こんな子供がいたなんて!!
若干13歳にして「リズム&ブルース界のゴッドファーザー」ことジョニー・オーティスに見出され、少女とは思えないパワフル&ソウルフルな唱法でスターダムにのしあがったリトル・エスター(後のエスター・フィリップス)。そんなエスターが1951~53年、ジョニー・オーティスのプロデュースのもと、「フェデラル(キング傘下)」で録音した作品を全25曲、余すとこなく収録した名盤。
大人顔負けの貫禄で一気に昇天すること間違い無し。
当時きっての音楽プロデューサーだったジョニー・オーティスからスカウトされ、サヴォイ時代にリリースした不朽の名バラード「ダブル・クロッシッング・ブルース」の大ヒットで一躍トップ・シンガーの座に輝いたリトル・エスター。そんなエスターが後に「エスター・フィリップス」の名でジャズ/ソウル・シーンで有名になる少し前、1951~53年にキング傘下「フェデラル」で録音したホットなブルース・チューンを今ここにドロップ。
ダンスフロアでもロングラン・ヒット中の「ザ・ディーコン・ムーヴズ・イン」(ドゥーワップ・グループ、ザ・ドミノズとのコラボ・チューン)や、「メインライナー」、あのエルヴィス・プレスリーもカバーしたロックンロール・クラシック「ハウンドドッグ」などといったダンスチューンに加え「アイム・ア・バッド・バッド・ガール」や「アイ・ペイト・マイ・デュー」などといった「これが10代のコの唄い方か!?」と思わず自身の耳を疑ってしまう激シブのバラードまで…いやいや恐れ入りました。