・最初に
当レビューは私(評者)が読了後、低評価を含めた他レビューに目を通してから書いたものです。本書への賛否、レビューへの賛否を絡めて記します。
・本書の評価
まず著者は単なる落ちこぼれではなく、文中にあるアインシュタインのビデオで学問と運命の出会いをする前から、漢字がわからないながらも文学に親しんでいたりと向学心の片鱗を見せていました。つまり落ちこぼれだった頃から知的好奇心・欲求はあったのです。そここそが中卒労働者から高校→大学→大学院を経て教職に転身出来た何よりのきっかけなのではないかと思います。わからなくても触れたい、知りたいという思いが人一倍あったということです。また、当時の彼女さんや会社の方や、学校の教職員の方に対して著者自身が「勉強したい、学問をやりたい」という真摯な思いが伝わったからこそ、みなが著者に協力を惜しまなかったのでしょう。
その反面、著者の周囲の人に恵まれていたことは滅多にない幸運であり、もし頭ごなしに「そんな目標なんてバカげてる。お前も大人なんだから生活のことを優先しろ」なんていう人達だったら、まず学問や教職への道は断たれていたでしょう。良くも悪くも著者の例はレアケースです。あまり参考にならないと感想を残す人がいるのも仕方ないことです。20代半ばで高校生になり、30代半ばまで学生でいられたのは、特に社会人の学び直しやリスタートに対して偏見や躊躇が当たり前の我が国では奇跡といえることです。
・レビューを見た上での本書の評価
私はどんなに高評価なものでも、低評価レビューにも目を通すようにしています。これが本の評価をフラットにする行為だからです。
まず他のレビューにもある、そもそも本書自体、誰に向けてのメッセージなのか?という評価は「確かに」と思います。下手をすると「著者がラッキーだっただけ。普通こうはならない」と唾棄されて終わりという危うさもはらんだ作りです。実際に「著者のどこが落ちこぼれなのか?私もやってみたが出来なかった」とするレビューもありますね。僻みっぽい人が読めば却って神経を逆撫でする内容でもあります。
しかし、違和感を覚えたのは今日現在唯一の☆1をつけているレビューです。要約すると「落ちこぼれが更生して社会的地位の高い立場になったから何だ。だから落ちこぼれず同じ立場にある人間より偉いとでもいうのか?一度も落ちこぼれずに真面目にやってきた人間の方が偉いに決まっている」というものです。
この考え方について、まず世の中が「落ちこぼれが更生して社会的地位の高い立場につくことが偉い」と思っている、そういう風潮が強いと思い込んでいること自体が錯誤ですね。
落ちこぼれに同情的な人は褒めそやすでしょうが、サラブレッドなど家柄が立派な人が好きな人もいれば、真面目にコツコツやってきた人が好きな人もいるでしょう。結局、自分が好きな対象は褒め、嫌いな対象は貶しているというだけの違いです。ステータスで判断している。こいつは○○党の議員だから好きだ、嫌いだ、と言うのとレベルが同じです。レールを踏み外さず人生を歩んでいる人を、少なくとも私はバカにしませんし、そんな人ばかりでもないと思います。よって賛同出来ません。
落ちこぼれが偉くなったから凄いというのは確かに変な理屈ですが、さりとて落ちこぼれで居続けることがマシであるはずはない。更生するだけまだ大したものだし、更生出来ないまま社会に憎しみを募らせ続ける人間もごまんといます。まさか、落ちこぼれは精々落ちこぼれのままでいやがれとは申しませんよね?お前らは落ちこぼれたのだから表に出てくるな、ずっと日陰のままでいろと?そんな世の中の方がよほど冷たくないですか?落ちこぼれになることよりも悲しいのは、落ちこぼれで居続けることです。更生しようとすら思わない者もごまんといるのですから。
※最後に指摘しておきます。著者は記述にある限り、不良やヤンキーではありません。そこからもう既に勘違いです。またこのレビュアーさんもさんざん肩書きを並べ立てる辺り権威主義的ですね。世の中はエリートだけで成り立つのではありません。
・まとめ
この本は読む人を選ぶものです。もしくは人によって良い本にも悪い本にも思える本であるでしょう。励みになるかもしれないし、不快にさえなるかもしれません。
最後に一つだけ付け加えておきます。学問でも仕事でも、こんなことやったって何になるんだろう、みたいな気持ちが少しでも心にあるなら、向上することはないでしょう。
著者は学問の道にコミットしていく覚悟を決めて勉強に励んだことだけは間違いないと思います。
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