この商品をお持ちですか?
マーケットプレイスに出品する

無料のKindleアプリをダウンロードして、スマートフォン、タブレット、またはコンピューターで今すぐKindle本を読むことができます。Kindleデバイスは必要ありません 。詳細はこちら
Kindle Cloud Readerを使い、ブラウザですぐに読むことができます。
携帯電話のカメラを使用する - 以下のコードをスキャンし、Kindleアプリをダウンロードしてください。
クラシックへの挑戦状 (単行本) 単行本 – 2020/1/17
大友 直人
(著)
購入を強化する
★指揮者 大友直人、初の著書!
小澤征爾に胸ぐらをつかまれ、バーンスタインに日本のオケを嘲笑された若き日のこと。
世界に背を向け、日本で活動し続けた理由、クラシックは興行であるという原点に立ち返る意味を自問自答し続けた日々を、余すことなく書ききった。
音楽とは何かクラシックとはなにか、指揮者とはなにかを突き詰めた渾身の書下ろし。
なにが、世界だ! なにが、芸術だ!
いまこの目の前の観客に感動を与えられなくて、なんの公演なのだろう。
興行としての原点を忘れたから、
クラシックは魅力を失ったのではないか……。
■第一章 「音楽家を目指す」と宣言する
■第二章 「世界」がなんだ!
主戦場は日本と決める
■第三章 躍る沖縄市民
琉球で考えたこと
■第四章 子どもたちを育てる
■第五章 クラシックだけじゃない
音楽の魅力
■第六章 これからのクラシック
小澤征爾に胸ぐらをつかまれ、バーンスタインに日本のオケを嘲笑された若き日のこと。
世界に背を向け、日本で活動し続けた理由、クラシックは興行であるという原点に立ち返る意味を自問自答し続けた日々を、余すことなく書ききった。
音楽とは何かクラシックとはなにか、指揮者とはなにかを突き詰めた渾身の書下ろし。
なにが、世界だ! なにが、芸術だ!
いまこの目の前の観客に感動を与えられなくて、なんの公演なのだろう。
興行としての原点を忘れたから、
クラシックは魅力を失ったのではないか……。
■第一章 「音楽家を目指す」と宣言する
■第二章 「世界」がなんだ!
主戦場は日本と決める
■第三章 躍る沖縄市民
琉球で考えたこと
■第四章 子どもたちを育てる
■第五章 クラシックだけじゃない
音楽の魅力
■第六章 これからのクラシック
- 本の長さ208ページ
- 言語日本語
- 出版社中央公論新社
- 発売日2020/1/17
- ISBN-104120052613
- ISBN-13978-4120052613
この商品を見た後に買っているのは?
ページ: 1 / 1 最初に戻るページ: 1 / 1
商品の説明
内容(「BOOK」データベースより)
小澤征爾に胸ぐらをつかまれ、バーンスタインに日本のオケを嘲笑された若き日のこと。世界に背を向け、日本で活動し続けた理由、クラシックは興行であるという原点に立ち返る意味を自問自答し続けた日々を余すことなく書ききった。音楽とはなにか、クラシックとはなにか、指揮者とはなにかを突き詰めた渾身の書き下ろし。
著者について
大友直人
1958年東京生まれ。桐朋学園大学を卒業。指揮を小澤征爾、秋山和慶、尾高忠明、岡部守弘各氏に師事した。タングルウッド音楽祭において、A.プレヴィン、L.バーンスタイン、I.マルケヴィッチからも指導を受ける。桐朋学園大学在学中からNHK交響楽団の指揮研究員となり、22歳で楽団推薦により同団を指揮してデビュー。以来、国内の主要オーケストラに定期的に客演するほか、日本フィルハーモニー交響楽団正指揮者、大阪フィルハーモニー交響楽団指揮者、東京交響楽団正指揮者および常任指揮者、京都市交響楽団首席指揮者および常任指揮者兼アーティスティック・アドバイザーを経て、現在、群馬交響楽団音楽監督、東京交響楽団名誉客演指揮者、京都市交響楽団桂冠指揮者、琉球交響楽団音楽監督。また、2004年から8年間にわたり、東京文化会館の初代音楽監督を務めた。この間ほかにも1986年大阪フィルとのヨーロッパ・ツアー、1992年東響との東南アジア・ツアー、1994年ポルトガル公演、1996年、2001年ヨーロッパ・ツアーなどでも絶賛を博している。
1958年東京生まれ。桐朋学園大学を卒業。指揮を小澤征爾、秋山和慶、尾高忠明、岡部守弘各氏に師事した。タングルウッド音楽祭において、A.プレヴィン、L.バーンスタイン、I.マルケヴィッチからも指導を受ける。桐朋学園大学在学中からNHK交響楽団の指揮研究員となり、22歳で楽団推薦により同団を指揮してデビュー。以来、国内の主要オーケストラに定期的に客演するほか、日本フィルハーモニー交響楽団正指揮者、大阪フィルハーモニー交響楽団指揮者、東京交響楽団正指揮者および常任指揮者、京都市交響楽団首席指揮者および常任指揮者兼アーティスティック・アドバイザーを経て、現在、群馬交響楽団音楽監督、東京交響楽団名誉客演指揮者、京都市交響楽団桂冠指揮者、琉球交響楽団音楽監督。また、2004年から8年間にわたり、東京文化会館の初代音楽監督を務めた。この間ほかにも1986年大阪フィルとのヨーロッパ・ツアー、1992年東響との東南アジア・ツアー、1994年ポルトガル公演、1996年、2001年ヨーロッパ・ツアーなどでも絶賛を博している。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
大友/直人
指揮者。1958年東京生まれ。桐朋学園大学を卒業。指揮を小澤征爾、秋山和慶、尾高忠明、岡部守弘各氏に師事した。タングルウッド音楽祭において、A.プレヴィン、L.バーンスタイン、I.マルケヴィッチからも指導を受ける。桐朋学園大学在学中からNHK交響楽団の指揮研究員となり、22歳で楽団推薦により同団を指揮してデビュー。以来、国内の主要オーケストラに定期的に客演する。日本フィルハーモニー交響楽団正指揮者、大阪フィルハーモニー交響楽団専属指揮者、東京交響楽団常任指揮者、京都市交響楽団常任指揮者兼アーティスティック・アドバイザー、群馬交響楽団音楽監督を経て現在東京交響楽団名誉客演指揮者、京都市交響楽団桂冠指揮者、琉球交響楽団音楽監督。また、2004年から8年間にわたり、東京文化会館の初代音楽監督を務めた。第8回渡邉暁雄音楽基金音楽賞、第7回齋藤秀雄メモリアル基金賞を受賞。大阪芸術大学教授、京都市立芸術大学客員教授、洗足学園音楽大学客員教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
指揮者。1958年東京生まれ。桐朋学園大学を卒業。指揮を小澤征爾、秋山和慶、尾高忠明、岡部守弘各氏に師事した。タングルウッド音楽祭において、A.プレヴィン、L.バーンスタイン、I.マルケヴィッチからも指導を受ける。桐朋学園大学在学中からNHK交響楽団の指揮研究員となり、22歳で楽団推薦により同団を指揮してデビュー。以来、国内の主要オーケストラに定期的に客演する。日本フィルハーモニー交響楽団正指揮者、大阪フィルハーモニー交響楽団専属指揮者、東京交響楽団常任指揮者、京都市交響楽団常任指揮者兼アーティスティック・アドバイザー、群馬交響楽団音楽監督を経て現在東京交響楽団名誉客演指揮者、京都市交響楽団桂冠指揮者、琉球交響楽団音楽監督。また、2004年から8年間にわたり、東京文化会館の初代音楽監督を務めた。第8回渡邉暁雄音楽基金音楽賞、第7回齋藤秀雄メモリアル基金賞を受賞。大阪芸術大学教授、京都市立芸術大学客員教授、洗足学園音楽大学客員教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
登録情報
- 出版社 : 中央公論新社 (2020/1/17)
- 発売日 : 2020/1/17
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 208ページ
- ISBN-10 : 4120052613
- ISBN-13 : 978-4120052613
- Amazon 売れ筋ランキング: - 323,696位本 (の売れ筋ランキングを見る本)
- - 169位クラシック音楽論・理論
- - 33,962位ノンフィクション (本)
- カスタマーレビュー:
カスタマーレビュー
5つ星のうち3.7
星5つ中の3.7
36 件のグローバル評価
評価はどのように計算されますか?
全体的な星の評価と星ごとの割合の内訳を計算するために、単純な平均は使用されません。その代わり、レビューの日時がどれだけ新しいかや、レビューアーがAmazonで商品を購入したかどうかなどが考慮されます。また、レビューを分析して信頼性が検証されます。

『クラシック界への挑戦状』なんて物騒な題名だが、この本に書かれた内容は彼の視点から見たクラシック界へのひとつの提案である様に感じた。それよりも、終始穏やかに綴られる話口調の文面が大変心地よく気に入っている。彼の幼少時から成人に至るまでの心境や、好きな事を生業としてどう生きていくか…という葛藤、貪欲とも取れる選択の数々…などなど、柔和な文面とは反して、実に自分に正直にアグレッシブな生き方をされて来られたのだと驚いた。主旨とは違うかもしれないが、そちらの方が私の印象には深く残り、これから"好きな事"を生業にしたい若者に読んで欲しい一冊だと感じた。ひとつのことを続ける事は難しい。聴く側、見る側の主観によって如何様にも評価や価値の変わる形のない芸術や音楽の分野では尚の事そうだろう。そんな中で、自分を見失わず俯瞰した物の見方が出来、また、自律した思考を持ち続ける事が出来るなんて…めたくそかっこ良いと思った。自分の持つ知識と認識と偏見、培った経験に基づいて、私もクラシック界が衰退する理由を考察してみた。出した答えが正しい正解な訳でも無いし、皆の共感を得られる物でも無いという事は分かりきっている事なのだ。しかし、私が出した私の答えである。と、表明する事に意義があるのだと…穏やかな暴れん坊を真似て思ってみたりする。大友さんは思った以上に面白い人だった。だから、彼が大好きだ!
このレビューの画像
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2020年2月23日に日本でレビュー済み
違反を報告する
Amazonで購入
超一流プロの演奏は敷居高く頻繁には行けず、アマチュア演奏は知り合いか身内がいないとあまり積極的に行く気がしない。ヨーロッパの環境はよく知らないけれど、いい演奏を聴く機会がたくさんあって気軽に行けて話題にのぼる状況が日本で生まれるよう、第一線で活躍される方や若手音楽家たちが工夫をこらし、情報を発信していってくださればと思います。本書がその一環になるものと信じています。
8人のお客様がこれが役に立ったと考えています
役に立った
2020年11月11日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
日本のクラシック音楽界の現状と行末に、筆者はたいへん危惧しているようだ。日本のオーケストラがガラパゴス化している、オーケストラとその楽団員(演奏者)たちの演奏の質が進歩していない、演奏者と聴衆とをつなぐ音楽評論家たちも質が低下している、音楽家を育てる教育環境も悪い、とくに筆者が決定的に重視する10歳代の音楽家を養成するための教育環境が良くない、といったことが指摘されている(と読めた)。
個人的には、東京交響楽団のファンで、少なくともここ数年、とくにCovid19が流行している今年、毎回、愛と気迫のこもった演奏を聴かせてもらい、コンサートに行くたびに、励ましや慰めや喜びを、いっぱいもらって帰ってきている。
音楽には聴く人びとの心をその根底において一つにする力があると感じさせてもらっている。というか、その演奏は、愛し合おう、一つになろう、困難を乗り越えて、生きることを肯定しよう、という力強い招きのようにも感じられる。
だから、著者の危機感はあまりピンとこない。著者は若さに価値を重く起き、作曲家たちも代表作を若き日に書いているというが、わたしは人間の成長や成熟をもっと信じるものである(演奏家の教育においては、若き日の練習や教育環境が大切であるというのはそうであろうけれど)。
著者の危機感や使命感はそれとして、実際の演奏家たちのいまとこれからを、もっと信頼していいように思う。
現場の人間には、現場の人間しか認識できないいろいろを認識するのだろうけれど、東京交響楽団の一ファンとしては、希望と未来しか感じられないのだ。
個人的には、東京交響楽団のファンで、少なくともここ数年、とくにCovid19が流行している今年、毎回、愛と気迫のこもった演奏を聴かせてもらい、コンサートに行くたびに、励ましや慰めや喜びを、いっぱいもらって帰ってきている。
音楽には聴く人びとの心をその根底において一つにする力があると感じさせてもらっている。というか、その演奏は、愛し合おう、一つになろう、困難を乗り越えて、生きることを肯定しよう、という力強い招きのようにも感じられる。
だから、著者の危機感はあまりピンとこない。著者は若さに価値を重く起き、作曲家たちも代表作を若き日に書いているというが、わたしは人間の成長や成熟をもっと信じるものである(演奏家の教育においては、若き日の練習や教育環境が大切であるというのはそうであろうけれど)。
著者の危機感や使命感はそれとして、実際の演奏家たちのいまとこれからを、もっと信頼していいように思う。
現場の人間には、現場の人間しか認識できないいろいろを認識するのだろうけれど、東京交響楽団の一ファンとしては、希望と未来しか感じられないのだ。
2020年4月28日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
非常に読みごたえがございました。物凄く風通しの悪い大変な業界でお仕事をされているんだなあと思いました。日本のクラシック業界の現状はそのまま日本の政治社会にも当てはまっているように感じます。常に進化し続ける大友直人様、微力ながら応援致します!!
2022年4月15日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
『クラシック界への挑戦状』なんて物騒な題名だが、この本に書かれた内容は彼の視点から見たクラシック界へのひとつの提案である様に感じた。
それよりも、終始穏やかに綴られる話口調の文面が大変心地よく気に入っている。
彼の幼少時から成人に至るまでの心境や、好きな事を生業としてどう生きていくか…という葛藤、貪欲とも取れる選択の数々…などなど、柔和な文面とは反して、実に自分に正直にアグレッシブな生き方をされて来られたのだと驚いた。主旨とは違うかもしれないが、そちらの方が私の印象には深く残り、これから"好きな事"を生業にしたい若者に読んで欲しい一冊だと感じた。
ひとつのことを続ける事は難しい。聴く側、見る側の主観によって如何様にも評価や価値の変わる形のない芸術や音楽の分野では尚の事そうだろう。そんな中で、自分を見失わず俯瞰した物の見方が出来、また、自律した思考を持ち続ける事が出来るなんて…めたくそかっこ良いと思った。
自分の持つ知識と認識と偏見、培った経験に基づいて、私もクラシック界が衰退する理由を考察してみた。出した答えが正しい正解な訳でも無いし、皆の共感を得られる物でも無いという事は分かりきっている事なのだ。しかし、私が出した私の答えである。と、表明する事に意義があるのだと…穏やかな暴れん坊を真似て思ってみたりする。
大友さんは思った以上に面白い人だった。
だから、彼が大好きだ!
それよりも、終始穏やかに綴られる話口調の文面が大変心地よく気に入っている。
彼の幼少時から成人に至るまでの心境や、好きな事を生業としてどう生きていくか…という葛藤、貪欲とも取れる選択の数々…などなど、柔和な文面とは反して、実に自分に正直にアグレッシブな生き方をされて来られたのだと驚いた。主旨とは違うかもしれないが、そちらの方が私の印象には深く残り、これから"好きな事"を生業にしたい若者に読んで欲しい一冊だと感じた。
ひとつのことを続ける事は難しい。聴く側、見る側の主観によって如何様にも評価や価値の変わる形のない芸術や音楽の分野では尚の事そうだろう。そんな中で、自分を見失わず俯瞰した物の見方が出来、また、自律した思考を持ち続ける事が出来るなんて…めたくそかっこ良いと思った。
自分の持つ知識と認識と偏見、培った経験に基づいて、私もクラシック界が衰退する理由を考察してみた。出した答えが正しい正解な訳でも無いし、皆の共感を得られる物でも無いという事は分かりきっている事なのだ。しかし、私が出した私の答えである。と、表明する事に意義があるのだと…穏やかな暴れん坊を真似て思ってみたりする。
大友さんは思った以上に面白い人だった。
だから、彼が大好きだ!

『クラシック界への挑戦状』なんて物騒な題名だが、この本に書かれた内容は彼の視点から見たクラシック界へのひとつの提案である様に感じた。
それよりも、終始穏やかに綴られる話口調の文面が大変心地よく気に入っている。
彼の幼少時から成人に至るまでの心境や、好きな事を生業としてどう生きていくか…という葛藤、貪欲とも取れる選択の数々…などなど、柔和な文面とは反して、実に自分に正直にアグレッシブな生き方をされて来られたのだと驚いた。主旨とは違うかもしれないが、そちらの方が私の印象には深く残り、これから"好きな事"を生業にしたい若者に読んで欲しい一冊だと感じた。
ひとつのことを続ける事は難しい。聴く側、見る側の主観によって如何様にも評価や価値の変わる形のない芸術や音楽の分野では尚の事そうだろう。そんな中で、自分を見失わず俯瞰した物の見方が出来、また、自律した思考を持ち続ける事が出来るなんて…めたくそかっこ良いと思った。
自分の持つ知識と認識と偏見、培った経験に基づいて、私もクラシック界が衰退する理由を考察してみた。出した答えが正しい正解な訳でも無いし、皆の共感を得られる物でも無いという事は分かりきっている事なのだ。しかし、私が出した私の答えである。と、表明する事に意義があるのだと…穏やかな暴れん坊を真似て思ってみたりする。
大友さんは思った以上に面白い人だった。
だから、彼が大好きだ!
それよりも、終始穏やかに綴られる話口調の文面が大変心地よく気に入っている。
彼の幼少時から成人に至るまでの心境や、好きな事を生業としてどう生きていくか…という葛藤、貪欲とも取れる選択の数々…などなど、柔和な文面とは反して、実に自分に正直にアグレッシブな生き方をされて来られたのだと驚いた。主旨とは違うかもしれないが、そちらの方が私の印象には深く残り、これから"好きな事"を生業にしたい若者に読んで欲しい一冊だと感じた。
ひとつのことを続ける事は難しい。聴く側、見る側の主観によって如何様にも評価や価値の変わる形のない芸術や音楽の分野では尚の事そうだろう。そんな中で、自分を見失わず俯瞰した物の見方が出来、また、自律した思考を持ち続ける事が出来るなんて…めたくそかっこ良いと思った。
自分の持つ知識と認識と偏見、培った経験に基づいて、私もクラシック界が衰退する理由を考察してみた。出した答えが正しい正解な訳でも無いし、皆の共感を得られる物でも無いという事は分かりきっている事なのだ。しかし、私が出した私の答えである。と、表明する事に意義があるのだと…穏やかな暴れん坊を真似て思ってみたりする。
大友さんは思った以上に面白い人だった。
だから、彼が大好きだ!
このレビューの画像

2020年7月8日に日本でレビュー済み
実はこのレビューは大体書き終わり、少し様子を見ていたら、楽譜が読めない、楽器演奏できてもレベルが低い、まあクラシックの下級国民聴衆は、やれカラヤンだのベーム、バレンボイムだの論ずる資格なぞ無い…と宣う暴論レビューに出くわした。アマツさえ、アマチュアには指揮者の解釈の違いなぞ絶対分かる筈がない…だと。
この人物はまるで、中世からタイムスリップしてきたのか?
ルターがドイツ語に翻訳するまで、ラテン語を読めなければ、聖書は読めなかったが
人々はキリストの教えを理解していた。
アマチュアの聴衆の直感力に全く鈍感なセミプロほど有害なモノもない。あたかも、免罪符を売り付けられたかの如き不快感を暫くぶりに味わった…酷く不愉快且つ腹立たしいので、以下急遽加筆する。
柴田南雄が、オケの中で廻りの奏者と微妙にピッチを合わせながら、ハーモニーの渦中に身を置いて見なければ、本当のオーケストラの理解は出来ないと、やや控えめに引け目を感じつつ記したのは80年代だったがそれは真実だ。
だが大概の人が経験出来ない経験で、又、指揮者の真後ろで聴くと余りの巨大な大音響に腰を抜かすのがフツーだ。そして後半は果ててしまい、頭に入って来ない。
私は中二から自分でイ・ムジチやケンプ、カラヤン、ラインスドルフ&アルゲリッチ、マズアやオザワの第九などしかLIVEで聴いたことの無い状態で高校生になりオケ部に入りすぐ辞めた。(後述した)
遅すぎたのもあるが、練習で好きな曲を聴く時間が無くなるのが辞めた最大の理由だった。
そうしてウェーベルンの交響曲op.21があればダビングし、ショルティ&シカゴで春の祭典あれば又ダビング、ベーム没後直後の75年来日時の緊急特別再放送のときは、バイトをサボりクビになった。
私が受けた音楽教育は当時、殆どの日本人と変わらない、ポータブルオルガンとリコーダーと合唱だけだが、中学二年の一学期まで在籍した学校の音楽の恩師が素晴らしい、人生最大のプレゼントをしてくれた。
1週間に1時間は必ずクラシックの名曲を聴くだけの時間があり、しかも感想文は書くなと云われた。先生はフツーの音楽室に貼ってあるカツラを被ったバッハ、ヘンデル、ハイドン、モーツァルト、づら無しベートーヴェンなどの肖像画を赴任した矢先に引っ剥がした武勇伝を持ち、あんな美化された肖像画に全く意味は無く、とにかくクラシックを1分でも多く聴くように。ラジオから好きそうなクラシックの曲が聞こえたら、直ちにダビングしなさいと入学早々に云われた。
学校には飛び切り高級なオーディオが備え付けられ実に良い音がするのだが、音源は全てNHK-FMのエアチェックテープだった。オーディオに予算をつぎ込み過ぎて、レコードを買う予算が無くなったからだという…
先生は最初はメロディの綺麗な小曲から始め、展覧会の絵をピアノとオケの両方で聴かせ、当然クーセヴィツキーとモーリス・ラヴェルの話から、ボレロと、徐々に階段を上がらせてから、二学期の期末試験終わりに、第九を二回に分けて聴かせてくれた。ショルティ指揮シカゴ響だったのは、当時このコンビのベートーヴェン全集がリリースされ、FMでオンエアされたからだろう。
先生の貴重なエアチェックタイム中に、こっちが合唱やらリコーダーを教わるのだ。
43年前のこの音楽の時間にひとつの理想郷を見る。卒業生は答辞として、ハレルヤコーラスを歌うのが恒例で、一年生として三年の先輩達の大合唱にびびり、自分達に本当にあんな難しい曲、歌えるのかとクラスメートと不安がった。残念至極だが父の転勤で東京に引っ越しハレルヤコーラスを歌う事はなかった…
一年の三学期にはもう1つ、ある。
卒業式前に全学年全クラス、ベートーヴェン“運命”1947年5月25日のフルトヴェングラー指揮ベルリン・フィルで聴かせてくれた…
ベートーヴェンの第5は勿論初めてだが、1年間 それなりに音楽脳が出来始めていたのかは良く解らないが、とにかく途方もない藝術に触れた事だけは理解した。
この中学から東京に出てきて、宿題の無い夏休みに余りにも暇でヒマで、じゃあクラシックでも聴くかと、曲が長いから暇潰しに最適と思ったのが運の尽きで、現在に到ってしまった。ここまで嵌まったら、もう重症で2度とこのブラックホールから抜け出せない…
私の長たらしい体験談とこの本の何処が関係あるのか、と云われたら確かに直接はない。
ないが楽器が出来ないクラシックの聴衆は皆何らかの恩師なり親兄弟、友人の影響から入り、楽器は全く出来ずとも、演奏の比較、ピッチや音色の違い、テンポ・ルバートの有無、従来型モダン楽器とピリオド古楽器 等々あらゆる分野に精通するようにはなる。寧ろ弾いてばかりの楽隊くずれより、余程勉強して、私など足元にも及ばない、聴くだけの達人がワンサか存在するのだ。この人達がクラシック業界の収入源になる消費の大半をしてくれ、そのためにやはり最古の芸能界のクラシック界に、フルトヴェングラー、トスカニーニ、ストコフスキー、ベーム、カラヤンetc.といった様々なタイプの大スターのセールで売り上げを伸ばした。…ショルティは自分だけはキャンペーンをして貰ってないと、自伝で不満をぶちまけたが…
自分のみ上級国民として、そもそもカラヤンとバレンボイムを比較出きるのは神のみ等と暴論を宣う事は、全ての音楽ファンに極めて失礼であろう。
実は本書のマエストロ大友にも、オタク系クラシックマニアに対する苛烈な批判があり、産経新聞の“話の肖像画”に本書と同趣旨のインタビューか今年連載になっていた。
マエストロ大友は、詳述したが戦後教育に欠けるリベラルアーツ=教養主義の不足を突いたのだが、クラシックの王道を歩んで来た人ならではのご苦労は理解できるとして、何故かクラシックヲタに不満の矛先が鋭く向かう。
なぜクラシック音楽の将来に不安を覚える書籍やファン達が増えてしまうのか?
最初に結論を述べる。
クラシックや音楽が嫌いなのでは無く、音楽の先生が嫌いと云う人達が多過ぎるのだ。
そして音楽評論家を始め、業界人の放つ強烈な偽インテリ臭…
又、これは自戒も込め書くが、クラシックを取り巻く音楽ファン特有の特権的スノビズムが、興味を持ち始めた超貴重な初心者を深く傷つけている。
これでは嫌われて当たり前で、そのような上級国民クラシックファンなぞ、絶滅して仕舞えと怨嗟の的になって当然である。
猛省を促す。
加えて今年のコロナ禍である。
クラシック専門家がファンを見下していられる様な経営状態でない…というより、全ての音楽団体やグループ、出版・レコード会社等々が、倒産破産の大ピンチに直面している時に例え1レビューであろうと、音楽を愛する者に侮蔑の言葉を吐くことがどれほど罪深いか?分からないなら例えどれだけ才能があろうがなかろうが1人の社会人として失格であろう。
(10月19日)
マエストロ大友のソフトイメージから想像し難い、文字通り過激な挑戦状。
バーンスタインのN響 侮蔑事件、小澤征爾に胸ぐらを捕まれ、30歳の時まだキミは日本でうろうろしてるのか…手遅れと言われ、サヴァリッシュのプロフィールに極東しかない(日本・東京・N響の記述が無い…)等、バーンスタインの弟子達が我が世の春を謳歌する現代クラシック音楽界で悉くタブー。
サヴァリッシュの様な小物指揮者はどうでも良いが、R.オズボーンに拠る帝王の伝記には、1954年にN響を指揮しに日本を訪れた記述がちゃんとある…。
曰く、下手なリハーサルをした暁には指揮者は生きたまま朝食に出される…???カラヤンの伝記にこの様な記述があるのは、ジョークにしても昔のN響ってそんなトンデも強者集団だったのか??…
ボストン交響楽団2001年 アニバーサリーBox (manufactured in EU=私の所有Box7枚目がダブっている) に於ける小澤監督はバルトークとメシアン担当であり、ベルリオーズは当然ミュンシュである。あと20年余り経て著作権が切れたら、小澤の武満録音を含むセットに様変わりして一層評価が高まるだろう。
だが小澤のモーツァルトやベートーヴェンを、ワルター、フルトヴェングラー、ベーム、カラヤンと同列で論じた批評を、…少なくとも私は知らない。
小澤のブラームス、マーラーはそれなりに佳く、美しさには胸を打たれるし、エレクトラはまさしく名演だが、ベートーヴェンが…どうしてかいけない。
松本のライヴは良かったので、病気で指揮がままならない現状には心底同情するが、今から30年前マエストロ小澤は駆け出しの大友に酷い言葉を投げつけていた…
ただ小澤の、著者に対する期待の裏返しと解釈する事は可能だ。
タングルウッドからアメリカ5大メジャーへの道、もしくは直接自分を補佐するボストンの福指揮者のポスト(全く出番は無い)、いずれは後継者にと考えていた可能性はあっただろう。本書を読んだから、ケミストリーが合わなさそうな気ばかりするが…
だが日本のオケの性能がこれだけ向上するとは、著者やマエストロ小澤 のみならず、聴き手の我々も思いもよらない。著者とは感想を異にするが現今の在京・在阪オケは空前のレベルにある。
コロナ禍による中断は残念至極と言う他ない。
著者 大友の語り口は彼の指揮と同じく、ワルターのように柔らかく暖かく口調は親しみやすく、だが時に決然と宣言する。
……ところで本書の読者は、(勿論私もその1人だが)、皆一度でいいからオーケストラを指揮したいと思わなかっただろうか?スピーカーの前で菜箸を振り回さなかった読者はいないのだ…
…と言って直ぐ指揮者になれる筈もなく、ピアノ教室の門を叩き、家にピアノもないのか?と蔑みの眼で見られ、紙鍵盤で練習するしかないよ…と、実際言われた事がある…やらなかったが。そこで直ぐ諦めるから最初から大友直人にはなれる筈なくダメなのだが、転勤族の家庭で70年代にピアノレッスンはやはり厳しかった。今の時代なら、廉価なキーボードとネットを使った遠隔指導が可能だから、幾分夢が叶いやすいかも知れない。
私が入学した高校はオーケストラ部があり早速入部し、いきなりコントラバスを強制されそうになって必死に抵抗し、ヴァイオリンに移って練習を始めた…迄は良かったのだが、左耳に突き刺さる自分の弾く恐ろしく汚い、幽霊が首を絞められるかの如き音色に恐れをなし、コンマスの先輩に1日3時間くらい練習すれば、そんなに難しいもんじゃないよ…とかいうアドバイスに更に恐れをなして2ヶ月で辞めた…。
大体3時間も毎日練習ばかりしていたら、いつ音楽を聴くんだと思った。
ここもマエストロ大友の戦略的センスとの違いが露わになるようで自己嫌悪が募る。
オタマジャクシが少ない=音単価が高い=コントラバスなら自分にも出来るかも知れないし、あわよくばウチの高校のオケ部の指揮なら、ひょっとして振らせて貰え、細やかな夢が叶うかも知れない。
…自分の指揮がたまたま聴きに来ている音楽事務所の辣腕マネージャーの目に止まる筈だ…と考えなければいけない。
…ヴァイオリン女子に目が眩んで大志を忘れている。幼すぎて話しにならない。恥ずかし過ぎる…。
…幽霊部員になって部室にも顔を出さないでいたら、同級生の部員が今、練習しているドヴォルザークの8番の全曲放送がNHK-FMで今夜あるから聴くようにと、回覧の電話が掛かって来た…。
えっ??、真面目に練習するのだけは自分に出来ないから尊敬してたのに、ドヴォルザークの8番の全曲を知らないで練習してたのか…(絶句)
大きなお世話かも知れないが、それ何か根本的に音楽の指導の仕方を間違えているんじゃないかと思わずにはいられなかったが、無論黙っていた…
という有りがちな経緯で聴く専門になった。かなり大多数のクラシックの聴衆はこういう人々で構成されているのである。
ちなみにオケ部はさっさと辞めてしまったがこの年秋、ベルリン・フィル来日公演、ツァラトゥストラとマーラー6番のチケットを既に手にしていた。ドヴォルザークの8番もプログラムにあったが、そういう通俗名曲を俺は聴かないと内心意気がっていた。…生意気な高校生がカネが無かっただけだが。FMで初めて全曲を把握するガキとも一緒にされたくないではないか。
(吉田秀和はカラヤンの同曲の来日記念盤をひと言、気持ち悪くなって直ぐ聴くのをヤめた)
その様な経緯もあったので、著者が小四からN響会員で、読響始め在京オケを聴きまくり、両親知人は日本クラシック界の人脈・人材の宝庫というくだりを読んだ時、羨望と共に、帝王が幼少時からザルツブルク音楽祭のリハに出入りしていたエピソードを思い出さずにいられない。
70年代の東京はその気になれば、世界でも有数の音楽を受容する環境が既に可能だった。今はもっとそうである。
著者が日本で充分活動でき、成長出来ると未来予測・人生設計出来た背景には、高度成長期の我が国の音楽マーケットの拡大・急成長があった…終戦直後の小澤や中村紘子が育った、戦後復興期の時代と全く異なっている。そこが小澤vs大友 対立の根本だ。
家庭内や企業によくある世代間の相克だ。戦後復興期の親世代の先輩の経験値が、時代の変化のスピードが早過ぎ殆んど役に立たない。
小澤 中村の戦後第一世代が、今日の日本のクラシックの礎を築いた事を充分承知していても、相容れないものは相容れない…
この点小澤は国内の後進育成は上手くいかず、朝比奈タイプの巨匠にもならなかった。但しカラヤンのビジネスモデルを松本に持って来た音楽祭は成功し定着した。
中村紘子は国内を拠点に、ピアノ界で気長に内外の後進を育成した。
だが、この後進育成と海外進出が、小澤と大友が真正面から衝突する最大のネックになった。
小澤が海外に拠点を持つことに強くこだわるのは、海外の最強マネジメント会社に潰されかねなかったからだろう。結局、ベルリン・フィルと国内ではN響を頂点とするヒエラルキーが牢固として帝国化し、そこから外れた朝比奈、インバル、大友には海外超一流オケから招請が来ない…
朝比奈やブロムシュテットは異例の長命を保ってシカゴやウィーンに招かれたが、これは超例外だ。誰もが90歳まで生きられる訳ではない。インバルも相当な年齢だがベルリン・フィルはラトル時代から絶対インバルを呼ばない。インバルのマーラーやブルックナー=ノヴァーク第一稿を次々にベルリン・フィルで演奏されたらラトルの威信は霞んだ事であろう…その様なマネジメントは有り得ず、コアなブルックナー、マーラーファンは平成の30年間、不満が鬱積し通しで、手荒な批評を読む位しか溜飲の下げようがない。
…中には大指揮者列伝で帝王カラヤンだけ外した本が有るほどだ。著作者達はチェリビダッケ・カルトであり、カラヤンの先代フルトヴェングラーも槍玉だ。どちらも第三帝国で活躍し、戦後のチェリビダッケ外しの前科持ちには違いない…
CAMIがカラヤンを帝王に押し上げたのは今では誰でも知っている。だが後継者達は惨憺たる有り様だ。アバドは元来イタリア極左だからカラヤンとの微妙な関係を取り沙汰された事が、逆にベルリンのシェフ選びで有利だったようだが、ラトルは駆け出しの頃、アバドが入った事のない、カラヤン専用監督室に呼ばれていた。孫が可愛いのは帝王も同じようで、ラトルはアバドに破壊されたカラヤンのレパートリーを復元した。ブルックナーを除いて。
90年代はヴァントがベルリンのブルックナーの主だったから朝比奈にはシカゴから話が来た。
カラヤンモデルの帝国運営が無理な事は最初から分かっていた筈だ。プッチーニからシベリウス迄、ラトルはよく頑張ったが、ブルックナー全集は無理だった。
前任者フルトヴェングラーと較べても、つくづくカラヤンのレパートリーの膨大さは呆れるほどだが、それをこなせないなら帝王不在の帝国は素早く解体・分割するべきだった。…それをしなかったのは、帝国利権の分け前に預かろうとした証拠である。死せるカラヤン、生ける小澤を走狗す。
松本のコンサートプログラムはカラヤンからブルックナーやショスタコーヴィチ、シューマン、大半のオペラを除いたモノに堕ちた。これでは新世代のパーヴォ・ヤルヴィN響の方を数等面白く感じて当然だ。小澤、メータ、ハイティンクもピリオド奏法に消極的な事がこの場合裏目に出て、カラヤン時代に楽しめたバロックまで姿を消し、現役晩年が更に輪を掛けて寂しいものになった。ここは誰が見てもインバルなのだが、もう遅すぎる。
デュトワでなくインバルがN響音楽監督だったら欠かさず聴きに行ったのだが…
…ベルリン・フィル帝国モデルが精彩を放っているならデジタル・コンサート・ホール(DCH)がこんなに、N響メインのクラシック音楽館よりツマラナイ訳がないのだ。
…そしてポスト冷戦期はバーンスタイン・スクールの花盛りだ。バーンスタインの啓蒙はかなり成功している。
本来 小澤はバーンスタインのNY PSOの副指揮者からN響に招かれた人だったが、トラブルでN響を飛び出し、カラヤンの弟子になった。カラヤンも相当に小澤を買っていたようだったが、次第に後継者レースから外れた。
ここでカラヤンとオズボーンの対話を思い出す。自分の死後、ベルリンがどうなるかとオズボーンに聞かれ、カラヤンは「トスカニーニ引退後ニューヨーク・フィルはどうなった?」と返答した。
「バルビローリは2年しか持ちませんでした」
この本はカラヤンの生前刊行されていた…
帝王は帝国が自分の代までと分かっていた…ビューロー~ニキシュ~フルトヴェングラー~カラヤン…もう超能力を駆使する帝王、スーパースターは現れない…
ナチズム全体主義の爪痕はそれ程まで大きすぎるのか?
本書において著者 大友が、繰り返し繰り返し述べている真の教養主義をスターリニズム及びナチズムの全体主義が徹底的に破壊した。
リンカーン像まで破壊するANTIFAによるBLMは、私に20世紀の最悪の記憶をフラッシュバックさせる…更にリベラルを称する極左は大体G7どこの國でも、ポリティカル・コレクトネスを過剰に推し進め、言葉狩りをするから、藝術表現上の最大の脅威となった。本来のリベラルアーツとは真逆だ。リベラルの仮面を脱ぎ捨てた過激な伝統破壊運動に過ぎない。ANTIFAがバイロイトに及ばないよう祈らねばならない…
フルトヴェングラー、ベーム、カラヤン、朝比奈の世代は19世紀末から20世紀始めに生まれ、後期ロマン派的な教養主義教育たっぷり受けて育っている。
指揮者の当たり年の1912年の人達はそれに較べ新古典主義的傾向が強い事になっているが、チェリビダッケは元々ルネッサンス志向であり、ジュリーニは今聴くと神秘的傾向がある。殊にブルックナーとマーラーにおいて。
ショルティはバリバリのノイエ・ザッハリヒカイト(新即物主義)に見られがちだが、ジークフリートを聴いた人はそれを言わなくなる…
ザンデルリンクは重厚で19世紀のハンス・リヒターを思わせた。
ヴァントが一番堅牢で、ハードボイルドなどと言われ朝比奈と並び最も巨匠的スタイルだ。
そのあとバーンスタインは、米国(と日本)が、第一次大戦の惨禍を受けず、1930年代まで教養主義教育=旧制高校文化が残った恩恵を充分に受けている。ヤング・ピープルズ・コンサートは語り口に、いかにも戦後サブカル的ファッションを纏っているが、内容の豊富さ、教養の深さで戦後類例をみない。
見渡すと、戦前生まれの世代は1920年代からロマン主義否定だが、ブロムシュテット、スクロバチェフスキ、ベルティーニ、インバルと日本でカリスマになる人ばかりだ。
何が駄目だったか、私にも段々分かる気がして来た…
クラシックの戦後教育の世代から、マゼール、アバド、小澤に始まり全てが帝王カラヤンモデルに消費され尽くしたのだ。
1人ムーティだけ我が道を往くが。
さらに致命的に重大なのが指揮者コンクールだ。優勝者は優勝した瞬間から、自動的にスター街道を歩む。これが最悪の弊害を生んだ。戦後は指揮者コンクール優勝者の墓場の様相を呈した。
瞬く間に仕事が降って湧き、忙殺されるうちに教養主義の欠片など消し飛んでしまい、磨耗が始まる。マゼールは神童ビジネスの受益者だろうが、良かったのは70年代前半までだった。
昔の指揮者は何年間もコレペティトゥーア(練習指揮者=オペラハウスの歌手達の稽古相手)でスコアのピアノ伴奏をみっちりヤらされ、散々苦労しなければならなかった。そこから、第三、第二、副指揮者、主席指揮者と順番にのしあがって行くしかない。それは独・墺・伊はじめ欧州の伝統だった。先ほど挙げた大指揮者の多くは、オペラをやらない人を除き、皆これでのしあがった人ばかりだ。
シューリヒトの様に同じ地方都市の楽長を何十年も続け、いつの間にか巨匠になっていくなど、今では絶対有り得ないが、本人にとっては、コンクール優勝者としてチヤホヤされるより余程幸せだと思う…
マウリツィオ・ポリーニはショパン・コンクール優勝後一時消息すら不明なほど、どっぷり10年間修行を重ね、空前のセンセーションとともに再デビューした。
コンクールで勝ち、ポリーニの様な修行をした指揮者はない。
指揮者は1人で音を出して練習出来ないからやむを得ないし、朝比奈は一回でも多く長く続けて指揮しなければならないと言っているのだが、それはスターシステムで磨耗するのは別物だ。
ポリーニやグールドの隠遁生活は、本人が研鑽を積みたかったのと、コンクールビジネス・神童ビジネスから身を護る意味が強かった。
バレンボイムは神童で潰されなかった例外だから参考にならないが、ティーレマンがカラヤンのアシスタントを19歳から始めたのは私も知っている。最も期待の高いこの2人が、コンクールと無縁な事が何より雄弁に真実を物語っている…
そして平成日本ではサブカル的オタク型マニアック評論が花盛りだった。
…コーホー先生の批評は、さすがに私も独断と偏見が過ぎると思うが、このスタイルは結構流行った。過剰なポリコレに対し反発するのは一定の存在理由がある。
著者と片山杜秀の対談が巻末に納められているのは、サブカル的マニアックの頂点を著者が認めた証明だろう。大友はオタク的クラシックファンを否定する。
大友片山対談は両者の視点が微妙にずれるが拠って立つ政治的座標軸の違い。レフト片山。ライト大友。
だが両者とも戦前の教養主義=旧制高校文化の教育を受けた親を持ち、高度成長期からバブル期に存分に才能を開花させ今日に至り、少子化・恒常的デフレ下でクラシックの未来に悲観的にならざるを得ない点で100%危機感を共有している。
佐村河内問題のインサイドストーリーは、著者 大友の避けて通れない大事件だから興味深い。これだけは本書でしか絶対知り得ない情報を含むので、是非手にとってお読み頂きたいと思う。
佐村河内のゴーストライター事件のユニークな分析が片山杜秀と山崎浩太郎の対談“平成音楽史”にある。日本人の交響曲信仰をオウム真理教と佐村河内にまんまと利用された側面があるという。この論旨は究極の本質を突いている。
只、事件を新垣隆が明るみにした理由は、著者大友説とも片山・山崎説ともちょっと違う。
ソチ五輪で高橋大輔選手のショートプログラムが佐村河内クレジットのソナチネだったからだろう。高橋選手は表彰台に上がっていたからゴーストライター事件が暴かれなければ、海外からオファーが殺到し、佐村河内は米国メディアから虚像を剥ぎ取られた事だろう…米メディアにNHKスペシャルは通用しない。
大友直人の海外活動の経験値の少なさが、最悪の形で利用される寸前で沙汰止み、事なきを得て新垣隆が懺悔するだけで終息が計られたが、未だに後味の悪さは続く。
唯一の救いは、一連の新垣(佐村河内)作品が相当な傑作群だった事だろうか。
一点だけ本書に苦言を呈したい。
日本国内のオーケストラを外国人に市場開放するべきではない。大友の様な日本の重鎮がこれを推進したら、今の空前のレベルは瞬く間に変質・崩壊してしまう。
VPOコンマス、ライナー・キュッヘルは、日本のオケは日本人ばかりなのが美点だと言っている。キュッヘルの念頭にウィーン・フィルがあるのは言うまでもない。グローバル化を極限まで進めたベルリン・フィルは、ブラスセクションにドイツ人がいない。ドイツ国内から俊秀は幾らでも輩出している筈だが、BPOは今のところメルケル政権と同じ方向だ。だがあれは今まで我々が散々聴いたベルリンフィルでは、もはやなく、グローバル&EUオールスター・オルヒェスター・イン・ベーリンと言ったほうが相応しい。…キュッヘルは何も言っていないが、BPOの行く末を憂慮しながら見つめている。
新型コロナ禍で各国が鎖国し、オケも全ての音楽家が活動停止に追い込まれている事が地殻変動を起こすかも知れない。極力潰れずサバイバルして欲しいが、鎖国はグローバル否定からローカリゼーションを生むのか?一時的なレベルダウン、再開時の爆発的歓喜の後、藝術にどういう本質的変化がもたらされるだろうか?
私が亡父を連れ大友直人指揮 東京交響楽団のコンサートを聴きに池袋藝術劇場に出掛けたのは1999年だった。
生まれて初めてクラシック演奏会を体験する父が、R.シュトラウスのティルの爆音を無邪気に悦んでくれたのでホッとした。
羽田健太郎独奏スクリアビン ピアノ協奏曲から後半が始まり、ティルが〆。前半はシベリウス 交響曲第4番のみで、マニアの私にとって待望していたこの曲初めてのライヴだった…
ロベルト・カヤーヌス、バルビローリ、カラヤン始め名盤を愛聴していた。だがシベリウスの最高傑作が21世紀寸前になって漸く理解され、殊に日本の指揮者とオーケストラに拠り完全に咀嚼され、名演奏が為されていると、頼もしく心強く思ったことを思い出す。第4楽章の不思議な…ミニマル的と言われることもある、独特の揺らぎが、本当に的確に再現されていた。
同じ感動を探し求めDCHでラトル指揮BPOのライヴ録画も(2種類ある)視聴してみたが…その様な独特の揺めきは無いようだった。むしろ日本人指揮者と日本人オケだから良いのかも知れないと、この時初めて思った。
指揮者 大友直人の今後に思いを馳せたくなる本書だが、ワルターか、マエストロ朝比奈の様な円熟した頼りがいのある巨匠になる事を期待している。(別にブルオタやマーラーフリークのためだけにムリに演らなくてもよいから)
都響に拠る三枝成彰の作曲家の個展で上野で“ヤマトタケル”を聴いた。
同じ頃、湯浅穣二“芭蕉の風景”を聴いて、無調的なこちらが好みに合うと思った。サブカルチャーとのコラボには賛成も反対もしないが、過剰ポリコレ型リベラルが、芸能界を通して忍びよる隙を狙っている事は念頭に置いてほしい。
…あと25年、四半世紀後の未来の話を余りしても詮ないが、無調の軛を脱した現代音楽のヒット曲をレパートリーに従えてクラシック音楽界は、21世紀半ば果たしてまだ存在しているだろうか?
この人物はまるで、中世からタイムスリップしてきたのか?
ルターがドイツ語に翻訳するまで、ラテン語を読めなければ、聖書は読めなかったが
人々はキリストの教えを理解していた。
アマチュアの聴衆の直感力に全く鈍感なセミプロほど有害なモノもない。あたかも、免罪符を売り付けられたかの如き不快感を暫くぶりに味わった…酷く不愉快且つ腹立たしいので、以下急遽加筆する。
柴田南雄が、オケの中で廻りの奏者と微妙にピッチを合わせながら、ハーモニーの渦中に身を置いて見なければ、本当のオーケストラの理解は出来ないと、やや控えめに引け目を感じつつ記したのは80年代だったがそれは真実だ。
だが大概の人が経験出来ない経験で、又、指揮者の真後ろで聴くと余りの巨大な大音響に腰を抜かすのがフツーだ。そして後半は果ててしまい、頭に入って来ない。
私は中二から自分でイ・ムジチやケンプ、カラヤン、ラインスドルフ&アルゲリッチ、マズアやオザワの第九などしかLIVEで聴いたことの無い状態で高校生になりオケ部に入りすぐ辞めた。(後述した)
遅すぎたのもあるが、練習で好きな曲を聴く時間が無くなるのが辞めた最大の理由だった。
そうしてウェーベルンの交響曲op.21があればダビングし、ショルティ&シカゴで春の祭典あれば又ダビング、ベーム没後直後の75年来日時の緊急特別再放送のときは、バイトをサボりクビになった。
私が受けた音楽教育は当時、殆どの日本人と変わらない、ポータブルオルガンとリコーダーと合唱だけだが、中学二年の一学期まで在籍した学校の音楽の恩師が素晴らしい、人生最大のプレゼントをしてくれた。
1週間に1時間は必ずクラシックの名曲を聴くだけの時間があり、しかも感想文は書くなと云われた。先生はフツーの音楽室に貼ってあるカツラを被ったバッハ、ヘンデル、ハイドン、モーツァルト、づら無しベートーヴェンなどの肖像画を赴任した矢先に引っ剥がした武勇伝を持ち、あんな美化された肖像画に全く意味は無く、とにかくクラシックを1分でも多く聴くように。ラジオから好きそうなクラシックの曲が聞こえたら、直ちにダビングしなさいと入学早々に云われた。
学校には飛び切り高級なオーディオが備え付けられ実に良い音がするのだが、音源は全てNHK-FMのエアチェックテープだった。オーディオに予算をつぎ込み過ぎて、レコードを買う予算が無くなったからだという…
先生は最初はメロディの綺麗な小曲から始め、展覧会の絵をピアノとオケの両方で聴かせ、当然クーセヴィツキーとモーリス・ラヴェルの話から、ボレロと、徐々に階段を上がらせてから、二学期の期末試験終わりに、第九を二回に分けて聴かせてくれた。ショルティ指揮シカゴ響だったのは、当時このコンビのベートーヴェン全集がリリースされ、FMでオンエアされたからだろう。
先生の貴重なエアチェックタイム中に、こっちが合唱やらリコーダーを教わるのだ。
43年前のこの音楽の時間にひとつの理想郷を見る。卒業生は答辞として、ハレルヤコーラスを歌うのが恒例で、一年生として三年の先輩達の大合唱にびびり、自分達に本当にあんな難しい曲、歌えるのかとクラスメートと不安がった。残念至極だが父の転勤で東京に引っ越しハレルヤコーラスを歌う事はなかった…
一年の三学期にはもう1つ、ある。
卒業式前に全学年全クラス、ベートーヴェン“運命”1947年5月25日のフルトヴェングラー指揮ベルリン・フィルで聴かせてくれた…
ベートーヴェンの第5は勿論初めてだが、1年間 それなりに音楽脳が出来始めていたのかは良く解らないが、とにかく途方もない藝術に触れた事だけは理解した。
この中学から東京に出てきて、宿題の無い夏休みに余りにも暇でヒマで、じゃあクラシックでも聴くかと、曲が長いから暇潰しに最適と思ったのが運の尽きで、現在に到ってしまった。ここまで嵌まったら、もう重症で2度とこのブラックホールから抜け出せない…
私の長たらしい体験談とこの本の何処が関係あるのか、と云われたら確かに直接はない。
ないが楽器が出来ないクラシックの聴衆は皆何らかの恩師なり親兄弟、友人の影響から入り、楽器は全く出来ずとも、演奏の比較、ピッチや音色の違い、テンポ・ルバートの有無、従来型モダン楽器とピリオド古楽器 等々あらゆる分野に精通するようにはなる。寧ろ弾いてばかりの楽隊くずれより、余程勉強して、私など足元にも及ばない、聴くだけの達人がワンサか存在するのだ。この人達がクラシック業界の収入源になる消費の大半をしてくれ、そのためにやはり最古の芸能界のクラシック界に、フルトヴェングラー、トスカニーニ、ストコフスキー、ベーム、カラヤンetc.といった様々なタイプの大スターのセールで売り上げを伸ばした。…ショルティは自分だけはキャンペーンをして貰ってないと、自伝で不満をぶちまけたが…
自分のみ上級国民として、そもそもカラヤンとバレンボイムを比較出きるのは神のみ等と暴論を宣う事は、全ての音楽ファンに極めて失礼であろう。
実は本書のマエストロ大友にも、オタク系クラシックマニアに対する苛烈な批判があり、産経新聞の“話の肖像画”に本書と同趣旨のインタビューか今年連載になっていた。
マエストロ大友は、詳述したが戦後教育に欠けるリベラルアーツ=教養主義の不足を突いたのだが、クラシックの王道を歩んで来た人ならではのご苦労は理解できるとして、何故かクラシックヲタに不満の矛先が鋭く向かう。
なぜクラシック音楽の将来に不安を覚える書籍やファン達が増えてしまうのか?
最初に結論を述べる。
クラシックや音楽が嫌いなのでは無く、音楽の先生が嫌いと云う人達が多過ぎるのだ。
そして音楽評論家を始め、業界人の放つ強烈な偽インテリ臭…
又、これは自戒も込め書くが、クラシックを取り巻く音楽ファン特有の特権的スノビズムが、興味を持ち始めた超貴重な初心者を深く傷つけている。
これでは嫌われて当たり前で、そのような上級国民クラシックファンなぞ、絶滅して仕舞えと怨嗟の的になって当然である。
猛省を促す。
加えて今年のコロナ禍である。
クラシック専門家がファンを見下していられる様な経営状態でない…というより、全ての音楽団体やグループ、出版・レコード会社等々が、倒産破産の大ピンチに直面している時に例え1レビューであろうと、音楽を愛する者に侮蔑の言葉を吐くことがどれほど罪深いか?分からないなら例えどれだけ才能があろうがなかろうが1人の社会人として失格であろう。
(10月19日)
マエストロ大友のソフトイメージから想像し難い、文字通り過激な挑戦状。
バーンスタインのN響 侮蔑事件、小澤征爾に胸ぐらを捕まれ、30歳の時まだキミは日本でうろうろしてるのか…手遅れと言われ、サヴァリッシュのプロフィールに極東しかない(日本・東京・N響の記述が無い…)等、バーンスタインの弟子達が我が世の春を謳歌する現代クラシック音楽界で悉くタブー。
サヴァリッシュの様な小物指揮者はどうでも良いが、R.オズボーンに拠る帝王の伝記には、1954年にN響を指揮しに日本を訪れた記述がちゃんとある…。
曰く、下手なリハーサルをした暁には指揮者は生きたまま朝食に出される…???カラヤンの伝記にこの様な記述があるのは、ジョークにしても昔のN響ってそんなトンデも強者集団だったのか??…
ボストン交響楽団2001年 アニバーサリーBox (manufactured in EU=私の所有Box7枚目がダブっている) に於ける小澤監督はバルトークとメシアン担当であり、ベルリオーズは当然ミュンシュである。あと20年余り経て著作権が切れたら、小澤の武満録音を含むセットに様変わりして一層評価が高まるだろう。
だが小澤のモーツァルトやベートーヴェンを、ワルター、フルトヴェングラー、ベーム、カラヤンと同列で論じた批評を、…少なくとも私は知らない。
小澤のブラームス、マーラーはそれなりに佳く、美しさには胸を打たれるし、エレクトラはまさしく名演だが、ベートーヴェンが…どうしてかいけない。
松本のライヴは良かったので、病気で指揮がままならない現状には心底同情するが、今から30年前マエストロ小澤は駆け出しの大友に酷い言葉を投げつけていた…
ただ小澤の、著者に対する期待の裏返しと解釈する事は可能だ。
タングルウッドからアメリカ5大メジャーへの道、もしくは直接自分を補佐するボストンの福指揮者のポスト(全く出番は無い)、いずれは後継者にと考えていた可能性はあっただろう。本書を読んだから、ケミストリーが合わなさそうな気ばかりするが…
だが日本のオケの性能がこれだけ向上するとは、著者やマエストロ小澤 のみならず、聴き手の我々も思いもよらない。著者とは感想を異にするが現今の在京・在阪オケは空前のレベルにある。
コロナ禍による中断は残念至極と言う他ない。
著者 大友の語り口は彼の指揮と同じく、ワルターのように柔らかく暖かく口調は親しみやすく、だが時に決然と宣言する。
……ところで本書の読者は、(勿論私もその1人だが)、皆一度でいいからオーケストラを指揮したいと思わなかっただろうか?スピーカーの前で菜箸を振り回さなかった読者はいないのだ…
…と言って直ぐ指揮者になれる筈もなく、ピアノ教室の門を叩き、家にピアノもないのか?と蔑みの眼で見られ、紙鍵盤で練習するしかないよ…と、実際言われた事がある…やらなかったが。そこで直ぐ諦めるから最初から大友直人にはなれる筈なくダメなのだが、転勤族の家庭で70年代にピアノレッスンはやはり厳しかった。今の時代なら、廉価なキーボードとネットを使った遠隔指導が可能だから、幾分夢が叶いやすいかも知れない。
私が入学した高校はオーケストラ部があり早速入部し、いきなりコントラバスを強制されそうになって必死に抵抗し、ヴァイオリンに移って練習を始めた…迄は良かったのだが、左耳に突き刺さる自分の弾く恐ろしく汚い、幽霊が首を絞められるかの如き音色に恐れをなし、コンマスの先輩に1日3時間くらい練習すれば、そんなに難しいもんじゃないよ…とかいうアドバイスに更に恐れをなして2ヶ月で辞めた…。
大体3時間も毎日練習ばかりしていたら、いつ音楽を聴くんだと思った。
ここもマエストロ大友の戦略的センスとの違いが露わになるようで自己嫌悪が募る。
オタマジャクシが少ない=音単価が高い=コントラバスなら自分にも出来るかも知れないし、あわよくばウチの高校のオケ部の指揮なら、ひょっとして振らせて貰え、細やかな夢が叶うかも知れない。
…自分の指揮がたまたま聴きに来ている音楽事務所の辣腕マネージャーの目に止まる筈だ…と考えなければいけない。
…ヴァイオリン女子に目が眩んで大志を忘れている。幼すぎて話しにならない。恥ずかし過ぎる…。
…幽霊部員になって部室にも顔を出さないでいたら、同級生の部員が今、練習しているドヴォルザークの8番の全曲放送がNHK-FMで今夜あるから聴くようにと、回覧の電話が掛かって来た…。
えっ??、真面目に練習するのだけは自分に出来ないから尊敬してたのに、ドヴォルザークの8番の全曲を知らないで練習してたのか…(絶句)
大きなお世話かも知れないが、それ何か根本的に音楽の指導の仕方を間違えているんじゃないかと思わずにはいられなかったが、無論黙っていた…
という有りがちな経緯で聴く専門になった。かなり大多数のクラシックの聴衆はこういう人々で構成されているのである。
ちなみにオケ部はさっさと辞めてしまったがこの年秋、ベルリン・フィル来日公演、ツァラトゥストラとマーラー6番のチケットを既に手にしていた。ドヴォルザークの8番もプログラムにあったが、そういう通俗名曲を俺は聴かないと内心意気がっていた。…生意気な高校生がカネが無かっただけだが。FMで初めて全曲を把握するガキとも一緒にされたくないではないか。
(吉田秀和はカラヤンの同曲の来日記念盤をひと言、気持ち悪くなって直ぐ聴くのをヤめた)
その様な経緯もあったので、著者が小四からN響会員で、読響始め在京オケを聴きまくり、両親知人は日本クラシック界の人脈・人材の宝庫というくだりを読んだ時、羨望と共に、帝王が幼少時からザルツブルク音楽祭のリハに出入りしていたエピソードを思い出さずにいられない。
70年代の東京はその気になれば、世界でも有数の音楽を受容する環境が既に可能だった。今はもっとそうである。
著者が日本で充分活動でき、成長出来ると未来予測・人生設計出来た背景には、高度成長期の我が国の音楽マーケットの拡大・急成長があった…終戦直後の小澤や中村紘子が育った、戦後復興期の時代と全く異なっている。そこが小澤vs大友 対立の根本だ。
家庭内や企業によくある世代間の相克だ。戦後復興期の親世代の先輩の経験値が、時代の変化のスピードが早過ぎ殆んど役に立たない。
小澤 中村の戦後第一世代が、今日の日本のクラシックの礎を築いた事を充分承知していても、相容れないものは相容れない…
この点小澤は国内の後進育成は上手くいかず、朝比奈タイプの巨匠にもならなかった。但しカラヤンのビジネスモデルを松本に持って来た音楽祭は成功し定着した。
中村紘子は国内を拠点に、ピアノ界で気長に内外の後進を育成した。
だが、この後進育成と海外進出が、小澤と大友が真正面から衝突する最大のネックになった。
小澤が海外に拠点を持つことに強くこだわるのは、海外の最強マネジメント会社に潰されかねなかったからだろう。結局、ベルリン・フィルと国内ではN響を頂点とするヒエラルキーが牢固として帝国化し、そこから外れた朝比奈、インバル、大友には海外超一流オケから招請が来ない…
朝比奈やブロムシュテットは異例の長命を保ってシカゴやウィーンに招かれたが、これは超例外だ。誰もが90歳まで生きられる訳ではない。インバルも相当な年齢だがベルリン・フィルはラトル時代から絶対インバルを呼ばない。インバルのマーラーやブルックナー=ノヴァーク第一稿を次々にベルリン・フィルで演奏されたらラトルの威信は霞んだ事であろう…その様なマネジメントは有り得ず、コアなブルックナー、マーラーファンは平成の30年間、不満が鬱積し通しで、手荒な批評を読む位しか溜飲の下げようがない。
…中には大指揮者列伝で帝王カラヤンだけ外した本が有るほどだ。著作者達はチェリビダッケ・カルトであり、カラヤンの先代フルトヴェングラーも槍玉だ。どちらも第三帝国で活躍し、戦後のチェリビダッケ外しの前科持ちには違いない…
CAMIがカラヤンを帝王に押し上げたのは今では誰でも知っている。だが後継者達は惨憺たる有り様だ。アバドは元来イタリア極左だからカラヤンとの微妙な関係を取り沙汰された事が、逆にベルリンのシェフ選びで有利だったようだが、ラトルは駆け出しの頃、アバドが入った事のない、カラヤン専用監督室に呼ばれていた。孫が可愛いのは帝王も同じようで、ラトルはアバドに破壊されたカラヤンのレパートリーを復元した。ブルックナーを除いて。
90年代はヴァントがベルリンのブルックナーの主だったから朝比奈にはシカゴから話が来た。
カラヤンモデルの帝国運営が無理な事は最初から分かっていた筈だ。プッチーニからシベリウス迄、ラトルはよく頑張ったが、ブルックナー全集は無理だった。
前任者フルトヴェングラーと較べても、つくづくカラヤンのレパートリーの膨大さは呆れるほどだが、それをこなせないなら帝王不在の帝国は素早く解体・分割するべきだった。…それをしなかったのは、帝国利権の分け前に預かろうとした証拠である。死せるカラヤン、生ける小澤を走狗す。
松本のコンサートプログラムはカラヤンからブルックナーやショスタコーヴィチ、シューマン、大半のオペラを除いたモノに堕ちた。これでは新世代のパーヴォ・ヤルヴィN響の方を数等面白く感じて当然だ。小澤、メータ、ハイティンクもピリオド奏法に消極的な事がこの場合裏目に出て、カラヤン時代に楽しめたバロックまで姿を消し、現役晩年が更に輪を掛けて寂しいものになった。ここは誰が見てもインバルなのだが、もう遅すぎる。
デュトワでなくインバルがN響音楽監督だったら欠かさず聴きに行ったのだが…
…ベルリン・フィル帝国モデルが精彩を放っているならデジタル・コンサート・ホール(DCH)がこんなに、N響メインのクラシック音楽館よりツマラナイ訳がないのだ。
…そしてポスト冷戦期はバーンスタイン・スクールの花盛りだ。バーンスタインの啓蒙はかなり成功している。
本来 小澤はバーンスタインのNY PSOの副指揮者からN響に招かれた人だったが、トラブルでN響を飛び出し、カラヤンの弟子になった。カラヤンも相当に小澤を買っていたようだったが、次第に後継者レースから外れた。
ここでカラヤンとオズボーンの対話を思い出す。自分の死後、ベルリンがどうなるかとオズボーンに聞かれ、カラヤンは「トスカニーニ引退後ニューヨーク・フィルはどうなった?」と返答した。
「バルビローリは2年しか持ちませんでした」
この本はカラヤンの生前刊行されていた…
帝王は帝国が自分の代までと分かっていた…ビューロー~ニキシュ~フルトヴェングラー~カラヤン…もう超能力を駆使する帝王、スーパースターは現れない…
ナチズム全体主義の爪痕はそれ程まで大きすぎるのか?
本書において著者 大友が、繰り返し繰り返し述べている真の教養主義をスターリニズム及びナチズムの全体主義が徹底的に破壊した。
リンカーン像まで破壊するANTIFAによるBLMは、私に20世紀の最悪の記憶をフラッシュバックさせる…更にリベラルを称する極左は大体G7どこの國でも、ポリティカル・コレクトネスを過剰に推し進め、言葉狩りをするから、藝術表現上の最大の脅威となった。本来のリベラルアーツとは真逆だ。リベラルの仮面を脱ぎ捨てた過激な伝統破壊運動に過ぎない。ANTIFAがバイロイトに及ばないよう祈らねばならない…
フルトヴェングラー、ベーム、カラヤン、朝比奈の世代は19世紀末から20世紀始めに生まれ、後期ロマン派的な教養主義教育たっぷり受けて育っている。
指揮者の当たり年の1912年の人達はそれに較べ新古典主義的傾向が強い事になっているが、チェリビダッケは元々ルネッサンス志向であり、ジュリーニは今聴くと神秘的傾向がある。殊にブルックナーとマーラーにおいて。
ショルティはバリバリのノイエ・ザッハリヒカイト(新即物主義)に見られがちだが、ジークフリートを聴いた人はそれを言わなくなる…
ザンデルリンクは重厚で19世紀のハンス・リヒターを思わせた。
ヴァントが一番堅牢で、ハードボイルドなどと言われ朝比奈と並び最も巨匠的スタイルだ。
そのあとバーンスタインは、米国(と日本)が、第一次大戦の惨禍を受けず、1930年代まで教養主義教育=旧制高校文化が残った恩恵を充分に受けている。ヤング・ピープルズ・コンサートは語り口に、いかにも戦後サブカル的ファッションを纏っているが、内容の豊富さ、教養の深さで戦後類例をみない。
見渡すと、戦前生まれの世代は1920年代からロマン主義否定だが、ブロムシュテット、スクロバチェフスキ、ベルティーニ、インバルと日本でカリスマになる人ばかりだ。
何が駄目だったか、私にも段々分かる気がして来た…
クラシックの戦後教育の世代から、マゼール、アバド、小澤に始まり全てが帝王カラヤンモデルに消費され尽くしたのだ。
1人ムーティだけ我が道を往くが。
さらに致命的に重大なのが指揮者コンクールだ。優勝者は優勝した瞬間から、自動的にスター街道を歩む。これが最悪の弊害を生んだ。戦後は指揮者コンクール優勝者の墓場の様相を呈した。
瞬く間に仕事が降って湧き、忙殺されるうちに教養主義の欠片など消し飛んでしまい、磨耗が始まる。マゼールは神童ビジネスの受益者だろうが、良かったのは70年代前半までだった。
昔の指揮者は何年間もコレペティトゥーア(練習指揮者=オペラハウスの歌手達の稽古相手)でスコアのピアノ伴奏をみっちりヤらされ、散々苦労しなければならなかった。そこから、第三、第二、副指揮者、主席指揮者と順番にのしあがって行くしかない。それは独・墺・伊はじめ欧州の伝統だった。先ほど挙げた大指揮者の多くは、オペラをやらない人を除き、皆これでのしあがった人ばかりだ。
シューリヒトの様に同じ地方都市の楽長を何十年も続け、いつの間にか巨匠になっていくなど、今では絶対有り得ないが、本人にとっては、コンクール優勝者としてチヤホヤされるより余程幸せだと思う…
マウリツィオ・ポリーニはショパン・コンクール優勝後一時消息すら不明なほど、どっぷり10年間修行を重ね、空前のセンセーションとともに再デビューした。
コンクールで勝ち、ポリーニの様な修行をした指揮者はない。
指揮者は1人で音を出して練習出来ないからやむを得ないし、朝比奈は一回でも多く長く続けて指揮しなければならないと言っているのだが、それはスターシステムで磨耗するのは別物だ。
ポリーニやグールドの隠遁生活は、本人が研鑽を積みたかったのと、コンクールビジネス・神童ビジネスから身を護る意味が強かった。
バレンボイムは神童で潰されなかった例外だから参考にならないが、ティーレマンがカラヤンのアシスタントを19歳から始めたのは私も知っている。最も期待の高いこの2人が、コンクールと無縁な事が何より雄弁に真実を物語っている…
そして平成日本ではサブカル的オタク型マニアック評論が花盛りだった。
…コーホー先生の批評は、さすがに私も独断と偏見が過ぎると思うが、このスタイルは結構流行った。過剰なポリコレに対し反発するのは一定の存在理由がある。
著者と片山杜秀の対談が巻末に納められているのは、サブカル的マニアックの頂点を著者が認めた証明だろう。大友はオタク的クラシックファンを否定する。
大友片山対談は両者の視点が微妙にずれるが拠って立つ政治的座標軸の違い。レフト片山。ライト大友。
だが両者とも戦前の教養主義=旧制高校文化の教育を受けた親を持ち、高度成長期からバブル期に存分に才能を開花させ今日に至り、少子化・恒常的デフレ下でクラシックの未来に悲観的にならざるを得ない点で100%危機感を共有している。
佐村河内問題のインサイドストーリーは、著者 大友の避けて通れない大事件だから興味深い。これだけは本書でしか絶対知り得ない情報を含むので、是非手にとってお読み頂きたいと思う。
佐村河内のゴーストライター事件のユニークな分析が片山杜秀と山崎浩太郎の対談“平成音楽史”にある。日本人の交響曲信仰をオウム真理教と佐村河内にまんまと利用された側面があるという。この論旨は究極の本質を突いている。
只、事件を新垣隆が明るみにした理由は、著者大友説とも片山・山崎説ともちょっと違う。
ソチ五輪で高橋大輔選手のショートプログラムが佐村河内クレジットのソナチネだったからだろう。高橋選手は表彰台に上がっていたからゴーストライター事件が暴かれなければ、海外からオファーが殺到し、佐村河内は米国メディアから虚像を剥ぎ取られた事だろう…米メディアにNHKスペシャルは通用しない。
大友直人の海外活動の経験値の少なさが、最悪の形で利用される寸前で沙汰止み、事なきを得て新垣隆が懺悔するだけで終息が計られたが、未だに後味の悪さは続く。
唯一の救いは、一連の新垣(佐村河内)作品が相当な傑作群だった事だろうか。
一点だけ本書に苦言を呈したい。
日本国内のオーケストラを外国人に市場開放するべきではない。大友の様な日本の重鎮がこれを推進したら、今の空前のレベルは瞬く間に変質・崩壊してしまう。
VPOコンマス、ライナー・キュッヘルは、日本のオケは日本人ばかりなのが美点だと言っている。キュッヘルの念頭にウィーン・フィルがあるのは言うまでもない。グローバル化を極限まで進めたベルリン・フィルは、ブラスセクションにドイツ人がいない。ドイツ国内から俊秀は幾らでも輩出している筈だが、BPOは今のところメルケル政権と同じ方向だ。だがあれは今まで我々が散々聴いたベルリンフィルでは、もはやなく、グローバル&EUオールスター・オルヒェスター・イン・ベーリンと言ったほうが相応しい。…キュッヘルは何も言っていないが、BPOの行く末を憂慮しながら見つめている。
新型コロナ禍で各国が鎖国し、オケも全ての音楽家が活動停止に追い込まれている事が地殻変動を起こすかも知れない。極力潰れずサバイバルして欲しいが、鎖国はグローバル否定からローカリゼーションを生むのか?一時的なレベルダウン、再開時の爆発的歓喜の後、藝術にどういう本質的変化がもたらされるだろうか?
私が亡父を連れ大友直人指揮 東京交響楽団のコンサートを聴きに池袋藝術劇場に出掛けたのは1999年だった。
生まれて初めてクラシック演奏会を体験する父が、R.シュトラウスのティルの爆音を無邪気に悦んでくれたのでホッとした。
羽田健太郎独奏スクリアビン ピアノ協奏曲から後半が始まり、ティルが〆。前半はシベリウス 交響曲第4番のみで、マニアの私にとって待望していたこの曲初めてのライヴだった…
ロベルト・カヤーヌス、バルビローリ、カラヤン始め名盤を愛聴していた。だがシベリウスの最高傑作が21世紀寸前になって漸く理解され、殊に日本の指揮者とオーケストラに拠り完全に咀嚼され、名演奏が為されていると、頼もしく心強く思ったことを思い出す。第4楽章の不思議な…ミニマル的と言われることもある、独特の揺らぎが、本当に的確に再現されていた。
同じ感動を探し求めDCHでラトル指揮BPOのライヴ録画も(2種類ある)視聴してみたが…その様な独特の揺めきは無いようだった。むしろ日本人指揮者と日本人オケだから良いのかも知れないと、この時初めて思った。
指揮者 大友直人の今後に思いを馳せたくなる本書だが、ワルターか、マエストロ朝比奈の様な円熟した頼りがいのある巨匠になる事を期待している。(別にブルオタやマーラーフリークのためだけにムリに演らなくてもよいから)
都響に拠る三枝成彰の作曲家の個展で上野で“ヤマトタケル”を聴いた。
同じ頃、湯浅穣二“芭蕉の風景”を聴いて、無調的なこちらが好みに合うと思った。サブカルチャーとのコラボには賛成も反対もしないが、過剰ポリコレ型リベラルが、芸能界を通して忍びよる隙を狙っている事は念頭に置いてほしい。
…あと25年、四半世紀後の未来の話を余りしても詮ないが、無調の軛を脱した現代音楽のヒット曲をレパートリーに従えてクラシック音楽界は、21世紀半ば果たしてまだ存在しているだろうか?