欧米人によって地図上の空白が
次々と埋められていった十九世紀後半、
チベットこそは最後に残された禁断の国だった。
本書はチベット、とりわけその首都ラサを目指した
さまざまな国籍・経歴の人々に焦点を当てながら、
彼らの苦闘を「ラサ一番乗りレース」として捉え、
詳しく紹介したものである。
西洋人の探検家や宣教師である彼らにとって、
チベットの中枢たるラサへの潜入は困難きわまりなく、
その試みは次々と失敗に終わっていく。
そこで我らが河口慧海の登場となるのだが、
おそらく日本人読者の大半にとっては納得行かないことに、
著者は彼の一番乗りを決して認めようとはしない。
著者が挙げる理由は、
これはあくまで西洋人のレースであり、
東洋人仏教徒たる河口慧海には容貌等で有利な点があること、
河口を認めるなら、英領インドのスパイだったインド人、
チャンドラ・ダースが厳密には一番乗りであること、などだが、
結局は英国人のヤングハズバンド大佐に
ラサ一番乗りの栄誉を与えているあたり、
何やら帝国主義めいた牽強付会に思えないことはないし、
主題が主題だけに、本書の内容そのものよりも
著者の態度のほうがいっそう興味深いとも言える。
とはいえ、訳者あとがきでも触れられている通り、
本書で紹介された人物のなかには、
チベットの宗教と文化に対する
深く本格的な理解を有していた人物はおらず、
河口といえども例外ではなかったのだから、
誰が一番乗りかにこだわることには、
実はさほどの意味はないだろう。
二十世紀前半までにチベット入りを果たした西洋人、
すなわちデヴィッド=ニールやラマ・ゴヴィンダらが、
先入観に惑わされることなく真摯に仏教を受け入れ、
この時代としては驚くほど正確な理解に達していたことは、
我々に対して何ごとかを暗示しているようにも思われる。
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