膨大なガンジー(関係)の著作、広大かつ深い思想を、コンパクトによく解説してあると思う。
広い視野と深い見識から、現代の状況の中に引き比べたり ところどころ他の思想や著作の中で共通するものを引用し、言い換えたりもしている。
「ガンジー自伝」を読んだが、ガンジーの綿密な記憶に驚くとともに、他の著作も読んで思想を概観するのはやや容易ではないという印象も持った。
本書は広くガンジーの言動を見渡し、現代に活かせる様に解説した優れた小著だと思う。
ガンジーの思想も、著者の解説やコメントも、大きな方向としては全く同感。
ガンジーは宗教者(ある宗教に帰依する人)というか尊敬される行者ではあったが、宗教家(ある宗教を説く人)ではなかったのだと思う。
むしろ、インド人の人権を勝ち取る活動家であり、イギリスが統治のために利用していた宗教間の分断(ヒンズーとイスラムの対立)を解消し融和させようとした。
ガンジーが「すべての宗教の向こうにあるもの(は共通している)」と唱えたのは、聖典や教団レベルの宗教(人間の不完全さがかなり混在する)の事ではなく、多くの宗教の通奏低音としてある、例えば「隣人をいたわれ」とか「盗むな、殺すな」とか「今の自分や周囲の人間以上の存在を感じとり、反省して謙虚になれ」などなどといった 言わば宗教の原点のような道徳律的なものが中心なのではないかと思う。
宗教は広まるに連れ、土着化・現地化し、例えば日本の仏教が示すように古来の自然崇拝と一体化して修験道のようになったりして、その土地その土地の宗教となる。キリスト教の神と聖典、イスラム教の神と聖典、ヒンズー教の神と聖典、、各々違うだろうが、それはその土地の風土やその時代によって必然的に変わりうるものだろう。
宗教が広まり大きくなるに連れ、大きな要素として「人間集団が持つ不完全性」も否応なく包含されてくる。それをことさらにイギリスは「宗教台帳」のようなものを作って、緩やかに共存していたイスラムとヒンズーを峻別し、分断統治に利用した。その分断統治を解決するためにガンジーは各宗教の通奏低音のようなものを唱えたのだろうと思う。
思想を理解するには、それが生まれた地域や時代を踏まえなければならない。
ガンジーは独立運動に参加したが、周囲の運動家は「近代化による独立」を目指す人が大多数だった。
そこでガンジーは、ただ近代化するだけでは、統治者がイギリスからインドの一部に代わるだけで、そしてイギリスがインドにしたような事を次はインドが他の国にするようになる、と警告した。
それが彼の「近代化一辺倒」への見直し、一石を投じた意味だと思う。周囲が近代化の利点のみ唱える人々ばかりだったので、彼はあえて極めて運動の少数派として近代化の影の部分を強調したように見える。しかしながら彼がインド全国行脚して感じ取り、思いを馳せたインドの将来は、運動家たちとは違って「急速な近代化ではない方向」を、民衆の進むべき良き方向と考えたのではなかろうか。(よきことはカタツムリのように進む)
むろん、彼が個人的に あるいは活動家として完璧だった訳ではないだろう。
行き過ぎの点、頑ななところもあると思う。
しかし、長所と短所は表裏一体ではないだろうか?
信念を持って周囲の為に生きた、という点では驚嘆すべき人物だと思う。
「ガンジー自伝」では、なぜこれだけ自分の至らなさをこれでもかこれでもかと挙げるのか、と驚く。
「聖人君子でもなく、生まれつきの天才でもない自分は、試行錯誤をしながら歩みました」「こんな私にもこれだけできたのだから、あなたもきっと出来る」とアピールしている気がした。(私の人生は実験である)
帝国主義時代のインドや南アフリカと、新自由主義・グローバリズムが席巻しようとしている現代は、弱肉強食や多くの弱者への搾取、などなどの点でよく似ているように思う。
近代現代への処方箋として、行き詰まりつつある資本主義・市場経済へのアンチテーゼとして、そして社会のみでなく個人の生き方、考え方としてもガンジーは今後益々見直されるのではないだろうか。
ほかに、個人的には紙の書籍の方がまだまだ電子書籍より好きなのだが、これは文章が読みやすく、一つ一つの文章の長さもちょうど良く、さほど多くない通読できた電子書籍の一つ。
自己啓発系や心や社会についての本を読んだ経験があったり興味のある方、今の世の中何かおかしいんじゃないか、大丈夫だろうか?と思っておられる方に、オススメと思う。
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