昨年アメリカを旅した。そして人種的分断がかの地でいかに大きな課題となって来たか、またいかに多くの人がその改善に取り組んできたか目の当たりにした。
均質性の高い日本に住んでいると、アフリカ系アメリカ人がどのような環境で生きてきたか知る機会はほぼない。ヒップホップ、ジャズなどの音楽、スポーツの世界で活躍している人達、という程度だ。だが歴史を知れば知るほど、彼らがどれほど過酷な状況で生きてきたかに愕然とする。
2019年は、アメリカ(バージニア州)に初めて奴隷が連れて来られてから400周年に当たる記念すべき年だった。
以降これまでに、アメリカでは400万人もの人々が奴隷として存在したと言われている。
その背景としては、1492年のアメリカ大陸の発見とその後のヨーロッパ人の入植が挙げられる。広大な大地を活かし、当時需要の高かった綿の生産が急拡大した。そのための労働力が必要となったため、未開の地とされたアフリカに白羽の矢が立ったのである。
イギリスやオランダなど、欧米の国々が主に西アフリカから現地人を拉致、または騙して奴隷船に積み込み新大陸へと送り出した。資材を積むがごとくぎゅうぎゅう詰めにされた船内の衛生状態は過酷を極め、壊血病、眼病など多くの病に奴隷たちは苦しんだと言う。手の施しようがなくなれば鎖が付けられたまま、躊躇なく生きたまま海へと捨てられた。
港へ付けば競売にかけられる。よく売れるようにと体に油を塗らされ、親子、兄弟姉妹もバラバラに売られたという。
綿花農場は多くがアメリカ南部に集中しており、その大規模なプランテーションで買い取られた奴隷は日々過酷な労働をさせられた。賃金・休息などもちろん十分に与えられることはない。この様子は、近年アカデミー賞を受賞した「それでも夜は明ける」に詳しい(この映画は1841年にアメリカ国内で拉致され、奴隷として南部農園に売られた自由黒人による手記"Twelve Years in Slave"が基盤)。
北軍勝利で終わった南北戦争の後、1862年に奴隷解放宣言がなされてからは多くの奴隷が北部へと逃げ出した。この自由への逃走を手助けするために、多数の人々が自らの危険を顧みずに携わったとされる(この活動に参加し300人もの奴隷を逃すことに成功した元奴隷のハリエット・タブマンは、その功績を讃えられ近年新しい20ドル紙幣の肖像に採用された)。
その奴隷解放宣言からほぼ100年後の1965年が、映画の舞台である。100年という長い、長い年月が経っても、黒人たちへの差別は止まなかった。バスの乗車位置、水飲み場どころか子どもの通う学校も隔離され、ホテルやレストラン、劇場の利用も拒否される。Ku Klax Klanを中心としたリンチも横行し多くの黒人が殺されたが、十分な捜査がなされることはなく、加害者が捕まることもなかった(この状況は映画化された「ミシシッピ・バーニング」「アラバマ物語」を参照)。
リンチされ木にぶら下げられた黒人の遺体は、ビリー・ホリディが唄うように「ストレンジ・フルーツ(奇妙な果実)」と呼ばれた。
この映画に描かれているように、いかに多くの黒人たちが「もうたくさんだ」と感じていただろうかと嘆息する。自らの生命の危険も省みない、捨て身の行動に出るほどに、本当に「もう疲れきってしまった」。働けど金はない。安心して移動できない。十分な教育を受けられない。夢を持てない。自分たちが望んで来たわけではないこの地で、一生このままで生きるのだろうか。子どもたちもそのまた子どもたちも、ずっと私のように虐げられて。人としての尊厳を認められずに生きるのだろうか-----。彼らが長年受けて来た心と体への負担は、察するに余りある。
アメリカの公民権運動のキーとなったのは、インド独立運動を率いたガンジーに触発され非暴力を貫いたことだと思う。これにより、黒人以外の多くの人々が参加することとなった。現代でも差別的な状況は存在しているが、このアメリカで発展した運動は、メディアの発達と共に世界各国の公民権活動に影響を与えたとも言える。その意味でマーティン・ルーサー・キング牧師やロサ・パークスをはじめとした多くの活動家の果たした役割は、非常に大きいとも言えるのだ。
そしてそれを支えたのは黒人たちだけではなかったということも忘れてはならないと思う。劇中で殺されたリーブ牧師を初め、ヴィオラ・リッツォなど多くの白人が命を落としている。頭部損傷のため一生車椅子での生活を余儀なくされたバーグマン博士。視力を損傷した記者。そうした危険を省みずに、なぜ異なる人種の権利のために多くの白人が参加したのか?
それはもはや肌の色を巡る戦いではなかったから。それは人種を巡る戦いではなく、人間の尊厳を巡る戦いだと知ったからだろう。
こうした歴史を見ると、私たちがいま享受していることの多くがいかに先人の犠牲の上に成り立っているかと思う。
人種や国籍などで差別されるべきではないと活動した人々がいたから、法律が整備され、民主的な社会が形成されて今の社会があるのだ。日本でも性的指向や国籍、民族、人種的な差別解消への取り組みはまだこれから。道半ばだと思う。
こうして映像を目にすることで、過去の人々の業績を知り、自らの立場を歴史という流れにおいて確認することができる。そうした意味で、多くの人の助けになると思う。ぜひ見て欲しい映画。

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