ユングの言う個性化にも関わって来るタイプ論はとても興味深いです。
いろんな場での話題の材料にもなりそう。
タイプ論 (日本語) 単行本 – 1987/5/8
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本の長さ644ページ
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言語日本語
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出版社みすず書房
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発売日1987/5/8
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ISBN-104622021978
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ISBN-13978-4622021971
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商品の説明
内容(「BOOK」データベースより)
フロイトとの訣別後8年の沈潜を経て発表した記念碑的大著。神話・宗教・文学・哲学・美学・精神病理学など広大な領域を渉猟し、人間の心理的タイプを探究する。待望にこたえる明快・新鮮な完訳。
登録情報
- 出版社 : みすず書房 (1987/5/8)
- 発売日 : 1987/5/8
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 644ページ
- ISBN-10 : 4622021978
- ISBN-13 : 978-4622021971
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殿堂入りベスト500レビュアー
有名な「外向的」と「内向的」という人間の2つのタイプ。
そこから派生する4つの型。感情・感覚・理論・直観。
についての重要書物。
この本は、入手したのはかなり昔だったが、上記したある意味、単純なことを、
なんでこんな分厚い大著にしなくてはならないのか、よくわからずにずっと読まずにいた。
しかし、読んでみると、本書の内容が、単純なタイプ論を下敷きにした
理論説明の書ではないことがよくわかった。
まず、ユングの視点は、上記タイプ論を踏まえて、人類の精神史を古代から、ギリシャ・ローマ時代、
原始キリスト教時代、教父時代、中世、近世と遡っていく。
教父時代では、オリゲネスはよく知られた存在だが、彼と対応する別タイプの人物として
テルトゥリアヌスが登場し、論じられる。ドゥンス・スコトゥスなどにも違った側面(タイプ論)から
光があてられる。これらを総括する形で、ユングはフロイトとアドラーについて言及し、
ルネッサンス時代の宗教改革について短く触れ、彼にとって重要な人物を取り上げる。
それが最初の山場、「シラーとタイプ論」についての長い1章となる(約70ページ)。
シラーというと、作品などよりもゲーテとの関係でむしろ有名だが、ユングはシラーの書簡から、
この人物がいかに人間の心理を、タイプ論に即した形で適確に洞察し、論じていたかを説き明かしていく。
こうしたときにユングが書き示す現代文明と現代人に関する洞察は、智惠の輝きと正確さに満ちている。
シラーが書簡で示した見解に沿ってユングが展開する心理学的見解の深さと適確さにふれること。
『タイプ論』を読むという行為が、知的衝撃をジャブのように受け続ける、最上の快楽に変わる。
この後、ショーペンハウアー、ニーチェ、ワーグナーらが登場し、西洋近代の現代人へと続く様相の問題に移り、
さらにそこからインドのウパニシャッド、中国のタオ(老荘思想)へとユングの考察は進む。
そして再び西洋に戻り、中世の進学者でアリ、一級の神秘思想家であったマイスターエックハルトの言説を提示しながら、
神概念・神体験の心理学的説明がなされていく。ここはたぶん、本書の中でもクライマックスと言っていい部分で、
ユングの明察で本のページが白く輝いているようにみえる。
ただし本書は、訳者が学者に特有の「である・のである」病にかかっている。
訳文は、内容を伝えるという点では十分なのだが、なくていい同じ語尾が連続し、読んでいてストレスになる。
そこから派生する4つの型。感情・感覚・理論・直観。
についての重要書物。
この本は、入手したのはかなり昔だったが、上記したある意味、単純なことを、
なんでこんな分厚い大著にしなくてはならないのか、よくわからずにずっと読まずにいた。
しかし、読んでみると、本書の内容が、単純なタイプ論を下敷きにした
理論説明の書ではないことがよくわかった。
まず、ユングの視点は、上記タイプ論を踏まえて、人類の精神史を古代から、ギリシャ・ローマ時代、
原始キリスト教時代、教父時代、中世、近世と遡っていく。
教父時代では、オリゲネスはよく知られた存在だが、彼と対応する別タイプの人物として
テルトゥリアヌスが登場し、論じられる。ドゥンス・スコトゥスなどにも違った側面(タイプ論)から
光があてられる。これらを総括する形で、ユングはフロイトとアドラーについて言及し、
ルネッサンス時代の宗教改革について短く触れ、彼にとって重要な人物を取り上げる。
それが最初の山場、「シラーとタイプ論」についての長い1章となる(約70ページ)。
シラーというと、作品などよりもゲーテとの関係でむしろ有名だが、ユングはシラーの書簡から、
この人物がいかに人間の心理を、タイプ論に即した形で適確に洞察し、論じていたかを説き明かしていく。
こうしたときにユングが書き示す現代文明と現代人に関する洞察は、智惠の輝きと正確さに満ちている。
シラーが書簡で示した見解に沿ってユングが展開する心理学的見解の深さと適確さにふれること。
『タイプ論』を読むという行為が、知的衝撃をジャブのように受け続ける、最上の快楽に変わる。
この後、ショーペンハウアー、ニーチェ、ワーグナーらが登場し、西洋近代の現代人へと続く様相の問題に移り、
さらにそこからインドのウパニシャッド、中国のタオ(老荘思想)へとユングの考察は進む。
そして再び西洋に戻り、中世の進学者でアリ、一級の神秘思想家であったマイスターエックハルトの言説を提示しながら、
神概念・神体験の心理学的説明がなされていく。ここはたぶん、本書の中でもクライマックスと言っていい部分で、
ユングの明察で本のページが白く輝いているようにみえる。
ただし本書は、訳者が学者に特有の「である・のである」病にかかっている。
訳文は、内容を伝えるという点では十分なのだが、なくていい同じ語尾が連続し、読んでいてストレスになる。
殿堂入り
ユング心理学の要となる重要な理論を絞って挙げるとすれば、「原型論」と、この「タイプ論」の二つと言えるだろう。
だがしかし、同時にこの「原型論」も「タイプ論」も、私にとっては評価がしづらい考え方でもある。
「原型論」は人間の心の象徴としてその中心に位置するものだということであるが、私も一時期教えを請うた河合隼雄氏
によれば、「原型とは、”表象可能性”と言い換えてもいい」という説明をされていたけれども、これも私にはどうにもよく
理解できなかった。
「原型」が「表象可能性」という用語に置き換わったとしても、これで根本的な説明になってるだろうか?
言葉の意味の次元においては、単に用語としては同じ次元で別の表現に置き換わっただけで、「だから原型とはそもそも
何なのか?」という問いの答にはなっていない。
そして「タイプ論」にもじつは似たような不備が合って、人間を「タイプ」に分類したのは分かった、しかし「タイプ分け」
というのは、根本的な分類ではなくて、これも「ユングのサジ加減」による判断で勝手に分類しているだけで、何かを明ら
かにしたとは言えないと私は考えている。
ユングの考え方にはこうした「曖昧」で「平行移動」に過ぎない思いつきのような理屈が多すぎるのだ。
それが証拠に、先の河合隼雄氏と中沢新一氏による対談において、両者によるユングに対して一致した意見が、「できれば
ユングの著作をすべて書き直してみたい」ということであった。
日本初のユング派分析家である河合隼雄御大にして、そういうことを言われるわけだから、やはり問題があるのは確かなの
だろう。
それでも私が上にあるように「高評価」をしている理由は、やはり「タイプ論」はユング心理学には必要だからなのだ。
「ジャック・ラカン」といえば、ユング派分析家の皆さんからみれば、「なんで何んでもかんでも言語のはなしになるのか?」
という疑問と不満が出まくるのだが、自らを「私はラカン派ではありません、フロイト派です」と公言するラカンが、彼の
「著作」や「セミネール(講義録)」などにも何度となくユングとその考え方が堂々と出てくるのだが、ラカンは決してユング
を批判するために名前を出しているわけではない。
むしろ、引用し活用しているのだ。
「フロイト」と「ユング」は「真逆の思考ベクトル」だと思うが、ラカンはそれでもユングを持ち出して自分の考えを述べるの
に利用している。
なにか、私も「ラカンが評価しているから、それがどうした」と問われたら「沈黙」しそうになるが、ユングはユングで大きな
可能性を持っている、無視できない重要な心理学者なのだということが言いたかったのである。
そのためにも、私自身は好きにはなれないが、この「タイプ論」と向き合うことは重要だと思える程に、真剣に向き合って掘り
下げていくだけの意味が大いにあると、私も感じているわけです。
ちょっと私の書き方も、核心から逃げた書き方をしているけれども、それぞれ読者がそれぞれのバックグラウンドを活かして
ぜひとも読む価値のある、ユングの「主著のひとつ」であることは間違いないということを強調したいと思います・・・。
だがしかし、同時にこの「原型論」も「タイプ論」も、私にとっては評価がしづらい考え方でもある。
「原型論」は人間の心の象徴としてその中心に位置するものだということであるが、私も一時期教えを請うた河合隼雄氏
によれば、「原型とは、”表象可能性”と言い換えてもいい」という説明をされていたけれども、これも私にはどうにもよく
理解できなかった。
「原型」が「表象可能性」という用語に置き換わったとしても、これで根本的な説明になってるだろうか?
言葉の意味の次元においては、単に用語としては同じ次元で別の表現に置き換わっただけで、「だから原型とはそもそも
何なのか?」という問いの答にはなっていない。
そして「タイプ論」にもじつは似たような不備が合って、人間を「タイプ」に分類したのは分かった、しかし「タイプ分け」
というのは、根本的な分類ではなくて、これも「ユングのサジ加減」による判断で勝手に分類しているだけで、何かを明ら
かにしたとは言えないと私は考えている。
ユングの考え方にはこうした「曖昧」で「平行移動」に過ぎない思いつきのような理屈が多すぎるのだ。
それが証拠に、先の河合隼雄氏と中沢新一氏による対談において、両者によるユングに対して一致した意見が、「できれば
ユングの著作をすべて書き直してみたい」ということであった。
日本初のユング派分析家である河合隼雄御大にして、そういうことを言われるわけだから、やはり問題があるのは確かなの
だろう。
それでも私が上にあるように「高評価」をしている理由は、やはり「タイプ論」はユング心理学には必要だからなのだ。
「ジャック・ラカン」といえば、ユング派分析家の皆さんからみれば、「なんで何んでもかんでも言語のはなしになるのか?」
という疑問と不満が出まくるのだが、自らを「私はラカン派ではありません、フロイト派です」と公言するラカンが、彼の
「著作」や「セミネール(講義録)」などにも何度となくユングとその考え方が堂々と出てくるのだが、ラカンは決してユング
を批判するために名前を出しているわけではない。
むしろ、引用し活用しているのだ。
「フロイト」と「ユング」は「真逆の思考ベクトル」だと思うが、ラカンはそれでもユングを持ち出して自分の考えを述べるの
に利用している。
なにか、私も「ラカンが評価しているから、それがどうした」と問われたら「沈黙」しそうになるが、ユングはユングで大きな
可能性を持っている、無視できない重要な心理学者なのだということが言いたかったのである。
そのためにも、私自身は好きにはなれないが、この「タイプ論」と向き合うことは重要だと思える程に、真剣に向き合って掘り
下げていくだけの意味が大いにあると、私も感じているわけです。
ちょっと私の書き方も、核心から逃げた書き方をしているけれども、それぞれ読者がそれぞれのバックグラウンドを活かして
ぜひとも読む価値のある、ユングの「主著のひとつ」であることは間違いないということを強調したいと思います・・・。
2007年12月8日に日本でレビュー済み
ユングの膨大な著作の中での最高峰。特に本書の「定義」には、ユング理論のすべてが、あますところなく書かれている。
「タイプとは発達の偏り」である。 『タイプ論』心理的諸タイプより
内向タイプへの偏り、外向タイプへの偏り、思考タイプ(思考機能)への偏り、感情タイプ(感情機能)への偏り、このような一面的なタイプへの偏りが、コンプレックス(個人的無意識)を発生させ、心のエネルギーの減少となり、精神病・うつ病を発生させていることを発見したユング。世間でもてはやされる外向型でさえも病因となりうる、という驚愕の事実がここにある。
精神病・うつ病の原因は、「〜しなければ・〜でなければ」などの偏狭な価値観・道徳観が、反応の癖である「構え」を一面化させ、それが固定化し「タイプ」となる。これが「コンプレックス」を発生させ精神病・うつ病の原因となっている。その正当性を、フロイトのように独善的理論にならないよう、宗教・哲学・文学・精神医学などからの引用で確認している。
ユングを正確に知り尽くしたユング心理学第一人者・林道義博士ならではの卓越した翻訳、これ以上の翻訳はない正確でわかりやすい翻訳。
精神医療関係者はこの本以外に何か読むべき本があるのか?もちろん病気で苦しんでいる方もユング『自我と無意識』から読まれて、この本を読まれるといいと思います。
「タイプとは発達の偏り」である。 『タイプ論』心理的諸タイプより
内向タイプへの偏り、外向タイプへの偏り、思考タイプ(思考機能)への偏り、感情タイプ(感情機能)への偏り、このような一面的なタイプへの偏りが、コンプレックス(個人的無意識)を発生させ、心のエネルギーの減少となり、精神病・うつ病を発生させていることを発見したユング。世間でもてはやされる外向型でさえも病因となりうる、という驚愕の事実がここにある。
精神病・うつ病の原因は、「〜しなければ・〜でなければ」などの偏狭な価値観・道徳観が、反応の癖である「構え」を一面化させ、それが固定化し「タイプ」となる。これが「コンプレックス」を発生させ精神病・うつ病の原因となっている。その正当性を、フロイトのように独善的理論にならないよう、宗教・哲学・文学・精神医学などからの引用で確認している。
ユングを正確に知り尽くしたユング心理学第一人者・林道義博士ならではの卓越した翻訳、これ以上の翻訳はない正確でわかりやすい翻訳。
精神医療関係者はこの本以外に何か読むべき本があるのか?もちろん病気で苦しんでいる方もユング『自我と無意識』から読まれて、この本を読まれるといいと思います。
2015年8月21日に日本でレビュー済み
この本では、ユングは、たくさんの臨床現場から、人にはそれぞれ外向型・内向型とがあり、さらに感覚型・感情型・直観型・思考型があるといってます。この分析事態が非常に面白いです。
しかし、他面では、この分類自体が西洋占星術の火・水・土・気とに対応しているとも言われています。また、血液型のO型、A型、B型、
AB型との対応も類推できます。A型は感情型、B型は感覚型、O型は思考型、AB型は直感型という分類も可能ではないでしょうか。
もちろん、学者は昔から保守的ですので「そんなのはない」と否定しますが。
しかし、他面では、この分類自体が西洋占星術の火・水・土・気とに対応しているとも言われています。また、血液型のO型、A型、B型、
AB型との対応も類推できます。A型は感情型、B型は感覚型、O型は思考型、AB型は直感型という分類も可能ではないでしょうか。
もちろん、学者は昔から保守的ですので「そんなのはない」と否定しますが。