コンピュータ全般に対する批判ではなく、
AI・・人工知能に対する批判です。
コンピュータによる問題解決のアプローチとしては、
処理手続きのルール化によるアルゴリズミックなアプローチと、
そのルールそのものを発見的に解決するヒューリステックな
アプローチの大きく2つあります。
ミンスキーさんらのAI、人工知能の実現性を主張する方々は、
後者のヒューリステックなアプローチの正しさを主張する。
そして、その考え方は、ソクラテス・プラトン以来の西洋哲学の伝統に依拠しているのだ、という。
序論の書き出しからして、
「ギリシア人が論理学と幾何学を発明して以来、あらゆる推論はある種の計算に
還元されるかもしれないという考え方 − したがって、あらゆる論争はこれですべて
解決できるかもしれないという考え方 − は、西洋哲学の伝統における厳格な思想家
たちのほとんどを魅了してきた。
まず最初に、ソクラテスがこの見通しを述べた。」
AI、人工知能が依拠するこの伝統に対して、
ドレイファスさん、
生物学的、心理学的、認識論的、存在論的な観点から、
アルゴリズミックなアプローチは無論のこと、
ヒューリステックなアプローチでも、原理的に解決できないのだ、と反駁します。
そもそも、その前提は誤りなのだ、と。
副題に「哲学的人工知能批判」とあるとおり、
デカルト、カントの認識論の振り返りもあるのですが、
この手の論争への切り札的な言明として・・・
正直、素人でもニヤリとするのは、
やはりウッィトゲンシュタインです。
「われわれは自分の用いる概念の間にはっきりとした境界線を引くことはできない。
それは、われわれがそれらの概念を知らないからではなくて、
そもそも概念には本当の「定義」など存在しないからなのである。
概念には定義があるはずだと考えることはちょうど、子供たちがボール遊びをする
ときにはいつでも厳密な規則にしたがってゲームをしていると考えることに似ている」
とか
「通常、われわれは厳密な規則にしたがって言語を使用してはいない −
また、われわれは厳密な規則を通じて言語を教わったのでもない」
・・・こんな世界をどうコンピュータが表現するのだ?、といわんばかりに!
さらに、ドレイファスさんのいうコンピュータと人間の決定的な差が
「身体論」であるということも、実感としてわかります。
コンピュータには何ができないか―哲学的人工知能批判 単行本 – 1992/4/1
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本の長さ610ページ
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出版社産業図書
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発売日1992/4/1
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ISBN-10478280069X
-
ISBN-13978-4782800690
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商品の説明
内容(「BOOK」データベースより)
人工知能研究の可能性と限界を、哲学的な根本問題にまで遡って論究した、反AI論の古典。認知科学、人工知能研究、哲学の分野に関わる人々のみならず、今後のコンピュータ社会を考える万人にとっての必読書。
登録情報
- 出版社 : 産業図書 (1992/4/1)
- 発売日 : 1992/4/1
- 単行本 : 610ページ
- ISBN-10 : 478280069X
- ISBN-13 : 978-4782800690
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Amazon 売れ筋ランキング:
- 390,783位本 (の売れ筋ランキングを見る本)
- - 687位人工知能
- カスタマーレビュー:
カスタマーレビュー
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2008年9月23日に日本でレビュー済み
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2018年10月18日に日本でレビュー済み
真の知性(知能)は ルール・ベースでは実現できない。
どのようなルールも 適用条件で全体状況を規定することは できない。その結果、どのようなルールにも 例外状況が存在する。例えば、アシモフのロボット三原則にも 倫理哲学の「トロッコ問題」のような例外状況が存在します。
※ドレイファスが指摘した困難は、ディープラーニングによって克服されているかもしれません。特に、周辺意識(周辺知覚)の問題は 克服されています。
どのようなルールも 適用条件で全体状況を規定することは できない。その結果、どのようなルールにも 例外状況が存在する。例えば、アシモフのロボット三原則にも 倫理哲学の「トロッコ問題」のような例外状況が存在します。
※ドレイファスが指摘した困難は、ディープラーニングによって克服されているかもしれません。特に、周辺意識(周辺知覚)の問題は 克服されています。
2009年1月27日に日本でレビュー済み
題名の通り、人工知能を、哲学的(主に現象学的)観点から批判した書籍です。インプレスジャパンの「コンピュータの名著・古典100冊」に挙げられており、人工知能の研究者には必読といえる古典でしょう。
初版の刊行が1972年と古いため、現代では当てはまらない批判も多いです。実用的な成果が少ないという主張は当時はまかり通ったのでしょうが、現在では、AIはチェスやパターン認識などでは既に人間を超越しています。また、本書で批判の主な具体的対象とされているルールベースのAIは現在では「古き良きAI」(Good Old-Fashioned AI)などと言われて、ほぼ枯れた分野に分類されています。
しかしながら、本書の論旨である「人間のゲシュタルト性・現象学的側面を、離散性がベースであるデジタルコンピュータで実装できるのか?」(知能の本質は、脳の個々の機能の単純な総和を超えたところにあるのに、単に機能を個別に数え上げるだけで、知能を作れるのか?)という疑問は、現代でもなお未解決の課題であり、重要性をいささかも失っていません。その点で、現代でも一読する意義がある名著といえるのではないでしょうか。
なお、「改訂版への序論」が本文への増補に当たり、「訳者あとがき」に本書の概要と読む前の注意が書いてあるので、
1. 序文・謝辞・訳者あとがき
2. 本文
3. 序論
の順で読み進めると良いと思います。
初版の刊行が1972年と古いため、現代では当てはまらない批判も多いです。実用的な成果が少ないという主張は当時はまかり通ったのでしょうが、現在では、AIはチェスやパターン認識などでは既に人間を超越しています。また、本書で批判の主な具体的対象とされているルールベースのAIは現在では「古き良きAI」(Good Old-Fashioned AI)などと言われて、ほぼ枯れた分野に分類されています。
しかしながら、本書の論旨である「人間のゲシュタルト性・現象学的側面を、離散性がベースであるデジタルコンピュータで実装できるのか?」(知能の本質は、脳の個々の機能の単純な総和を超えたところにあるのに、単に機能を個別に数え上げるだけで、知能を作れるのか?)という疑問は、現代でもなお未解決の課題であり、重要性をいささかも失っていません。その点で、現代でも一読する意義がある名著といえるのではないでしょうか。
なお、「改訂版への序論」が本文への増補に当たり、「訳者あとがき」に本書の概要と読む前の注意が書いてあるので、
1. 序文・謝辞・訳者あとがき
2. 本文
3. 序論
の順で読み進めると良いと思います。
2012年5月15日に日本でレビュー済み
さすがに名著だけあって面白い内容です。内容自体のレビュは他のレビュアの方を見ていただくことにして、読んでいてハタと気づいたことがあったのでコメントしてみました。
本書の冒頭に「ソクラテス・プラトン以来、推論はある種の計算に還元できるかもしれない、という考え方が西洋人を魅了してきた」とありますが、まさにこれこそギリシャ以来の西洋哲学が指向してきたことでしょう。アリストテレスから始まる形式論理学やライプニッツやデカルトの自動計算機もその一環です。人間の情報処理はコンピュータで置き換えることができる、というAIの考え方はこのような遥か2000年来哲学が指向してきた延長にあるのです。
一方、哲学の方はというとヨーロッパの長い19世紀を経て大きくその指向が蛇行し、おそらく本書で時折引用されるヴィトゲンシュタインあたりを最後に停滞してしまいます。岩波書店の哲学講座の冒頭に「哲学が万学の女王の座を降りてから...云々」とありますが、近代においては所謂科学技術が隆盛し、伝統的な哲学は大きくその存在の場を見失いかけている、というのが現状ではないでしょうか。
著者は哲学的立場からAIの研究を批判する、としていますが、AIが指向していることこそ旧来の伝統的な哲学の延長ですから、近代科学の代表たるコンピュータ対哲学という図式ではなく、哲学者が旧来の哲学の残滓を批判している、という図式として捉えることができると思います。そして、そのような批判的立場にある著者は、批判の根拠として現象学やヴィトゲンシュタインを引用するものの、それら自体その後大きな発展をみていないものですし、哲学的立場にありながら、その他の根拠として、神経生理学やゲシュタルト心理学を援用しているわけです。これらは、哲学が万学の女王の座を降りた後に取って代わった近代的な学問ではないでしょうか。
このように考えると、哲学的批判というよりもその背景には、哲学者が哲学自体では批判できない、という哲学の限界をが暗示されているように受け止められます。
この点が面白かったです。
本書の冒頭に「ソクラテス・プラトン以来、推論はある種の計算に還元できるかもしれない、という考え方が西洋人を魅了してきた」とありますが、まさにこれこそギリシャ以来の西洋哲学が指向してきたことでしょう。アリストテレスから始まる形式論理学やライプニッツやデカルトの自動計算機もその一環です。人間の情報処理はコンピュータで置き換えることができる、というAIの考え方はこのような遥か2000年来哲学が指向してきた延長にあるのです。
一方、哲学の方はというとヨーロッパの長い19世紀を経て大きくその指向が蛇行し、おそらく本書で時折引用されるヴィトゲンシュタインあたりを最後に停滞してしまいます。岩波書店の哲学講座の冒頭に「哲学が万学の女王の座を降りてから...云々」とありますが、近代においては所謂科学技術が隆盛し、伝統的な哲学は大きくその存在の場を見失いかけている、というのが現状ではないでしょうか。
著者は哲学的立場からAIの研究を批判する、としていますが、AIが指向していることこそ旧来の伝統的な哲学の延長ですから、近代科学の代表たるコンピュータ対哲学という図式ではなく、哲学者が旧来の哲学の残滓を批判している、という図式として捉えることができると思います。そして、そのような批判的立場にある著者は、批判の根拠として現象学やヴィトゲンシュタインを引用するものの、それら自体その後大きな発展をみていないものですし、哲学的立場にありながら、その他の根拠として、神経生理学やゲシュタルト心理学を援用しているわけです。これらは、哲学が万学の女王の座を降りた後に取って代わった近代的な学問ではないでしょうか。
このように考えると、哲学的批判というよりもその背景には、哲学者が哲学自体では批判できない、という哲学の限界をが暗示されているように受け止められます。
この点が面白かったです。