対話は、人と人との「あいだ」に生まれる。対話は、人の心を癒す。実りのある治療は「開かれた対話」にある。
薬物投与は保険としてあるだけで、基本的にはしない。医者と患者の従来の上下関係は存在しない。治療が終わるまでは、同じメンバーが関わり続ける。本人の目の前で、今後の方針について話し合う。
フィンランド発、今までの精神医療を越える、強力でシンプルな手法。簡単に言えば「オープンに話し合う」というだけ。それだけで症状が治るというもの。統合失調症を始め、うつ病、PTSD、家庭内暴力など、その対象範囲は広い。
この方法では、治療者が一方的に病理を見つけて早急に手をくだすようなことはしない。相互性を重視し、対話のなかで生まれるプロセスを尊重する。
オープンダイアローグが広がると、仕事を失って困る人がたくさんいるだろうし、それと、どこの国や地域でも同じように成果が出るかどうかとか、ほんとうに普遍性のある手法かどうかは、まだまだこれから向き合っていかなければならないところだろう。
けれど、医療関係者はもちろん、一般市民も取り組みに参加して、積極的に活かしていけたらいいのではないかと思う。
思想的な背景もきちんと書かれてるので、ちょっとした勉強にもなる。具体的な事例も書かれてるから、実践する上でも参考になると思う。
オープンダイアローグとは何か (日本語) 単行本 – 2015/6/22
斎藤環
(著, 翻訳)
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本の長さ208ページ
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言語日本語
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出版社医学書院
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発売日2015/6/22
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ISBN-104260024035
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ISBN-13978-4260024037
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出版社より
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クレイジー・イン・ジャパン[DVD付] | 技法以前―べてるの家のつくりかた | べてるの家の「非」援助論 | べてるの家の「当事者研究」 | |
内容紹介 | インドネシアで生まれ、オーストラリアで育ち、アメリカで映像人類学者となり、今はイェール大学で教える若き俊英が、べてるの家に辿り着いた――。7か月以上にも及ぶ住み込み。10年近くにわたって断続的に行われたフィールドワーク。彼女の目に映ったべてるの家は果たしてユートピアかディストピアか? べてるの「感動」と「変貌」を、かつてない文脈で発見した傑作エスノグラフィ。付録DVD「Bethel」は必見の名作! | べてるの家の「スタッフ用虎の巻」、大公開! 「幻覚&妄想大会」をはじめとする掟破りのイベントはどんな思考回路から生まれたのか? べてるの家のような場をつくるには、専門家はどう振る舞えばよいのか? 「当事者の時代」に専門家が〈できること〉と〈してはいけないこと〉を明らかにした、かつてない実践的「非」援助論。 | 精神障害をかかえた人びとが共同生活を送る北海道・浦河町のグループホーム「べてるの家」。その特徴は、病気を治療し、社会復帰をめざすのではなく、悩み、弱さをそのまま受けいれ、問題だらけの人生を肯定する力の獲得をめざしていることだ。本書は、1984年の設立からの道のりを、メンバー自身、および彼らを支えてきたソーシャルワーカー、医師、地域住民らがありのままにつづった記録集である。 | 「食べ吐き」や「借金」のスキルを開陳したり、「くどうくどき」「たなかやすお」などと問題や対処法をキャラクター化して仲間と楽しんでいるうちに、なぜか元気になってしまう不思議な研究です。 いまあらゆるところで「当事者」が語りはじめました。 本書もそんな時代の産物ですが、当事者語りだからといって神妙に聞かなくてはいけないわけでもないでしょう。 「自分という苦労の神輿(みこし)を仲間と共にかつぐお祭り」=当事者研究を楽しんでいただければ幸いです。 |
登録情報
- 出版社 : 医学書院 (2015/6/22)
- 発売日 : 2015/6/22
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 208ページ
- ISBN-10 : 4260024035
- ISBN-13 : 978-4260024037
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Amazon 売れ筋ランキング:
- 7,079位本 (の売れ筋ランキングを見る本)
- - 3位精神看護学
- - 11位精神医学 (本)
- - 40位臨床心理学・精神分析
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2020年12月31日に日本でレビュー済み
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オープンダイアローグとは何か
斎藤環著+訳
オープンダイアローグを知るために、斎藤氏は、第1部解説「オープンダイアローグとは何か」で、概略・理論・臨床・その周辺として解説しています。
精神療法の最先端をいくのが、オープンダイアローグではなかろうかと思います。
当事者・クライエント・本人を、精神障害を持つ「人」として取り扱うのではなく、同じ世界に生きる一個のかけがいのない「人」として、会話を通して、同じ世界で共に生きていくことを真剣に追い求める治療チームの活動と言えるのでしょう。
精神障害について、多少知っていれば、第2部の「オープンダイアローグの実際」にあるヤーコ・セイックラ教授の論文を直接読んでみるのが良いでしょう。
斎藤氏が論文中に、訳註をつけて解説しています。巻末には、用語解説もあり、至れり尽くせりです。
はじめは、表面的に理解して、興味がある所は、さらに用語解説や第1部の斎藤氏の解説を読むことをお勧めします。
私は、通読して、ヤーコ・セイックラ氏の論文中の事例こそオープンダイアローグがいかに興味ある精神療法であるかを提示していると感じました。「治療的な会話においては、何が癒やす要素となるのだろうか ー愛を体現する物としての対話ー 」(p.149〜181)が、特に心に留まりました。
ヤーコ・セイックラ氏が、オープンダイアローグの詩学(p.93〜99)で、治療面接の基本として、「不確実性への耐性」、「対話主義」、そして「ポリフォニー」を挙げています。
不確実性への耐性は、精神障害をもつ当事者が、混乱状態にある時に、「家族が危機のなかで孤立していると感じないように、十分な頻度でー必要があれば毎日―ミーテングの機会が持たれること」により、不確実性を受け止めていくことと言っても良いのでしょう。
対話主義は、「精神病的な発話、幻聴や幻覚にとどまっている特異な体験に、共有可能な言語表現をもたらすこと」と記しています。対話を通して、表現しきれない内的経験を、参加している人々との会話のなかで、言語化していくことでしょう。
ポリフォニーは、「意見が食い違ったときに大事なことは、…すべての声が受け入れられ、傾聴とやりとりが促されることです。」
つまり、「治療を達成するために、ミーテングの言語的実践は、まず十分に時間をかけて人々を支えていきます(不確実性への耐性)。そこにはふたつの目的があります。ネットワークのなかの重要な他者の助けを借りながら(ポリフォニー)、語り得なかったものに声を与えること(対話主義)です。」(p.99)
最後に、私なりに、オープンダイアローグが必要なわけを考えてみます。
人は様々な問題に出会い、トラウマを心に刻み生きています。しかし、人はそれぞれに、心に刻まれた「トラウマ」を何らかの方法で解決し生きていると言えます。あるいは、その「トラウマ」に圧倒されることなく生きているのではないかと思います。
しかし、現代において、あまりにも複雑化した社会問題・圧倒的な情報等により、にっちもさっちも行かない状況に置かれているのが今日の「人」ではないでしょうか?このにっちもさっちも行かず、精神医療に依存し、薬の投与によって症状を抑えたつもりになっているが、「人」の魂・精神・霊魂・プシュケー・などと言われる「内的存在」は、放置されたままであったのではないでしょうか。この放置されてきた人としての「内的存在」へのアプローチがオープンダイアローグによって、可能になりつつあるのではないでしょうか。
個として放置されてきた人の「内的存在」が、本来の「人」としての存在に復権する時、それはさらに「コミュニティ」に波及していく出来事になっていくと感がられます。「さまざまな回復要因は、コミュニティを形成することに寄与しています。」(p.176)
今日的課題は、遡れば、世界中が、お金で「もの」の価値を測り、究極的に「人」・「人の精神」までもお金で評価する社会に変容してしまった結果ではないでしょうか。全人格的「人」の復権を目指します。
斎藤環著+訳
オープンダイアローグを知るために、斎藤氏は、第1部解説「オープンダイアローグとは何か」で、概略・理論・臨床・その周辺として解説しています。
精神療法の最先端をいくのが、オープンダイアローグではなかろうかと思います。
当事者・クライエント・本人を、精神障害を持つ「人」として取り扱うのではなく、同じ世界に生きる一個のかけがいのない「人」として、会話を通して、同じ世界で共に生きていくことを真剣に追い求める治療チームの活動と言えるのでしょう。
精神障害について、多少知っていれば、第2部の「オープンダイアローグの実際」にあるヤーコ・セイックラ教授の論文を直接読んでみるのが良いでしょう。
斎藤氏が論文中に、訳註をつけて解説しています。巻末には、用語解説もあり、至れり尽くせりです。
はじめは、表面的に理解して、興味がある所は、さらに用語解説や第1部の斎藤氏の解説を読むことをお勧めします。
私は、通読して、ヤーコ・セイックラ氏の論文中の事例こそオープンダイアローグがいかに興味ある精神療法であるかを提示していると感じました。「治療的な会話においては、何が癒やす要素となるのだろうか ー愛を体現する物としての対話ー 」(p.149〜181)が、特に心に留まりました。
ヤーコ・セイックラ氏が、オープンダイアローグの詩学(p.93〜99)で、治療面接の基本として、「不確実性への耐性」、「対話主義」、そして「ポリフォニー」を挙げています。
不確実性への耐性は、精神障害をもつ当事者が、混乱状態にある時に、「家族が危機のなかで孤立していると感じないように、十分な頻度でー必要があれば毎日―ミーテングの機会が持たれること」により、不確実性を受け止めていくことと言っても良いのでしょう。
対話主義は、「精神病的な発話、幻聴や幻覚にとどまっている特異な体験に、共有可能な言語表現をもたらすこと」と記しています。対話を通して、表現しきれない内的経験を、参加している人々との会話のなかで、言語化していくことでしょう。
ポリフォニーは、「意見が食い違ったときに大事なことは、…すべての声が受け入れられ、傾聴とやりとりが促されることです。」
つまり、「治療を達成するために、ミーテングの言語的実践は、まず十分に時間をかけて人々を支えていきます(不確実性への耐性)。そこにはふたつの目的があります。ネットワークのなかの重要な他者の助けを借りながら(ポリフォニー)、語り得なかったものに声を与えること(対話主義)です。」(p.99)
最後に、私なりに、オープンダイアローグが必要なわけを考えてみます。
人は様々な問題に出会い、トラウマを心に刻み生きています。しかし、人はそれぞれに、心に刻まれた「トラウマ」を何らかの方法で解決し生きていると言えます。あるいは、その「トラウマ」に圧倒されることなく生きているのではないかと思います。
しかし、現代において、あまりにも複雑化した社会問題・圧倒的な情報等により、にっちもさっちも行かない状況に置かれているのが今日の「人」ではないでしょうか?このにっちもさっちも行かず、精神医療に依存し、薬の投与によって症状を抑えたつもりになっているが、「人」の魂・精神・霊魂・プシュケー・などと言われる「内的存在」は、放置されたままであったのではないでしょうか。この放置されてきた人としての「内的存在」へのアプローチがオープンダイアローグによって、可能になりつつあるのではないでしょうか。
個として放置されてきた人の「内的存在」が、本来の「人」としての存在に復権する時、それはさらに「コミュニティ」に波及していく出来事になっていくと感がられます。「さまざまな回復要因は、コミュニティを形成することに寄与しています。」(p.176)
今日的課題は、遡れば、世界中が、お金で「もの」の価値を測り、究極的に「人」・「人の精神」までもお金で評価する社会に変容してしまった結果ではないでしょうか。全人格的「人」の復権を目指します。
2018年12月15日に日本でレビュー済み
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専門家同士がリフレクテイングを行うことで、患者も落ち着いていく。重篤な患者でも救いがある。
2019年8月30日に日本でレビュー済み
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