本書は、日本の霊長類学を、西欧世界が初めて正当に評価した類稀なる貢献です。その点については、まちがいなく著者を讃えるべきでしょう。しかし、それも、西洋と東洋の力関係が変わってきたひとつの現われにすぎないのかもしれません。自分たちが見下している文化圏の業績など、ありのままに見えるはずがないからです。もしそうだとすれば、昨今、西欧世界で日本の大衆文化が受け入れられるようになっていることと軌を一にすることなのかもしれません。以下、著者の貢献を十二分に評価したうえで、本書の批判をしておきます。
「私たちが多大な労力を費やして何かを追求するのは、相当な見返りを伴うときに限られる。自尊心を持ちだした心理学的な説明は、どれもここでつまずくのだ。自尊心は、それが他者からの尊敬とか、そこから得られる特権に変形しない限り、何の価値もない。自尊心は社会とのつながりで構築されて、はじめて重要性を持つのだ」(同書、286ページ)
天才は、自分が死んでから後に評価されることをひたすら期待して、同時代には受け入れない業績を残すのでしょうか。著者の考えるような勝ち負けにとらわれた、快楽原則的な人間観では、キリストが40日間も、荒野で“悪魔”の誘惑と闘ったことに代表される修行者的生き方もわかりませんし、アルチュール・ランボウやラインホルト・メスナーなどの探検家的生き方も了解できませんし、偏狭なナショナリズムとは本来的に無縁な今西錦司さんが定説的進化論などと対峙する時のパイオニア的生き方も理解できません。しかし、この場合は聖書の言うとおり、「人はパンのみにて生くるにあらず」なのです。自分を苦しめてまで自分を高めたいという一念から発した、こうした生き方にこそ、人間の独自性が見えるのではないでしょうか。また、著者の視点では、アンリ・ベルクソンの唱える創造的進化論など、愚の骨頂にしか見えないでしょう。また、本書の論旨からして取りあげてもよい、ベルクソンの『道徳と宗教のふたつの源泉』にふれることも思いつかないでしょう。
「自分の行動が相手にどう影響するかをしっかり理解できるのは、最大級の脳を持つごく一部の種だけのようだ」(同書、299−300ページ)
こう言ってしまってよいのでしょうか。そうすると、たとえば、催眠研究で革命を起こした Theodore X. Barber が晩年の6年間を費やして執筆した The Human Nature of Birds などで取りあげられている鳥類の行動のかなりの部分を、完全に無視しなければならなくなります。科学者であるのなら、事実の導くところに従わなければならず、予断を持ってはいけないのではないでしょうか。
「取りまく世界がいかに野蛮で、力学的で、道徳が存在しなくても、私たち人間には自由意志があり、望んだとおりの社会を作る能力がある。動物と共通の特徴があっても少しもかまわない。なぜなら人間には、自然のままの性質を徹底的に矯正して、文明社会にふさわしいものに変える力があるのだから」(同書、328ページ)
このような人間観は、現実をありのままに見た結果でしょうか。「望んだとおりの社会を作る能力」や「自然のままの性質を徹底的に矯正して、文明社会にふさわしいものに変える力」が本当に発揮されているのなら、人類史で起こってきたことや、いつの時代にも個人が抱えることになるさまざまな問題は、いったい何なのでしょうか。
本書の今西進化論の批判は、著者が日本の霊長類学を正当に評価していないためではありません。訳者の西田利貞さんの「あとがき」にある「1950年代の生物学の状況に無知な人」という表現で念頭に置いたのは、本書にも登場する長谷川真理子さんを筆頭とする、主として日本人だと思います。それはさておき、著者の今西批判について少々反論しておくと、著者には要するに今西さんの主張が全く理解できておらず、ダーウィンが絶対的に正しいという前提(つまり、科学的に確認されているわけではない空理空論)のもとで、それに対抗する主張をした今西さんを批判するという誤りを、おそらく“無意識的”(と言って悪ければ無自覚的)に起こしています。今西さんの言葉を借りれば、「ダーウィニズムに立つかぎり、私の到達したような自然観には、達しえないはず」(「主体性の進化論」116ページ)なのです。つまり、上からは下が完全に見えますが、下から上は見えないのです。
さらに言えば、今西さんの言うように、本当に「変わるべくして変わる」ことが進化の本質であるとすれば、そのことを現行の科学的方法で確認することができるはずはなく、そこにこそ科学的方法論の限界があることを、今西さんはきちんと見抜いたうえで――つまり、こうした批判を初めから覚悟したうえで――主張していたのです。ですから、「私たちが多大な労力を費やして何かを追求するのは、相当な見返りを伴うときに限られる」という、先ほど引用した著者の主張とは、当然のことながら今西さんの姿勢は相容れず、したがってそのような立場から今西さんを理解することはできないのです。いずれにせよ、「変わるべくして変わる」などと主張する今西進化論は科学ではない、という“反論”は、論点をずらしているにすぎない(つまり、論理で勝てないので、けちをつけたという)ことになります。
無料のKindleアプリをダウンロードして、スマートフォン、タブレット、またはコンピューターで今すぐKindle本を読むことができます。Kindleデバイスは必要ありません。
ウェブ版Kindleなら、お使いのブラウザですぐにお読みいただけます。
携帯電話のカメラを使用する - 以下のコードをスキャンし、Kindleアプリをダウンロードしてください。
サルとすし職人: 文化と動物の行動学 単行本 – 2002/12/1
- 本の長さ333ページ
- 言語日本語
- 出版社原書房
- 発売日2002/12/1
- ISBN-104562035889
- ISBN-13978-4562035885
この商品をチェックした人はこんな商品もチェックしています
ページ 1 以下のうち 1 最初から観るページ 1 以下のうち 1
商品の説明
内容(「MARC」データベースより)
人類を比類なき存在とみなす西洋と、サルも人間も同類と考える日本を比較し、霊長類の観察を通して、動物に「文化」を求める動物行動学の書。「文化」をキーワードに、人間と動物の垣根を乗りこえる。
登録情報
- 出版社 : 原書房 (2002/12/1)
- 発売日 : 2002/12/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 333ページ
- ISBN-10 : 4562035889
- ISBN-13 : 978-4562035885
- Amazon 売れ筋ランキング: - 1,074,592位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
カスタマーレビュー
星5つ中4つ
5つのうち4つ
1グローバルレーティング
評価はどのように計算されますか?
全体的な星の評価と星ごとの割合の内訳を計算するために、単純な平均は使用されません。その代わり、レビューの日時がどれだけ新しいかや、レビューアーがAmazonで商品を購入したかどうかなどが考慮されます。また、レビューを分析して信頼性が検証されます。


