シッダルタ (岩波文庫) (日本語) 文庫 – 2011/8/19
ヘルマン・ヘッセ
(著)
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本の長さ224ページ
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言語日本語
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出版社岩波書店
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発売日2011/8/19
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ISBN-104003243560
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ISBN-13978-4003243565
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商品の説明
内容(「BOOK」データベースより)
シッダルタは学問と修行を積み、聖賢になる道を順調に歩んでいた。だが、その心は一時として満たされることはなかった。やがて俗界にくだったシッダルタだったが…。深いインド研究と詩的直観とが融合して生み出された“東洋の心”の結晶とも言うべき人生探求の物語。原文の格調高い調べを見事な日本語に移した達意の訳。
登録情報
- 出版社 : 岩波書店 (2011/8/19)
- 発売日 : 2011/8/19
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 224ページ
- ISBN-10 : 4003243560
- ISBN-13 : 978-4003243565
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- - 228位東洋哲学入門
- カスタマーレビュー:
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カスタマーレビュー
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2019年1月5日に日本でレビュー済み
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Amazonで購入
釈迦というのは、えらい人なのだと思う。どうやって悟りを開いたのか、修行にいそしむ姿が厳しいだろうか。いろいろに考える人がいて、現実に苦しい問題が多いと思います。私なら、世の中に厳しい釈迦の態度は自分を救ってくれるように考えている。誰か毎日をおびやかすのか、ゆるがせにするのか。毎日、取捨選択をして、学ぶ態度を忘れずに困難を乗り越えていきたいと思う。
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役に立った
2017年5月23日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
はじめはむつかしい事ばかり書いてありそうで敬遠していました。
いざ読んでみると難解な思考実験、事前知識が必要な専門的知見、高度過ぎてすんなり読めない表現手法などは殆ど(あるいは全く)ありません。
短い小説の随所で深く考えさせられ、それを詳しく理解しようとすればするほど作者の深い専門的知見と思考実験、そして創造的発想に尊敬を感じます。
名作中の名作である上に国語の教科書さながらの読みやすさ(実際にヘッセは教科書に乗っていますが)とあって、とても幅広い年代の人にオススメ出来ます。
星6つあげたいです。
いざ読んでみると難解な思考実験、事前知識が必要な専門的知見、高度過ぎてすんなり読めない表現手法などは殆ど(あるいは全く)ありません。
短い小説の随所で深く考えさせられ、それを詳しく理解しようとすればするほど作者の深い専門的知見と思考実験、そして創造的発想に尊敬を感じます。
名作中の名作である上に国語の教科書さながらの読みやすさ(実際にヘッセは教科書に乗っていますが)とあって、とても幅広い年代の人にオススメ出来ます。
星6つあげたいです。
2019年12月6日に日本でレビュー済み
評価が軒並み高いのでいささか気後れしそうですが、これは仏教と言うよりキリスト教の救済に
ついての内容です。
初期仏教における「パーラーヤナ」という経典、または弟子の体験集「テーラ・ガーター」を見ると
一目瞭然ですが、「シッダールタ」とは全く異質です。
初期仏教の最終ポイントは「四諦」の体験をすること。
これを慧解脱といい、解脱した人を「阿羅漢」と言います。
パーラーヤナは最短でそこに到達するキモについて説かれた教えで、
テーラガーターは、お弟子方が「本当だった!俺も同じ体験が起こった」という感激を告白したものです。
どうもヘッセは全くそこが理解出来ていないようで、
河の流れを見て、人生を悟ったというのは日本の禅か浄土思想のようなことを
言っており、釈迦とは何の関係もありません。
この当時のドイツ、ヨーロッパの仏教研究を無視しています。
最後はキリスト教的救済を出して終わりです。
タイトルが「シッダールタ」ではあまりに酷いと言わざるを得ません。
ついての内容です。
初期仏教における「パーラーヤナ」という経典、または弟子の体験集「テーラ・ガーター」を見ると
一目瞭然ですが、「シッダールタ」とは全く異質です。
初期仏教の最終ポイントは「四諦」の体験をすること。
これを慧解脱といい、解脱した人を「阿羅漢」と言います。
パーラーヤナは最短でそこに到達するキモについて説かれた教えで、
テーラガーターは、お弟子方が「本当だった!俺も同じ体験が起こった」という感激を告白したものです。
どうもヘッセは全くそこが理解出来ていないようで、
河の流れを見て、人生を悟ったというのは日本の禅か浄土思想のようなことを
言っており、釈迦とは何の関係もありません。
この当時のドイツ、ヨーロッパの仏教研究を無視しています。
最後はキリスト教的救済を出して終わりです。
タイトルが「シッダールタ」ではあまりに酷いと言わざるを得ません。
2012年7月18日に日本でレビュー済み
ヘルマン・ヘッセの「シッダルタ」は入手可能な翻訳が何点かあります。そのうち三点から冒頭の数行を抜き出して、比較できるようにしました。
【手塚富雄訳】 蔭なす我が家のほとりに、日あたる川岸の小舟のかたわらに、沙羅の森、無花果の木蔭に、婆羅門の美しい子、若き鷹、シッダルタは、彼の友で同じ婆羅門の子であるゴヴィンダとともに育った。川の岸辺で、彼が沐するとき、浄めのすすぎを行うとき、聖なる犠牲を捧げるとき、日はかがやかな肩の肌を褐色に染めた。マンゴーの森で、彼が少年らしい遊びに耽るとき、母の歌にうっとりとするとき、聖なる犠牲を捧げるとき、学識深き彼の父の教えに耳を傾けるとき、賢者の談話の席につらなるとき、木下闇の影は彼の漆黒の目に流れ入った。
【岡田朝雄訳】 家の陰で、小舟の浮かぶ日の当たる川岸で、沙羅の森の陰で、無花果の木の陰で、美しいバラモンの子、若い鷹、シッダールタは、彼の友、バラモンの子、ゴーヴィンダとともに生まれ育った。太陽は、川岸で、神聖な沐浴のときに、供犠を行うときに、彼の輝く肩を褐色に焼いた。マンゴーの林で、少年たちと遊ぶときに、母の歌を聞くときに、神聖な供犠を行うときに、学者である父の教えを受けるときに、賢者たちの談話に加わるときに、影は彼の漆黒の目に流れ込んだ。
【高橋健二訳】 家の陰で、小ぶねのかたわら、川岸の日なたで、サラの木の森の陰で、イチジクの木の陰で、シッダールタは、バラモンの美しい男の子、若いタカは、その友でバラモンの子なるゴーヴィンダとともに、生い立った。太陽が彼の輝く肩をトビ色に焼いた。川岸で、水浴の折りに、神聖な水浴の折りに、神聖ないけにえの折りに。……影が彼の黒い目に流れこんだ。マンゴーの森で、少年の遊戯の折りに、母の歌を聞くときに、神聖ないけにえの折りに、学者なる父の教えを聞くときに、賢者たちの談話の折りに。
手塚富雄の翻訳が、日本語として最も美しく、流麗で、上品なのは一目瞭然ですが、少し検討すると最も意味明瞭なのも手塚の訳だと判ります。
他の二点には状況描写で曖昧な箇所がいくつかあります。例えば、シッダルタの目に流れ込んだ影はマンゴーの木陰だということが不明。
高橋健二訳は残念ながら、配慮が行き届いた翻訳とは言えないように思います。文を途中で切断したために「日がシッダルタの肩を焼いたのは、川岸でのこと」だと分からないし、「何をしているときに、シッダルタの目に影が流れ込んだのか」が不明です(意味を保存せず文や句を切断して訳すのは彼の通常の傾向のようです)。また、同一の文の中で「シッダールタは…」「バラモンの美しい子、若いタカは…」と続けて、二重に主語があるような混乱した印象を与えます。さらに外国小説でいきなりカタカナ表記で「若いタカ」とあるので、人名か鳥名か一旦は迷います。
高橋訳「シッダールタ」は新潮文庫の一冊で、入手容易であったため多くの読者を獲得し、アマゾンの投稿数にも反映されています(現在39件)。一方どういうわけか手塚訳は長らく入手困難で、ようやく昨年(2011年)岩波文庫から復刊されました。
これだけの傑作ならばどのように翻訳しても伝わるものがあるでしょうから、高橋や岡田の「シッダルタ」がアマゾンで高評価を受けたのは、あながち間違いでもないと思います。でも、これからは手塚富雄の「シッダルタ」がもっと評価されるよう願っています。この文庫本は1953年刊の翻訳を底本にしていますが、私が最初に読んだのは1972年刊の筑摩世界文学大系の翻訳でした(図書館で借りた)。両者を比較すると微細な言い回しの異同があちこちにあって、翻訳家としての彼の誠実さがうかがえます。
【手塚富雄訳】 蔭なす我が家のほとりに、日あたる川岸の小舟のかたわらに、沙羅の森、無花果の木蔭に、婆羅門の美しい子、若き鷹、シッダルタは、彼の友で同じ婆羅門の子であるゴヴィンダとともに育った。川の岸辺で、彼が沐するとき、浄めのすすぎを行うとき、聖なる犠牲を捧げるとき、日はかがやかな肩の肌を褐色に染めた。マンゴーの森で、彼が少年らしい遊びに耽るとき、母の歌にうっとりとするとき、聖なる犠牲を捧げるとき、学識深き彼の父の教えに耳を傾けるとき、賢者の談話の席につらなるとき、木下闇の影は彼の漆黒の目に流れ入った。
【岡田朝雄訳】 家の陰で、小舟の浮かぶ日の当たる川岸で、沙羅の森の陰で、無花果の木の陰で、美しいバラモンの子、若い鷹、シッダールタは、彼の友、バラモンの子、ゴーヴィンダとともに生まれ育った。太陽は、川岸で、神聖な沐浴のときに、供犠を行うときに、彼の輝く肩を褐色に焼いた。マンゴーの林で、少年たちと遊ぶときに、母の歌を聞くときに、神聖な供犠を行うときに、学者である父の教えを受けるときに、賢者たちの談話に加わるときに、影は彼の漆黒の目に流れ込んだ。
【高橋健二訳】 家の陰で、小ぶねのかたわら、川岸の日なたで、サラの木の森の陰で、イチジクの木の陰で、シッダールタは、バラモンの美しい男の子、若いタカは、その友でバラモンの子なるゴーヴィンダとともに、生い立った。太陽が彼の輝く肩をトビ色に焼いた。川岸で、水浴の折りに、神聖な水浴の折りに、神聖ないけにえの折りに。……影が彼の黒い目に流れこんだ。マンゴーの森で、少年の遊戯の折りに、母の歌を聞くときに、神聖ないけにえの折りに、学者なる父の教えを聞くときに、賢者たちの談話の折りに。
手塚富雄の翻訳が、日本語として最も美しく、流麗で、上品なのは一目瞭然ですが、少し検討すると最も意味明瞭なのも手塚の訳だと判ります。
他の二点には状況描写で曖昧な箇所がいくつかあります。例えば、シッダルタの目に流れ込んだ影はマンゴーの木陰だということが不明。
高橋健二訳は残念ながら、配慮が行き届いた翻訳とは言えないように思います。文を途中で切断したために「日がシッダルタの肩を焼いたのは、川岸でのこと」だと分からないし、「何をしているときに、シッダルタの目に影が流れ込んだのか」が不明です(意味を保存せず文や句を切断して訳すのは彼の通常の傾向のようです)。また、同一の文の中で「シッダールタは…」「バラモンの美しい子、若いタカは…」と続けて、二重に主語があるような混乱した印象を与えます。さらに外国小説でいきなりカタカナ表記で「若いタカ」とあるので、人名か鳥名か一旦は迷います。
高橋訳「シッダールタ」は新潮文庫の一冊で、入手容易であったため多くの読者を獲得し、アマゾンの投稿数にも反映されています(現在39件)。一方どういうわけか手塚訳は長らく入手困難で、ようやく昨年(2011年)岩波文庫から復刊されました。
これだけの傑作ならばどのように翻訳しても伝わるものがあるでしょうから、高橋や岡田の「シッダルタ」がアマゾンで高評価を受けたのは、あながち間違いでもないと思います。でも、これからは手塚富雄の「シッダルタ」がもっと評価されるよう願っています。この文庫本は1953年刊の翻訳を底本にしていますが、私が最初に読んだのは1972年刊の筑摩世界文学大系の翻訳でした(図書館で借りた)。両者を比較すると微細な言い回しの異同があちこちにあって、翻訳家としての彼の誠実さがうかがえます。
ベスト1000レビュアー
ヘルマン・ヘッセというと「車輪の下」というイメージしかなく、こんな哲学的で東洋思想の本は想像もつかなかったです。しかも平易な文章でわかりやすく、でも奥深い。特に小児人種のもとで~輪廻の章のあたりは、自分の生活を顧みたりして、絵空事でなく読むことができた。この本を手に取ったきっかけは、ロックバンド、イエスの「危機」というアルバム(名盤です!!)が「シッダルタ」に着想を得ていると知ったから。曲の中のI get up, I get down. close to the edge,down by the river.season will pass you by. なんていうフレーズはちょっとこの本に通じるところがあるように思う。
2016年12月24日に日本でレビュー済み
原作のヘルマン・ヘッセの文章力は素晴らしいのだと思います。
そこを踏まえておいておいてください。
(以下、翻訳をしている方が複数いるので、その比較になってしまいます。)
やはり手塚氏の翻訳は美しいと感じています。
また、岡田氏の翻訳は誠実さ(いかに読者に意味を伝えやすくするか)が伝わってきます。
どの翻訳家さんでもヘッセの文章力、作品力は伝わります。
このシッダルタの後書きには手塚氏がヘッセから直々に頂いた言葉が紹介されています。
そこもどうか見逃さないでほしいページです。
個人的には手塚治虫氏のブッダよりも強い衝撃を受けた作品です。
ヘッセ、ありがとう。
この作品に出会えて良かった。
(ブッダと同名で同じような境遇の主人公の物語なので、それを知らないと困惑すると思います。
ブッダも本人役で出てくるので、それについて冒頭に助言があれば読者は迷わないで済むのかな?)
そこを踏まえておいておいてください。
(以下、翻訳をしている方が複数いるので、その比較になってしまいます。)
やはり手塚氏の翻訳は美しいと感じています。
また、岡田氏の翻訳は誠実さ(いかに読者に意味を伝えやすくするか)が伝わってきます。
どの翻訳家さんでもヘッセの文章力、作品力は伝わります。
このシッダルタの後書きには手塚氏がヘッセから直々に頂いた言葉が紹介されています。
そこもどうか見逃さないでほしいページです。
個人的には手塚治虫氏のブッダよりも強い衝撃を受けた作品です。
ヘッセ、ありがとう。
この作品に出会えて良かった。
(ブッダと同名で同じような境遇の主人公の物語なので、それを知らないと困惑すると思います。
ブッダも本人役で出てくるので、それについて冒頭に助言があれば読者は迷わないで済むのかな?)