仏教にしても、他の宗にしても、
ようするに、宗教事業家の事業であるということ。
人類が、あまり賢くないから成立している業種であろうが、
キリスト関連の宗教事業が、いどのようにして発展したかを解明した書籍。
宗教とは、人類に信仰心を利用した事業であることを再認識できます。
もっとも、
信仰心を無視すれば、この手の詐欺には引っかからないでしょう。
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イエス・キリストは実在したのか? 単行本 – 2014/7/10
レザー アスラン
(著),
Reza Aslan
(原著),
白須 英子
(翻訳)
&
0
その他
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全米騒然の大ベストセラー
救世主(キリスト)としてのイエスは実在しなかった。いたのは、暴力で秩序転覆を図った革命家(ゼロット)としてのイエスだった。
救世主(キリスト)としてのイエスは実在しなかった。いたのは、暴力で秩序転覆を図った革命家(ゼロット)としてのイエスだった。
- 本の長さ363ページ
- 言語日本語
- 出版社文藝春秋
- 発売日2014/7/10
- ISBN-104163900934
- ISBN-13978-4163900933
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商品の説明
内容(「BOOK」データベースより)
「聖書」はもともと、イエスの死後布教に携わったイエスの使徒たちの手紙や文書を、ひとつに編んだもの。著者は、それぞれの弟子たちの文献、聖書以外の歴史的な史料を比較調査することにより、聖書で、何が捏造され、何が史実から落とされていったかを明らかにしていく。イエスとは実際にはどのような人物だったのか?そしてイエスは何を実際に説いていたのか?そしてそれがどのように変質して、世界宗教へと飛躍していったのか?「聖書」の物語と、実際の史実の差から見えてきたものとは?イスラム教徒による実証研究。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
アスラン,レザー
作家・宗教学者。1972年テヘラン生まれ。1979年イラン革命時に家族とともに米国に亡命。サンタ・クララ大学で宗教学を学んだあと、ハーヴァード大学神学大学院およびアイオワ大学創作学科小説部門で修士号取得。同大学でトルーマン・カポーティ基金小説部門の特別研究員およびイスラーム入門講座の講師を務めたあと、カリフォルニア大学サンタ・バーバラ校で宗教史の博士号を取得。現在、同大学リバーサイド校創作学科准教授
白須/英子
翻訳家。日本女子大学英文学科卒業(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
作家・宗教学者。1972年テヘラン生まれ。1979年イラン革命時に家族とともに米国に亡命。サンタ・クララ大学で宗教学を学んだあと、ハーヴァード大学神学大学院およびアイオワ大学創作学科小説部門で修士号取得。同大学でトルーマン・カポーティ基金小説部門の特別研究員およびイスラーム入門講座の講師を務めたあと、カリフォルニア大学サンタ・バーバラ校で宗教史の博士号を取得。現在、同大学リバーサイド校創作学科准教授
白須/英子
翻訳家。日本女子大学英文学科卒業(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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登録情報
- 出版社 : 文藝春秋 (2014/7/10)
- 発売日 : 2014/7/10
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 363ページ
- ISBN-10 : 4163900934
- ISBN-13 : 978-4163900933
- Amazon 売れ筋ランキング: - 259,132位本 (の売れ筋ランキングを見る本)
- - 661位キリスト教入門
- - 720位キリスト教一般関連書籍
- カスタマーレビュー:
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邦題がいかにも煽りという感じだが、原題は「革命家 ナザレのイエスの生涯とその時代」である。
聖書において描かれている「救世主イエス」ではなく、歴史上の人物としてのイエスと、それがいかにして現在の聖書のようになるのかを考察している。
本書は三部構成になっている。
第一部では、エルサレム陥落に至るまでの、ローマとユダヤ人の歴史が概観されている。
この部分ではイエスはあまり出てこないが、イエスを理解する背景に当たる部分なので、長めに解説が行われている。
ローマの露骨なまでの支配とそれに協力するユダヤ支配層、それに対しユダヤ人の多くは不満を持っており、終末的世界観を持って「自分こそユダヤ人の王」と名乗り反乱を起こす人は多数いた。
イエスもこの中の一人なのだが、革命家は次々と処刑され、最後の大規模反乱ののちにはローマによって大虐殺が行われ、ユダヤ人は散り散りになってしまう。
第二部はイエスの生涯が扱われ、聖書中の記述は多く史実と異なる点が指摘されている。
イエスに洗礼を授けたヨハネの無視ないし軽視、彼の兄弟姉妹の存在の軽視(これは処女懐胎との整合性問題とされている)、ピラト裁判で圧制者ピラトがなぜかよく描かれている点(これはローマへの布教のためとされている)などが挙げられている。
大工の息子であるイエスが無学で、ヘブライ語をほとんど解せず、アラム語も読み書きは出来なかったであろう点も繰り返し指摘されている。
イエスは奇跡を起こす職業的祈祷師で、それはユダヤ教の支配秩序を覆す(悪魔祓いは祭司のみが可能で、多くの貢物を必要とすることになっていた)ものであるがゆえに危険視され、最終的にはとらえられて処刑された。
第三部ではイエスの死後のキリスト教の変容が描かれる。
復活信仰がこれまでのユダヤ教にない異質なものであること、にもかかわらず弟子たちが復活を信奉し、処刑されてもなお復活の証言を撤回しなかったことは、その後のキリスト教形成に大きな影響を与えた。
しかし最重要人物はパウロである。ファリサイ派からキリスト教に転向した彼は、イエスには会ったこともない人物だが、彼こそが元々はユダヤ教徒を対象としていたイエスの思想を、離散ユダヤ人や異教徒にまで広げようとしたのである。
離散ユダヤ人はそのためユダヤ教を「柔軟に」解釈することが可能となり、イエスの思想とは逆にモーセの律法等が無視されて新しい教えへと変容していく。
また、生前のイエスを知らないという弱みが、パウロに自身を「最初の使徒」と言わせたり、数多くの書簡を送って自身の立場を強めようとしたりした。
イエスの継承者は弟ヤコブのはずであり、当初はパウロもかなわなかったが、エルサレム陥落とユダヤ人虐殺によってパウロの側の教えが生き残ることとなった。
聖書解釈については全体に強引さが目立つ(イエスの暴力や革命についての立場はあまり明快とは思わなかった)ものの、歴史におけるイエス像を見るという本書の試みは非常に面白いと思う。
聖書と暴力の関係については キリスト教と戦争 (中公新書) の方が、聖書の両義性を正面から扱っているように見た。
本書ではパウロ以降の聖書形成過程はあまり書かれていないので、そのあたりは 歴史の中の『新約聖書』 (ちくま新書) などで補うとよいだろう。
キリスト教の複雑な歴史を垣間見れる著作だと思う。
聖書において描かれている「救世主イエス」ではなく、歴史上の人物としてのイエスと、それがいかにして現在の聖書のようになるのかを考察している。
本書は三部構成になっている。
第一部では、エルサレム陥落に至るまでの、ローマとユダヤ人の歴史が概観されている。
この部分ではイエスはあまり出てこないが、イエスを理解する背景に当たる部分なので、長めに解説が行われている。
ローマの露骨なまでの支配とそれに協力するユダヤ支配層、それに対しユダヤ人の多くは不満を持っており、終末的世界観を持って「自分こそユダヤ人の王」と名乗り反乱を起こす人は多数いた。
イエスもこの中の一人なのだが、革命家は次々と処刑され、最後の大規模反乱ののちにはローマによって大虐殺が行われ、ユダヤ人は散り散りになってしまう。
第二部はイエスの生涯が扱われ、聖書中の記述は多く史実と異なる点が指摘されている。
イエスに洗礼を授けたヨハネの無視ないし軽視、彼の兄弟姉妹の存在の軽視(これは処女懐胎との整合性問題とされている)、ピラト裁判で圧制者ピラトがなぜかよく描かれている点(これはローマへの布教のためとされている)などが挙げられている。
大工の息子であるイエスが無学で、ヘブライ語をほとんど解せず、アラム語も読み書きは出来なかったであろう点も繰り返し指摘されている。
イエスは奇跡を起こす職業的祈祷師で、それはユダヤ教の支配秩序を覆す(悪魔祓いは祭司のみが可能で、多くの貢物を必要とすることになっていた)ものであるがゆえに危険視され、最終的にはとらえられて処刑された。
第三部ではイエスの死後のキリスト教の変容が描かれる。
復活信仰がこれまでのユダヤ教にない異質なものであること、にもかかわらず弟子たちが復活を信奉し、処刑されてもなお復活の証言を撤回しなかったことは、その後のキリスト教形成に大きな影響を与えた。
しかし最重要人物はパウロである。ファリサイ派からキリスト教に転向した彼は、イエスには会ったこともない人物だが、彼こそが元々はユダヤ教徒を対象としていたイエスの思想を、離散ユダヤ人や異教徒にまで広げようとしたのである。
離散ユダヤ人はそのためユダヤ教を「柔軟に」解釈することが可能となり、イエスの思想とは逆にモーセの律法等が無視されて新しい教えへと変容していく。
また、生前のイエスを知らないという弱みが、パウロに自身を「最初の使徒」と言わせたり、数多くの書簡を送って自身の立場を強めようとしたりした。
イエスの継承者は弟ヤコブのはずであり、当初はパウロもかなわなかったが、エルサレム陥落とユダヤ人虐殺によってパウロの側の教えが生き残ることとなった。
聖書解釈については全体に強引さが目立つ(イエスの暴力や革命についての立場はあまり明快とは思わなかった)ものの、歴史におけるイエス像を見るという本書の試みは非常に面白いと思う。
聖書と暴力の関係については キリスト教と戦争 (中公新書) の方が、聖書の両義性を正面から扱っているように見た。
本書ではパウロ以降の聖書形成過程はあまり書かれていないので、そのあたりは 歴史の中の『新約聖書』 (ちくま新書) などで補うとよいだろう。
キリスト教の複雑な歴史を垣間見れる著作だと思う。
2018年6月27日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
著者は亡命イラン人で青春の若き日にキリスト教に入信し、再びイスラム教に帰教した人です。イエスについて歴史的事実に基づいて考えようとしているので著者の宗教や生い立ちは関係なさそうに見えますが、もともと資料が少ない古代のことなのでどうしても想像や推測で話を進めざるを得なくなります。そこが歴史家の人格が反映するところでもあります。キリストが復活したというのは「ありえない」という常識にたった上で丁寧に話をしています。また、聖パウロと他の使徒たちの反目についても書いています。ただ、使徒たちの教えと違う教えを述べたことでパウロが孤立していたが、エルサレム崩壊で使徒直系の集団が散り散りになり、パウロが大きな力を持ったというのはちょっとあり得ないかなと思いました。人の心というのはそんなに簡単なものでもないかと思います。見向きもされない人は、注目されている人が去ろうとも、やはり集団の中心にはなれません。してみるとパウロは最初から大きな力を持っていたと考えるべきでしょう。また、「イエスを信じれば救われる」というパウロの教えと「主よ、主よ、と呼ぶものが必ずしも皆天国に行くわけではない」という使徒直系の教えは別に対立はしません。このことは後の時代にカトリック教会とルター派の協約の中で確認もされています。
それでも、この種の「歴史上のイエス」に関する本はあまり多くはありませんが、良心的に文献に基づいた丁寧な筆致に、読んだ後もっと他の本を読みたくなる本でした。
それでも、この種の「歴史上のイエス」に関する本はあまり多くはありませんが、良心的に文献に基づいた丁寧な筆致に、読んだ後もっと他の本を読みたくなる本でした。
2019年8月1日に日本でレビュー済み
内容は、ここ数十年の研究から判明した歴史から考察する実在したイエスの考察の書です。当時の歴史的背景を知る上で便利な一冊です。
一方で神学を学んでいる人からすると、そこをそう解釈しちゃうの?と残念な箇所が見受けられます。
例えば著者はエルサレムの神殿崩壊が後付けされた理由に、マタイとルカの福音書の書かれた時期が遅いことをあげていますが、マルコの福音書(66〜70年頃)については意図的に避けているかのようです。また、各福音書が書かれた時期についても、多くの学者が書かれたとしている年代よりも、この著者は出来るだけ後ろの年代に書かれたと説明します。わざとか?お前わざとだろ?と読んでいて感じます。
あと、ヨセフスの歴史は疑問無しに受け入れるのに、福音書やルカの使徒言行録の記載については、ルカはパウロへの思い入れが強いからダメと否定しているあたり、自説に都合が悪いものは理由を適当にでっち上げて排除させる傾向を見てしまいます。
後半、パウロとヤコブが書簡の中で教えが食い違うと著者が論じている点についても、異邦人の割礼の必要の有無や、ユダヤ教特有の食物規定についてパウロやヤコブは異邦人にはそれらの行為が必要ではないという点では一致しているにも関わらず、敢えて言葉尻だけを引用して対立を起こすような内容に仕上げています。
歴史的な部分については一定の評価が持てるのですが、神学的な部分においては所々陳腐な箇所が評価を下げます。
著者が若い時はキリスト教徒で、後にイスラム教に改宗し、そしてこの本を書いているというのも何となく「かつてキリスト教徒だった私がきっぱりとキリスト教に縁を切った理由」みたいな雰囲気を感じる点です。
一方で、本書の後に記載されている膨大な参考文献リストと、それらの解説リストは、特にそういった恣意的な書き方から解放され、極めてニュートラルな内容となっております。読者の方が歴史、神学を研究されている人であれば、本書のメインパートは読まずに、こちらの参考文献リストだけを目を通した方が良い研究が出来るかと思います。
歴史研究書としての評価は高く付けれる内容ですが、神学の知識に乏しさを感じ、またそれが足を引っ張っている内容に思えるので、個人的には余り評価出来ない一冊となりました。
一方で神学を学んでいる人からすると、そこをそう解釈しちゃうの?と残念な箇所が見受けられます。
例えば著者はエルサレムの神殿崩壊が後付けされた理由に、マタイとルカの福音書の書かれた時期が遅いことをあげていますが、マルコの福音書(66〜70年頃)については意図的に避けているかのようです。また、各福音書が書かれた時期についても、多くの学者が書かれたとしている年代よりも、この著者は出来るだけ後ろの年代に書かれたと説明します。わざとか?お前わざとだろ?と読んでいて感じます。
あと、ヨセフスの歴史は疑問無しに受け入れるのに、福音書やルカの使徒言行録の記載については、ルカはパウロへの思い入れが強いからダメと否定しているあたり、自説に都合が悪いものは理由を適当にでっち上げて排除させる傾向を見てしまいます。
後半、パウロとヤコブが書簡の中で教えが食い違うと著者が論じている点についても、異邦人の割礼の必要の有無や、ユダヤ教特有の食物規定についてパウロやヤコブは異邦人にはそれらの行為が必要ではないという点では一致しているにも関わらず、敢えて言葉尻だけを引用して対立を起こすような内容に仕上げています。
歴史的な部分については一定の評価が持てるのですが、神学的な部分においては所々陳腐な箇所が評価を下げます。
著者が若い時はキリスト教徒で、後にイスラム教に改宗し、そしてこの本を書いているというのも何となく「かつてキリスト教徒だった私がきっぱりとキリスト教に縁を切った理由」みたいな雰囲気を感じる点です。
一方で、本書の後に記載されている膨大な参考文献リストと、それらの解説リストは、特にそういった恣意的な書き方から解放され、極めてニュートラルな内容となっております。読者の方が歴史、神学を研究されている人であれば、本書のメインパートは読まずに、こちらの参考文献リストだけを目を通した方が良い研究が出来るかと思います。
歴史研究書としての評価は高く付けれる内容ですが、神学の知識に乏しさを感じ、またそれが足を引っ張っている内容に思えるので、個人的には余り評価出来ない一冊となりました。
2018年8月19日に日本でレビュー済み
内容はとても読みやすい。イエスが活動していた時代とその前後の時代のことが良く分かる。また、イエス信奉者たちの争いも、面白い。
大きなマイナスポイントは、この邦訳版の題名である。あたかも本書がイエスという人の存在自体について議論した本であるかのような題名となっている。明らかにそのようにミスリードすることを意図してつけられた題名であり、原著の品格を貶めている。(この邦訳版題名については、若松氏による巻末の解説でも「説明が必要かもしれない」と書かれている。)
大きなマイナスポイントは、この邦訳版の題名である。あたかも本書がイエスという人の存在自体について議論した本であるかのような題名となっている。明らかにそのようにミスリードすることを意図してつけられた題名であり、原著の品格を貶めている。(この邦訳版題名については、若松氏による巻末の解説でも「説明が必要かもしれない」と書かれている。)
2014年10月6日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
キリスト教がなぜこれほど普及し、人類の歴史に影響を与え続けているのかという素朴な疑問について、すこし明らかになったような気がします。(まだまだ疑問は多いですが・・・) 紀元前後当時のユダヤには、救世主を名乗る国家破壊活動者が大勢いたとのこと。キリストと同時に磔の刑を受けた人物が2名もいたし、ゴルゴダの丘とは「骸骨の丘」の意味だったそうですから。
そんな中、ナザレのイエスのみが、後に救世主として崇められ、キリスト教として普及しました。というのも、キリストの復活を目撃した大勢の人の中に、パウロという司祭階級のインテリがおり、自ら教義を編み出して、熱心に布教したからです。イエス・キリスト自身の考えとも微妙に異なっていたとされるパウロのキリスト教が、ローマ人に信仰されるようになって、世界的な普及につながったとされます。
ナザレのイエスはユダヤ12支族による王国の再建を夢見ており、いわばユダヤ人世界に生きてきた人です。キリスト教のその後の有り様は、イエスの目にはどう映ったのでしょうか。
そんな中、ナザレのイエスのみが、後に救世主として崇められ、キリスト教として普及しました。というのも、キリストの復活を目撃した大勢の人の中に、パウロという司祭階級のインテリがおり、自ら教義を編み出して、熱心に布教したからです。イエス・キリスト自身の考えとも微妙に異なっていたとされるパウロのキリスト教が、ローマ人に信仰されるようになって、世界的な普及につながったとされます。
ナザレのイエスはユダヤ12支族による王国の再建を夢見ており、いわばユダヤ人世界に生きてきた人です。キリスト教のその後の有り様は、イエスの目にはどう映ったのでしょうか。
2014年9月19日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
アメリカ人でイスラム教徒が書いたものだか、極めて第三者的な研究成果。私個人はキリスト信者ですが、日頃から、この本の主題と同じ疑問を持っていたので興味深く読みました。イエスキリストは実在していたが、決して「神の子」ではなく、洗礼者ヨハネに感化された「ユダヤ独立運動主義の若者(メシア疑似派)」だったようです。しかし、読み書きも出来ない田舎者。この本の推定は、同じく「使徒言行録」をベースとして書かれた藤沢(遠藤)周作の「キリストの誕生」と言う本と通底するところが多い。その他、最初に書かれた「マルコの福音書」が、最もキリストの実態が書かれていると指摘していることも通説と一致している。
では、キリスト教とは何か。いわゆる「奇跡」と呼ばれるキリストの「神業」が大事なのではなく、キリストの弟子達が布教の中で苦しんで、それを聖書に書き残した、数々の教訓にこそ、「キリスト教の価値」があるように思います。これは、「仏教」と同じ部分が多い。このことは、仏教は紀元前500年に生まれたそうですから、キリスト教の誕生に、仏教との接触(ギリシャ文化を通じて)はあった可能性も否定できない。
では、キリスト教とは何か。いわゆる「奇跡」と呼ばれるキリストの「神業」が大事なのではなく、キリストの弟子達が布教の中で苦しんで、それを聖書に書き残した、数々の教訓にこそ、「キリスト教の価値」があるように思います。これは、「仏教」と同じ部分が多い。このことは、仏教は紀元前500年に生まれたそうですから、キリスト教の誕生に、仏教との接触(ギリシャ文化を通じて)はあった可能性も否定できない。
2017年9月8日に日本でレビュー済み
キリスト教における神話化されたイエスではなく、実在の「史実イエス」の実像にどこまで迫れるかという内容。
いわゆる「新発見」とか「新資料」はありません。
キリストについて描かれた一次資料が少なすぎるんで、しょうがないんです!
そのため、「史実イエス」についての記述は、当時の社会情勢をもとにした推論にならざるをえず、物足りなさを感じる人もいるでしょう。
でも、著者の力量や意思に関わらず、これが限界なのかなあと思います。
特に思想的な偏りもなく、よい本だと思います。
いわゆる「新発見」とか「新資料」はありません。
キリストについて描かれた一次資料が少なすぎるんで、しょうがないんです!
そのため、「史実イエス」についての記述は、当時の社会情勢をもとにした推論にならざるをえず、物足りなさを感じる人もいるでしょう。
でも、著者の力量や意思に関わらず、これが限界なのかなあと思います。
特に思想的な偏りもなく、よい本だと思います。