ゲンロン0 観光客の哲学 (日本語) 単行本 – 2017/4/8
東 浩紀
(著)
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本の長さ326ページ
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言語日本語
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出版社株式会社ゲンロン
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発売日2017/4/8
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ISBN-10490718820X
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ISBN-13978-4907188207
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商品の説明
メディア掲載レビューほか
東浩紀の「集大成」 インターネット以降の人間は「観光客」として生きていく
オビには「集大成にして新展開」とあり、著者自ら「最高傑作」と公言して憚らない渾身の書物である。哲学者として、批評家として、小説家として、思想家として、東浩紀がこれまで歩んできた道のりのすべてが本作に結集し、未来に向かって流れ出している。
観光客とは何か? それは「特定の共同体にのみ属する『村人』でもなく、どの共同体にも属さない『旅人』でもなく、基本的には特定の共同体に属しつつ、ときおり別の共同体も訪れる」という存在のことである。この三分法はすでに以前の著作『弱いつながり』で提示されていた。本書はそのような「観光客」の出現の意味と意義にかんする理論的な説明と、そこから発展してゆくさまざまな可能性を述べたものだ。重要なことは、東の言う「観光客」が、文字通りの意味であると同時に、一種のメタファー(隠喩)でもあるということである。それは実際に他国に観光目的で出かけてゆく者たちを指すだけではなく、明らかに、インターネット以後の人間の生の様式を表している。とりわけ検索エンジンとSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)は、ひとびとのコミュニケーションや社会的なコミットメントのあり方、知識や情報の獲得の方法、自己と他者の評価の仕方/され方、などを大きく変えた。そのことには良い面と良くない面があると言えるが、もちろん後戻りは出来ない。東が力強く素描しようとするのは、ポスト情報社会、後期(末期?)資本主義社会ともいうべき現在において、ひとはどうあるべきか、どう生きるべきなのか、という極めて巨大な問いへの解答である。「観光客」とはけっして無責任な存在ではない。現実世界でも、ネットでも、たまたま訪れた場所を好奇心の赴くままに見聞し、そこにいる人々と仮初めの関係を持つこと。東はそこに新しいかたちの共感と連帯の可能性を見出そうとする。一見飛躍と思えるような論旨展開も、練り上げられた平易な文体と周到なロジックによって、読者の読む悦び、思考する歓びを刺激しつつ、しかし観念的な哲学論議とはまったく違った確かな実感を与えてくれる。一言でいえば「これは自分(たち)の問題だ」という感覚を抱かせてくれるのだ。
本書の第2部では「観光客の哲学」から「家族の哲学」への接続がなされる。この「家族」も字義通りであり、またメタファーである。「観光客」と「家族」という何の変哲もない言葉に著者が込めた射程はおそろしく深く広い。このような書物が登場したのは本当に久しぶりのことである。
評者:佐々木 敦
(週刊文春 2017.06.22号掲載)著者について
1971年東京生まれ。批評家・作家。ゲンロン代表。
東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了(学術博士)。
専門は哲学、表象文化論、情報社会論。
著書に、『存在論的、郵便的』(1998年、サントリー学芸賞 思想・歴史部門)、
『動物化するポストモダン』(2001年)、
『クォンタム・ファミリーズ』(2009年、第23回三島由紀夫賞)
『一般意志2.0』(2011年)
『弱いつながり』(2014年、紀伊國屋じんぶん大賞2015)ほか多数。
登録情報
- 出版社 : 株式会社ゲンロン (2017/4/8)
- 発売日 : 2017/4/8
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 326ページ
- ISBN-10 : 490718820X
- ISBN-13 : 978-4907188207
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Amazon 売れ筋ランキング:
- 89,561位本 (の売れ筋ランキングを見る本)
- - 89位現代思想
- カスタマーレビュー:
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カスタマーレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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個人的には、哲学については軽くかじっただけなのですが。それでも著者ができる限り平易に哲学を紹介してくれている配慮が(だからこそ)文面から透けて見えて好印象かつ有り難かった(笑)
またその上で語られる"錯覚の集積がつくる連帯を考えたいと思う。"と観光客という概念のもとでの【郵便化】の紹介は、なるほどと、こちらも知的好奇心が刺激される感覚でした。
ダークツーリズムやオーバーツーリズムなど、表面的な数字だけで一喜一憂するだけではなく観光自体をあらためて考えてみたい誰かに、そしてドストエフスキー好きな誰かにもオススメ。
このような筆者の試みが成功しているかどうかは、個人的には掴みづらい。ただし、国家を前提とした成熟を考える近代哲学を乗り越えるために、国家への接続抜きに成熟が可能かという著者の問題設定は、現代において極めて重要な問いであると感じたし、我々一人一人が何らかの方向性を探していく必要があると思った。
本が読めない自分でもKindleで全部読めました。
この本は郵便的の委細な説明などが割愛されています。
そこが残念な点です。
郵便的マルチチュードの理論はとても面白いですが、具体性はありません。
また場所、空間の議論が抜けているように感じました。
誤配の空間(偶然に出会い未知と交遊する空間)が普遍的寛容の21世紀の具現化だという感じのことを主張しています。
そして、その出会いの連帯において家族(家族的な共同体)という主体を構想するのが大事だということを分かりやすく解説しているのですが、そうした主体には家族には家が必要なように主体を構成しアイデンティティを醸成する固有性のある場所、空間が必要な気がしてなりませんでした。
ユダヤ人みたいなのもいるので何とも言えませんが,,,
ツイッターのフォロワーのようなフリースケール(人気のある人はより人気に)のネットワーク(資本主義経済)が人間を動物化(人を統計的に扱いまた扱われ、低俗な快楽原理に飲み込まれる)してしまうという理論を提唱していたり、斬新でありながら合点のいく興味深い内容が多いです。
ただフリースケールのネットワークを解消すべく偶然の誤配を提唱しているのですが、情報社会の既知性と流動性を克服できない限り、難しいだろうという感想を抱きました。
交遊する前から相手の情報が知れる時代に、よく解らない人と絡む理由がないというか,,,
あとヒエラルヒーの心理的作用と崩壊や、それに伴う権威主義の変質が現代人の心理(生政治など)に関連していると個人的には思うのですが、その辺のアプローチもないです。
著者の目指す人の尊厳を回復する上で社会学的な視座が足りないとかもしれないと感じました。
しかしながら、カリフォルニアイデオロギーの通時的考察やネット社会におけるフロイト的不気味なもの(原始的なものの回帰)の考察はとてもエキサイティングでした。
知的財産権が産業革命によって資本主義発展のために生まれた概念であるのに対し、リバタリアンのネット文化がオープンやフリー、シェアを信条としそれを否定するというような捻れた構造をしている理由を分かりやすく解説しつつ精神分析的な視座で不気味なもの(シェアは贈与の回帰)としてとらえる考えは慧眼です。
最終章のドフトエフスキーの分析までを読んで、東浩紀の偶然の哲学に共感できました。
父になるのはいいとして、なんでインポにならなきゃならんのかとか細かいところでよく解らないこともありました。
インポは、ドフトエフスキーの初期のように子供にファザコンを抱えさせるだろうと思うのですが。
ドフトエフスキーは精神的にインポなまま、その現実(ファザコン)を超克した(受け入れた)から、そういう結論になるのは解るんですが、みんながみんなドフトエフスキーではないというか,,,
それやったら子供がファザコンからナショナリズム(超自我を外部に求めネーションを信奉するマゾヒスト)やリバタリアン(超自我しかないサディスト)になるというか,,,
こんなことで世界が変わるのはいいことなのか?
いまいちここんとこ、インポってのがピンと来ませんでした。
ただ、やはりドフトエフスキー解説での、この性、唯一性、絶対性を克服する偶然性の発想は理屈を超えて共感できる威力があります。
最後まで読んで、人の生き方を説いているのだと感じました。
とにかく本を読まないもんで、東浩紀の博識ぶりに驚きました。
この人、どんだけ本読んでるんだと感心するばかりです。
この本は多様なジャンルの数多の書物と読者を偶然の好奇心によって繋ぐ結節点として意図されています。
そのためこの本そのものが郵便的マルチチュードの試みとなっているようです。
偶然の哲学や不気味なものとしてのサイバースペースの考えはゲームのmgs5やmgs2を彷彿しました。