどんな時も自分が正しいと思い込むことなく、手探りで道徳観を作っていく。一から国を造り上げたアメリカの“らしさ"が一番良い形で現れたような小説です。ところがこの脱権威、脱知性こそトランプが言っている事そのものなんです。ハックの精神が一番悪い形をとるとトランプが席巻するアメリカになる。実は表裏一体なんですよね……。悪い形ばかり目を引きがちな今だからこそ、アメリカの真の良さってこれなんだ、と広く読まれればと思います」
1885年に刊行された本作で、ハックは黒人奴隷を逃がすことの是非について葛藤する。当時の規範ではそれは“悪"だからだ。
「ハックは自分を社会の半端者と捉えていて、自分に正義があるなんて一切思わない。そのフラットな目線ゆえの辛辣な風刺も多くて、ある事故の死者が黒人だけと聞いた優しい小母さんが、誰もケガしなくて良かったと言う場面など、こういう無意識の差別は今もあるのでは? と思わされます」
ニガーという語の頻出が差別的と批判されることもあり様々な読解が可能な文学史に残る傑作――などと身構えず、「とにかく面白い。敷居は低くて奥が深い」というこの1冊で“良きアメリカ"に触れてみたい。
評者:八馬祉子
(週刊文春 2018年1月25日号掲載)
著者について
■著 者
マーク・トウェイン(Mark Twain, 1835―1910) アメリカ合衆国の小説家。ミズーリ州フロリダ生まれ、同州ハンニバルで育つ。本名サミュエル・ラングホーン・クレメンズ(Samuel Langhorne Clemens)。西部・南部・中西部の庶民が使う口語を駆使した作品によってその後のアメリカ文学に大きな影響を与えた。『トム・ソーヤーの冒険』(1876年)のほか数多くの小説や随筆を発表、世界各地で講演も行ない、当時最大の著名人の一人となる。無学の少年ハックルベリー・フィン自身の言葉で語られる『ハックルベリー・フィンの冒けん』(イギリス版1884年、アメリカ版1885年)はなかでも傑作とされ、アーネスト・ヘミングウェイは『アフリカの緑の丘』で「今日のアメリカ文学はすべてマーク・トウェインのハックルベリー・フィンという一冊の本から出ている」と評した。
■訳 者
柴田 元幸(しばた もとゆき) 翻訳家、東京大学文学部名誉教授。東京都生まれ。ポール・オースター、レベッカ・ブラウン、スティーヴン・ミルハウザー、スチュアート・ダイベック、スティーヴ・エリクソンなど、現代アメリカ文学を数多く翻訳。2010年、トマス・ピンチョン『メイスン&ディクスン』(新潮社)で日本翻訳文化賞を受賞。マーク・トウェインの翻訳に、『トム・ソーヤーの冒険』『ジム・スマイリーの跳び蛙―マーク・トウェイン傑作選―』(新潮文庫)、最近の翻訳に、ジャック・ロンドン『犬物語』(スイッチ・パブリッシング)やレアード・ハント『ネバーホーム』(朝日新聞出版)、編訳書に、レアード・ハント『英文創作教室 Writing Your Own Stories』(研究社)など。文芸誌『MONKEY』、および英語文芸誌Monkey Business 責任編集。
★2017年、早稲田大学坪内逍遙大賞を受賞。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
トウェイン,マーク
1835‐1910。アメリカ合衆国の小説家。ミズーリ州フロリダ生まれ、同州ハンニバルで育つ。本名サミュエル・ラングホーン・クレメンズ(Samuel Langhorne Clemens)。西部・南部・中西部の庶民が使う口語を駆使した作品によってその後のアメリカ文学に大きな影響を与えた。『トム・ソーヤーの冒険』(1876年)のほか数多くの小説や随筆を発表、世界各地で講演も行ない、当時最大の著名人の一人となる
柴田/元幸
翻訳家、東京大学名誉教授。東京都生まれ。ポール・オースター、レベッカ・ブラウン、スティーヴン・ミルハウザー、スチュアート・ダイベック、スティーヴ・エリクソンなど、現代アメリカ文学を数多く翻訳。2010年、トマス・ピンチョン『メイスン&ディクスン』(新潮社)で日本翻訳文化賞を受賞。文芸誌『MONKEY』、および英語文芸誌Monkey Business責任編集。2017年、早稲田大学坪内逍遙大賞を受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)