「草稿」を読みたくて数年前にアマゾンで注文。しかし読むのに数ヶ月はかかるだろうと予想をして積読状態。ついに意を決して読むが、時間がかかることかかること。「論考」で1ヶ月費やしたが、問題は「草稿」。どう読めばいいのか戸惑った。読むのに2ヶ月以上かかった。
本書は4000円以上もして結構いい値段だが、他の翻訳に比べると読みにくかった。わたしから見ると、「論考読みにくいランキング」でいくと
1.大修館版
2.中公クラッシック版
3.岩波版
4.光文社版
5.法政大出版版
で堂々の第一位だと思う。「論考」に関して言えば、ウニベルシタスがピカイチだと思う(理由は『論理哲学論考』法政大学出版会版のレビュー参照)。
本書は単に『論考』のアイデアを書きとめたメモである「草稿」があることが大きな特徴であるだけであり、「草稿」は以下に書く通り『論考』の参考書としても読めないみたいだ。
以下感想。
「論考」
すでに何冊か翻訳を読んでいるが、今回強く感じたのが「『論考』の本当に難しい箇所は6.3から7まで」ということ。今まで記号が出てくる4や5あたりが難しいと感じていたが、読めないわけでもない。しかし力学やら時間や空間、意志、倫理学、死、魂、神秘的、生の問題などが語られているところは正直理解できなかった。使われている文もことばも平易なのだが(さすがに沈黙せざるえない問題だ。わかりにくいハズ)。逆にその前の論理記号の出てくる見た目難しい「世界を論理命題で語ること」については理解できた感じもする。
すでに他の『論考』のレビューでも書いたことだが、『論考』は書き込みしなければ読めない。小説を読むような読み方では絶対に読めない。当然速読なんて絶対できまい。関連のありそうな文は線で結んで印をつける。パズルのピース探しのように。
特に毎回読んでいて悩ましく感じるのが各所で言い換えが行われていること。
例えば
「2.202 像は論理空間における可能的状態を描出する」と「2.203 像は、それが描出する状態の可能性を含んでいる」は像、可能、状態、描出をいうことばを並び替えている。
「3.203 名は対象を意味する。対象が名の意味である」は名、対象、意味ということばを並べ替えている。
「3.316 命題変項がいかなる値を想定してよいかは、確定されている。これらの値の確定がすなわち変項である」も値、確定、変項ということばが並び替えられている。
このようなところが「論考」の読みにくいところであろう。
そしてよく使われることば「意義」と「意味」の違いはよく把握しておいた方がいいであろう。
意義(Sinn )記号の思想内容、命題
意味(Bedeutung)記号が指示するものやこと 名
本書を読む上で意識する必要があろう。
「草稿」
『論考』以上に難解。第一次世界大戦中にウィトゲンシュタインがアイデアを日記に書いたメモだが、日記のために年月日が書かれており、『論考』のどこにある基本アイデアなのかわかるように編集されている。じつはウィトゲンシュタインはバラバラのアイデアを『論考』において体系的に並び替えたことがよくわかる。
例えば1914年10月19日に5.526のアイデア、翌20日には2.17と2.18、5.512、4.023のアイデア、さらに21日には2.203、3.02、3.12のアイデアがメモに書かれている。決して4.1、4.11、4.111、4.12...と順番に考えられたというわけではないのだ。
そしてこの「草稿」を読んでいて特に気が付くのが2つのキーワード。「命題と事態」である。世界は命題で記述できる(1914年10月19日)。そして事態とは『論考』の2.01にあるように「諸対象(事物、もの)の結合」であり、1にある「世界とは実情であることがらの全てである」そして2の「実情であること、即ち事実とは、諸事態の存立である」ということから1+2=「世界とは諸事態の存立であることがらの全てである」ということになり、つまり「世界」のことであることがわかる。つまりポイントは「命題と事態」ということに他ならない。
またウィトゲンシュタインは「Pと~P」「否定」「同語反復」「完全に一般的な命題」「複合物と単純」に異常なほどのコダワリがあったのを見て取ることができる。
とても興味深いのは1916年6月11日を境に急に神やら世界、幸福、不幸、意志、生について述べられている。今までは論理について述べられているのだが、『論考』同様に何の脈略もなく急にこのような問題が出てくる。何らかの環境の変化、心理的変化が戦場のウィトゲンシュタインにあったのであろう。
そしてメモの最後は自殺について。なぜ自殺なのか、あまりにも突拍子もないために、理解に苦しむ。恐らく戦場で何かがあったのだろうが、それを知る資料はない(『ウィトゲンシュタインの秘密日記』という本も見てみたが、肝心の1917年1月10日の記述はなかった。本当に役に立たない本だと思う。わたしはこの本のレビューで一つ星をつけた)。
「草稿」はアイデアが浮かぶがままに書かれており、決して論理付けて順番に書かれているわけではない。そのためにやや支離滅裂ぽいところもある。そこが読みにくい所以である。ただし全く関連がないわけではなく、たとえば「完全に一般的な命題」ということばが急に1914年10月14日(P145)に現れ、その後2週間ほどこの問題に関してああでもない、こうでもないとウィトゲンシュタインは独り言のごとく書いている。
そして「編集者の序言」に書いてあるが、「この資料に示されている見解が『論考』のそれと異なっていると思われる場合に、両者を調停する必要はない」「この資料を、『論考』の特定の解釈の典拠として無造作に用いるべきではない」(P124 )そうだ。
また訳注にもあるが、「草稿」と『論考』で使われている用語の意味が異なる部分もあるそうだ(p383、p384)。
また難解ゆえに訳者も何箇所か理解不可と吐露している(たとえばP385の訳注22や27)。研究者の訳者でさえわからんと言うほど。素人が読んでも太刀打ちできないのも仕方がなし。
つまり「草稿」はあくまでアイデア集であり、違いが見られた場合にどちらが正しいかということではなく、ウィトゲンシュタインの思想の変化を知る上で参考になるのであり、『論考』を理解する上での参考書として用いるべきではないということである。
付録Ⅰ
「論理に関するノート」
「草稿」と異なり、とても読みやすくわかりやすい。これこそが「論考」入門書だと思う。しかしこれ、本当にウィトゲンシュタインが書いたのかやや疑わしい。用語の説明とかとてもわかりやすい。これを一番最初に読むべきだと思った。
付録Ⅱ
「ノルウェーでG.E.ムーアに対して口述されたノート」
ここでよく使われていることば。それは「語ること」と「示すこと」である。そして「名」と「関係」について、「命題」と「事実」について述べられている。また~やv、φなどのシンボルについて長々と分析がなされている。
付録Ⅲ
「ラッセルにあてたウィトゲンシュタインの手紙の抜粋」
全く師のラッセルへの失礼千万な手紙。ラッセルのタイプ理論はすべて片付けてしまわなければならないなどと言っている(P343)。特に興味深かったのが、ラッセルが質問したことへのウィトゲンシュタインの返事のところ。ラッセルも「事実」と「事態」の違いがわからなかったみたいだ(P354)。
そして1920年5月6日の手紙。ラッセルの序文が気に入らないことを、そしてその序文のせいで自分の論文は出版されなくなるという不満を述べている(P357)。
「論理形式について」
ウィトゲンシュタインはこれを自らの著作とは認めていなかったみたいだが、普通に書けば書けるのだとウィトゲンシュタインの実力を認めずにはいられないかった。ここではメインは原子命題について。そして現実と命題の関係について考察されている。日常言語では誤解が生じてしまう。そのために記号法を用いる(P363)。ウィトゲンシュタインの基本がここに書かれている。
わたしのように『論考』に魅了された変人?変態?には必読本であろうが、わざわざ翻訳もわかりにくい、値段も高い、しかも『論考』の参考書にもならない本書を一般読者は買って読む必要はないと思う。もっと廉価な岩波文庫版でいいと思う。しかし『論考』だけ読んでもおそらくそれ以外にウィトゲンシュタインが考えていたその細かなアイデア、ニュアンスはつかめないと思う。「草稿」を読んでこそウィトゲンシュタインの考えていたことの周辺事項について知ることができると思う。
『論考』のちがう側面を知りたい、この手の本を読んで快感を得たい人向けのマニア変態本。知的変態のあなたは読むべし。
Kindle 端末は必要ありません。無料 Kindle アプリのいずれかをダウンロードすると、スマートフォン、タブレットPCで Kindle 本をお読みいただけます。
無料アプリを入手するには、Eメールアドレスを入力してください。
