2018年度のフォーブス誌の「世界で最も影響力のある人物」ランキングでは、29位のトヨタ自動車豊田章男社長、続いて38位の安倍晋三内閣総理大臣が日本人上位としてランクされた。これは、世界全体における影響力の大きさから見て、トヨタという会社の伝統がいかに卓越したものであるかを指し示すものだろう。
市場を形づくる生産・サービスの場においては、顧客志向を妨げる要素を排除するため、様々な取り組みが考案され、広く普及されている。
たとえば、一倉定氏による環境整備。
経営者やスタッフが課題に向き合っている間はどうしてもおろそかになりがちだが、顧客に見られることがない部分をも含めてくまなく環境を整えることで、働く人たちが顧客の心に目を向けることができるような透明感を作り出す。
あるいは、リッツ・カールトンの逆三角形の組織。
社員を紳士淑女として扱うことが、お客様を紳士淑女として社員が遇せるようになるための鉄則とされている。確かに、下で働いている者を常に無頼漢のように扱うリーダーが、最終的に世の中にプラスを生むことは決してないだろう。有害なリーダーシップを、監督者として厳しくやっているような見かけにつくることができるだけである。
同様の観点から「トヨタ生産方式」を見ると、「作る側の事情から生じる非効率を徹底的に排除する」ということが中心理念として挙げられよう。
前工程の作業効率がいかに素晴らしいかを追求するような情熱は仕事をする側の理屈である。結果、作り置きの積み上がりがムダを産み、顧客に不利益が転嫁される。作り置きを最小限にすること、これはスペースの持ついわば「清新さ」を最大限に守っていく観点である。
ここでは需要がないなら仕事ではない、という姿勢が徹底されている。
ところで、行政の場を舞台として積み重ねられる新規事業、改革の数々は、国民の意見に端を発してはいても、必ずしも正しく「顧客のニーズ」に立脚していないことも多いと感じる。場合によっては、単に何十年ぶりと言われるような目立つ仕事に執着しているだけの場合もあるかと思う。
結果、社会の効率を下げたのか、上げたのか、その部分についての判定が市場原理下と異なり出にくくなっている。
頑張って仕事をしたと思ったところが、世の中の効率を低下させるという悪を犯している可能性はあるわけであり、現実には、相当、そのような悪が蓄積しているように思える。
市場においては、顧客のニーズは時々刻々と変化し、個人によっても異なることが大前提だ。一律不偏を旨とする法令の運用は、価値の創出という意味では、概念的に「正面衝突」している。
もちろん、官庁にも真に世の中を進歩させるような仕事をなされた方もいるだろう。が、そのような方はたいてい、個人としても市場で競争力のある価値を創出できる方であって、現実にも、法令を根拠とした仕事よりは個人としての活動による貢献が大きいのではないかと、これまでの見聞からは感じる。
法令は、一定の基準で一律に適用されなければ世の中を乱してしまう。そういう意味では、発展途上国であるとか戦争後の荒廃にあるなどの特殊事情がない限り、資本主義国において「振興」とか「環境整備」などということは行政サイドの主導でなすべきではないと感じる。列島改造につながるような大きな国家事業は政治主導でなければ難しいだろうが、通常の規模では、心ある実践家、地に足の着いた分析者による自由な活動により各業界において行われるべきであると思う。
総じて、社会のルールはシンプルであればあるほどよく、民間に負担を強いるムダを徹底的に排除したものであってほしい。(したがって現政権および次政権には、消費増税の回避。憲法改正における9条2項の単純削除。ここをしっかり守って頂きたい。)
むしろ行政の世界に古くからある無駄な仕事を引き抜くことが社会の効率性を増すのであれば、そのような試みにも挑戦していくべきかと思う。かつての事業仕分けのような乱暴なパフォーマンスではなく、優れた歯科医が横向きに生えた親知らずを見事に処置するような、繊細さを伴う天才性が必要とされよう。
そして万一にも、予算が増えること自体が影響力の拡大のように感じられてしまうような公務員や、間接部門の仕事の増大が後発者に対する優位性につながるとして喜ぶような企業人がいたのならば、厳しく自省して頂きたいと感じる。
最後になるが、トヨタ生産方式では、作業者の一つ一つの動作が最大限に世の中に価値を創出するような配慮がなされている。
働く人の心のあり方に対する限りない優しさが確かにそこには存在しているのである。
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