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ジョゼと虎と魚たち (角川文庫) 文庫 – 1997/3/27
田辺 聖子
(著)
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劇場アニメ2020年12月25日(金)公開!!
車椅子がないと動けない人形のようなジョゼと、管理人の恒夫。どこかあやうく、不思議にエロティックな関係を描く表題作のほか、さまざまな愛と別れを描いた短篇八篇を収録した、珠玉の作品集。
車椅子がないと動けない人形のようなジョゼと、管理人の恒夫。どこかあやうく、不思議にエロティックな関係を描く表題作のほか、さまざまな愛と別れを描いた短篇八篇を収録した、珠玉の作品集。
- ISBN-104041314186
- ISBN-13978-4041314180
- 版一般文庫
- 出版社KADOKAWA
- 発売日1997/3/27
- 言語日本語
- 本の長さ272ページ
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| ジョゼと虎と魚たち(角川文庫) | アニメ映画 ジョゼと虎と魚たち (角川つばさ文庫) | ジョゼと虎と魚たち(上) | ジョゼと虎と魚たち(下) | ジョゼと虎と魚たち(単行本)上下巻セット | |
| 内容紹介 | 車椅子がないと動けない人形のようなジョゼと、管理人の恒夫。どこかあやうく、不思議にエロティックな関係を描く表題作のほか、さまざまな愛と別れを描いた短篇八篇を収録した、珠玉の作品集。 | 「ええな、おまえは。好きな場所に行けて」 アタイ、ジョゼ。ずっと車いすで生活している。ある夜、恒夫に出会う。彼はわたしを海まで連れて行ってくれてーーその日から冒険がはじまった!! 話題の映画を小説化! | 2020年12月劇場公開されるアニメーション映画を圧倒的画力でコミカライズ。『ダ・ヴィンチ』の人気連載が書籍化 | 2020年12月25日より公開のアニメーション映画を圧倒的画力でコミカライズ。感動の完結編! | コミカライズの2冊セット |
商品の説明
内容(「BOOK」データベースより)
足が悪いジョゼは車椅子がないと動けない。ほとんど外出したことのない、市松人形のようなジョゼと、大学を出たばかりの共棲みの管理人、恒夫。どこかあやうくて、不思議にエロティックな男女の関係を描く表題作「ジョゼと虎と魚たち」。他に、仕事をもったオトナの女を主人公にさまざまな愛と別れを描いて、素敵に胸おどる短篇、八篇を収録した珠玉の作品集。
登録情報
- 出版社 : KADOKAWA; 一般文庫版 (1997/3/27)
- 発売日 : 1997/3/27
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 272ページ
- ISBN-10 : 4041314186
- ISBN-13 : 978-4041314180
- Amazon 売れ筋ランキング: - 23,445位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
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1928年3月27日大阪生まれ。樟蔭女専国文科卒。56年「虹」で大阪市民文芸賞。64年「感傷旅行」で第50回芥川賞、『花衣ぬぐやまつわる…』で女流文学賞、『ひねくれ一茶』で吉川英治文学賞をそれぞれ受賞する。2008年文化勲章受章(「BOOK著者紹介情報」より:本データは『 愛してよろしいですか? (ISBN-13: 978-4087465785 )』が刊行された当時に掲載されていたものです)
カスタマーレビュー
5つ星のうち4.0
4/5
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2023年3月31日に日本でレビュー済み
レポート
Amazonで購入
いろんな人生を垣間見たような気になり、面白かったです。自分の人生でもなにか話を作れるだろうか。
役に立った
2022年3月30日に日本でレビュー済み
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9編からなる短篇集。私は映画「ジョゼと虎と魚たち」を観て原作の短編を読もうと思ったのだが、なんと、この短編だけ他の8編と色合いが違う。他の短編はいずれも、20代末から40代の、だいたい仕事を持って、経済的にも精神的にも自立している女性の、男に対する熱い思いと醒めた眼差しが同居する心の動きを描く作品。
東京弁だと、もっとキツイ感じになりそうな物語も多いが、関西弁がそれをふんわりさせる。
肝心の「ジョゼ虎」を読むと、例えば恒夫の女性関係にだらしないところや、2人の決定的な別れのシーンは映画で付け加えられたことが分かる。私は原作の終わり方の方が好きだな。
東京弁だと、もっとキツイ感じになりそうな物語も多いが、関西弁がそれをふんわりさせる。
肝心の「ジョゼ虎」を読むと、例えば恒夫の女性関係にだらしないところや、2人の決定的な別れのシーンは映画で付け加えられたことが分かる。私は原作の終わり方の方が好きだな。
2021年9月14日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
「ジョゼと虎と魚たち」1984年
◆親に二度捨てられること
ジョゼは母親を知りません。赤ん坊のときに家を出てしまっていたからです。ジョゼが十四の時、父親が再婚した女は、車椅子つきで、さらに生理の始まったジョゼを、面倒くさがって施設へ入れてしまいます。人間の悪意というものが厳然として、そこ、ここにあることを、作者は見逃しません。その上に、祖母の死によって三度も「親」の《庇護》と《愛》を失います。
◆ユーモア
関西弁のキャッチボールは、この重く辛い短編を浮揚する強力な武器です。
「めしはちゃんと食うとんのか、痩せてかわいそうに。顔、しなびとるやないか」
「あんた、アタイを哀れんでるのか、ゴハンぐらい食べとるデ。心配していらん!」
「また、来るわ」
「来ていらん!もう来んといて!」
「・・・ほな、・・・さいなら」
〔恒夫は仕方なく、ドアの前で靴を履こうとします〕
「なんで帰るのんや!アタイをこない怒らしたままで!」
「どないせえ、ちゅうねん」
「知らん!」
「クミちゃん」
「早よ帰り。早よ、帰りんかいな・・・。二度と来ていらん!」
〔ジョゼに過呼吸発作が出たのを心配して恒夫が近づくと〕
「帰ったらいやや」
〔ジョゼは恒夫にしがみつきます〕
「帰らんといて。もう、三十分でも居てて。テレビは売ったし、ラジオはこわれてしもたし、アタイ淋しかったんや・・・」
「何や。僕、テレビやラジオ代わりかいな」
「このラジオは返事するだけマシや」
◆「幸福」の身代わり
ジョゼは、恒夫との事実婚からようやく《幸福》を感じ始めます。しかし、ジョゼには「幸福」という言葉の持ち合わせがありません。そこで、作者は、《新婚旅行》がわりに観光地の水族館を訪れた夜更け、恒夫と布団にくるまったジョゼにこう呟かせます。
(アタイたちは死んでる。「死んだモン」になってる。)
(アタイたちはお魚や。「死んだモン」になった ― )
◆ジョゼ像
これは、本ひろ子氏装画の1987年角川文庫初版カバーが素晴らしいです。
アニメ版に欠けていたもの、それは「世界」からネグレクトされた娘ジョゼの、隠花植物めいた恋といじらしく大胆なエロス、そして「救い」としての大阪ことばです。
◆なぜ「魚」?(以下は、2021/12/23追記)
他のレビュアー氏のご指摘のように、アンデルセン「人魚姫」が"本歌取り"となっていると思われます。車椅子のジョゼは陸に上がった"人魚"で、一歩もあるけない。彼女にとって"自由"ということは、恒夫とともに水の中に戻り、魚となって泳ぎ回ること、という幻視なのです。
◆小川洋子の「ジョゼと虎と魚たち」評(1985年)
小川洋子「官能とユーモア」(小説現代、平成17年10月号)は、通常共存しにくい官能と死とユーモアを「すべてしなやかに受容」する作家として田辺聖子の名をあげ、「ジョゼと虎と魚たち」を論じている。主人公のジョゼは「あからさまな性の匂いは発揮しているように見える」が、それは「罠」で「か細く白い脚の奥に、生命のマグマを封じ込めた底なしの沼が潜んでいる」。「”アタイたちは死んだんや”(中略)ジョゼは幸福の極みが死である、と気づいたのだ」という。
上記は、すべて集英社版田辺聖子全集16(2005年)解題p.570より
◆親に二度捨てられること
ジョゼは母親を知りません。赤ん坊のときに家を出てしまっていたからです。ジョゼが十四の時、父親が再婚した女は、車椅子つきで、さらに生理の始まったジョゼを、面倒くさがって施設へ入れてしまいます。人間の悪意というものが厳然として、そこ、ここにあることを、作者は見逃しません。その上に、祖母の死によって三度も「親」の《庇護》と《愛》を失います。
◆ユーモア
関西弁のキャッチボールは、この重く辛い短編を浮揚する強力な武器です。
「めしはちゃんと食うとんのか、痩せてかわいそうに。顔、しなびとるやないか」
「あんた、アタイを哀れんでるのか、ゴハンぐらい食べとるデ。心配していらん!」
「また、来るわ」
「来ていらん!もう来んといて!」
「・・・ほな、・・・さいなら」
〔恒夫は仕方なく、ドアの前で靴を履こうとします〕
「なんで帰るのんや!アタイをこない怒らしたままで!」
「どないせえ、ちゅうねん」
「知らん!」
「クミちゃん」
「早よ帰り。早よ、帰りんかいな・・・。二度と来ていらん!」
〔ジョゼに過呼吸発作が出たのを心配して恒夫が近づくと〕
「帰ったらいやや」
〔ジョゼは恒夫にしがみつきます〕
「帰らんといて。もう、三十分でも居てて。テレビは売ったし、ラジオはこわれてしもたし、アタイ淋しかったんや・・・」
「何や。僕、テレビやラジオ代わりかいな」
「このラジオは返事するだけマシや」
◆「幸福」の身代わり
ジョゼは、恒夫との事実婚からようやく《幸福》を感じ始めます。しかし、ジョゼには「幸福」という言葉の持ち合わせがありません。そこで、作者は、《新婚旅行》がわりに観光地の水族館を訪れた夜更け、恒夫と布団にくるまったジョゼにこう呟かせます。
(アタイたちは死んでる。「死んだモン」になってる。)
(アタイたちはお魚や。「死んだモン」になった ― )
◆ジョゼ像
これは、本ひろ子氏装画の1987年角川文庫初版カバーが素晴らしいです。
アニメ版に欠けていたもの、それは「世界」からネグレクトされた娘ジョゼの、隠花植物めいた恋といじらしく大胆なエロス、そして「救い」としての大阪ことばです。
◆なぜ「魚」?(以下は、2021/12/23追記)
他のレビュアー氏のご指摘のように、アンデルセン「人魚姫」が"本歌取り"となっていると思われます。車椅子のジョゼは陸に上がった"人魚"で、一歩もあるけない。彼女にとって"自由"ということは、恒夫とともに水の中に戻り、魚となって泳ぎ回ること、という幻視なのです。
◆小川洋子の「ジョゼと虎と魚たち」評(1985年)
小川洋子「官能とユーモア」(小説現代、平成17年10月号)は、通常共存しにくい官能と死とユーモアを「すべてしなやかに受容」する作家として田辺聖子の名をあげ、「ジョゼと虎と魚たち」を論じている。主人公のジョゼは「あからさまな性の匂いは発揮しているように見える」が、それは「罠」で「か細く白い脚の奥に、生命のマグマを封じ込めた底なしの沼が潜んでいる」。「”アタイたちは死んだんや”(中略)ジョゼは幸福の極みが死である、と気づいたのだ」という。
上記は、すべて集英社版田辺聖子全集16(2005年)解題p.570より
2021年7月7日に日本でレビュー済み
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ジョゼは春琴さんを思わせるところがある。自分の容貌の美しさを心の拠り所として、絶対に男に媚びない。でも、春琴さんのような圧倒的な天賦の才能もなければ、贅沢が許させるいいとこのお嬢様でもない。ごく普通の家庭に生まれた普通の能力の障害者の女の子がどういう扱われ方をするかを現実的に描いていて、読んでいて苦しくなった。障がい者だから、おっさんにナメられて性的に搾取されそうになるし、「管理人」からは大切にはしてもらえるものの「人形のような」脚を愛でられる。華奢で非力であるがゆえに愛玩される。でも、外の世界において「彼女」として紹介してもらえることは絶対にない。閉じられた世界でしか愛し合うことはない。春琴さんは人間として佐助よりよ圧倒的に優位に立っていたけれど、それは彼女がお嬢で使用人という立場であると同時に、健常者を圧倒的に凌ぐ才能がある。それがあって初めて春琴さんは外の世界の人からも「目の見えない可哀想な女の子」ではなく「お師匠さん」として尊敬され、佐助の女神となりうる。
ジョゼが自分と「管理人」を海の魚に喩えるのは、陸では自力で歩けない人魚姫を連想させる。海の中では足がなくても自由でいられて、対等な立場で、愛し合えるからと。
ジョゼが自分と「管理人」を海の魚に喩えるのは、陸では自力で歩けない人魚姫を連想させる。海の中では足がなくても自由でいられて、対等な立場で、愛し合えるからと。







