こんな言い方は許されまいが、イスラム、イスラム社会の中のユダヤ人のような存在が当派である、と感じた。少数派、政治的経済的に虐げられてきた、政教一致、これらの要素は本書のどの箇所でも鮮明だ。
現在の常識と言うか先入観からすれば、当派は国内で多数を占めるイランと同一視され、拡大すれば政治弱者ではあれ一定の勢力であるイラクのイラン寄りの部分までを含むという処までだ。しかし、本書では総人口に占める当派比率の推計をイラン88.3%、イラク57.1%、バーレーン54.4%、レバノン29.8%、クウェート18.8%、パキスタン14.5%・・・と上げ、さらに、アゼルバイジャン61.0%、タジキスタン5.0%とし、ごく少数派になっている国での動向まで全体が網羅されている。
一つの問題は、イスラムそのものの起源に端緒を持つ当派が、流浪の民とは言わないまでも、イラン起源ではないということだ。イスラムの聖地、イラクの墓廟都市(アタバート)、そして現在のタジキスタンが当初の勢力圏であって、イメージ的なイランということではない、山岳民族の為の宗教宗派のようなイメージに読んでいる最中に修正されよう。更に言えば、現在のイラク内の当派は近年の改宗者だ。
現在の大統領であるアフマディネジャド氏については当然のことだろうものの冒頭に触れられるだけ。ホメイニ革命の余熱はまだ残っていても、政教一致は既にイランで分解している。革命後親米、反米の両極端に揺れ動いく現実政治はどこか異様で非現実的不自然である。これも現今取り沙汰されるように、戦火が交えられる危険性も伴いつつ、いずれ自然に落ち着くのかもしれない。
この政教上の混乱を、敢えて純宗教的な見地から見れば、寧ろ宗教的な探求が実を結ばなくなったが故の、政治化だった、その失敗だったという感慨もあり得よう。これこそ今現在イランでは許されないだろうものの、過去の宗教的見地と現代の科学、現代欧米文明の折り合いはもっと深い処で決着させねばならない。それは先端科学技術の核開発という事ではなく、宗教そのものの対象を科学的に解明した上でこそ初めてそれを欧米の仮面、真相の誤謬として剥ぐことができるはずの事なのである。もっと言えば、そんなことは簡単にはできないかもしれない、用意周到に確実にやらねばならないそれは現実政治で簡易的に代用できるようなものではない、という事だったのではないか。
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