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ナッジ!?: 自由でおせっかいなリバタリアン・パターナリズム 単行本 – 2020/5/28
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それは「支援」なのか「操作」なのか? 強制にも説得にも頼らない社会改革の新技術とその思想を、気鋭の論者たちが問いただす!
「個人の自由な選択」を妨げることなく、愚行には歯止めを、賢明な行動には支援を? 肥満の解消、婚活のサポート、個人情報の保護、民主政の活性化……。世界の袋小路を切り抜ける仕掛けを示すスマートな戦略の宝庫、いま注目の「ナッジ」と「リバタリアン・パターナリズム」の光と影を、過去・現在・未来にわたって解き明かす。
【目次】
はじめに
ナッジ!? 強制と放任のあいだで[那須耕介]
1 「ナッジ」、生まれる
2 わきあがる不安と不信
3 この本のもくろみ
第1章 自己決定権は生き残れるか? [若松良樹]
1 肥満が止まらない
2 肥満の原因は何か?
3 どのような規制手法が望ましいか?
4 問題解決のために
5 結局、自己決定権は生き残るのか?
第2章 ナッジはどうして嫌われる? ナッジ批判とその乗り越え方[那須耕介]
1 「婚活」ナッジ?
2 ナッジの内在道徳
3 相互ナッジの海へ
4 「ナッジとはなにか」から「よいナッジとはなにか」へ
第3章 それでもアーキテクチャは自由への脅威なのか? [成原慧]
1 アーキテクチャ観の変容:自由への脅威から自由の礎へ
2 自由の礎にひそむ自由への脅威
3 ナッジの法的統制
4 アーキテクチャと自由の二面性に向きあい続けること
第4章 民主政は可能か? 合理性と「個人」の再設計[大屋雄裕]
1 私は合理的か?
2 個人と集団のあいだに
3 個体から個人へ
4 我々は合理的か?
第5章 熟議をナッジする? [田村哲樹]
1 水と油か?
2 熟議のためのナッジ
3 熟議のためのナッジは望ましいのか?:疑問と意義
4 それでもナッジは「危険」か?
第6章 カフェテリアをデザインする あなたは何派? [橋本努]
1 生活スタイルに埋め込まれているもの
2 どの指針が望ましいか
3 成長論的自由主義の立場
第7章 「リバタリアン」とはどういう意味か? リバタリアニズム論の視角からみたリバタリアン・パターナリズム[福原明雄]
1 リバタリアニズムにとってリバタリアン・パターナリズムとは何か?
2 リバタリアニズムの正義構想からの視線
3 リバタリアニズムの自由論からの視線
4 ナッジにとって自由の要点とは何か?
第8章 自律にはナッジで十分か? パターナリズム論の視角からみたリバタリアン・パターナリズム[瀬戸山晃一]
1 リバタリアン・パターナリズム登場以前のパターナリズム論
2 リバタリアン・パターナリズムの登場
3 強制的パターナリズム論
4 強制的パターナリズムとパターナリズム規制のアーキテクチャ
5 パターナリズム論の今後の展望:リバタリアン・パターナリズムを超えて
もっと知りたい人のためのブックガイド
おわりに ナッジ論の初心とこれから[那須耕介・橋本努]
索引
- 本の長さ264ページ
- 言語日本語
- 出版社勁草書房
- 発売日2020/5/28
- 寸法13.8 x 2.5 x 19.5 cm
- ISBN-104326550848
- ISBN-13978-4326550845
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商品の説明
内容(「BOOK」データベースより)
著者について
那須 耕介(なす こうすけ)
1967年生。京都大学法学部卒業、2001年京都大学大学院博士課程修了。博士(法学)。摂南大学准教授を経て、現在 京都大学大学院人間・環境学研究科教授。単著:『多様性に立つ憲法へ』(2014年、編集グループSURE)、編著:『ナッジ!?』(橋本努と共編、2020年、勁草書房)、共著:「教育における自由と平等」井上達夫編著『現代法哲学講義』(2009年、信山社)、「政治的思考という祖型」足立幸男編著『政策学的思考とは何か』(2005年、勁草書房)、『京大変人講座』(酒井敏、小木曽哲他との共著、2019年、三笠書房)、訳書:『自己責任の時代』(ヤシャ・モンク著、栗村亜寿香と共訳、2019年、みすず書房)、『熟議が壊れるとき』(キャス・サンスティーン著、那須耕介編・監訳、2012年、勁草書房)、『メタフィジカル・クラプ』(ルイ・メナンド著、野口良平・石井素子と共訳、2011年、みすず書房)など。
橋本 努(はしもと つとむ)
1967年生。1996年東京大学大学院総合文化研究科相関社会科学専攻博士課程単位取得満期退学、1999年学術博士。現在 北海道大学大学院経済学研究院教授。 著書:『社会科学の人間学』(勁草書房、1999)、『ロスト近代』(弘文堂、2012)、『現代の経済思想』(編著、勁草書房、2014)、『ナッジ!?』( 共編著、勁草書房、2020)、『自由原理 来るべき福祉国家の理念』(岩波書店、2021)ほか。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
1967年生まれ。京都大学教授。法哲学
橋本/努
1967年生まれ。北海道大学大学院経済学研究院教授。経済社会学、社会哲学(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
カスタマーレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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ただ、どこかで感じるリバタリアン・パターナリズムやナッジに対するモヤモヤ感。本書の冒頭では「わきあがる不安と不信」(本書5ページ)としているが、そのモヤモヤ感を明確化するような論考が並んだのが本書である。
アーキテクチャと自由について論じた第3章(成原慧担当)、リバタリアニズム論からリバタリアン・パターナリズムを論じた第7章(福原明雄担当)の二つの論考が個人的には強く印象に残った。
いずれも理論的な検討に重点を置くものである。考えるに、ナッジは現実世界での人々の挙動に関わるものである分、どこかで批判的な検討がしにくい面があるのではないだろうか。批判をしても、「ナッジの結果を見ろ」「現実の結果が全て」と反論されると、どうしても批判の切れ味が落ちるからだ。そういう時に、ナッジの基盤となるリバタリアン・パターナリズムやアーキテクチャといった理論的観点について批判的検討を加えるというのが適当な戦略になる。そう思わせるような切れ味が上記の二つの章からは感じられた。
ただし、その二つの章を含めて本書に収録されている論考が全て批判一辺倒ということではない。あるべきナッジについての検討が随所でなされており、特に第6章(橋本努担当)での提案は興味深かった。批判的に検討した上で、それでも使えるナッジとは何なのかを示そうとする、そんな野心的な試みの一冊である。
「ナッジ」ってなに?
ナッジとは、行動経済学の知見から、強制や説得、報酬などによらず、それとなくほのめかすような軽い誘導で人の行動をより良い一定の方向へ導く手段だ。
※行動経済学の分野で有名な本で、法学者のキャス・サンスティーンと経済学者のリチャード・セイラ―の著作『実践行動経済学』の原題はまさしく『Nudge(ナッジ)』だ。
ナッジの代表的な例としては、小便器にハエのシールを貼ったものが挙げられる。空港の小便器の内側にハエのシールを貼ったことで、人々はこのハエに向かって狙いを定めておしっこするようになり、たったこれだけの工夫でトイレが汚れなくなったというものだ。
『CODE VERSION2.0 』(ローレンス・レッシグ)でも論じられたことだが、人々の行動を変える手段は、大きく分けて、法律、規範、経済的インセンティブ、アーキテクチャ(物理的・仕組みによる構造)が挙げられる。
例えば、トイレの床をおしっこで汚されたくない場合を考えてみる。実現できるかはともかく、まず、法律で強制的に床を汚すことを禁止することが考えられる。また、張り紙などでマナーを促す等、規範により行動を制限することも考えられる。また、床を汚したら罰金を課したり、逆に一滴もこぼさなかったら報酬をあげる等、経済的インセンティブで人の行動を変えることもできる。更に、小便器の形状を工夫したり、床の汚れを防止するなんらかの装置を設置したり、物理的な構造(アーキテクチャ)で床を汚れにくくすることもできる。
「ナッジ」は、アーキテクチャの一種だ。ただし、肘でつつくような軽い誘導で人の行動を変える弱いアーキテクチャだ。
サンスティーンの定義では、ナッジとは、「いかなる選択肢も禁止することなく、経済的インセンティブを大きく変更することなく、人々の行動を予測可能な仕方で変更するあらゆる側面の選択アーキテクテャ」である。
「リバタリアン・パターナリズム」ってなに?
リバタリアン・パターナリズムとは、ナッジを利用し、個人の選択の自由を阻害せず、かつ「より良い結果」に誘導する思想だ。
政策など、人の行動を制限したり誘導する場合、しばしば「リバタリズム」と「パターナリズム」が対立する。
「リバタリズム」とは、個人の自由な選択(自己決定権)を重要視する思想で、「パターナリズム」とは、「より良い結果」のために個人(特に子どもなどの弱者)に対する権力の介入を認める思想だ。
例えば、アメリカで肥満が問題になって、何らかの対策をうつことが検討されたとする。リバタリズムの立場では、「個人にとって何が最善かは本人が知っている。誰が何喰っても自由だ!」というだという話になる。一方、パターナリズムの立場では、「そうは言っても個人の自由に任せた結果がこの有様だろう。健康の問題は権力が介入してもやむを得ない重要事項だから、学校給食に野菜を付けることを義務付けよう。」みたいな話になる。
さて、行動経済学では、リバタリアンのいう「個人にとって何が最善かは本人が知っている。」なんてことはウソっぱちだとされる。「人間は自分の利益を最大化するように行動する。」という推定(ホモ・エコノミカス仮説」は幻想であり、実際は、人はバイアスまみれのおバカちゃんであり、百害あって一利もないような行動を平気でとる。
リバタリアン・パターナリズムは、サンスティーンによる自己決定権に対する批判のなかで提示され、画期的なものとして受け止められた代案である。リバタリアン・パターナリズムは、ナッジを用いて、人をより良い選択肢へそれとなく向かわせるが、その選択肢を変えたり、放棄したりする余地を残す意味で個人の自由を担保している。
肥満対策の例で言えば、例えば、カフェテリアでメニューが選べるなら野菜の皿を取りやすい位置に配置するとか、健康リテラシーを向上させる情報をそれとなくキャッチできる仕掛けをするとか、そういう工夫が考えられる。
このように、リバタリアン・パターナリズムは、従来のパターナリズムが有していた「上から目線」を排し、法的な規制や経済的インセンティブとは異なった「ナッジ」というソフトな規制手法を提示する。比較的手軽に行える工夫で、利益に多大な貢献をし得る可能性があるポテンシャルの高さ、スマートさが魅力だ。
まとめ
サンスティーンの提唱する「ナッジ」及びこれを用いた「リバタリアン・パターナリズム」は今後注目されていくものであるのは間違いない。
しかし、「ナッジ」は、スマートな解決策であるが、どこかお節介な感じをぬぐえないところもある。特に「婚活ナッジ」なんかは嫌われそうだ。これはどういう理由だろうか?
また、「ナッジ」は確かにソフトな規制だが、対象者に合意を得ることは必要ないのだろうか?またどのレベルの合意なのだろうか?
サンスティーンは、「ナッジ」や「リバタリアン・パターナリズム」を提唱はしたが、語らなかったことも多くある。この本にまとめられた論考の中身は、このような「ナッジ」や「リバタリアン・パターナリズム」についての可能性や問題点についてより深く考察したものだ。
今後、あらゆる設計やデザインに「ナッジ」は切り離せないものとなると思われる。そんな「ナッジ」を理解したり活用していく上で多くのヒントを与えてくれる本だった。








