20世紀初めのアメリカ・ニューハンプシャー州のある町を舞台にした劇ですが、東京の蒲田に脚色しようと神奈川の溝の口(みぞのくち)にしようと、上演は可能です。どの町も誰かにとっては「わが町」だし、これは派手でも奇想天外でも奇跡でもない、平凡な日常の物語だからです。けれども、凡庸の中に永遠不滅なものを描こうとしています。先輩がこの劇の溝の口バージョンに出演なさるので、観てきたのですが、名作だと知り、オリジナルの翻訳も読んでみました。
平凡な日常にはどんなことが起こるのでしょうか。
たとえば、「だれが金持ちでだれが貧乏かって、そんな話ばっかりして」(p.38)います。まじめな人間が報われ、ふまじめな人間は報われない、そんな世の中にならないか願っています。青年たちは合衆国統一を目指す南北戦争に駆り出されますが、じつは、80キロより遠くを見たことなどありませんでした。
宗教も日常です。アメリカの場合はキリスト教です。組合教会(という教派)で聖歌隊が練習をしています。大声を出せば良いというわけではない、「どなるのはメソジストにまかせとけばいい。あの連中に勝とうったってむりだ」(p.49)と指揮者は言います。(当時、メソジスト派は他の教派からどのように思われていたのでしょうね?)
たくさんの讃美歌が出てきます。「主イエスにより」「つかれたるものよ、みこえきけ」「あめなるよろこび」・・・・・。これもそこで育った人々には平凡な日常の風景でしょう。
「ヴェルサイユ条約とかリンドバーグの大西洋横断飛行のことだけでなく」「こんなふうに、成長し、結婚をし、そしてこんなふうに生きて死んでいった」(p.48)ことを千年先のひとびとに知ってほしいという願いが込められています。(「結婚」が誰でもすることのリストに入れられていることは、時代の制約かもしれません)。
「ママ」「パパ」「時計の音」「ママのヒマワリ」「料理」「コーヒー」「アイロンのかけたてのドレス」「あったかいお風呂」「夜眠って朝起きること」(p.136)はすばらしいと、死者となった登場人物が感慨深く語ります。
「ぼく? 十六、もうじき十七」(p.51)というセリフからは、「サウンド・オブ・ミュージック」のI am 16 going on 17.が思い出されます。このミュージカルの方があとですが。
封筒の宛名に「ジェーン・クロファットさま、クロファット農場、グローヴァーズ・コーナーズ町、サトン郡、ニューハンプーシャー州、アメリカ合衆国、北アメリカ大陸、西半球、地球、太陽系、宇宙」(p.63)と記す牧師さん。ぼくらもやりました。「宇宙、太陽系、地球、北半球、アジア、日本、九州、福岡県、北九州市、小倉北区、三郎丸・・・」。けれども、この牧師さんのように、「宇宙」の前に「神のみ心」とまではつけませんでしたが。
「ねえママ、最後のお願いだ・・・・・ぼくはただ、ボーイフレンドとして・・・・」(p.102)とは、結婚式当日の若い新郎。「だってパパ、あたし、結婚なんていや・・・・・」(p.103)とは新婦。マリッジブルーという名前さえもらっているこの日常茶飯事。
この中にこそ、大切なものがあるけれども、生きている人は気づいていないと、この劇の死者たちは嘆きます。そして、生きている人のことへの関心が薄れ、「自分のなかの永遠不滅な部分がくっきり現われてくるのを待っている」(p.114)と言います。
けれども、はたしてそうでしょうか。死者は、むしろ、生きている人への関心を深めつづけ、生きている人のかたわらにいて、日常の中に潜んでいる永遠不滅なもの、日常をそこに創り出す根本なるものへと案内してくれるのではないでしょうか。
わが町の人間の普遍的な生死のなかに、永遠を見ようとする、けれども、肩に力の入っていない静かな名作だと思いました。
ソーントン・ワイルダー〈1〉わが町 (ハヤカワ演劇文庫) (日本語) 文庫 – 2007/5/24
ソーントン ワイルダー
(著)
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ISBN-104151400095
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ISBN-13978-4151400094
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出版社早川書房
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発売日2007/5/24
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言語日本語
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本の長さ208ページ
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商品の説明
内容(「BOOK」データベースより)
ニューハンプシャー州の小さな町に暮らすエミリーとジョージ。ふたりは善良な両親と近隣の人々に見守られて育ち、恋に落ちて、やがて結婚の日を迎えた。しかし幸せに満ちた九年の夫婦生活の後、エミリーの身には…。人の一生を超越する時の流れのなかで、市民たちのリアルな生の断片を巧みに描きだし、ありふれた日常生活のかけがえのない価値を問う。演劇界に燦然たる足跡を残した巨匠の代表作。ピュリッツァー賞受賞。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
ワイルダー,ソーントン
アメリカを代表する劇作家。小説家。1897年4月17日、ウィスコンシン州生まれ。領事の父に同行し、幼少期の一時を中国で過ごしている。イェール大学を卒業後、プリンストン大学大学院でフランス文学の修士課程修了。1927年に小説『サン・ルイス・レイの橋』でピュリッツァー賞を受賞し、一躍脚光を浴びる。1928年には最初の戯曲集『水面を動かした天使』を出版し、一幕劇集『長いクリスマス・ディナー』(1931)を経て、代表作となる戯曲『わが町』(1938)『危機一髪』(1942)『結婚仲介人』(1954)を発表した。『わが町』『危機一髪』もピュリッツァー賞に輝いている。1975年12月7日没
鳴海/四郎
1917年生、1940年東京商科大学卒、英米文学翻訳家(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
アメリカを代表する劇作家。小説家。1897年4月17日、ウィスコンシン州生まれ。領事の父に同行し、幼少期の一時を中国で過ごしている。イェール大学を卒業後、プリンストン大学大学院でフランス文学の修士課程修了。1927年に小説『サン・ルイス・レイの橋』でピュリッツァー賞を受賞し、一躍脚光を浴びる。1928年には最初の戯曲集『水面を動かした天使』を出版し、一幕劇集『長いクリスマス・ディナー』(1931)を経て、代表作となる戯曲『わが町』(1938)『危機一髪』(1942)『結婚仲介人』(1954)を発表した。『わが町』『危機一髪』もピュリッツァー賞に輝いている。1975年12月7日没
鳴海/四郎
1917年生、1940年東京商科大学卒、英米文学翻訳家(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
登録情報
- 出版社 : 早川書房 (2007/5/24)
- 発売日 : 2007/5/24
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 208ページ
- ISBN-10 : 4151400095
- ISBN-13 : 978-4151400094
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Amazon 売れ筋ランキング:
- 75,455位本 (の売れ筋ランキングを見る本)
- - 4位ハヤカワ演劇文庫
- - 178位戯曲・シナリオ (本)
- - 1,188位英米文学研究
- カスタマーレビュー:
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カスタマーレビュー
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2016年5月15日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
内容は一応のレベルだと思う。おして、本は中身が一番だということは重々承知の上で、商品として云えば、問題は「化粧直し」本の残念さだ。3方小口が研磨機械で刮がれていて、本が非常に安っぽく感じる。これを称して一端店頭に出したものの売れ残って回収した本を再度小口を研磨して表紙の寸も切って揃え、恰も新品かのようにして再版することを「化粧直し」と業界用語で云うらしいが、私はこれを文明開化時の間に合わせよろしく安易な「散切り」と呼んで、古書店の廉価本ならいざ知らず、新刊本で店頭買いなら絶対に避けて買わない一冊である。商品そのものが見えないネット販売だからこそ、Amazonは小口の裁断状態も情報として提供するか、リサイクルしたものでない商品を提供してくれることを切に願いたい。
2008年10月15日に日本でレビュー済み
ニューハンプシャー州の小さな町の隣家に育ったエミリーとジョージ。
二人は幼なじみとしていつも行動を共にし、やがて結婚した。
しかし九年後、幸せな結婚生活はエミリーの死により突如終わりを迎える。
死者となったエミリーは過去に戻り、何の変哲のない日常が輝いていたことを知る。
『トム・ソーヤーの冒険』のあの名場面を私は思い出す。
家出をしたトムたちが自分たちの葬式の日に戻って来てみると、
いつも厳しかった家族が、友人たちが泣いている。
彼らはその時、自分たちがいかに愛されていたかを知ったのだった。
青い鳥はほかのどこかではなく、自分の家にいる。
しかし、われわれがそれに気づくためには、
いつも遠回りしなければ、何かを失わなければならないのだろうか。
エミリーは言う。
「全然わからなかったわ。あんなふうに時が過ぎていくのに、
あたしたち気がつかなかったのね。……ああ、この地上の世界って、
あんまりすばらしすぎて、誰からも理解してもらえないのね。
人生というものを理解できる人間はいるのでしょうか―その一刻一刻を
生きているそのときに」
演劇の魅力は、人を非日常へと誘う力にあると私は考えている。
その意味で、われわれを目まぐるしく変転する社会から途中下車させ、
今ここにあることの喜びを実感させる力をもったこの小さな書物は、
およそドラマチックな出来事など何ひとつ描かれていないにもかかわらず、
逆説的にも最も劇的な作品となったのである。
二人は幼なじみとしていつも行動を共にし、やがて結婚した。
しかし九年後、幸せな結婚生活はエミリーの死により突如終わりを迎える。
死者となったエミリーは過去に戻り、何の変哲のない日常が輝いていたことを知る。
『トム・ソーヤーの冒険』のあの名場面を私は思い出す。
家出をしたトムたちが自分たちの葬式の日に戻って来てみると、
いつも厳しかった家族が、友人たちが泣いている。
彼らはその時、自分たちがいかに愛されていたかを知ったのだった。
青い鳥はほかのどこかではなく、自分の家にいる。
しかし、われわれがそれに気づくためには、
いつも遠回りしなければ、何かを失わなければならないのだろうか。
エミリーは言う。
「全然わからなかったわ。あんなふうに時が過ぎていくのに、
あたしたち気がつかなかったのね。……ああ、この地上の世界って、
あんまりすばらしすぎて、誰からも理解してもらえないのね。
人生というものを理解できる人間はいるのでしょうか―その一刻一刻を
生きているそのときに」
演劇の魅力は、人を非日常へと誘う力にあると私は考えている。
その意味で、われわれを目まぐるしく変転する社会から途中下車させ、
今ここにあることの喜びを実感させる力をもったこの小さな書物は、
およそドラマチックな出来事など何ひとつ描かれていないにもかかわらず、
逆説的にも最も劇的な作品となったのである。
2007年9月18日に日本でレビュー済み
オニール「夜への長い旅路」、ミラー「セールスマンの死」、ウィリアムズ「ガラスの動物園」と並ぶ、アメリカを代表する劇だ。1930年代に発表されたにもかかわらず、準備のしやすさ、演じやすさから現在なお世界各国の学生が好んで上演するという。
この劇はあらすじというほどのあらすじを持たない。「舞台監督」の役者が初めに現われ、「わが町」を紹介するところから始まる物語は、息をつかせぬ展開とも強烈な個性を持った人物とも無縁である。
どこにでもあるような風景は、そうであるからこそ星のように輝いている。この劇のように、多くの人々は平凡で、起きる事件も平凡で、町もまた平凡である。平凡であることは悪いことでもなんでもない。平凡そのものの中に何事にも換えられない価値がある。日々は美しい。人生もまた美しい。この劇が執筆されて何十年も後の今日でも、世界中で多くの人に上演され、読まれ、鑑賞され、そして涙されていることがそれを証している。
ワイルダーは、オニール劇に代表される、ひどく暴力的な劇が人気を占めているアメリカ演劇界を憂えて独自の方法で劇作を目指した。その結果、生まれ、評価されたのが本作である。時々は必ず読み返すようにしたい、かけがえのない物語である。
この劇はあらすじというほどのあらすじを持たない。「舞台監督」の役者が初めに現われ、「わが町」を紹介するところから始まる物語は、息をつかせぬ展開とも強烈な個性を持った人物とも無縁である。
どこにでもあるような風景は、そうであるからこそ星のように輝いている。この劇のように、多くの人々は平凡で、起きる事件も平凡で、町もまた平凡である。平凡であることは悪いことでもなんでもない。平凡そのものの中に何事にも換えられない価値がある。日々は美しい。人生もまた美しい。この劇が執筆されて何十年も後の今日でも、世界中で多くの人に上演され、読まれ、鑑賞され、そして涙されていることがそれを証している。
ワイルダーは、オニール劇に代表される、ひどく暴力的な劇が人気を占めているアメリカ演劇界を憂えて独自の方法で劇作を目指した。その結果、生まれ、評価されたのが本作である。時々は必ず読み返すようにしたい、かけがえのない物語である。
2011年4月21日に日本でレビュー済み
年齢を重ねるごとに一年が短くなる。
今も昔も同じ一年なのに、なぜだろう。
日常を重ねていくにつれて、人は多くのことを忘れていく。
「いちいち、そんなこと考えていたら生きていけない」
「人は忘れやすいもの」
などと言われたり、いつの間にか言うようになったり。
昔のことは特別な日のことは記憶にあっても、何でも無い日の詳細など覚えていない。
大人になると子供の頃よりも日常が増えてしまうから、
一年が短く感じるようになるのだろうか。
「日常」を送っている時にも、
いろいろなことが起きているはずなのに、いつの間にか忘れていってしまう。
『わが町』は、そんな「日常」について、いろいろと考えさせてくれた。
今も昔も同じ一年なのに、なぜだろう。
日常を重ねていくにつれて、人は多くのことを忘れていく。
「いちいち、そんなこと考えていたら生きていけない」
「人は忘れやすいもの」
などと言われたり、いつの間にか言うようになったり。
昔のことは特別な日のことは記憶にあっても、何でも無い日の詳細など覚えていない。
大人になると子供の頃よりも日常が増えてしまうから、
一年が短く感じるようになるのだろうか。
「日常」を送っている時にも、
いろいろなことが起きているはずなのに、いつの間にか忘れていってしまう。
『わが町』は、そんな「日常」について、いろいろと考えさせてくれた。