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オレ様化する子どもたち (中公新書ラクレ 171) 新書 – 2005/3/1

3.5 5つ星のうち3.5 42個の評価

かつての「ワル」は、対等をめざして大人に挑戦してきた。しかし、「新しい子どもたち」は、端から自分と大人は対等だと思っている。彼ら・彼女らは、他者との比較を意に介さない。自分の内面に絶対的な基準を持つ「オレ様」になったのだ。「プロ教師の会」代表の著者は、教職生活40年の過程で、子どもたちの変化と格闘してきた。この体験をもとに、巷に流布する教育論の正否を交通整理しつつ、「オレ様化」の原因を探り、子どもたちの「個性化」と「社会化」の在り方を問う。
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登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ 中央公論新社 (2005/3/1)
  • 発売日 ‏ : ‎ 2005/3/1
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 新書 ‏ : ‎ 238ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4121501713
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4121501714
  • カスタマーレビュー:
    3.5 5つ星のうち3.5 42個の評価

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諏訪 哲二
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カスタマーレビュー

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上位レビュー、対象国: 日本

2010年10月11日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
いままでの教育という現場に起こる、いろんな事件・現象を、
なるほどという理論の解き明かしてくれます。

まずは、戦後を3つのスパンで区切ります。
1945〜60年代を「農業社会的」。
いわゆる「共同体社会」です。
1960〜75年代を「産業社会的」。
このころは学園闘争などもあり、「個」の自立が叫ばれた時代。

そして1976年代からは「消費社会的」になった。
それに伴い80年代から「校内暴力」、「いじめ」、「学級崩壊」
と続く背景を、その社会システムの変貌と、
学校教育、家庭の変貌と含めて分析していきます。

それが2000年代に入ったあたりから、
子どもによる凶悪事件が世間を騒がせ初めます。
ここにきてやっと、これは社会システムだけの問題ではなく、
「子どもの変貌」に気づいたのに、そのタブーから目をそらす、
教育識者、マスコミを指摘します。

その「子どもの変貌」とは・・・

近代的「個」を目指し、「個性の尊重」が叫ばれ、
一方では、グローバルな経済システムが、
世界を動かし始めている。

その世相を映すように、子どもたちもまた、
共同体的な「個」から、市民社会的「個」へと変わっていく。
そこには、「教育」は教師からの「贈与」ではなく、
先生と生徒の「商品売買」という「等価交換」の場となってしまった、
現在の教育現場を分析していきます。

そして共同体的社会であれば、一人ひとりの「個」は、
「外部」とのかかわりによって「全能感」を打ち砕かれたり、
「超自我」によりコントロールされる。
その歯止めや通過儀礼がなくなり、
なくなったというより、無い「他者」として認識され、
「オレ様化」していく子どもたちの姿を分析します。

そしてますます進むグローバル化。
それに伴い、「教育」だけでなく、
子どもを取り巻く環境までが、
「市場化」「競争化」の荒波にのみ込まれていく。

いかに大人は対処すべきか・・・

それを読み解いてみて下さい。
10人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2005年5月25日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
本書第一部で述べられている「(社会的役割における)私」と
「(自分本来そのままの)この私」の違いは、非常に納得のいく
考え方です。
そして、小学校、中学校、高校は「私」を確立させるための場であり、
「この私」を挫折させる場であるという考え方は、近頃私の中で
芽生えてきた「死んだり、後に後遺症を残すものでない限り、
痛い目にあっておいた方が良い」という考え方に一致します。
ですから、私にとって、この学校の役割は非常に納得できます。
第二部は、宮台、上野、尾木、水村、村上諸氏の意見の検証と
なっていますが、私の感覚では公平な検証になっていないように
思えます。ただし、検証から展開される著者の自説は面白いです。
このような子ども論・若者論の本ははじめて読んだのですが、
著者が提示する新しい子どものモデル(説明方法)は納得でき、
現在の状態をうまく説明できていると思います。ただし、
日本国外の学校との比較が無いのが残念です。
15人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2014年3月13日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
精神分析学の考えが正しいと盲目的に信じられる元先生が,えらそーに書いただけで,自分でも論旨を整えられていない駄作。
社会的構成とかポストモダン,という概念がまったくないんだろうね。
モデルネで止まった頭に理解できないことを,近代という言葉で説明したら矛盾ができた,みたいな。

どうにもできない2点だけ。

筆者は,最終的にはまず子どもを近代的な個にする必要があるという立場をとる。
ところが,それがうまく形成できなくなった1980年代について,初めのほうでこう書いている。
「教師が子どもたちに教育的力を加えられるのは,子ども(若者)たちが「児童」や「生徒」として学校に現れたときであり,自由で主体的な「個」(近代的個人)として自己主張されたらもう収集がつかないということであった」(15)
共同体と市民社会という2つの軸を設定して,偉そうに講釈しているが,子どもをどう見るかが最初と最後で矛盾した本のどこを信じたらいいのか。

贈与が無償だなんてなに馬鹿なこと言ってるのか。
人類学では,贈与は受領を必要とし返礼を伴うと考えているし,返礼できないことが両者の地位に影響すると考えられているのに。

ほかの人が書いているように,教育議論に対するリテラシーのレッスンだという第2部は,本文を適切に引用しないので判断しようもないテキストになってるし,こんな先生に教えられたら,わかるものもわからないだろうな,と。
子どもの判断が主観に凝り固まっていると,その主観性を批判する前に,客観的にわかるように提示したらいい。
11人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2009年6月28日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
学力低下をはじめ,学校ではさまざまなことが問題にされている. 著者は,教師がかわったわけではなくて,1980 年代にはいって,こどものありようがおおきくかわったことがその原因にあるという. ジャーナリズムでは 「こどもが変だ!」 という表現はタブーになっているため,教育問題はいつも学校,教師,文科省などのせいにされるのだという.

NHK スペシャルでとりあげられた,おおくのこどもが 「人間は死んでも生き返る」 と信じているということがとりあげられているが,著者は 「学校で教えられる近代の知識とは,むしろこどもたちの感覚とは衝突するものが多い. そして現代のこどもたちは,客観的な事実 (科学) よりも 「この私」 の感覚のほうを大事にする.」 と書いている. そして,著者はこどもに 「近代」 をおしえることの重要性を説いている. しかし,学校教育というものがはじまって以来つづいてきたはずの近代をおしえることで問題が解決するのなら,もうとっくに解決されているはずではないだろうか? これはむしろ時代錯誤であるようにおもえる.
7人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2008年4月30日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
子どもが変わった・・・
昨今よく言われる言葉である。ではどのように変わったのか、いつ頃から変わったのか。
そしてもっとの重要なことはどのように対応していくのか。
プロ教師の会代表として、長年現場で子どもたちを見てきた著者が豊富な経験と深い見識を基に教育の実情を分析し、あるべき姿を追求しているの本書である。

子どもたちが変わった最大の要因。
それは消費主体としての個を確立していることである。消費の主体としての個は金銭と商品を等価交換する。同じ額の金銭であれば誰が持っていようと同じ価値を持つ。たとえ子どもであっても。そのようにして個を確立した子どもたちは学校においても等価交換の原理で望む。

しかし、等価交換には重要な問題がある。
交換するには価値を知ることが必要なのである。価値を知らなければ交換の代償を計り得ない。そして教育というものはそもそもその時点でで価値がわからないから意味があるとも言える営為である。そこで子どもが代償として提示できるものは不快感だけである。自分の時間と労力の代償として不快感を表出するという分析は衝撃的であった。
教育の持つ贈与という前近代的な部分が消費社会とは相容れないのである。

では教育はどこへゆくべきなのか。
これだけ教育を巡る混沌が深まる現在、教育の再定義が要請されているように思える。
本書にはその処方箋の一つが記されているように感じた。
9人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2014年10月4日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
学校関係です 今の状況を見ていて考えることを、そのまま文字にしてくれているのが気分爽快でした ありがとうございました
2005年11月11日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
すこし難しいところがありましたが、全編読み通しました。近年の青少年犯罪はどうにも理解しがたいものがありましたが、オレ様状態の若者が増えているのだと理解しました。
文中に出てくる、平気でうそをつく子達。うそが通ると信じている子達。うそをついている間に、本人も自分のうそを本気で信じてしまっているのでしょう。
でもこの状態は子供だけに限りません。大人でも同じように、本当は自分が犯人なのにテレビのインタビューでは堂々と被害者の振りをしている人達がたくさんいるではありませんか。本人達にはうそをついている意識はないのだと思います。本当に信じているのです。
解決法はしめされていませんが、それは私達が考えていかなければならないということだと思います。問題意識を持つため、教師に限らず、大人(若者も)は読んでおいたほうがいい本だと思います。
15人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2016年4月8日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
オレ様化する考えを支える根拠に信憑性が全くない。筆者の主観的考えが述べられているにすぎない。タイトルについての話題が途中から全く出てこず、話が抽象的すぎて結局何を言いたいかが分からない。
7人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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