24歳のメイは大学時代の友人アニーのつてを頼って、世界中が憧れるインターネット企業サークルに就職を果たす。
サークルは次々と人間と社会の<透明化>に向けた新機軸を打ち出していく。政府や政治家が国民に隠し事をしないよう、そして犯罪者やテロ組織が街の平穏に乗じて密かに紛れ込むことがないよう、対策を講じていき、世界に賛同者を増やしていった。そしてメイはその<透明化>の顔に指名される。そのメイに、カルデンと名乗る謎の男が近づく。カルデンはサークルの社員だと言うが、その記録は社員データに見つからない…。
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サークル社はGoogle、Facebook、Youtube、Instagram、さらにはニコニコ動画を統合したかのような企業です。国家の不正を暴露し、犯罪の抑止を進めるための様々な仕組みの構築に邁進する姿は、社会の<進化>と人類の<向上>に向けた素敵な取り組みに見えます。
しかし、それはやがて、個人に一切のプライバシーを許さない、人間活動の森羅万象をネット上で永久に公開し続ける仕組みへと変貌していきます。
――というと、なんだかオーウェルが『
一九八四年
』で描いた苛烈なディストピアが広がっているように感じられるかもしれません。
事実、323頁にはサークル社の標語「秘密は嘘/分かち合いは思いやり/プライバシーは盗み」が掲げられています。これは『一九八四年』が全体主義国家のモットーとして刻んだ「戦争は平和である/自由は屈従である/無知は力である」を想起させるものです。
ですが、この小説『ザ・サークル』は『一九八四年』に比べるともっと軽妙洒脱で滑稽なテイストがします。
「すごい、ここは天国だ」――出勤初日にメイは、会社の広大な敷地、生き生きと働く同僚らを見て心底そう思うほど。彼女は無邪気このうえなく、ネット社会が抱える難点にはとことん無頓着です。
メイに底の浅さを感じる読者もいるかもしれません。ですが、もらったメールにきちんと返事をしなくてはと強迫観念にかられたり、自分の日常活動を誇示するために写真や動画をひたすら公開し続けたり、ネットでの自分の評判に一喜一憂したりするあたりは、誰しも一度ならず身に覚えがあることではないでしょうか。ですからメイを底の浅い人間だと斬り捨てられる人は少数派かもしれません。なじみのネット生活が戯画化されているだけと思えば、気になるどころか、むしろ苦笑することしきりだった読者のほうが多いのでは。
さて、私がこの小説を読んでみようと考えたのは、先日読んだジョディ・アーチャー /マシュー・ジョッカーズ共著『
ベストセラーコード 「売れる文章」を見きわめる驚異のアルゴリズム
』で紹介されていたからです。近年の全米ベストセラーの中からコンピュータが、もっともよくできた作品として選んだのがこの小説だったのです。
『ベストセラーコード』の分析するところによると、ベストセラー本に共通する要素とは次のとおりです。
◆最もよく見られるテーマは<人間同士のつながりを感じさせる親密な関係>。それ以外に上位にくるのは、<家庭>、<仕事>、<最新テクノロジー>。
◆ベストセラーのプロットラインは山と谷が規則正しいリズムを刻む。三幕構成の均斉のとれるプロットラインが読者をひきつけ、感情の起伏の上下が緻密に計算されているとヒットにつながる。
◆最高の書き出し文は、300頁の物語が孕む対立のすべてを20ワード以下の一文に盛り込んだもの。
まさしく『ザ・サークル』はこうした要素をきちんと備えています。プロットラインは、メイの一喜一憂ぶりに伴って山と谷を交互に刻んでいきます。メイが仕事で上司や同僚から高い評価を得て華やいだ気分が頁を満たすかと思うと、その次には家族や元カレとのギクシャクした人間関係に暗澹たる気持ちが描かれる、といった具合です。そのアップダウンが心地よい読書を生んでいるわけですから、まさに著者の思うつぼといえるでしょう。
私は微苦笑しながら読みました。
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*362頁:ジャッキーがフランシスに対して作った<しな>はカメラにははっきりと映らなかったし、フランシス自身にもわかってもらえなかったけれど、メイには「銅鑼の音ほども微妙な仕草だった」と表現されています。
ここは原文では「To Mae it was as subtle as a gong.」となっていて、確かに「銅鑼の音ほども微妙な仕草だった」と直訳できますが、「銅鑼の音」はおよそ「微妙」というような類いのものではなく、とてもはっきりとした大きな音です。
英語には「as subtle as a sledgehammer」という表現があり、(直訳)「大型ハンマーと同じくらい繊細で」⇒(意訳)「全然繊細でない・ひどく荒っぽい」=「微妙さ・繊細さのかけらもない」という意味になります。これは皮肉の表現なのです。
ですから「To Mae it was as subtle as a gong.」も「メイには、明々白々だった」としたほうが分かりやすかったのではないでしょうか。「銅鑼の音ほども微妙」という日本語で皮肉が通じる期待するのはなかなか難しいと思います。
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