「はじめに」を精読。ちょっとひっかかるものがあった。というのも‥‥。
「禁忌としてのオーウェル」の小見出しのあと、オーウェルの『1984』や『動物農場』が、「冷戦プロパガンダ」の材料として米国が用いたことによって、「本人の意図に反して」「反ソ・反共のイデオローグ」という色眼鏡が見られるようになったことを指摘。
そのために「米国の覇権主義に反撥しソ連の体制に同調・共感する(反戦平和主義者の多くをふくむ)人びとによって有害図書扱いされていた」と。このあたりは客観的描写といえば客観的でもあり、特に問題はない。
ただ「本人の意図に反して」と断言できるのか?
「ロシアが社会主義国であり、その支配者のすることは、模倣まではしなくても、なんでも許されるという信念ぐらい、本来の社会主義の概念を堕落させるのに役立ったものはない」「だからこそ、この十年間、社会主義運動を蘇生させたければまずソビエト神話を打破することが根本だと私は固く信じてきた」とオーウェルは述懐しているのだから‥‥。
オーウェルは反ソ反共であり、当然、反ナチ、反ファシズムであった。大戦直後、その右翼全体主義国家ナチ、、ファシズム国家は敗退したが、左翼全体主義国家(ソ連)は領土を拡張し、その勢力を広げ、そのスターリン神話は広がりつつあったのだから。
ともあれ、川端氏は、その指摘のあと、こう書く。
「オーウェル年」から「ポスト真実」の時代まで--という小見出しのあと、1984年になった時、日本でも『1984』が大いに話題となった年で、
「活字メディアを中心にオーウェルが広範に言及された。それらを概観してみると、『反ソ・反共作家』としてオーウェルを持ち上げ、返す刀でリベラル・左派を攻撃する右派陣営の発言が目立つ。
オーウェル受容の最初期のインパクトがいかに強烈だったかをうかがわせるものだが、この時期までにはオーウェルの他の主要な著作が翻訳刊行されており、またバーナード・クリックによる最初の公的な伝記『ジョージ・オーウェル』が訳出されていたのに、それらをろくに参照しておらず、概ね狭隘なオーウェル理解にとどまっている。
逆に左派からはオーウェル批判の論調は弱まっている。のみならず、彼の社会主義思想を再評価する論考がいくつか出ている。『情報革命』『管理社会』といったキーワードを用いた『一九八四年』論が増えてきたのもこの時期だった」(改行を増やしている)。
この指摘には、ちょっと首を傾げた。
英文学者の渡部昇一氏は「オーウェルを正しく理解することは、左翼全体主義者には何にも増して不愉快なことである」から、彼らは「オーウェルは管理社会の非人間性を説く未来小説を書いた」ということにしておきたいのであると指摘している(1984年2月21日付けサンケイ新聞)が、この見方のほうがよりシャープだろう。
また、長年、オーウェルに対して「狭隘なオーウェル理解にとどまっていた」のは客観的に見て左派陣営であるのに、この筆致では、「右派陣営」だということになるが、果たしてそうだろうか?
川端氏は、具体的に「右派陣営」のどの論文が、「狭隘なオーウェル理解」なのかを指摘していない。これは読者に対して不親切だ。読者はどういうふうに「狭隘な」のか追跡できないからだ。
僕は1984年前後の日本のマスコミなどの「オーウェル論」はわりと事細かにリアルタイムでチェックしていたので、このくだりを読んだ時、ああ、香山健一氏の論文(「「1984年」の真実と幻--ジョージ・オーウェルの世界を検証する」「文藝春秋」1984年2月号)や志水速雄氏の論文(「ジョージ・オーウェルが怒るぞ!」「諸君!」84年3月号)を指しているのだろうと思った。渡部さんも先のサンケイ新聞のエッセイや「文化会議」で同様の指摘もしていた。
この二論文(香山氏&志水氏)はリアルタイムで一読してかなりの知的刺激を受けたものだ。香山氏、志水氏は元全学連の関係者でもともとは左派も左派の人たち。そのあと、清水幾太郎氏的「転回」「転向」をしたことでも知られている。
とりわけ、志水氏の論文は「オーウェル読みのオーウェル知らず」の進歩的文化人たちや一般的な知識人たちの、それこそ文字通りの「狭隘なオーウェル理解」を具体的に指摘・論難していた(いま手元に論文がないのでうろ覚えだが、作曲家の武満徹氏などが俎上にのぼっていたかと)。
川端氏が、この二人の論文を「狭隘なオーウェル理解にとどまっていた」とみなすなら、それはちょっと違うのではないかなと。
ともあれ、そういう批判のあと、トランプ大統領の当選後、『1984』がベストセラーになったことを指摘したりする。
そして「二十一世になってからも、海外の『自由度』の低い国々を想起する読者が多くいるのはたしかであるにせよ」と触れつつも、「政権の数にまかせた横暴、反民主主義的傾向の増大、新自由主義経済の弊害等、私たちの身近な世界の危機を表現した小説という見方が広がっている」と指摘する。
『1984』でも出てくるオーウェルの言葉の言い換え例ではないが(?) 「『自由度』の低い国々」とはさてどこの国のことだろうか? もう少し具体的に国名を書いたほうが読者にピンとくるのではないだろうかと思った。これまた不親切ではないか。
「北朝鮮」や「中国」のことなのだろうか? ここでも具体的国名を出すのをためらわれているかのような印象をこの筆致から受けずにはいられなかった。「左翼全体主義国家・中国や北朝鮮」と書けばいいのに?
想像だが(?)、そうは書けないのか、書きたくないのか、書いていたけど岩波の編集者が「ちょっと発行人(岡本厚社長、元世界編集長)のご機嫌を損ねるので表現を緩めてほしい」と懇願されて止むを得ずそうしたのか?
ともあれ、「政権の数にまかせた横暴、反民主主義的傾向の増大、新自由主義経済」というのはいまの日本のことだろうか? だとしたら、「自由度の低い国」(中国・北朝鮮)より、いまの日本のほうがより問題なのかと思わせかねない筆致というしかない。
だが、『1984』や『動物農場』の描いた世界、地獄図(?)は、どう考えても、昨今の日本やトランプ政権下のアメリカではなく、現在の北朝鮮や中国や中共支配下のウイグル、ホンコン、チベットではないのか?
川端氏は、その指摘のあと、こう書く。
「新型コロナウイルス感染症の世界的流行により、感染抑制のためのやむを得ぬ手段としての、個人の日常的行動の束縛と監視、私権制限、プライバシー侵害、また為政者の権限の強化に対し、オーウェルの名を出して懸念が表明されるのを、国内外のマスメディアやソーシャルメディアで頻繁に目にする。感染症が沈静化したあと、統制のための監視システムの使用が一線を越えて『一九八四年』の世界と見まがう状況にならないかという怖れがつぶやかれている」
それはその通り。しかし、この一文の中に「中国」が武漢ウイルスを撒きちらしたという「主語」は出てこない。また、中国がもっとも「1984」的な「束縛と監視」「私権制限」等々を推進している事実も指摘されていないのはちょっとヘンではないかと思う。なにかに遠慮していないかと思われても仕方がない?
川端氏がこの「はじめに」を書いていたときにはまだ知られていなかったかもしれないが、中国では図書館などからオーウェルの一連の作品が撤去されているとのこと。ホンコンに対する弾圧(香港国家安全法)も明々白々になった。そんな「束縛と監視」を自由世界の国々がするだろうか?
ソ連の反体制派知識人アンドレイ・サハロフが、1984年10月に科学アカデミーのアレクサンドロフ総裁に送った手紙の全文が1986年2月16日付け「オブザーバー」に掲載されている。
「ゴーリキの病院で私は英国の作家ジョージ・オーウェルの小説“一九八四年”の主人公ウインストン・スミスと全く同様の扱いを受けた」「くしくも私へのこの迫害(妻の出国不許可に抗議してハンストをしたところ、博士の鼻に装置を取り付け、呼吸のために口を開けると無理やり流動食などを流しこむようにしたり、ハンストをやめないとパーキンソン病の持病は直らないといった心理的圧力を加えたりした)は、小説の題名と同じ一九八四年に起きた」
「政治犯」としてこういう扱いを受けていた人間は、自由世界にはいなかった。いたのは共産国家であった。そして、いまもサハロフと同じ境遇にいる、人権と闘っている「良心の囚人」は北朝鮮や中国にヤマといるのだ。そういう人たちは、オーウェルの作品をどういう思いで読んでいることか。
以下、川端氏の「はじめに」から離れて一般論を書く。
NHKの衛星放送のニュースで、天安門事件などを取り扱ったりすると、中国国内のテレビで、その画面がシャットダウンさせられているという状況は、ノーテンキなNHKでさえ、時々、こんなことされているんです…と放送している。こういうのを「統制のための監視システム」というのではないか。 日本政府が、日本国内で見られる諸外国の衛星放送ニュースをそんな形で「検閲」したり、「監視」したりしているだろうか?
ともあれ、北朝鮮から亡命したりした人々が、オーウェルの『動物農場』『1984』に接して、どういう感慨を持ったか。
パク・ヨンミ(脱北女性)の『生きるための選択 少女は13歳のとき、脱北することを決意して川を渡った』 (辰巳出版)は、実に感動的なノンフィクションだ。
内容(「BOOK」データベースより)
北朝鮮では、死体が放置される道を学校に通い、野草や昆虫を食べて空腹を満たし、“親愛なる指導者”は心が読めて、悪いことを考えるだけで罰せられると信じて生きてきた。鴨緑江を渡って脱北した中国では、人身売買業者によって囚われの身になり、逃れてきた場所以上に野蛮で無秩序な世界を生き抜かなければならなかった―。「脱北したとき、私は“自由”という意味すら知らなかった」―およそ考えうる最悪の状況を生き延びた少女は、世界に向けて声を上げはじめた。
彼女は、遅れた教育を取り戻すために勉強をするのが大変だった。そんなとき、図書館などで本を読む楽しみを覚えた。『ライ麦畑でつかまえて』や『蠅の王』やトルストイの短編などの世界文学やシェイクスピアなども好きだったという。
「でも、ジョージ・オーウェルの『動物農場』を読んだことが本当の転機になった。砂山のなかでダイヤモンドを見つけたみたいだった。私がいた場所や経験したことをオーウェルは知っていたのではないか。そうとしか思えなかった。動物農場は北朝鮮そのものであり、そこに描かれていたのは私のかつての暮らしだった。動物たちのなかには、私の祖母や母や父がいた。もちろん私も。私は理想を持たない新しい豚のなかの一匹だった。北朝鮮の恐怖をシンプルな寓話として見せられることで、私を支配していたその力が消え、そこから自由になれた」
「北朝鮮人の頭のなかでは、つねにふたつのストーリーが進行している。並行する二本の線路を走る列車みたいに。ひとつは信じろと教えられること、もうひとつは自分の目で見たこと。韓国に来て、ジョージ・オーウェルの『一九八四年』の韓国語訳を読んではじめて、この状態をあらわす”二重思考”という言葉を知った。これは矛盾するふたつの考えを同時に持てて、頭が変にもならない能力のことだ」
脱北者や、北朝鮮支援活動を展開している人の中には、彼女と同じような証言をしている人は多々いる。北朝鮮は「動物農場」であり「1984」の世界そのものであると。
シュタージ(秘密警察)による監視社会であった東独出身のマイク・ブラツケの『北朝鮮「楽園」の残骸 ある東独青年が見た真実 』 (草思社)でも、たしか、彼が、北朝鮮はオーウェルの世界であると指摘していた(と記憶している。手許に本がみあたらず再確認していないが)。
そのほかにも、ノルベルト・フォラツェンの『北朝鮮を知りすぎた医者 脱北難民支援記』『北朝鮮を知りすぎた医者 国境からの報告』『北朝鮮を知りすぎた医者』 (草思社)などを読めば、当然浮かぶ感慨だ。
ネットで、著者(彼女)が流暢な英語で、日本人読者に向けて「自由」の大切さを説いている映像を見た。本書でも、韓国にわたってから必死になって勉強した体験が綴られているが、「自由」を知らなかった彼女も、「家族愛」は知っていた。父や母や姉のことも詳述されている。
ともあれ、オーウェルの作品の文学的表現などに関して事細かな分析などを読み解くのもまた楽しいものだろうが、彼が真摯に告発したモノを誤解・誤読することのないようにしたいものだ。
(以下追記・7・23)
上記は、「はじめに」をまず一読して、ちょっと違和感を感じたので、その旨を明記した。そのあと、本文を読み始めて読了。
本文は、オーウェルの作品などを列挙しつつ、評伝的に綴っていて、「はじめに」に感じたような違和感はあまりなかった。ふむふむ、そうそう、そんなこともあったのか…といった感じで面白く一読した。
川端氏の本を読んでもわかるように、オーウェルは「民主的社会主義者」であり、英国でいえば労働党支持者であった。ただ、「共産主義&ファシズム」を嫌い批判するために『動物農場』、そして『1984』を書いた。世の中には、「(民主的)社会主義」と「共産主義」の違いが分からない人がいるから、どっちも一緒くたにしてしまい、オーウェルの「真意」を誤解したり、誤解するフリをして歪曲する人がいるから困る。
著者はオーウェルの言葉「私の最近作の小説は社会主義やイギリス労働党の攻撃を図ったものではなく(私は同党の支持者です)、中央集権的経済が陥りやすい誤謬、すでに共産主義やファシズムにおいて部分的に実現している誤謬を暴露しようとしたものです」を的確に引用紹介もしている。このオーウェルの「真意」からしても、『動物農場』、そして『1984』が「反ソ反共」小説であるのは自明のことだ(もちろん、反ファシズム反ナチス小説でもあろうことを見落としていけない)。
ハヤカワ文庫の『1984』の担当者が作った帯文などは一知半解の「誤解例」の最たるものだうし、この岩波新書の帯にしても「オーウェルの憂えた未来に私たちは立っているのだろうか」はいいとしても、 「ビッグデータによる監視・管理社会、「ポスト真実」の政治‥‥」とあるのにはウンザリさせられるではないか。
北朝鮮はむろんのこと、中共の五毛党によるネット世論操作や香港ウイグルに対する過酷な弾圧体制こそ、「オーウェルの憂えた未来」だろうに、「ビッグデータ」や「ポスト真実」なる言葉を入れることによって、あたかも、トランプ政権などのほうが問題だと言いたげな、この帯文のセンスの酷さは憂えるしかない。ここに関しては、著者の責任はない。
あと、オーウェルが『動物農場』を出して以降、著名作家になってから、ソビエトの「刺客」「スパイ」を警戒している様子も描かれていて興味深い。コミュニストはトロツキー暗殺例のように裏切り者に対して執念深いからね。中共も亡命した反毛沢東・反中共関係者を「刺殺」したり「事故死」させようとした疑惑をいくつか持たれている。北朝鮮もしかり。血縁関係者(金正男)すら暗殺するのだから。
ジュラ島のバーンヒルで執筆活動をしている際、子守で雇った女性の「恋人」がそこにやってきた時、彼が「共産党員であることを聞きつけたオーウェルは彼を疑心暗鬼の目で見て警戒の念を隠さなかった。共産党のスパイではないかと疑ったのである。あるいはスターリンから送り込まれた刺客ではないかという怖れさえいだいたのかもしれない」と。ありうるね。
そういう警戒心から、ケストラーの親族であった英国外務省情報調査局に勤務していたシーリア・カーワンと面談した際に、ソ連のスパイ云々について詳述したことがあった。その経緯も本書で綴られている。隠れ共産党員、同調者、プロパガンダ要員について、オーウェルがいろいろとリストアップしていたのだ。
その予測というか、批評は結構あたっていたようで、ソ連からの亡命者ミトロヒンがもたらした「ミトロヒン文書」でもソ連のスパイだった人物が何人か確認されているとのこと。
この事実に関して、オーウェルが政府当局に協力して共産スパイを摘発したかのような扱いで1996年に報じられたことにも川端氏は触れている。
そうそう、1996年7月11日付けガーディアンが報じていた。日本でも読売新聞(98年7月6日付け夕刊)が、「オーウェル、『隠れ共産主義者』を英政府に密告」と題して報じられていた。
ただ、当時、その記事(読売)を読んで、なにかオーウェルがいけないことをしていたかのように見る向きがあるのはヘンだと思っていた。だって、当時(今も?)のコミュニストはファシストと同じ連中なんだから、しかも、ソ連のスパイともなれば、警戒して当たり前。社会主義者のオーウェルが左右の全体主義者(コミュニスト&ファシスト)と戦うのは当たり前じゃないかと。何が問題なんだろう?と。
すると、オーウェル研究家の大石健太郎氏が「G・オーウェルはスパイだった!?」(諸君! 99年4月号)という論文を書いているのを読んだ。
その論文の中に、96年7月13日付けのデイリー・テレグラフに載っているシリア(川端さんの本ではシーリア表記)のコメントが紹介されていたのが目にとまった。
彼女曰く「今頃、こんなもの(リスト)が世の中に出てきて、大騒ぎになっていることに私は大変驚いている。彼(オーウェル)は社会主義を裏切ったわけではなく、相手はコミュニストであった。みんなここのところをごちゃ混ぜにしてしまっている」
この一言につきよう。
オーウェルは「民主的社会主義者」であり、その彼が、「共産主義者」(ひいてはファシスト)を告発しようが批判しようがなんの不思議もない。にもかかわらず「社会主義」と「共産主義」とが同じものだと思っている人たちや「容共リベラル」な人たちが、初期のころはオーウェルなど冷遇して無視していたくせに、やがて監視社会云々ではオーウェルをちょっと利用できるぜ、歪曲して悪用しようとしてせっせと担ぎだしていたら、隠れコミュニストを摘出するようなことをしていたとは、オーウェルともあろう者が‥と嘆いて見せる‥‥。三文芝居を演じているだけなのだ。
シリアが言うように、「オーウェルは社会主義を裏切ったわけではなく、相手はコミュニストであった」のだ。なんの問題もあるまい。
ともあれ、川端さんの本、アマゾンレビューで上記のように☆☆☆三つ(普通)と当初書いたが、全文を読み通した段階では☆☆☆☆四つに変更すべきかなとも思わないでもない。ただ、やはり「はじめに」がちょっと「違和感」を覚えずにはいられなかったし、編集者によるものだろうが「帯文」がちょっと酷いから☆☆☆☆☆とはならなかったが、一読して損はしない本だ。いや一読すべき価値のある本といえる。
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ジョージ・オーウェル――「人間らしさ」への讃歌 (岩波新書) 新書 – 2020/7/18
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「反ソ・反共」作家のイメージから「監視社会化」に警鐘を鳴らした人物へと、時代とともに受容のされ方も変化してきたオーウェル。ポスト真実の時代に再評価が進む『一九八四年』などの代表作をはじめ、少年時代から晩年までの生涯と作品をたどり、その思想の根源をさぐる。危機の時代に、彼が信じ続けた希望とは何か。
- 本の長さ286ページ
- 言語日本語
- 出版社岩波書店
- 発売日2020/7/18
- 寸法10.7 x 1.2 x 17.3 cm
- ISBN-104004318378
- ISBN-13978-4004318378
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商品の説明
内容(「BOOK」データベースより)
「反ソ・反共」の作家として、また監視・管理社会化に警鐘を鳴らした人物として、時代とともにその評価も変化してきたオーウェル。「ポスト真実」の時代に再評価が進む『一九八四年』などの代表作をはじめ、少年期から晩年までの生涯と作品群を丹念にたどり、その思想の根源をさぐる。危機の時代に作品にこめた希望とは何か。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
川端/康雄
1955年、神奈川県横浜市生まれ。明治大学大学院文学研究科博士後期課程中退。専攻は近現代のイギリス文化、文学。現在、日本女子大学文学部教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
1955年、神奈川県横浜市生まれ。明治大学大学院文学研究科博士後期課程中退。専攻は近現代のイギリス文化、文学。現在、日本女子大学文学部教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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「生身のオーウェルに力点を置き、『一九八四年』が強い影響を世界におよぼした著作であることを認めつつも、これを他と切り離して見るのではなく、彼の生涯の軌跡と著作全般を突きあわせて、彼がなにに怒り、喜び、またなにを守ろうとしたか……を立体的に浮かび上がらせ(pp.263-264)」ようとした評伝。
今まで読んだオーウェルのいくつかの小説と評論を思い出しながら読む。
オーウェルが、ディーセント、ディーセンシー、ディーセントリーという語を「非常に積極的な価値を込めて使った(p.152)」という箇所にとても惹かれた分、彼が晩年、イギリス情報調査局のために「隠れ共産党員・同調者リスト」を作成したという箇所(pp.226-231)に衝撃を受けた。
「裕福な中流階級の生活習慣が身について離れない社会主義者は、労働者階級との連帯の必要と意義を頭では理解していても、日常的な所作のレベルで別世界にいるので、本当は連帯などできない(p.104)」というオーウェルの指摘は辛辣だが当たっているように思う。
今まで読んだオーウェルのいくつかの小説と評論を思い出しながら読む。
オーウェルが、ディーセント、ディーセンシー、ディーセントリーという語を「非常に積極的な価値を込めて使った(p.152)」という箇所にとても惹かれた分、彼が晩年、イギリス情報調査局のために「隠れ共産党員・同調者リスト」を作成したという箇所(pp.226-231)に衝撃を受けた。
「裕福な中流階級の生活習慣が身について離れない社会主義者は、労働者階級との連帯の必要と意義を頭では理解していても、日常的な所作のレベルで別世界にいるので、本当は連帯などできない(p.104)」というオーウェルの指摘は辛辣だが当たっているように思う。
2021年4月6日に日本でレビュー済み
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「動物農場」「1984」を書いたオーウェルの簡潔にして要を得た評伝。大英帝国の時代からスペイン内戦、ナチスドイツ、ソ連のプロレタリア独裁と、時代時代にあらわれる、「人間らしさ」からかけ離れた現実をひねりの効いた文章で批判し続け、行動してきたオーウェルの人生(46年)がよくわかる。
Decency(人間らしさ、品性)を至上のものと考えればたとえ非効率でドタバタした感染症対策しかできなくても、やはり民主主義を選びたい。
施政者にとって都合がよく、何をやるにも高効率であることをめざせばいきつく先は全体主義。オーウェルの時代から、全体主義は国家社会主義(ナチス)やらプロレタリア独裁やら化粧を変えて登場してきたが、目下のところ中国は明らかにプロレタリア独裁から変質した国家社会主義国家。その上、そのやり方に最近は自信まで持っている。
香港、ウイグル自治区、台湾・・・全体主義の波にのまれていくのだろうか。日本も含め過去の全体主義国家がみな破綻したことだけが一縷の望みではある。
今オーウェルの人生をたどることで、現在のさまざまな危機をも感じさせる。
Decency(人間らしさ、品性)を至上のものと考えればたとえ非効率でドタバタした感染症対策しかできなくても、やはり民主主義を選びたい。
施政者にとって都合がよく、何をやるにも高効率であることをめざせばいきつく先は全体主義。オーウェルの時代から、全体主義は国家社会主義(ナチス)やらプロレタリア独裁やら化粧を変えて登場してきたが、目下のところ中国は明らかにプロレタリア独裁から変質した国家社会主義国家。その上、そのやり方に最近は自信まで持っている。
香港、ウイグル自治区、台湾・・・全体主義の波にのまれていくのだろうか。日本も含め過去の全体主義国家がみな破綻したことだけが一縷の望みではある。
今オーウェルの人生をたどることで、現在のさまざまな危機をも感じさせる。
2021年5月20日に日本でレビュー済み
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オーウェルが文壇に登場したのは1930年代のことで、1950年には他界した。この20年間に彼は何をしたのか。帝国官吏の子としてインドに生まれた彼は、イートン校を出て帝国警察官としてビルマで数年を過ごし、帝国支配の非人間性に目覚める。30年代、イギリス知識人のかなりが左傾化し、ソ連の応援団になる。スターリニズムの真相は分からなかった。彼はこの時期に社会主義にシンパシーを持つ作家として、イギリスの中下層階級の生活に関心を抱いて、作品を書き始め、ゴランツなどから出版する。スペインの人民戦線への参戦は36年から翌年で、『カタロニア讃歌』は38年に出る。彼はその後も、反ファシズム、反共産主義、管理社会批判をモチーフに問題作を書くが、肺結核で47歳で他界した。彼はソ連のスパイではなかった。30年代からのイギリスの作家や思想家のソ連との危うい関係は今ではよく知られているかもしれないが、オーウェルがソ連に幻想を抱かなかったことは重要であろう。
2022年3月20日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
作家の生きてきた背景が良く分かったので
本書を読んで、強く興味を惹かれ、早速「1984年」を購入。
大変重要な本に出会った!印象。
今まで知らなかったのが残念にさえ思える。
しっかり読み込んで更に他の作品も読みたい!
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しっかり読み込んで更に他の作品も読みたい!
殿堂入りベスト100レビュアー
①とても面白い傑作評伝である。岩波新書が近年盛んに出版している評伝はどれも面白い。今回は特に面白さ抜群である。
②オーウェルは『1984年』で反共産主義・反社会主義の思想家として保守主義者から高く評価されたが、実はそうではないことを本書が証明している。
③それではオーウェルをどう理解すれば良いのか?
オーウェルは、反帝国主義・反全体主義・反社会主義の思想家である。この三思想に共通するのは、国家権力による不当な個人の人権抑圧に対する抗議である。
④反帝国主義に関しては、オーウェルは警察官としてイギリスのインド統治を経験した。イギリス政府によるインド人への不当な抑圧行為を目の当たりにし、反帝思想を抱いた。
⑤反全体主義に関しては、『カタロニア讃歌』で描かれたスペイン義勇兵としての体験が基礎になっている。
⑥反共産主義・反社会主義に関しては『1984年』で描かれたディストピア社会、国家権力による徹底的な思想統制、粛清、管理社会が批判される。
⑦いずれにせよ、オーウェルが理想とする国家とは、民主主義を擁護する政治的社会(民主国家)である。そこには、人種や民族、宗教や習俗の違いを越えた普遍性が含まれている。
⑧本書を読めば、オーウェルの作品が必ず読みたくなるはずだ。『カタロニア讃歌』や『1984年』は電子版もある。
個人的な体験を思想に結晶させた傑作評伝としてお勧めだ。
②オーウェルは『1984年』で反共産主義・反社会主義の思想家として保守主義者から高く評価されたが、実はそうではないことを本書が証明している。
③それではオーウェルをどう理解すれば良いのか?
オーウェルは、反帝国主義・反全体主義・反社会主義の思想家である。この三思想に共通するのは、国家権力による不当な個人の人権抑圧に対する抗議である。
④反帝国主義に関しては、オーウェルは警察官としてイギリスのインド統治を経験した。イギリス政府によるインド人への不当な抑圧行為を目の当たりにし、反帝思想を抱いた。
⑤反全体主義に関しては、『カタロニア讃歌』で描かれたスペイン義勇兵としての体験が基礎になっている。
⑥反共産主義・反社会主義に関しては『1984年』で描かれたディストピア社会、国家権力による徹底的な思想統制、粛清、管理社会が批判される。
⑦いずれにせよ、オーウェルが理想とする国家とは、民主主義を擁護する政治的社会(民主国家)である。そこには、人種や民族、宗教や習俗の違いを越えた普遍性が含まれている。
⑧本書を読めば、オーウェルの作品が必ず読みたくなるはずだ。『カタロニア讃歌』や『1984年』は電子版もある。
個人的な体験を思想に結晶させた傑作評伝としてお勧めだ。