“漫画版『ナウシカ』はおそらく、宮崎駿の全業績の中で最も研究が進んでいない作品である”と
スーザン・ネイピアが自著『ミヤザキワールド』で指摘したことはその通りである。その理由は、
「物語の壮大な構想や複雑なプロット」だけでなく、本当のあらぶる魂を持つナウシカにある。
つまり皆が原作に腰が引けていたということだ。
これまでも個別の作品論は乏しく、山ほどある作家論は、お茶を濁した内容や、評者の個人的な
持論の展開にこじつけている内容が多かった。
それが令和元年末にきて、「ナウシカ論」が相次いで刊行されるのは例の歌舞伎舞台化が引き金に
なったとしか言いようがない。
赤坂憲雄が今まで頓挫していた本書『ナウシカ孝』(小学館「窓の木」での連載「宮崎駿/ナウシカ的
世界へ」の続き)も『ナウシカ解読増補版』(稲葉振一郎)もはっきり言えば著者らが上梓する気が
あっても宮崎の目の黒いうちは、出版するタイミングを逸していたかもしれない。
だから本書『ナウシカ孝』は、「ナウシカ論」の決定版として多くの読者が「且目して」待っていた。
あとがきにも記されているように本書はジブリ関係者から表紙の装丁や引用のために原作の絵を
借用できたことで、他の「ナウシカ論」よりは優位に立っている。それだからこそ読者のハードルが
高くなるのは当たり前なわけで、目下必読の書と大絶賛中の本書に注文をつけることをご容赦願いたい。
この本書でいちばん衝撃を受けたのは、クシャナが「私は王にはならぬ、すでに新しい王を持っている」
と即位しないと宣言した重要なシーンについての赤坂のコメントだ。赤坂は“ここに見える「新しい王」
がだれを指しているのか、わたしはついに突きとめ切れずにいる”(第四章 黙示録 4 千年王国 P318)と
告白しているのだ。
かつての赤坂であれば、クシャナの思う「新しい王」はナウシカに違いないとそれこそ先頭に立って
力説していただろう。即位を辞退するシーンの前にもナウシカにマントを渡した時点で、クシャナに
とってナウシカという「心の王」が誕生したことを多くの評者が既に指摘している。いったい赤坂の
王権論とやらはどうなったのか?
王権論や天皇制を主題とし、マンガ版/アニメ版双方を取り上げた前著『王と天皇』で、「あえかに
して美しき小さなハタモノの影」という文脈で、ナウシカを「王」の現像に当てはめていたのは、
いったいどこの誰でしたっけという話だ。
ちなみに『王と天皇』が刊行された当時、マンガ版は完結していない。
本書が刊行された、明確なフレーズのひとつを読み上げてみる。
「ナウシカは族長になる。くりかえすが、王になるわけではない。」(第二章 風の谷 2蟲愛ずる姫P63)
無論アニメ版とマンガ版の方針の違いは誰もが目を見張るものではあるが、『王と天皇』から本書への
変貌、“あえかにして美しきハタモノである日本的な<王>”ナウシカから“族長ナウシカ”に変貌し、
しかも、「新しい王」とは「誰を指しているのか、わたしはついに突きとめ切れずにいる」という赤坂の
変貌自体は本書が『王と天皇』の王権論を覆しているとしても飛躍しすぎている(筆者の読解力が
ないこともあるが)。
確かに、本書の第1章「西域幻想」、第2章「風の谷」では「風の谷」や『シュナの旅』、『砂漠の旅』の
舞台を王国とはいえ、権力を持たない族長に率いられた、国家以前の部族社会、つまり「国家に
抗する社会」と位置付け、「族長は小さな王を意味するというありがちな誤解」(第二章 風の谷 2
蟲愛ずる姫P63)とまで言い切っている。さらに終盤でもクシャナが「国家に抗する社会をめざして、
あらたな王道を築いたかのようにも感じられる」(第四章 黙示録 4 千年王国 P320)と締めている。
赤坂の見解からすると、族長は部族の運命を一身に託され、つまり背負わされた者、ノブレス
オブリージュを体現する権力なき族長に率いられた社会にユートピア観を感じているということ
なのだろうか?
だから「新しい王」は誰でもないという結末に持っていこうという主旨ならかろうじて判るのだが、
それでも矛盾が発生する。
赤坂も「はじめに」(「はじめに」の頁数はない)でほんの申し訳程度に当時の誤読を認めている。
「『王と天皇』で王権や天皇制をめぐる問題群に沈潜していたわたしは、『風の谷のナウシカ』
(マンガ版)をひたすら、王のいる風景を照らし出す物語として読んだ」と記している。赤坂は
『ナウシカ』(マンガ版)が王や国家や宗教にかかわるダイナミズムと、その腐敗へのプロセスを
精緻に描ききった稀有なる作品と認めつつ、「たいへん偏った読解のありようではあった」と
吐露している。さらに『王と天皇』が刊行した当時(1988)、アニメ版とマンガ版双方に遭遇し、
そこに初源の王の物語を見いだし、王権の類型学を認めつつ、憑き物めいた酔いの感覚と、
それゆえの偏り埋め込まれていたことも告白している。
赤坂の告白を額面通りに受け止めれば、「国家に抗する社会」というイデオロギーは『王と天皇』
にはなくて『ナウシカ孝』にはある、ということになるが、そうはなっていない。前述したように
『王と天皇』でも「国家に抗する社会」の位置付けを行い、族長という言葉自体は使わなかった
ものの同様な役割を持つ首長と王の違いを鮮明にし、にもかかわらずナウシカの王位は揺るがせて
いないのだ(いや赤坂が若干揺らいでいるきらいもあるが)。
その当時もナウシカは「西欧流の大きな専制権力・大きな<王>ではない小さな<王>」と設定して
いたのだ。広義(前著)から狭義(本書)になったということか?
ただ、赤坂はクシャナが即位しなかった心境についてスルーしようと思えばできたが、「突き
とめずにいる」と告白したこと自体は誠実ではある。
だからこそ、そのことについては言及し新たに発表することは当然であると筆者は思う。
本書に注文をつけたい点はもうひとつある。
ファンの間では未だに論争が耐えないナウシカの決断についての論考だ。
墓所とナウシカの対立は方法論で、墓所の方法論は唯物論的であり、原因療法を基本とした
西洋医学の論理である。対してナウシカの方法論は、対症療法―自然治癒力の促進を基本とした
東洋医学的なものであり、この点はわかるし(筆者自身は個人的には自然治癒力主義には先天的に
有利なものによる楽天主義にも思えるが)、墓所を破壊すること自体は賛否はともかく理解はできる。
が、墓所の主はともかく杉田俊介が自著『宮崎駿論-神々と子どもたちの物語』で言うように
「1ミリの罪もない」新人類の卵を破壊する必要性がある理由が見出せない。前者は一応は理に
かなっているように思うが、後者は理にかなっているとは思えないのだ。
筆者の読解力が伴わないのか正直な所、「行きがけの駄賃」とも取れるのだ。
それとも蟲使いが自ら蟲を殺したように、このまま放置する方が残酷だから殺したとでも言うの
だろうか? 確かに赤坂だけにナウシカの決断に具体性はあるのかという答えが見出させることを
迫るのはいささか酷かもしれない。
が、赤坂自身が対談等でマンガ版『ナウシカ』を「反出生主義への対抗として読むこともできる」と
発言し、本書でも二元論を否定し、「どんな生命体もいのちは同じです」というナウシカの生命観を
肯定した以上、それなら新人類の卵を握りつぶした理由についてご見解をお聞かせ願いたいという
質問にも答えるべきだ。
本書の終盤では、「黙示録に死の接吻を」(帯/第四章 黙示録 4 千年王国 P321)、「二元論の廃棄」
(第四章 黙示録 3 虚無と無垢 P272)、「黙示録への抵抗の書」、「『黙示録』をなぞった作品では
なく、黙示録的な終末観にたいして叛旗をひるがえした作品」(以下全て第四章 黙示録 4 千年王国
P308)と豪華絢爛なキャッチフレーズやキーワードを駆使して全力で読み解く様は圧巻でそれこそ
怒涛の展開だ。しかしだからこそ、文字通りカウンター的な作品となったマンガ版の読者が一番
期待しているのはカウンターそのものなのだ。
「行きがけの駄賃」の必要性を立証することで、赤坂が墓所側の読者を黙らせるくらいの説得力の
ある仮説に筆者は未だに出会えていない。
そのことについて新人類の卵を「1ミリの罪もない」と言った杉田もおそらくその出会いを待って
いるのだ。
いまだ論争が続いている論争の中、ナウシカ派(便宜上赤坂とする)もナウシカの決断が全て
正しいとは限らないことを前提にしているし、墓所派もナウシカを全否定しているわけではないので、
激しい論争には間違いないが、それでも落としどころをつけるのは難しい案件だ。
追記:暴露するが、刊行から約4ヶ月後に、あるムックで赤坂本人から「ナウシカは一回性の王」発言が出た。
この一言があれば、「ナウシカ論」における赤坂の王権論や天皇制の経緯がある程度把握できる。
“「新しい王」がだれを指しているのか、わたしはついに突きとめ切れずにいる”と告白するのであれば、
せめてこの一言でも本書に記してほしかった。
繰り返すが、筆者のような読解力の乏しい読者にも、出し惜しみなどせず親切心を出してもらいたいものだ。
ナウシカ考 風の谷の黙示録 (日本語) 単行本 – 2019/11/22
赤坂 憲雄
(著)
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本の長さ374ページ
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言語日本語
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出版社岩波書店
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発売日2019/11/22
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ISBN-10400024180X
-
ISBN-13978-4000241809
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商品の説明
内容(「BOOK」データベースより)
『風の谷のナウシカ』。ささやかな奇跡が産み落とした種子のようなこの作品は、いま、ようやくにして芽生えと育ちの季節を迎えようとしているのかもしれない―。多くの人に愛読されてきた傑作マンガを、二十五年の試行錯誤のすえ一篇の思想の書として徹底的に読み解く。
著者について
赤坂憲雄(あかさか のりお)
1953年,東京都生まれ.専門は民俗学・日本文化論.東京大学文学部卒業.学習院大学教授.2007年,『岡本太郎の見た日本』(岩波書店)でドゥマゴ文学賞,芸術選奨文部科学大臣賞(評論等部門)を受賞.『異人論序説』『排除の現象学』(ちくま学芸文庫),『境界の発生』『東北学/忘れられた東北』(講談社学術文庫),『東西/南北考』『武蔵野をよむ』(岩波新書),『性食考』(岩波書店)など著書多数.
1953年,東京都生まれ.専門は民俗学・日本文化論.東京大学文学部卒業.学習院大学教授.2007年,『岡本太郎の見た日本』(岩波書店)でドゥマゴ文学賞,芸術選奨文部科学大臣賞(評論等部門)を受賞.『異人論序説』『排除の現象学』(ちくま学芸文庫),『境界の発生』『東北学/忘れられた東北』(講談社学術文庫),『東西/南北考』『武蔵野をよむ』(岩波新書),『性食考』(岩波書店)など著書多数.
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
赤坂/憲雄
1953年、東京都生まれ。専門は民俗学・日本文化論。東京大学文学部卒業。学習院大学教授。2007年、『岡本太郎の見た日本』(岩波書店)でドゥマゴ文学賞、芸術選奨文部科学大臣賞(評論等部門)を受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
1953年、東京都生まれ。専門は民俗学・日本文化論。東京大学文学部卒業。学習院大学教授。2007年、『岡本太郎の見た日本』(岩波書店)でドゥマゴ文学賞、芸術選奨文部科学大臣賞(評論等部門)を受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
登録情報
- 出版社 : 岩波書店 (2019/11/22)
- 発売日 : 2019/11/22
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 374ページ
- ISBN-10 : 400024180X
- ISBN-13 : 978-4000241809
-
Amazon 売れ筋ランキング:
- 7,268位本 (の売れ筋ランキングを見る本)
- - 15位コミック・アニメ研究
- - 46位演劇・舞台 (本)
- - 63位漫画・アニメ・BL(イラスト集・オフィシャルブック)
- カスタマーレビュー:
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カスタマーレビュー
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2020年3月21日に日本でレビュー済み
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2020年7月28日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
コロナ禍の中で思うところあってン十年ぶりに漫画「ナウシカ」を再読。その流れで手に取った。
なんだろうか。本編の絵を使ってるし、岩波だし、まるでオフィシャルな解説本感が漂っているが・・多分に著者の憶測と主張(こじつけ)が混ざった私的な論考だと感じた。作品を理解したければ、宮崎駿のインタビュー本を読んだ方が遥かに良いと思う。その上で、たとえば「モビルスーツを科学的に検証してみる」レベルで、「ナウシカを思想書として読んでみる」という感じであれば、知的エンタメ本として楽しいかも。
個人的には・・物語の終盤に、墓所の内壁に年に2回1行ずつ現れてくる文字を解読する学者(教団?)がいたが、何故かあれを連想した。ナウシカを経典にはしないで欲しい。
なんだろうか。本編の絵を使ってるし、岩波だし、まるでオフィシャルな解説本感が漂っているが・・多分に著者の憶測と主張(こじつけ)が混ざった私的な論考だと感じた。作品を理解したければ、宮崎駿のインタビュー本を読んだ方が遥かに良いと思う。その上で、たとえば「モビルスーツを科学的に検証してみる」レベルで、「ナウシカを思想書として読んでみる」という感じであれば、知的エンタメ本として楽しいかも。
個人的には・・物語の終盤に、墓所の内壁に年に2回1行ずつ現れてくる文字を解読する学者(教団?)がいたが、何故かあれを連想した。ナウシカを経典にはしないで欲しい。
2020年1月24日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
大学の教材、研究対象になってるなんてすごい。いろいろ読んできましたが、すごく迫っていると思いました。あらためて40年前の手持ちのシリーズを読み返しました。世界の戦いは色々あって、色々に切れることを理解させつつ、誰もが欲するに世界を救う物語に触れることができた幸せを感謝。現代において稀有な存在のナウシカ。7巻を最適に編集した脚本と長編アニメを再創造するべき時はまたいつか必ずやってくるだろう。世界が待っていると信ずる。
2019年11月26日に日本でレビュー済み
おもしろいです。
まだ前半までの感想ですが、みなさんにも手にして欲しいと思ってレビューを書きます。時間のあるときに読もうと手にしたら、時間がない中でうっかり読みふけってしまう‥という感じの本です。
はじめの方で、ナウシカの前身である「ホルス」「シュナ」「コナン」と、「ラピュタ」以後の作品との関係が整理されて、今まで何となくもやもやした霧が晴れたように感じました。朝の連ドラ「なっちゃん」の背景とも重なり、楽しくなってきます。
赤坂憲雄さんの本は「異人論序説」から、断続的にではありますが、継続的に病んできました。「東北学」など、歴史に対する批判精神がロマンとが絡み合う作風がとても好きだからです。
「ナウシカ考」は、そんな赤坂さんの作風にぴったりだったのですね。はじめは赤坂さんとナウシカのビジュアルにミスマッチを感じましたが、だんだん赤坂さんと宮崎さんが重なったりしています。そういえば、もののけ姫では、朝廷が創造神ダイダラボッチを討つ話だったし‥。後半では王権の問題にも触れているようなので、それも楽しみです。
まだ前半までの感想ですが、みなさんにも手にして欲しいと思ってレビューを書きます。時間のあるときに読もうと手にしたら、時間がない中でうっかり読みふけってしまう‥という感じの本です。
はじめの方で、ナウシカの前身である「ホルス」「シュナ」「コナン」と、「ラピュタ」以後の作品との関係が整理されて、今まで何となくもやもやした霧が晴れたように感じました。朝の連ドラ「なっちゃん」の背景とも重なり、楽しくなってきます。
赤坂憲雄さんの本は「異人論序説」から、断続的にではありますが、継続的に病んできました。「東北学」など、歴史に対する批判精神がロマンとが絡み合う作風がとても好きだからです。
「ナウシカ考」は、そんな赤坂さんの作風にぴったりだったのですね。はじめは赤坂さんとナウシカのビジュアルにミスマッチを感じましたが、だんだん赤坂さんと宮崎さんが重なったりしています。そういえば、もののけ姫では、朝廷が創造神ダイダラボッチを討つ話だったし‥。後半では王権の問題にも触れているようなので、それも楽しみです。