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キュレーションの時代 「つながり」の情報革命が始まる (ちくま新書) 新書 – 2011/2/9
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テレビ、新聞、出版、広告――。マスコミが亡び、情報の常識は決定的に変わった。ツイッター、フェイスブック、フォースクエアなど、人と人の「つながり」を介して情報をやりとりする時代が来たのだ。そこには人を軸にした、新しい情報圏が生まれている。いまやだれもが自ら情報を選んで、意味づけし、みんなと共有する「一億総キュレーション」の時代なのである。シェア、ソーシャル、チェックインなどの新現象を読み解きながら、大変化の本質をえぐる、渾身の情報社会論。
キュレーション【curation】
無数の情報の海の中から、自分の価値観や世界観に基づいて情報を拾い上げ、そこに新たな意味を与え、そして多くの人と共有すること。
- ISBN-104480065911
- ISBN-13978-4480065919
- 出版社筑摩書房
- 発売日2011/2/9
- 言語日本語
- 寸法10.8 x 1.5 x 17.4 cm
- 本の長さ314ページ
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商品の説明
内容(「BOOK」データベースより)
著者について
1961年生まれ。早稲田大学政経学部中退。毎日新聞記者、月刊アスキー編集部を経てフリージャーナリスト。『電子書籍の衝撃』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)、『2011年新聞・テレビ消滅』(文春新書)、『決闘ネット「光の道」革命』(孫正義との共著、文春新書)など著書多数。総務省情報通信タスクフォース委員。ITジャーナリスト。
http://www.pressa.jp/
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
1961年生まれ。早稲田大学政経学部中退。毎日新聞記者、月刊アスキー編集部を経てフリージャーナリスト。総務省情報通信タスクフォース委員。ITジャーナリスト(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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登録情報
- 出版社 : 筑摩書房 (2011/2/9)
- 発売日 : 2011/2/9
- 言語 : 日本語
- 新書 : 314ページ
- ISBN-10 : 4480065911
- ISBN-13 : 978-4480065919
- 寸法 : 10.8 x 1.5 x 17.4 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 382,073位本 (の売れ筋ランキングを見る本)
- カスタマーレビュー:
商品ガイドとドキュメント
著者について

新著『レイヤー化する世界』を刊行しました!
紙の本は、NHK出版新書から。
電子本は、セルフパブリッシングによってKindleStoreから。
どちらでもお好きな方をどうぞ!
【私の書籍のコンセプト】
インターネットやコンピュータのテクノロジは、われわれの社会をどのように変容させていくのか? ネットとリアル社会の境界部分ではどんな衝突が起こり、どのようにリアルはネットに呑み込まれ、そしてどのように融合していくのか? その衝突と融合のリアルな局面を描いていくこと。そしてその先に待ち受ける未来ビジョンを、できうるかぎり事実に基づいて描写していくこと。それが私の仕事の基本的なテーマです。
【私のバックグラウンド】
1961年兵庫県の片田舎で生まれ、大阪西成のディープな街・玉出で育つ。
母の再婚相手がトヨタ自動車の工員に採用されたのをきっかけに、愛知県豊田市に転居。地元中学から愛知県立岡崎高校に進学。文学や哲学書に埋没した思春期をすごす。
1981年、早稲田大学政経学部政治学科入学。前半はロッククライミングに熱中し、後半は当時普及しはじめていたPCを手に入れ、パソコン通信を使ったオータナティブな市民運動ネットワークの実験に参加。掲示板での議論に熱中する。
1988年、毎日新聞社に入社。以降12年あまりにわたって事件記者の日々を送る。東京社会部で警視庁を担当した際にはオウム真理教事件に遭遇。ペルー日本大使公邸占拠事件やエジプト・ルクソール観光客虐殺事件などで海外テロも取材する。
1998年、脳腫瘍を患って長期休養。翌年、糸が切れたように毎日新聞社を辞めてアスキーに移籍。月刊アスキー編集部でデスクを務める。
2003年、独立してフリージャーナリストに。以降たったひとりで事務所も構えず、取材執筆活動に邁進中。
カスタマーレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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そして、今や(2017年2月)、キュレーションという言葉は、ネットユーザーで知らない人がいないばかりか、「キュレーションサイト」が社会問題化する時代になった。こうなるともはや「キュレーション」は意味すら問われない、単なる記号になった。他人の文章をコピペするというイメージ先行。本来の「キュレーション」「キュレーター」の意味を、この本で再確認しよう。
みんなに書かれてると思うけど、この本の書き方はまわりくどい。
枝葉末節が多く長ったらしい。
冒頭の開拓時代アメリカの、70歳くらいになってとつぜん絵を発表する機会を得たおっさんの話、
南米の音楽家エグベルト・ジスモンチの来日招待公演を巧妙なマーケティングで成功に導いたイベント制作の人の話、
著者行きつけのメガネ屋の話。
そういった話が妙に物語仕立てで長々と語られる。
そこにまとまりの悪さとじれったさがある。
――これはじつはもっと内容を刈り込める本だ。
要するに、インターネット、ソーシャルメディア、ブログ、購買情報蓄積、チェックイン機能などの普及で、
マーケティングとか物を売りたいときの宣伝の在り方とか、自分がとても気に入って感動している音楽や芸術などの紹介の仕方が、従来のマスメディア型、不特定多数に対して上から一方的に投下するだけ、の方法から、情報発信者は発信したい自分自身にとって大切な情報を見定め、さらにその情報を、それを介して有益なつながりが得られそうな、信頼と親しみをもってつながることができそうなコミュニティを発見して小さくつながっていく。
それがキュレーション。
そしてそれはネットを使う者ならだれにでも開かれている可能性。
そしてさらに、そうした同じ趣味同士だけのつながりが増えるならタコツボ化・閉鎖化する危機があるところもまた、ネットの特性によって回避できる。
それは、ネット利用時には人は場面ごとに多角化するので、ある分野で大影響力を持つ人は別の分野では素人で学ぶ側・吸収する側、といったことがネット使用によって際立つので、(この話題は東浩紀「一般意思2.0」にも出てくる)、入ってくる情報の固定化やコミュニティの閉塞化・同じ人ばかりしか一緒にいない、というような発展性のない事態も打開できる。
――そう書いてある。おおむねそんな内容だ。
ただ、とても共感できる部分も何か所かあって、
たとえばマイナーな映画を輸入して興業をかけるときに従来型のマスメディア系の発想では
そのマイナーな映画を見たがる客層とはどんな人々なのかろくにリサーチもせず、映画になにひとつ関係もないテレビの有名タレントを呼んで試写やプロモイベントをするような発想しかできない。
それをキュレーション時代のイベンターは、自身が提供するコンテンツを支持してくれる層・そのマニア的なコミュニティがどこに存在しているか徹底調査をしてジスモンチという無名に近い音楽家の公演を大成功させた。
この、従来の手法と・現在これからの手法の対比は興味深い。
ぼくは一方通行型のマスメディアのことを最近かなり嫌いになり始めていて、とくにテレビは完全にオワコン領域に突入していると勝手に見なして一切視聴しないようにしているのだが、
この本などが主張する論調の効果で情報伝達の在り方がどんどん更新されていって、以前からあった古いテレビ的な配信の仕方、一般大衆への迎合を装ってそのじつ製作者側の利益が増進するよう裏で手を加えられた宣伝の仕方などを、
徐々に滅亡に追いやっていく駆逐効果を発揮してほしい。
結論を言えば、テレビを臨終に導く誘引剤になるなら、賛辞を惜しまない。
我々の消費傾向を時系列的に俯瞰し、ブランド一極集中的な消費(マス記号消費)からインターネットテクノロジーによって細分化する消費への流れをつかみ、そこから今まではマスメディアがやってきた情報の方向性を自分たちが選択し価値づけていく近未来を二章から四章で示しています。また永山則夫事件と酒鬼薔薇少年連毒殺傷事件を例にして(なんと著者らしい!)から消費するということは承認欲求に意味づけられるということはとても共感しました。
最終章である五章からは情報の細分化が各地で国境を越え世界レベルで様々な情報が共有され、独自の音楽や書籍等々のコンテンツがプラットフォームを基盤として広がっていくことが書かれています。つまり様々な情報(コンテンツ)がプラットフォームの上に漂いその中である情報を国を超えて従来のマス的流れではないものの共有する集団ができる…この点は著者の『レイヤー化する世界』にも通ずるところがあります。一方で基盤となるプラットフォームが情報の多様化を生じさせず画一的なものになるかという心配については、近未来の消費が情報の独占とは異なることから、またモンゴル帝国を例にしてそうならないことを力説しているのは印象的でした。
情報の海から情報を拾い上げ、意味を与え、人々と共有することらしい。学芸員のことは英語でキュレーターと言うが、要するに目利きということであろうか。一見意味のないがらくたから価値のあるものを見いだし、人々に価値を紹介すると言うことは古来より行われてきたことである。別段新しい行為ではない。
他にもビオトープ、チェックインなど一般とは違った用法の横文字言葉が結構続き、正直、少しわかりにくかった。
コンテンツやプラットフォーム重視の時代から、情報を発信する個こそが重要性が増してきているというのが著者の主張だろう。
発信する個、受信する個にとっての意味やつながりがネット空間でますます重みを増してきているのは異論はなかろう。フェースブックやツイッターはもはや政府を転覆する力さえ与えるツールであるが、それも発信・受信する個があってのことである。
著者も多くの逸話を引いているようにインターネットの発達以前から小さいながらも価値を見いだしたもの同士のコミュニティーは存在していた。インターネットにより爆発的に情報量が増え、料が質に転換した側面もあるが、かつてのパソコン通信や各種の掲示板にはじまり、SNSへと同好の士の集いを拡大していったという流れは確実に存在していた。情報はある種の価値を持つから情報なのであって、昨今の状況は画期的なパラダイムの変換とは言い過ぎではないかと感じる。手の届く、目に見えるもの同士だけのコミュニティーからインターネットを活用してより速くに、より広く同じ試行を持った人々との交流が可能になったと言うべきだと感じる。
ただ、情報量の増大により、情報をさばききれなくなっているのは事実である。
情報の目利きがインターネット世界でも影響力を強めていっているのは確かに面白いことである。
一見無機質な情報の奔流から人と人とのつながりを再確認していこうという世相も興味深い。
陳腐な言葉になるが、人間性の回復といおうか、無機から有機の情報がますます求められていくのだろう。人々が社会がインターネットを道具として使いこなしつつある過程なのだろう。
話が錯綜し、わかりにくい書であるのは確かだが、これからの情報社会のあり方を考える上で重要な示唆を与えてくれる書である。









