この著者の作品に私はこれまで全く興味を持ったことがなかったのですが、なぜかAmazonの「あなたへのおすすめ」に本書が表示されていました。ちょっと気になってあまり考えず購入しましたが、読んでよかったと思います。
標題のネガティブ・ケイパビリティというのは、著者自身の言葉では「〈問題〉を性急に措定せず、生半可な意味づけや知識でもって、未解決の問題にせっかちに帳尻を合わせず、宙ぶらりんの状態を持ちこたえる」能力という意味で、そのための技術的な側面として、特に記憶・理解・欲望を捨てる、ないしは脇に置いておくことがたびたび強調されています。この能力の外的な発現として、他者への共感や親切心などが挙げられています。逆に言えば、親切な人というのはこの能力を潜在的にもっている人ということになるかと思います。
この言葉の原義は、特にシェイクスピアの創作活動に典型的に見られるような、自分を離れて他者になりきり他者を生きるという、文学上の能力を指しているようですが、著者はそれを精神医学や造形芸術、音楽、学術研究、教育、さらに政治や外交にまで当て嵌まる、これまで見過ごされていた応用の広い概念として提示しています。その中でも私は特に教育の場面でのこの能力の意義に大きな可能性と将来性を感じました。教育や教育行政に携わる方にはぜひ本書を手にとって読み、この能力について知って頂きたいと思います。私はとても読みやすく理解しやすい文章だと思いました。
本書ではこのネガティブ・ケイパビリティに対して、ポジティブ・ケイパビリティとして問題解決の能力という概念が対置されています。しかし問題解決能力はそれを使うかどうか、どのように使うかを自分の意志で決められるのに対して、ネガティブ・ケイパビリティの方は必ずしも自分の意志に従わない、というより意志自体の能力であるように思われます。したがってネガティブ・ケイパビリティが現れるには、意志の自由ということが担保される必要があるのではないかと思います(同じことの言い換えかも知れませんが)。著者はネガティブ・ケイパビリティを豊かに持っていた人物の事例を数多く挙げていますが、その人たちがなぜそのような能力をもつようになったのかということを、主にその生い立ち、特に対人的な人生経験で説明しようとしているように受け取られました。ただ私にはその説明だけでは十分でないように思われます。また逆にネガティブ・ケイパビリティが失われた事例として、宗教改革時代のリゴリストたちやナチス・ドイツ、軍国主義時代の日本の政治家などが挙げられていて、それは事実関係としてはその通りと思いますが、なぜ彼等においてネガティブ・ケイパビリティが失われてしまったのかについてもう少し洞察がほしいと思いました。これら三つの歴史的事例ではいずれもそれに先立つ数十年にはむしろネガティブ・ケイパビリティが時のリーダーたちの中に卓越して表れていたようにも見える時代が先行しています。時代精神が変質していく過程をネガティブ・ケイパビリティの観点から解明することは有意義だと思います。
本書は哲学書でも歴史書でもありませんから以上の点はやむを得ませんが、今後こうした面を掘り下げた書物が書かれることを期待しています。
ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力 (朝日選書) (日本語) 単行本 – 2017/4/10
帚木蓬生
(著)
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本の長さ264ページ
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言語日本語
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出版社朝日新聞出版
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発売日2017/4/10
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寸法18.8 x 12.5 x 1.3 cm
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ISBN-104022630582
-
ISBN-13978-4022630582
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商品の説明
内容(「BOOK」データベースより)
「負の力」が身につけば、人生は生きやすくなる。セラピー犬の「心くん」の分かる仕組みからマニュアルに慣れた脳の限界、現代教育で重視されるポジティブ・ケイパビリティの偏り、希望する脳とプラセボ効果との関係…教育・医療・介護の現場でも注目され、臨床40年の精神科医である著者自身も救われている「負の力」を多角的に分析した、心揺さぶられる地平。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
帚木/蓬生
1947年、福岡県生まれ。作家、精神科医。東京大学文学部、九州大学医学部卒業。九大神経精神医学教室で中尾弘之教授に師事。1979~80年フランス政府給費留学生としてマルセイユ・聖マルグリット病院神経精神科(Pierre Mouren教授)、1980~81年パリ病院外国人レジデントとしてサンタンヌ病院精神科(Pierre Deniker教授)で研修。その後、北九州市八幡厚生病院副院長を経て、現在、福岡県中間市で通谷メンタルクリニックを開業(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
1947年、福岡県生まれ。作家、精神科医。東京大学文学部、九州大学医学部卒業。九大神経精神医学教室で中尾弘之教授に師事。1979~80年フランス政府給費留学生としてマルセイユ・聖マルグリット病院神経精神科(Pierre Mouren教授)、1980~81年パリ病院外国人レジデントとしてサンタンヌ病院精神科(Pierre Deniker教授)で研修。その後、北九州市八幡厚生病院副院長を経て、現在、福岡県中間市で通谷メンタルクリニックを開業(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
登録情報
- 出版社 : 朝日新聞出版 (2017/4/10)
- 発売日 : 2017/4/10
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 264ページ
- ISBN-10 : 4022630582
- ISBN-13 : 978-4022630582
- 寸法 : 18.8 x 12.5 x 1.3 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 3,467位本 (の売れ筋ランキングを見る本)
- カスタマーレビュー:
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カスタマーレビュー
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2017年12月29日に日本でレビュー済み
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133人のお客様がこれが役に立ったと考えています
役に立った
2020年4月2日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
著者のWiredでの記事を読み、本書を購入して読了しました。前半部のネガティブ・ケイパビリティの話はよくわかりました。とりわけクリアカットな答えが得られないことが溢れた現代社会においては重要なコンセプトだと改めて感じ行った次第です。
他方、全体と通じては、ネガティブ・ケイパビリティとの結びつきがいまいちわかりづらい、というより、「まあそれはそう言われればネガティブ・ケイパビリティと関わるけど・・・」というやや強引に「何でも言えちゃうよね」という印象を受けました。
ネガティブ・ケイパビリティとは不確定性、不確実性で人が往々にして感じる不協和の中に留まり続ける力、構えのようなものとして理解しています。しかし、単に「判断を留保する」というニュアンスで使われているような部分も多々あるように読めてしまいました。性急に結論を下さないでおくというのはネガティヴ・ケイパビリティの中心的な要素ではあるものの、「あえて」積極的に物事を執着させない、努力を要する留保行為、それを可能にする力というか、川の流れに屈せずに立っている人かのようなイメージが、単なる判断留保の力と同一視できないように思われるのです。
たとえば満州事変の事例では、歴史的にみて誤った方向に進んでしまったのは為政者のネガティブ・ケイパビリティの欠如と説明されています。そう説明すればそうとも言えるけれど、それは「宙ぶらりんの状態に耐える」ことができなかったから戦争へ突き進んだという説明は、やや無理やり感が否めません。つまり、何らかの好ましくない結果が得られたときには、その結果に結びついた決断は「性急な結論づけ」によるもの、ネガティブ・ケイパビリティの欠如、として全て説明されてしまいかねない、万能の説明要因のように読めてしまったということです。
もちろん、これは私の読解力の問題かもしれませんので、別に自分のレビューで正しさを主張しているわけではありません。あくまでそのように読めた、というだけではあります。前半と後半で納得感が異なる、そんな読後感です。
他方、全体と通じては、ネガティブ・ケイパビリティとの結びつきがいまいちわかりづらい、というより、「まあそれはそう言われればネガティブ・ケイパビリティと関わるけど・・・」というやや強引に「何でも言えちゃうよね」という印象を受けました。
ネガティブ・ケイパビリティとは不確定性、不確実性で人が往々にして感じる不協和の中に留まり続ける力、構えのようなものとして理解しています。しかし、単に「判断を留保する」というニュアンスで使われているような部分も多々あるように読めてしまいました。性急に結論を下さないでおくというのはネガティヴ・ケイパビリティの中心的な要素ではあるものの、「あえて」積極的に物事を執着させない、努力を要する留保行為、それを可能にする力というか、川の流れに屈せずに立っている人かのようなイメージが、単なる判断留保の力と同一視できないように思われるのです。
たとえば満州事変の事例では、歴史的にみて誤った方向に進んでしまったのは為政者のネガティブ・ケイパビリティの欠如と説明されています。そう説明すればそうとも言えるけれど、それは「宙ぶらりんの状態に耐える」ことができなかったから戦争へ突き進んだという説明は、やや無理やり感が否めません。つまり、何らかの好ましくない結果が得られたときには、その結果に結びついた決断は「性急な結論づけ」によるもの、ネガティブ・ケイパビリティの欠如、として全て説明されてしまいかねない、万能の説明要因のように読めてしまったということです。
もちろん、これは私の読解力の問題かもしれませんので、別に自分のレビューで正しさを主張しているわけではありません。あくまでそのように読めた、というだけではあります。前半と後半で納得感が異なる、そんな読後感です。
2018年4月12日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
私たちが生きるということは、本当に無秩序で混沌としいて、予想できないことや
理不尽なことや意味の分からないような事がとても多く存在する
人生が不安定でよく分からないということはある意味とても怖くて怖くてたまらないことだ
その畏れに理解やマニュアルという仮の正解・秩序を与えて安心感を得たい(不安感を取り除きたい)
気持ちが芽生えるのは、不自然なことではない。
そしてその仮の正解、秩序をなるべく素早く、電光石火で作り出すこと
そしてその正解、秩序をなるげく素早くとりいれることがポジティブなケイパビリティのあるべき姿だと思う
しかしそれはあくまでも、問題を設定したうえでの答えや秩序で
現実世界はそもそも前提の条件が違うので、答えがだせないことの方が圧倒的に多い
その想定できない、答えの出せないことに安易に答えを与えず、その状態とつきあっていく力
それがネガティブケイパビリティらしい
一般に答えを出すと、秩序を与えると 不安は和らぐ なぜなら多くのことを想定の範囲で処理できるようになるからだ
しかしそこには強い危うさが内包している
それに対するネガティブケイパビリティという力を紹介してくれる10章だ
10章を読み終え
あとがきのエピソードを読んだ時、私は涙がでた
そしてこの本を読んでよかったなと思った。
理不尽なことや意味の分からないような事がとても多く存在する
人生が不安定でよく分からないということはある意味とても怖くて怖くてたまらないことだ
その畏れに理解やマニュアルという仮の正解・秩序を与えて安心感を得たい(不安感を取り除きたい)
気持ちが芽生えるのは、不自然なことではない。
そしてその仮の正解、秩序をなるべく素早く、電光石火で作り出すこと
そしてその正解、秩序をなるげく素早くとりいれることがポジティブなケイパビリティのあるべき姿だと思う
しかしそれはあくまでも、問題を設定したうえでの答えや秩序で
現実世界はそもそも前提の条件が違うので、答えがだせないことの方が圧倒的に多い
その想定できない、答えの出せないことに安易に答えを与えず、その状態とつきあっていく力
それがネガティブケイパビリティらしい
一般に答えを出すと、秩序を与えると 不安は和らぐ なぜなら多くのことを想定の範囲で処理できるようになるからだ
しかしそこには強い危うさが内包している
それに対するネガティブケイパビリティという力を紹介してくれる10章だ
10章を読み終え
あとがきのエピソードを読んだ時、私は涙がでた
そしてこの本を読んでよかったなと思った。
2019年2月13日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
「ネガティブ・ケイパビリティ」消極的な能力。何かを積極的に解決するのではない、むしろあえてそれをしないでいられる力。あるいは表紙にもある通り、答えの出ない事態に耐える力。
著者はキーツにそれがあり、さらに遡ってシェイクスピアにあり、紫式部にあったとする。また、精神科医として、臨床の場においてつきあたる限界と向き合う上でも有用であるとする。たとえば、腕の良い大工。業界構造が変わってしまったのだろう。仕事がうまくいかず、イライラと不眠に悩む。薬は一時しのぎでしかありえない。何ができるのか。あるいは農家の主婦。姑との関係がうまくいかず、抑うつと不眠を主訴とする。医者の出る幕はあるのか。
著者の、精神科医としての無力感に抗う防波堤でしかないことはあるかもしれない。所詮は無力感に抗おうという虚しい抵抗でしかないのかも。結局は事態の抜本的な解決を求めないだけ、のことでもありそう。
でも、未確定の事態に性急な解決策を求めない、ということを、敷衍して考えてみれば、「未曾有の災害」に遭遇するようなときに、大きな意義を勝ち得るのかもしれないとも思う。巨大な地震が起こる。津波が押し寄せ、原発が破壊され、放射線が撒き散らされて行く。放射線はどこまで広がるのか。それに当たるとどうなってしまうのか。自分は、家族は、子どもは。確からしい情報は充分に得られず、事態は連鎖的に展開し、範囲も深さも未確定。こうした状況にあって、泰然と構えていることは確かに難しいようだ。あの時は、放射能に関する流言飛語があったり、唐突に沖縄などに飛び出す人々もちょこちょこといた。そうでなければ、ただ考えないことにする人もいた。自分は後者だったと思う。いずれにしても、東北の大震災で直面した圧倒的な「分からなさ」を前にして、何かを確定させたがった結果でしかなかったのかもしれない。進行中の事態において、果たしてそれが可能であり得るのかどうかですら怪しいにもかかわらず。
このように、事態の進行に自分が何の力ももてないとき、静かに推移を見つめ続ける態度はある効力を持ち得るだろう。その意味でも重要な示唆を含むと思う。
著者はキーツにそれがあり、さらに遡ってシェイクスピアにあり、紫式部にあったとする。また、精神科医として、臨床の場においてつきあたる限界と向き合う上でも有用であるとする。たとえば、腕の良い大工。業界構造が変わってしまったのだろう。仕事がうまくいかず、イライラと不眠に悩む。薬は一時しのぎでしかありえない。何ができるのか。あるいは農家の主婦。姑との関係がうまくいかず、抑うつと不眠を主訴とする。医者の出る幕はあるのか。
著者の、精神科医としての無力感に抗う防波堤でしかないことはあるかもしれない。所詮は無力感に抗おうという虚しい抵抗でしかないのかも。結局は事態の抜本的な解決を求めないだけ、のことでもありそう。
でも、未確定の事態に性急な解決策を求めない、ということを、敷衍して考えてみれば、「未曾有の災害」に遭遇するようなときに、大きな意義を勝ち得るのかもしれないとも思う。巨大な地震が起こる。津波が押し寄せ、原発が破壊され、放射線が撒き散らされて行く。放射線はどこまで広がるのか。それに当たるとどうなってしまうのか。自分は、家族は、子どもは。確からしい情報は充分に得られず、事態は連鎖的に展開し、範囲も深さも未確定。こうした状況にあって、泰然と構えていることは確かに難しいようだ。あの時は、放射能に関する流言飛語があったり、唐突に沖縄などに飛び出す人々もちょこちょこといた。そうでなければ、ただ考えないことにする人もいた。自分は後者だったと思う。いずれにしても、東北の大震災で直面した圧倒的な「分からなさ」を前にして、何かを確定させたがった結果でしかなかったのかもしれない。進行中の事態において、果たしてそれが可能であり得るのかどうかですら怪しいにもかかわらず。
このように、事態の進行に自分が何の力ももてないとき、静かに推移を見つめ続ける態度はある効力を持ち得るだろう。その意味でも重要な示唆を含むと思う。
2018年12月16日に日本でレビュー済み
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帚木さんの小説を読んで、ネガティブケーパビリティという単語を知りました。
あまり話題になってませんが、人生において、非常に重要なことだと思います。
この言葉を知ってから、なんでも単純解決したり、強引に解決したりすることが
なくなり、自分自身が精神的に安定した感じです。他人に不満を言ったり、悪口
を言ったりすることもなくなりました。
最近、読んでもっとも人生に役にたった本の一つです。
あまり話題になってませんが、人生において、非常に重要なことだと思います。
この言葉を知ってから、なんでも単純解決したり、強引に解決したりすることが
なくなり、自分自身が精神的に安定した感じです。他人に不満を言ったり、悪口
を言ったりすることもなくなりました。
最近、読んでもっとも人生に役にたった本の一つです。
2019年3月24日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ネガティブ・ケイパビリティとは、知らざるを知らずと為す是知るなり(「論語」為政)、無知の知(ソクラテス)とすでに古典で充分に語られていることだと思いました。
それを知ってか知ずかそこには触れずに、シェークスピアや源氏物語を長々と論じたり、キーツの人生を眺めたり、
読んでる途中で、筆者は読者にわかった気にさせる気は一向にないのだと思いました(それすら読み方が正しいのかわかりませんが)。
医学・医療の世界にいると、医者は患者に正しいことを伝えるべき、患者は伝えられるべきなどと暗黙に思い込んでいます。例えば、ピロリ菌の発見についても、先入観・思い込みを捨ててものと後を眺めることがいかに難しいかと触れています。その一方で、知識・非知識が新しい知識で上書きされるなら、医者は何でも知っているという傲慢はやめようと思いました。わかっていることだけをそれらしくわかっているふりをしているだけで、わからないことのほうが圧倒的に多い。
それを知ってか知ずかそこには触れずに、シェークスピアや源氏物語を長々と論じたり、キーツの人生を眺めたり、
読んでる途中で、筆者は読者にわかった気にさせる気は一向にないのだと思いました(それすら読み方が正しいのかわかりませんが)。
医学・医療の世界にいると、医者は患者に正しいことを伝えるべき、患者は伝えられるべきなどと暗黙に思い込んでいます。例えば、ピロリ菌の発見についても、先入観・思い込みを捨ててものと後を眺めることがいかに難しいかと触れています。その一方で、知識・非知識が新しい知識で上書きされるなら、医者は何でも知っているという傲慢はやめようと思いました。わかっていることだけをそれらしくわかっているふりをしているだけで、わからないことのほうが圧倒的に多い。