頭を空っぽにして読めない。なんだかキャラクターの会話がクドくてドラゴンボールっぽくないです。(過去の話なんて原作なら一枚絵見せて、オラ思い出したぞ!くらいで終わらせそう)
作者さんがドラゴンボール愛のある人なので細かく説明をしたくなってしまうんだと思います。絵を似せた別物の普通の漫画と思って読めばそこそこ面白いかなと。
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ドラゴンボール超 19 (ジャンプコミックスDIGITAL) Kindle版
グラノラの猛攻によって追い詰められたかに見えたガスだが、本能を解放し覚醒する。そのあまりに強大な力の前に、圧倒される悟空達。ガスを倒すカギは亡き悟空の父・バーダックの記憶にあるようだが……!?
- 言語日本語
- 出版社集英社
- 発売日2022/8/4
- ファイルサイズ64494 KB
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Kindle Unlimited 読み放題対象の少年マンガ
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カスタマーレビュー
5つ星のうち4.5
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249 件のグローバル評価
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上位レビュー、対象国: 日本
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2022年8月10日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ドラゴンボールファン歴30年です。
事の発端は戦闘シーンでした。
旧作では
やるなあ!かっこいいなあ!と思わせるような姿、振る舞いが何度もありましたが
超は
「ど・ぱんっ!!」という腹に一発いれて空気を割るという描写以外にこだわりが感じられません。
戦っているのにカッコ良く見えない。
これは戦闘描写がメインの漫画としては最悪です。
個人的にですが、
鳥山先生は「強さ」がよく見えました。
パンチ一つとっても、どちらがどれくらい力量の差があるか
子供でもよく理解することができます。
超は悟空含めて今現在の強さが抽象的でつかみどころがありません。
すれすれの戦い感や、あと少しで勝てそう感、努力によって埋まった強さ、
機転によって超えた強さなどが全く見えません。
「ガチャガチャバシバシドッカンどっかん。」
アメリカにみられるような、派手であればすごいという発想に近い。
相手のしぐさや動き、沈黙から感じる気配、強さなどの、
人と人が対峙しているときには誰でもが感じるであろう「感覚」を感じることができません。
どこかそれが、共感しづらい感じや、よそ事の感じ、
「よくわからないけど、どうせ悟空が勝つんでしょ」という安い推測を可能にしてしまい、
どれほどおもしろそうな展開でも、結局飛ばしても変わらないものにしてしまっています。
鳥山先生は、悟空の現在の強さと、成長が手に取るようによくわかりました。
少年の頃から着実に積み重なってきた悟空の強さは他のキャラとも比較しやすく、
例えそれがスカウター数値なしでも、敵との闘いによって対比され、明確にあぶりだされていました。
戦い方で気になった点は4つあります。
先ず、戦い方がみんな同じように見えるということ
悟空の戦い方とバーダックの戦い方には明確に流派として違いがありますが、
そこすらもごっちゃになっているように感じるほど二人にも差がなく、悟空の戦い方が洗練されていません。
バーダックはぶん投げる、ぶん殴るのような
バレーボールを扱うような両手ボレーであったり、野生児の独学のような戦い方をし、
悟空は亀仙流、カリン様、神様の流れを汲んだ武闘派の型を感じさせていました。
ブウ戦でベジットになった時は、戦い方がスマートで、足だけでもその威力の重みがよく伝わってきました。
ベジータもバーダックは悟空のように、誰かと誰かの戦い方のあいのこのようなパンチや蹴り方をしています。
全体的にもその傾向は見られます。
例えば気功波。
昔でいえば、その場しのぎ、時間稼ぎ、体力のじり削り目的で打つような気功波を、
あたるかどうかはほぼおかまいなしにまるで気が無限であるかのように打ち、
その一発に裏の狙いがあるわけでもなく雑に打つ様は戦闘初心者のようです。
これまでは相手を本気で倒そうと気の配分を行い、行動には常に悟空なりの狙いがありましたが、
少年悟空でも見せた、自分より強い敵と対峙したときに見せるとんちに近いような機転、
適の隙をつくような、かつての悟空の良さである頭を使って戦っている様子も、
奥の手を控えて戦っている様子も感じられませんでした。
次に、戦闘シーンが前座のように感じるという点です。
戦っているというより、ただ殴り合っているという感じがします。
しのぎを削っているように感じない、ということが大きいように感じました。
本来戦いは殴る蹴るだけでなく、互いに心理的な駆け引きや、譲れないもの、戦わなければならない、避けては通れない、倒さなければならない
目的、大義名分が明確でした。
戦闘シーンの後にそれを持ってきたら、これまでのこの戦闘は前座。
という4コマ漫画なら4つ目によってプロセスの見え方が変わることってありますが、その4つ目が台無しという印象を受けてしまいます。
戦闘シーンはスキップしても良いCMのようです。
例えば、映画でのピッコロやクリリンの戦いはこどもでも前座だとわかりましたが、
本作では、主人公たちの戦い自体が前座に見えることがあります。
ページとしてはそういったものが重なると、
本筋ストーリーからすれば読まなくてもいいシーン(無駄なページ)につながり、
展開、構図としても「こうもっていきたいんだろうな」という意図が何度か読んでいると子供でも見えてしまいます。
P23~30、31~35、54~55、164~176ページでは、
なんとなく、このシーンは前座っぽいなと
ある書きたいシーンに向かうつなぎの戦いだと戦いのこだわりや緊迫感を感じないことで感じとってしまいます。
まるでドッカンバトルなどの飛ばしてもストーリー展開に支障をきたさないごちゃごちゃ戦闘シーンのよう。
次に、戦いのだいご味である「相手の体力が削れていっている」という感覚が全くしない点です。
戦いが前座に感じるのも、
強さを表現するためにダメージを受ける描写が過度でワンパターンだからだと感じました。
本来それを一発くらってしまったら、弱って立ち上がれなくなるような
致命傷級の技を何発くらっても平気。
かといって、別の時には一発ノックアウト。
これが、私たちにはさっぱり強さが追えなくなり、抽象的で把握できない体力量なのか、パンチが弱いのかなど迷わされる原因になっています。
スーパーサイヤ人が解けるときや、血を流すときも含めてですが、
このように本来なら「そりゃ痛いよ」というダメージの推移が、極端過ぎて想像できません。
悟空がかなり自信を持っているかめはめ波が効かない。なら、敵の力は底知れないはずとそういうわかりやすいものがないために、
悟空が打った攻撃はどれくらいのダメージを見込んでやっているのかということが図りづらい。
フリーザー戦のベジータのように強いはずの自分の技を使ってもほとんど無傷。絶望。
という描写であればこの先何万発ベジータが打とうが徒労に終わる。と誰でも想像できるのでそういう違いかもしれません。
極端に固いか極端に効くかの二択しかないと殆ど戦闘を楽しめないのは
まぐれなのか、ダメージの結果なのか、とりあえず悟空だから入っちゃったのか
戦いの中での工夫がもたらしたものだとわからないので、
設定されたパラメータによるものだと感じてしまうからかもしれません。
次に、筋肉や動きの違和感があります。
例えばP12の腕の曲がり方は変に感じました。
下から蹴り上げられた時、人間の腕はこんな風にならなそうだと子供でさえ言っています。
もう少し肘側のところから曲がりそうですが、
物理の法則が無視されているように感じることは過去作でも意外と多く、
若干筋肉が変な方向にひねって見えるページが何か所もありました。
軟体生物のような変な曲げ方をして、パンチを打っている感じです。
最後に、悟空たちの心理的な推移が不自然な点です。
劣勢に向かっていくときに徐々に表情が曇っていくとかでもなく、
突然驚愕し、自慢げになり、などを繰り返す感じが人として不自然で
劣勢なのか優勢なのかが分かりにくい。
絶望したと思ったらフラットに戻り、驚愕したと思ったら、、、と
ころころと急にフラット戻るところがとても気になりました。
表情の推移から私たちは戦闘の趨勢を無意識に図っていると気づいたのは本作です。
ダメージも強さも見えにくい中では読み手としてはそこを想像の根本にするので
敵がいくら強くても悟空が表情一つ変わらなければ、
「きっと何か奥の手があるんじゃないか」と楽しみに読めますが、
いちいち相手の一挙手一投足でころころと変わっていれば、
ただ振り回されている見栄っ張りの三下のように感じてしまいます。
旧作42巻では落ち着きはらった大人の悟空がいたことから考えると、これまでの窮地を乗り越えてきた精神的な強さが、デフォルトに戻ったとさえ感じるほどです。
表情こそは同じ瞬間はあれど、別人。
敵の分析もせず、ただ敵の引き出しに一喜一憂しているような安っぽいキャラに感じてしまう時がありました。
全体を通じて、
強さが見えないということが、感覚値としても読後の満足感にも直結し、
人として自然に感じる表情や感覚的なものを伝える何かが、作品からどっか飛んでいってしまったことで
ワクワクしなくなったんだと思いました。
私たちは彼らと一緒に戦っているわけではありませんが、悟空と似たような感覚を味わった経験は誰でもあります。
敵が強いのであれば、その恐怖心や不安、緊張感は増幅されるだけであって全くの別物ではありません。
ゲームの画面を見ているような、心が悟空たちと完全乖離しているわけでもありません。
パンチをくらえば痛いですし、風を感じればそこから何かを感じたりします。
敵が異次元であろうと、宇宙人であろうとそれは関係ありません。
逆に、「知らない宇宙人も人と同じようにそこは感じるんだ」というようなものの驚きや
呼吸はそういう風にするんだとか
そういう生体的な情報もこどもの頃楽しみでした。
武空術ひとつとっても、ピッコロはこういう風な姿勢で飛ぶんだとか、天津飯はこういう姿勢、ご飯はこうだ
とか、些細な違いでも子供にとってはそれが不思議で不思議でしかたありませんでした。
なにがその違いなのか、流派なのか、種族なのか、技の熟達具合なのか。
先に読んで見なければ明かされないであろうそれぞれの秘密があるのではないか。
そういう楽しみにもつながっていたように思えます。
本作品に限らずですが、
フィクションの世界で味わえるそういった非日常の世界と日常がつながる瞬間、
そしてそこから得られるワクワクは何歳であろうと普遍です。
辛口になってしまいましたが、
今後とも楽しみにしています。
ぜひ、悟空たちのワクワクを、この先も私たちにも共有してください。
事の発端は戦闘シーンでした。
旧作では
やるなあ!かっこいいなあ!と思わせるような姿、振る舞いが何度もありましたが
超は
「ど・ぱんっ!!」という腹に一発いれて空気を割るという描写以外にこだわりが感じられません。
戦っているのにカッコ良く見えない。
これは戦闘描写がメインの漫画としては最悪です。
個人的にですが、
鳥山先生は「強さ」がよく見えました。
パンチ一つとっても、どちらがどれくらい力量の差があるか
子供でもよく理解することができます。
超は悟空含めて今現在の強さが抽象的でつかみどころがありません。
すれすれの戦い感や、あと少しで勝てそう感、努力によって埋まった強さ、
機転によって超えた強さなどが全く見えません。
「ガチャガチャバシバシドッカンどっかん。」
アメリカにみられるような、派手であればすごいという発想に近い。
相手のしぐさや動き、沈黙から感じる気配、強さなどの、
人と人が対峙しているときには誰でもが感じるであろう「感覚」を感じることができません。
どこかそれが、共感しづらい感じや、よそ事の感じ、
「よくわからないけど、どうせ悟空が勝つんでしょ」という安い推測を可能にしてしまい、
どれほどおもしろそうな展開でも、結局飛ばしても変わらないものにしてしまっています。
鳥山先生は、悟空の現在の強さと、成長が手に取るようによくわかりました。
少年の頃から着実に積み重なってきた悟空の強さは他のキャラとも比較しやすく、
例えそれがスカウター数値なしでも、敵との闘いによって対比され、明確にあぶりだされていました。
戦い方で気になった点は4つあります。
先ず、戦い方がみんな同じように見えるということ
悟空の戦い方とバーダックの戦い方には明確に流派として違いがありますが、
そこすらもごっちゃになっているように感じるほど二人にも差がなく、悟空の戦い方が洗練されていません。
バーダックはぶん投げる、ぶん殴るのような
バレーボールを扱うような両手ボレーであったり、野生児の独学のような戦い方をし、
悟空は亀仙流、カリン様、神様の流れを汲んだ武闘派の型を感じさせていました。
ブウ戦でベジットになった時は、戦い方がスマートで、足だけでもその威力の重みがよく伝わってきました。
ベジータもバーダックは悟空のように、誰かと誰かの戦い方のあいのこのようなパンチや蹴り方をしています。
全体的にもその傾向は見られます。
例えば気功波。
昔でいえば、その場しのぎ、時間稼ぎ、体力のじり削り目的で打つような気功波を、
あたるかどうかはほぼおかまいなしにまるで気が無限であるかのように打ち、
その一発に裏の狙いがあるわけでもなく雑に打つ様は戦闘初心者のようです。
これまでは相手を本気で倒そうと気の配分を行い、行動には常に悟空なりの狙いがありましたが、
少年悟空でも見せた、自分より強い敵と対峙したときに見せるとんちに近いような機転、
適の隙をつくような、かつての悟空の良さである頭を使って戦っている様子も、
奥の手を控えて戦っている様子も感じられませんでした。
次に、戦闘シーンが前座のように感じるという点です。
戦っているというより、ただ殴り合っているという感じがします。
しのぎを削っているように感じない、ということが大きいように感じました。
本来戦いは殴る蹴るだけでなく、互いに心理的な駆け引きや、譲れないもの、戦わなければならない、避けては通れない、倒さなければならない
目的、大義名分が明確でした。
戦闘シーンの後にそれを持ってきたら、これまでのこの戦闘は前座。
という4コマ漫画なら4つ目によってプロセスの見え方が変わることってありますが、その4つ目が台無しという印象を受けてしまいます。
戦闘シーンはスキップしても良いCMのようです。
例えば、映画でのピッコロやクリリンの戦いはこどもでも前座だとわかりましたが、
本作では、主人公たちの戦い自体が前座に見えることがあります。
ページとしてはそういったものが重なると、
本筋ストーリーからすれば読まなくてもいいシーン(無駄なページ)につながり、
展開、構図としても「こうもっていきたいんだろうな」という意図が何度か読んでいると子供でも見えてしまいます。
P23~30、31~35、54~55、164~176ページでは、
なんとなく、このシーンは前座っぽいなと
ある書きたいシーンに向かうつなぎの戦いだと戦いのこだわりや緊迫感を感じないことで感じとってしまいます。
まるでドッカンバトルなどの飛ばしてもストーリー展開に支障をきたさないごちゃごちゃ戦闘シーンのよう。
次に、戦いのだいご味である「相手の体力が削れていっている」という感覚が全くしない点です。
戦いが前座に感じるのも、
強さを表現するためにダメージを受ける描写が過度でワンパターンだからだと感じました。
本来それを一発くらってしまったら、弱って立ち上がれなくなるような
致命傷級の技を何発くらっても平気。
かといって、別の時には一発ノックアウト。
これが、私たちにはさっぱり強さが追えなくなり、抽象的で把握できない体力量なのか、パンチが弱いのかなど迷わされる原因になっています。
スーパーサイヤ人が解けるときや、血を流すときも含めてですが、
このように本来なら「そりゃ痛いよ」というダメージの推移が、極端過ぎて想像できません。
悟空がかなり自信を持っているかめはめ波が効かない。なら、敵の力は底知れないはずとそういうわかりやすいものがないために、
悟空が打った攻撃はどれくらいのダメージを見込んでやっているのかということが図りづらい。
フリーザー戦のベジータのように強いはずの自分の技を使ってもほとんど無傷。絶望。
という描写であればこの先何万発ベジータが打とうが徒労に終わる。と誰でも想像できるのでそういう違いかもしれません。
極端に固いか極端に効くかの二択しかないと殆ど戦闘を楽しめないのは
まぐれなのか、ダメージの結果なのか、とりあえず悟空だから入っちゃったのか
戦いの中での工夫がもたらしたものだとわからないので、
設定されたパラメータによるものだと感じてしまうからかもしれません。
次に、筋肉や動きの違和感があります。
例えばP12の腕の曲がり方は変に感じました。
下から蹴り上げられた時、人間の腕はこんな風にならなそうだと子供でさえ言っています。
もう少し肘側のところから曲がりそうですが、
物理の法則が無視されているように感じることは過去作でも意外と多く、
若干筋肉が変な方向にひねって見えるページが何か所もありました。
軟体生物のような変な曲げ方をして、パンチを打っている感じです。
最後に、悟空たちの心理的な推移が不自然な点です。
劣勢に向かっていくときに徐々に表情が曇っていくとかでもなく、
突然驚愕し、自慢げになり、などを繰り返す感じが人として不自然で
劣勢なのか優勢なのかが分かりにくい。
絶望したと思ったらフラットに戻り、驚愕したと思ったら、、、と
ころころと急にフラット戻るところがとても気になりました。
表情の推移から私たちは戦闘の趨勢を無意識に図っていると気づいたのは本作です。
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敵がいくら強くても悟空が表情一つ変わらなければ、
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いちいち相手の一挙手一投足でころころと変わっていれば、
ただ振り回されている見栄っ張りの三下のように感じてしまいます。
旧作42巻では落ち着きはらった大人の悟空がいたことから考えると、これまでの窮地を乗り越えてきた精神的な強さが、デフォルトに戻ったとさえ感じるほどです。
表情こそは同じ瞬間はあれど、別人。
敵の分析もせず、ただ敵の引き出しに一喜一憂しているような安っぽいキャラに感じてしまう時がありました。
全体を通じて、
強さが見えないということが、感覚値としても読後の満足感にも直結し、
人として自然に感じる表情や感覚的なものを伝える何かが、作品からどっか飛んでいってしまったことで
ワクワクしなくなったんだと思いました。
私たちは彼らと一緒に戦っているわけではありませんが、悟空と似たような感覚を味わった経験は誰でもあります。
敵が強いのであれば、その恐怖心や不安、緊張感は増幅されるだけであって全くの別物ではありません。
ゲームの画面を見ているような、心が悟空たちと完全乖離しているわけでもありません。
パンチをくらえば痛いですし、風を感じればそこから何かを感じたりします。
敵が異次元であろうと、宇宙人であろうとそれは関係ありません。
逆に、「知らない宇宙人も人と同じようにそこは感じるんだ」というようなものの驚きや
呼吸はそういう風にするんだとか
そういう生体的な情報もこどもの頃楽しみでした。
武空術ひとつとっても、ピッコロはこういう風な姿勢で飛ぶんだとか、天津飯はこういう姿勢、ご飯はこうだ
とか、些細な違いでも子供にとってはそれが不思議で不思議でしかたありませんでした。
なにがその違いなのか、流派なのか、種族なのか、技の熟達具合なのか。
先に読んで見なければ明かされないであろうそれぞれの秘密があるのではないか。
そういう楽しみにもつながっていたように思えます。
本作品に限らずですが、
フィクションの世界で味わえるそういった非日常の世界と日常がつながる瞬間、
そしてそこから得られるワクワクは何歳であろうと普遍です。
辛口になってしまいましたが、
今後とも楽しみにしています。
ぜひ、悟空たちのワクワクを、この先も私たちにも共有してください。
2022年8月11日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
個人的には、漫画版のドラゴンボール超は、「ライトな同人誌」だと思って購入しています。ですので、こんなパターンの話もあるんだ、というスタンスで読んでいるため特にストレスはなく、サラリと楽しめています。
(モロ編に入る前までは、正式なドラゴンボールの続編として少しだけ期待していましたが、、、)
この漫画に鳥山先生の世界観のドラゴンボールを求めてしまうと、皆様のレビューにある通りストレスばかり貯まってしまうと思います。ですので、今モヤモヤしながら読み続けている方は、同人誌だと思って読むことを強くオススメ致します!
ドッカンバトル(アプリのゲーム)などで、正式にモロやガスとか我儘の極意をピックアップしだしたら、いよいよ終わりかと思いますが、、、幸い今の所は大丈夫そうです。
最後に、とよたろう先生のドラゴンボール超を否定しているわけではございません。鳥山先生のドラゴンボールと違うのは当たり前で、また一つのコンテンツとして楽しませていただけていることには感謝しております。
(モロ編に入る前までは、正式なドラゴンボールの続編として少しだけ期待していましたが、、、)
この漫画に鳥山先生の世界観のドラゴンボールを求めてしまうと、皆様のレビューにある通りストレスばかり貯まってしまうと思います。ですので、今モヤモヤしながら読み続けている方は、同人誌だと思って読むことを強くオススメ致します!
ドッカンバトル(アプリのゲーム)などで、正式にモロやガスとか我儘の極意をピックアップしだしたら、いよいよ終わりかと思いますが、、、幸い今の所は大丈夫そうです。
最後に、とよたろう先生のドラゴンボール超を否定しているわけではございません。鳥山先生のドラゴンボールと違うのは当たり前で、また一つのコンテンツとして楽しませていただけていることには感謝しております。