「およそ人は自分の望みを勝手に信じてしまう」
この名言に出くわすだけでも一読の価値がある。様々なところでは「人間は見たいように見てしまう」という引用にされるが、有名な箇所だろう。
現代で行動経済学のエッセンスを先取りしているだろう。だからこそ、カエサルの軍隊はそのことを十二分に知っていたからこそ強かった。
そして、様々な部族から敬意と畏怖を持たれていたのだろう。但し、単純にこの話が「ありのままの真実」を述べているとは私は全く思ってはいない。
その中でも真にカエサルの優れているのは、最前線での観察を怠らないことだ。さすがに、賄賂や陰謀の横行するドロドロした脂っこい、ローマの元老院にて頭角を表すだけあり、しかも非常に冷静かつ的確な文体で、無駄がない。
「もっと安全なのは道を塞いで食糧を断ち、傷つかずに勝利を得ることだ」
「恐れおののいて全くどうしていいか分からなくなったようであった。それはせっぱ詰まらないと考えをまとめようとしない人によくあることである」
ごもっともです(笑)。
「確かに多くの人々は文字の助けがあると、熟達しようという努力も記憶力の訓練もないがしろにしてしまう」
「無謀で無智な人々はしばしばうその評判に怯えて罪を犯したり、重大なことを企てたりする」
「何事においてもそうであるが、軍事においても運は大きい」
「兵士のたくましい士気をほめたたたえたが、勝利と事態の成り行きについて指揮官よりも心得ていると思いこんだ放縦と傲慢については厳しく叱り、兵士に、武勇やたくましい士気に劣らず服従と自制を期待すると言った」
現代においても、完璧なマネジメントだろう。
あと、このレビューで誤解があるといけないので補足。カエサルの「大義名分」がいかにも通りの良いものの様に聞こえるが、私はこの著書の「裏の側面」があることを述べておきたい。野口悠紀雄「
世界史を創ったビジネスモデル (新潮選書)
」によれば、この著書には欺瞞があるとのこと。過去において、田中角栄的な錬金術と話術がカエサルにあったということを指摘している。私財を投じた軍隊でもって、ローマに富をもたらすという結果であったが、実は立派な侵略戦争だったという。ガリアを助ける為というのは取って付けた様な「建前」だったということだ。だから冷静かつ的確な文体であるしかなかったし、そこから疑問が生まれる内容であってはならなかったのが理由だ。だがそれでどうだというのか?私は薄っぺらいヒューマニズムに興味はない。政治家で「悪」を避ける位なら、はなっから政治家なんか目指さないことだ。寧ろ、それ位の図太さを日本の政治家が失ったことの方が問題だろう。
私は、この内容を読んでもカエサルが人を巻き込むに長けていたことは、いささかも評価が減じるものではないと思うし、賄賂や陰謀が横行していたとカエサル自身が指摘しているし、人々を金で懐柔ことや陰謀工作くらいはしていたことは全然予測の範疇だった。私はこの清濁併せ呑むカエサルが実は嫌いではない。独断専行も何のその。チャンスとあらば、あらゆる内容を「捏造」してでも果敢に戦いを挑むという姿勢は、素直に関心する。だがこういう人が隣人にいては困るだけだ(笑)。例えば中国の「史記」の様な、嘘八百を並べたてると困るのは後世の歴史家だけだ(笑)。発掘調査でその嘘も今はバレている。それに現代の中国共産党の歴史観などどうでもいいと思う。つまりカエサルの様な複雑怪奇な人物が中国にはいなかったということに過ぎない。だから中国は文明から後れをとったのだ。
一方、煮ても焼いても食えぬカエサルであっても、絶対に守るべき約束事の大切さを知っているところもある。そう「自分からは」決して裏切らないのだ。ここは恐らく真実だろうと私は思っている。最初からは裏切らない、だが相手が裏切った場合は、ありとあらゆる手段でもって徹底的に潰しにかかる冷酷さは徹底している。だから政治家のモデルとしてよくカエサルが引き合いに出されるのだと、よくわかる。この本の裏の側面を読んでみて学ぶことは、政治家たるもの、泥を被る覚悟と図太さこそ学ばなくてはならず、なぜヨーロッパの政治家達は強いという面だ。ちなみに私がヨーロッパの政治家で一番図太いと思うのはタレーランである(笑)。政治そのものが悪である。だが人間はその悪が無いと生きていけないのだ。
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