クラシック音楽とは何か (日本語) 単行本 – 2017/11/20
岡田 暁生
(著)
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本の長さ315ページ
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言語日本語
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出版社小学館
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発売日2017/11/20
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ISBN-104093885834
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ISBN-13978-4093885836
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商品の説明
内容(「BOOK」データベースより)
入門者も、通も思わず叫んだ「えっ、そうだったの!」目からウロコのクラシック音楽の死角。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
岡田/暁生
音楽学者。京都大学人文科学研究所教授、文学博士。1960年京都生まれ。著書に『オペラの運命』(中公新書・2001年サントリー学芸賞受賞)、『西洋音楽史「クラシック」の黄昏』(中公新書・2005年)、『ピアニストになりたい!19世紀もうひとつの音楽史』(春秋社・2009年芸術選奨文部科学大臣新人賞受賞)、『音楽の聴き方 聴く型と趣味を語る言葉』(中公新書・2009年吉田秀和賞受賞)ほか多数(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
音楽学者。京都大学人文科学研究所教授、文学博士。1960年京都生まれ。著書に『オペラの運命』(中公新書・2001年サントリー学芸賞受賞)、『西洋音楽史「クラシック」の黄昏』(中公新書・2005年)、『ピアニストになりたい!19世紀もうひとつの音楽史』(春秋社・2009年芸術選奨文部科学大臣新人賞受賞)、『音楽の聴き方 聴く型と趣味を語る言葉』(中公新書・2009年吉田秀和賞受賞)ほか多数(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
登録情報
- 出版社 : 小学館 (2017/11/20)
- 発売日 : 2017/11/20
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 315ページ
- ISBN-10 : 4093885834
- ISBN-13 : 978-4093885836
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Amazon 売れ筋ランキング:
- 346,242位本 (の売れ筋ランキングを見る本)
- - 175位クラシック音楽論・理論
- カスタマーレビュー:
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カスタマーレビュー
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2019年4月23日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ピアノを習っているので、クラシックについてもっと知りたくて買いました。たくさん勉強になりました。。
私はロマン派の音楽を弾く時には情景や物語が自然と浮かぶのですが、バッハを弾く時にはなぜかなにも情景が思い浮かばないんです。なんでだろう??と思っていたのですが、この本を読んでやっと理由が分かりました。あと、オペラとオペレッタの違いも分かりました。皆さん、オペラとオペレッタの違いを説明できます??
やたらと長い音楽とか、宗教音楽のことなど色々勉強になります。
楽器を習っている人、教養の知識を増やしたい人、クラシックが好きな人、あるいは女性との会話やデートのネタとして、読んでみるのはいかがですか?
私はロマン派の音楽を弾く時には情景や物語が自然と浮かぶのですが、バッハを弾く時にはなぜかなにも情景が思い浮かばないんです。なんでだろう??と思っていたのですが、この本を読んでやっと理由が分かりました。あと、オペラとオペレッタの違いも分かりました。皆さん、オペラとオペレッタの違いを説明できます??
やたらと長い音楽とか、宗教音楽のことなど色々勉強になります。
楽器を習っている人、教養の知識を増やしたい人、クラシックが好きな人、あるいは女性との会話やデートのネタとして、読んでみるのはいかがですか?
殿堂入りNo1レビュアーベスト10レビュアーVINEメンバー
本書は、小学館発行の『クラシックプレミアム』に平成26年1月から平成27年11月まで連載された記事に加筆して構成した本とのことでした。
これだけ、平易な言葉で「クラシック音楽」について語りかけている本は珍しいですし、それでいて含蓄に富んだ内容になっていました。音楽の捉え方も明確で、クラシック音楽にさほど関心のない方もずっと昔から聴いてきた方も納得する内容でしょう。筆者の岡田暁生さんは京都大学人文科学研究所教授で文学博士を授与されている方です。
堅苦しい記述とは無縁でした。300ページ以上の分量があるわけですが、一般的に聴かれている作曲家、音楽の流れ、各国別の特徴などを取り上げ、違いが伝わるように明確に説明していますので、初めてクラシック音楽を書籍で学ぼうとする方には好都合ですし、多くの音楽に接してきた方には頭の整理に使える本だと思いました。それでいて、あまり知られていない話も盛り込まれており、これまで音楽史や伝記に親しんでこられた方も新たな発見をされることでしょう。
例えば、35ページで「現代音楽」を取り上げており、シェーベルクの不協和音だらけの作品が作られたのが1910年頃だと紹介し、作曲当時から年代へ経ているのに「いまだに『現代音楽』になのか」という疑問をストレートに提示していました。目からうろこですし、吉田秀和賞受賞の書き手からこのような素朴な疑問を提示してもらえると、読者もより身近に説明を感じてしまいます。
「20世紀に入って生まれてくるところの、不協和音などを多用し、一般聴衆をはねつけるような攻撃的な実験性を前面に押し出す前衛芸術」と定義されていました。音楽学者としてなかなか勇気のいる発言でしょうが、その分かりやすさが本書の魅力ですし、通奏低音のように流れていました。
また、バッハの「フランス組曲」や「イギリス組曲」の例に挙げて「いまだに私はどれが何番なのかよく覚えられない。これが私をイライラさせる。」と述べ、「区別がつかなくてもそんなに恥ずかしいことではない」とまで言い切ってもらえるとアマチュアの音楽好きには、なんとなくそれが免罪符をもらった気がします。音楽学者でもそうなのか、という親近感が湧きました。
また、ベルリン・フィルのライヴについて「まるでコントラバスがコンサートマスターをやっているみたい(234p)」と評しているのも見事な表現でした。明確で分かりやすい例示でした。そのような表現が本書の随所に散らばっているので、全編を読む楽しみに駆られました。まさしく知的好奇心を刺激する内容となっています。
ECMから発売されたエストニアの作曲家アルヴォ・ベルトの「タブラ・ラサ」を取り上げ、「現代音楽は必ずしも前衛的である必要がない」などについて論じられている箇所は同感ですし、特に参考になりました。良書です。
これだけ、平易な言葉で「クラシック音楽」について語りかけている本は珍しいですし、それでいて含蓄に富んだ内容になっていました。音楽の捉え方も明確で、クラシック音楽にさほど関心のない方もずっと昔から聴いてきた方も納得する内容でしょう。筆者の岡田暁生さんは京都大学人文科学研究所教授で文学博士を授与されている方です。
堅苦しい記述とは無縁でした。300ページ以上の分量があるわけですが、一般的に聴かれている作曲家、音楽の流れ、各国別の特徴などを取り上げ、違いが伝わるように明確に説明していますので、初めてクラシック音楽を書籍で学ぼうとする方には好都合ですし、多くの音楽に接してきた方には頭の整理に使える本だと思いました。それでいて、あまり知られていない話も盛り込まれており、これまで音楽史や伝記に親しんでこられた方も新たな発見をされることでしょう。
例えば、35ページで「現代音楽」を取り上げており、シェーベルクの不協和音だらけの作品が作られたのが1910年頃だと紹介し、作曲当時から年代へ経ているのに「いまだに『現代音楽』になのか」という疑問をストレートに提示していました。目からうろこですし、吉田秀和賞受賞の書き手からこのような素朴な疑問を提示してもらえると、読者もより身近に説明を感じてしまいます。
「20世紀に入って生まれてくるところの、不協和音などを多用し、一般聴衆をはねつけるような攻撃的な実験性を前面に押し出す前衛芸術」と定義されていました。音楽学者としてなかなか勇気のいる発言でしょうが、その分かりやすさが本書の魅力ですし、通奏低音のように流れていました。
また、バッハの「フランス組曲」や「イギリス組曲」の例に挙げて「いまだに私はどれが何番なのかよく覚えられない。これが私をイライラさせる。」と述べ、「区別がつかなくてもそんなに恥ずかしいことではない」とまで言い切ってもらえるとアマチュアの音楽好きには、なんとなくそれが免罪符をもらった気がします。音楽学者でもそうなのか、という親近感が湧きました。
また、ベルリン・フィルのライヴについて「まるでコントラバスがコンサートマスターをやっているみたい(234p)」と評しているのも見事な表現でした。明確で分かりやすい例示でした。そのような表現が本書の随所に散らばっているので、全編を読む楽しみに駆られました。まさしく知的好奇心を刺激する内容となっています。
ECMから発売されたエストニアの作曲家アルヴォ・ベルトの「タブラ・ラサ」を取り上げ、「現代音楽は必ずしも前衛的である必要がない」などについて論じられている箇所は同感ですし、特に参考になりました。良書です。
2020年12月28日に日本でレビュー済み
興味深い内容がたくさん書かれていて、とても楽しく読みました。
しかし、この本の「ワケのワカラナイ音楽について」の章で、「シェーンベルクは主としてハーモニーの領域で(中略)革命を企てた」と書かれていますが、ロラン・マニュエル著『音楽の楽しみ3』の第28話で、「シェーンベルクの技法は本質的に線と線を重ねたもの・・・(中略)。シェーンベルクは一度も和声の発見に関心をもったことがない」と作曲家のジョルジュ・オーリックは発言しています。
岡田さんはわかりやすく説明されているのですが、一つの説明方法なんだということを頭に入れて読むのがいいような気がします。
しかし、この本の「ワケのワカラナイ音楽について」の章で、「シェーンベルクは主としてハーモニーの領域で(中略)革命を企てた」と書かれていますが、ロラン・マニュエル著『音楽の楽しみ3』の第28話で、「シェーンベルクの技法は本質的に線と線を重ねたもの・・・(中略)。シェーンベルクは一度も和声の発見に関心をもったことがない」と作曲家のジョルジュ・オーリックは発言しています。
岡田さんはわかりやすく説明されているのですが、一つの説明方法なんだということを頭に入れて読むのがいいような気がします。
ベスト500レビュアー
前半はヴァイオリン協奏曲、後半は交響詩という2曲構成のコンサートで、休憩が始まったとき、隣にいた(あまりクラシック・コンサートに来ていない様子の)人が「もうヴァイオリンの人はおしまいなの? 上手なのにもったいない」と同行者に話していた。たしかに、コンサートの途中で去っていくソリストというのは不思議な存在なのかもしれないと思ったのは、本書を読んでいたからである。
「門外漢が『どうして?』と問うても、通の側からすれば『だって当たり前でしょ』ということになってしまう」「死角」から「一体クラシック音楽とは何なのか(p.7)」を考える。この場合、著者の言うクラシック音楽とは「一八世紀前半から二〇世紀初頭、わけても一九世紀に作曲されたヨーロッパ音楽の名作レパートリー(p.22)」である。したがってバロック音楽も、「現代音楽」も含まれない。
全体に、音楽そのもの以外、時代状況や音楽の社会における位置づけからの分析が多く面白い。曰く
「『クラシック音楽』とは……『コンサートホールで聴く音楽』であって、その中心ソフトが交響曲だったのである。(p.28)」
「モーツァルトはフランス革命より前の人であり、対するにベートーヴェンは革命の時代の申し子なのだ。(p.108)」
「クラシックが長い理由としてはとりあえず、『当時の人はヒマだったから』という理由が考えられるだろう。(p.126)」
「かくしてヨーロッパに代わりアメリカが世界を仕切る時代が始まった。……クラシック音楽の主要レパートリーはだいたい一九一〇年くらいで終わるわけだがこれは……世界史ヘゲモニーの移動と密接に関わっていたはずである。(p.144)」等々。
ベートーヴェンが、もしバッハの時代はおろかモーツァルトと一緒に生まれていたら、ベートーヴェンたり得なかっただろうということかと考える。
雑誌への連載記事がベースなので繰り返しが多いのが難点。
携帯型デジタル音楽プレイヤーを使っていない私は「いつでもどこでもいながらに好きな音楽を聴くというのは、ひょっとするとミューズに対する冒瀆であるかもしれないのだ。(p.202)」という一節に深く深く同意した。
「門外漢が『どうして?』と問うても、通の側からすれば『だって当たり前でしょ』ということになってしまう」「死角」から「一体クラシック音楽とは何なのか(p.7)」を考える。この場合、著者の言うクラシック音楽とは「一八世紀前半から二〇世紀初頭、わけても一九世紀に作曲されたヨーロッパ音楽の名作レパートリー(p.22)」である。したがってバロック音楽も、「現代音楽」も含まれない。
全体に、音楽そのもの以外、時代状況や音楽の社会における位置づけからの分析が多く面白い。曰く
「『クラシック音楽』とは……『コンサートホールで聴く音楽』であって、その中心ソフトが交響曲だったのである。(p.28)」
「モーツァルトはフランス革命より前の人であり、対するにベートーヴェンは革命の時代の申し子なのだ。(p.108)」
「クラシックが長い理由としてはとりあえず、『当時の人はヒマだったから』という理由が考えられるだろう。(p.126)」
「かくしてヨーロッパに代わりアメリカが世界を仕切る時代が始まった。……クラシック音楽の主要レパートリーはだいたい一九一〇年くらいで終わるわけだがこれは……世界史ヘゲモニーの移動と密接に関わっていたはずである。(p.144)」等々。
ベートーヴェンが、もしバッハの時代はおろかモーツァルトと一緒に生まれていたら、ベートーヴェンたり得なかっただろうということかと考える。
雑誌への連載記事がベースなので繰り返しが多いのが難点。
携帯型デジタル音楽プレイヤーを使っていない私は「いつでもどこでもいながらに好きな音楽を聴くというのは、ひょっとするとミューズに対する冒瀆であるかもしれないのだ。(p.202)」という一節に深く深く同意した。
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