イギリスのスパイ・謀略小説の巨匠、ジョン・ル・カレ(本名デイヴィッド・コーンウェル)氏の伝記。
この手の伝記(Biography)で「The」が付くと決定版という意味になるそうですが、確かに今まで巨匠と言われながらも謎の多かったこの作家の伝記としては質量ともに決定版と言える内容だと思いました。先に出た本人の回顧録も面白かったですが、分量が少ないのが不満だったので。
先に不満だった所を述べると、
・この人の最大の謎である、ペンネームの「ジョン・ル・カレ」という名前の由来と意味が解明できなかった
・諜報の仕事に関して、守秘義務があるのであまり踏み込んで書けなかった(個人情報等でしょうがないですが)
・今現在のブレグジットの問題に時期的に書けなかった
の三点になりました。特にペンネームで何故こういう名前にしたかは詳しく書いてもらいたかったです。
ル・カレ氏本人から公認されて書いたという事で本人が所蔵していた膨大な手紙や記録を参照できたそうで、幼少時から老境に至る現在までがかなり詳しく語られていて、ファンには嬉しい伝記になっております。
母親が幼少期に出ていき、有名な詐欺師だった父親の尻拭いに奔走し(普通は子供のやった事を親が尻拭いに奔走する事が多いと思いますが)、各作品の詳細な成立過程(その性質上各作品の要諦にも触れているので未読の方は要注意)、出版後の反響、スマイリーのモデルがジョン・ビンガムだったとか、冷戦後の作品の主題の変容に至る過程等、興味の尽きない作家として人としての実像に迫っていて、読み物としてもよく出来ていると思いました。特に、一番売れた名作「寒い国から帰ってきたスパイ」の大きな反響の部分が興味深かったです。日本でも瀬戸川猛資氏がほぼリアルタイムで読んで、凄く感動したと「夜明けの睡魔」で書いてらっしゃいましたね。もう一つの代表作で自伝的と言われる「パーフェクト・スパイ」にも色々な反響があったそうで、個人的にも好きですが19世紀の小説風に書いてあるので読み難くてしょうがなかった思い出があります。それと、親友にロビン・クックという人がいるそうですが、メディカル・サスペンスを書いている方の事でしょうか?
今までは、政治的に機敏で気骨のある作家というイメージを持っていて、実際そういう部分も多いですが、本書を読んでフォークランド紛争時のサッチャー元首相を支持したり、サッチャー最強の非嫡ブレア元首相を歓迎したり(後で後悔したそうですが)、ラシュディ氏が「偉大な宗教を冒涜した」「自ら炎上する様な事をしている」と批判して論争になったり(これも後で和解したそうですが)、人間として曖昧で矛盾や疑問を抱えた人であったのが判り、複雑な気分になったのも真実でした。でも、そういう部分を含めてやはり偉大な作家だと思うし、個人的は好きです。冷戦後の作品で途上国の人道問題を扱うにあたって、現地まで取材に行ったり、基本的には誠実な人で人格も悪くない方だと思いました。
ここからは雑感なのですが、欧米のこの人への賛辞で「単なるスパイ小説を超えた」という評があるらしいですが、ジャンル・フィクションだと未だに主流小説ではなく、文學ではないという考え方が大勢らしいです。吉田健一の評論に依ると、文学の起源が娯楽だったのであまり真面目に接する物ではない、学問じゃないので勉強に使う物でもない、と読んだ記憶があり、別の評論でもロシアのドストエフスキーがリアルタイムでは通俗作家扱いされて、評論家からは無視されていたけれど、大衆からの支持が強かったので今でも残っているとかで、文学という言葉の見識が人や地域によってかなり違う様で、ル・カレ氏も盟友だったグレアム・グリーンみたいにノーベル賞は無理かも、とか思いました。個人的にはもらってもいいと思いますが・・・。ル・カレ氏やグリーンが扱うタイプの小説や謀略小説が時事ネタを扱う性か、時間が経つと少し古くなるのが宿命としてありますが、この人の場合は表面的な謀略も扱いますが、もうちょっと踏み込んで、そういう行為に至る人格や人間性まで描いているので、時間が経っても読めると思うので、そういう点ではノーベル賞ももらってもいいかもとも思います(本人がどう思っているかは知りませんが)。
それと、ドイツで働いていたという事で親独派らしいですが、今現在(2018年くらい)ドイツがEUの主導権を握っている性で、EUがおかしくなっている(前述のブレグジットの問題とか)という事に対してどう考えているか、気になりました。どこかで回答していたらどなたか教えてください。
とまぁ色々書きましたが、久々に興奮した読み物でありました。ルカリスト意外でも面白く読めると思います。必読。
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ジョン・ル・カレ伝 上 単行本 – 2018/5/25
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かつてMI5、MI6のスパイだったル・カレの波乱に満ちた生涯! 全米批評家協会賞受賞の伝記作家は、近親者、友人への度重なるインタビューを敢行し、さらにはル・カレ自身の膨大な個人アーカイブの資料をひも解きながら、秘密主義の巨匠の真の姿に迫っていく。
- 本の長さ491ページ
- 言語日本語
- 出版社早川書房
- 発売日2018/5/25
- ISBN-104152097663
- ISBN-13978-4152097668
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商品の説明
内容(「BOOK」データベースより)
ル・カレ本人への長時間のインタビュー、彼の所蔵する膨大な資料などをもとに、近親者、友人、諜報機関の同僚の協力を得て完成させた画期的大作。スパイ小説の巨匠の実像を描く決定版伝記。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
シズマン,アダム
伝記文学の古典『サミュエル・ジョンソン伝』を書いたジェイムズ・ボズウェルの伝記Boswell’s Presumptuous Task:The Making of the Life of Dr.Johnson(2001)で全米批評家協会賞を受賞。ほかに、ヒトラー研究で名高い歴史家ヒュー・トレヴァー=ローパーなどの伝記を発表している
加賀山/卓朗
1962年生まれ、東京大学法学部卒、英米文学翻訳家
鈴木/和博
1975年生まれ。筑波大学第三学群情報学類卒、翻訳家(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
伝記文学の古典『サミュエル・ジョンソン伝』を書いたジェイムズ・ボズウェルの伝記Boswell’s Presumptuous Task:The Making of the Life of Dr.Johnson(2001)で全米批評家協会賞を受賞。ほかに、ヒトラー研究で名高い歴史家ヒュー・トレヴァー=ローパーなどの伝記を発表している
加賀山/卓朗
1962年生まれ、東京大学法学部卒、英米文学翻訳家
鈴木/和博
1975年生まれ。筑波大学第三学群情報学類卒、翻訳家(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
登録情報
- 出版社 : 早川書房 (2018/5/25)
- 発売日 : 2018/5/25
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 491ページ
- ISBN-10 : 4152097663
- ISBN-13 : 978-4152097668
- Amazon 売れ筋ランキング: - 706,575位本 (の売れ筋ランキングを見る本)
- - 14,923位英米文学研究
- - 72,765位ノンフィクション (本)
- カスタマーレビュー:
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単なるスパイ小説の枠組を超えた『寒い国から帰ってきたスパイ』の作家、ジョン・ル・カレの伝記。
著者は作家ジェイムズ・ボズウェルや、オクスフォードの名物歴史学者ヒュー・トレヴァー=ローパーの生涯を丹念に追った作品で定評のあるアダム・シズマン(sisman=普通シスマンと発音しない?)。
因みにトレヴァー=ローパーは戦時中MI6に勤務、同じ職場で東側に情報を流していたキム・フィルビーについて書かれた本の序文を、ル・カレとダブル・ブッキングされたことがある。
上下巻、原注と索引を含めると966ページにも及ぶ浩瀚。
19世紀ロシアの長篇小説以上に登場人物が多く、いちいち戻ってページを繰ったり相関図を書いたりしていると、時間が掛かり過ぎて全体像を見失う惧れがあるから、まず通読することをお薦め。
以下、ちょっと面白いと思った箇所を2点ばかりピック・アップ。
P255~、英国一の全寮制男子校の名門イートンで教鞭を執った頃のエピソード。
何もかも超特殊、生意気な生徒たちの驕り高ぶりが半端じゃない。
フランス語の“ペザン(小作農)”を説明する時に「今のイギリスで話題になることはないが」と言えば、生徒の一人が「でも先生、スードリーは話していますよ」と貴族階級の同級生と新米教師をからかう始末。
P283、MI5に実際いた女性職員が、職場の某紳士について。
仕事より派手なツイードや片眼鏡の方が好き、10時頃事務所に現れ11時朝食のため外出、12時酒臭い息を吐きながら戻り「要員と会う」と言って昼食へ出掛け、16時頃帰って静かに居眠りした後自宅へ向かう、と。
流石はベヴァリッジ報告(1942年)の“揺り籠から墓場まで”という行き届いた社会保障制度を標榜したイギリス、完全なアルコール中毒患者を重要な組織へ就労支援(?)するとは。
上巻ラストは、ル・カレ=デイヴィッド・コーンウェルのとんでもない実父と、ウィーンのホテルで昼食を取る場面。
自殺者を出しても心に何等痛みを感じないらしい稀代の詐欺師は、次男に転がり込んで来た資産をあてにして数々の怪しいビジネスを持ち掛け、それが難しいと察した途端に「お前に掛かった教育費を返せ、勿論、利子付きで」と迫る。
デイヴィッドが農場を買って家賃なしに住めるようにし(名義を父にはしない、すぐ担保にして悪事を働くから)、農業収益を渡すと提案したのに対し、「お前は父親に金だけ渡し、ただじっと座っていろと言うのか」と泣き出す始末。
しかし、そのように憐れな父の姿を間近で見て、デイヴィッドの眼にも涙が溢れてくるのだった……。
その後も懲りない父親は、中東の緊張を機に武器取引に関わろうとしたようだったり、シンガポールや香港で逮捕されたり、インドから某夫人宛てに「1千ポンド現金で送って欲しい」という手紙を出したり。
そこでデイヴィッドは作家として自分と併せて父親のことを考える、やや臆測も交えて我流に書き直せば下記のように。
現実をベースとして巧みに調整された創作を行おうとする時、“望んだ通りの方式で、神の如く登場人物の人生の要素を毀しては創り直し、真実とも寓話とも解釈可能なストーリーを生み出す”、“その時に訪れるある種の酩酊感と放心状態、永遠とも思える至福の瞬間”が天上から降りて来る。
そして、デイヴィッドは思うのだ、父親は父親なりの芸術の創造を止められなかったのではないか、と。
プライヴェートや仕事上出逢えた少なくはない知的障碍・精神障碍を抱えた方々を一人一人具(つぶさ)に憶い起こせば、どなたも現実と妄想、記憶の誤りや単純な勘違い、将来はこうありたいという夢や希望、こうなってしまうのではないかという不安と絶望などが紡ぎ出す物語にどっぷり浸かっていた(いる)のではないか。
でも、それって、時々バカなことを思いつきニヤニヤして悪友連中に「気持ち悪い」ろ言われる自分のことでもあり、彼等も顔には出ない、出さないだけであまり大差ないと推測したい。
何故なら、「人間は個々人が、意識及び無意識の裡に創った有形無形の物語が無いと、生きられないでしょ?」というのが、我がお粗末な哲学だからです。
著者は作家ジェイムズ・ボズウェルや、オクスフォードの名物歴史学者ヒュー・トレヴァー=ローパーの生涯を丹念に追った作品で定評のあるアダム・シズマン(sisman=普通シスマンと発音しない?)。
因みにトレヴァー=ローパーは戦時中MI6に勤務、同じ職場で東側に情報を流していたキム・フィルビーについて書かれた本の序文を、ル・カレとダブル・ブッキングされたことがある。
上下巻、原注と索引を含めると966ページにも及ぶ浩瀚。
19世紀ロシアの長篇小説以上に登場人物が多く、いちいち戻ってページを繰ったり相関図を書いたりしていると、時間が掛かり過ぎて全体像を見失う惧れがあるから、まず通読することをお薦め。
以下、ちょっと面白いと思った箇所を2点ばかりピック・アップ。
P255~、英国一の全寮制男子校の名門イートンで教鞭を執った頃のエピソード。
何もかも超特殊、生意気な生徒たちの驕り高ぶりが半端じゃない。
フランス語の“ペザン(小作農)”を説明する時に「今のイギリスで話題になることはないが」と言えば、生徒の一人が「でも先生、スードリーは話していますよ」と貴族階級の同級生と新米教師をからかう始末。
P283、MI5に実際いた女性職員が、職場の某紳士について。
仕事より派手なツイードや片眼鏡の方が好き、10時頃事務所に現れ11時朝食のため外出、12時酒臭い息を吐きながら戻り「要員と会う」と言って昼食へ出掛け、16時頃帰って静かに居眠りした後自宅へ向かう、と。
流石はベヴァリッジ報告(1942年)の“揺り籠から墓場まで”という行き届いた社会保障制度を標榜したイギリス、完全なアルコール中毒患者を重要な組織へ就労支援(?)するとは。
上巻ラストは、ル・カレ=デイヴィッド・コーンウェルのとんでもない実父と、ウィーンのホテルで昼食を取る場面。
自殺者を出しても心に何等痛みを感じないらしい稀代の詐欺師は、次男に転がり込んで来た資産をあてにして数々の怪しいビジネスを持ち掛け、それが難しいと察した途端に「お前に掛かった教育費を返せ、勿論、利子付きで」と迫る。
デイヴィッドが農場を買って家賃なしに住めるようにし(名義を父にはしない、すぐ担保にして悪事を働くから)、農業収益を渡すと提案したのに対し、「お前は父親に金だけ渡し、ただじっと座っていろと言うのか」と泣き出す始末。
しかし、そのように憐れな父の姿を間近で見て、デイヴィッドの眼にも涙が溢れてくるのだった……。
その後も懲りない父親は、中東の緊張を機に武器取引に関わろうとしたようだったり、シンガポールや香港で逮捕されたり、インドから某夫人宛てに「1千ポンド現金で送って欲しい」という手紙を出したり。
そこでデイヴィッドは作家として自分と併せて父親のことを考える、やや臆測も交えて我流に書き直せば下記のように。
現実をベースとして巧みに調整された創作を行おうとする時、“望んだ通りの方式で、神の如く登場人物の人生の要素を毀しては創り直し、真実とも寓話とも解釈可能なストーリーを生み出す”、“その時に訪れるある種の酩酊感と放心状態、永遠とも思える至福の瞬間”が天上から降りて来る。
そして、デイヴィッドは思うのだ、父親は父親なりの芸術の創造を止められなかったのではないか、と。
プライヴェートや仕事上出逢えた少なくはない知的障碍・精神障碍を抱えた方々を一人一人具(つぶさ)に憶い起こせば、どなたも現実と妄想、記憶の誤りや単純な勘違い、将来はこうありたいという夢や希望、こうなってしまうのではないかという不安と絶望などが紡ぎ出す物語にどっぷり浸かっていた(いる)のではないか。
でも、それって、時々バカなことを思いつきニヤニヤして悪友連中に「気持ち悪い」ろ言われる自分のことでもあり、彼等も顔には出ない、出さないだけであまり大差ないと推測したい。
何故なら、「人間は個々人が、意識及び無意識の裡に創った有形無形の物語が無いと、生きられないでしょ?」というのが、我がお粗末な哲学だからです。






