デモクラシー第1巻上下を読んで、第2部・第10章が一番面白かった。何が、面白かったかと言えば、それはアメリカのインディアン政策を教えてくれたからである。
読み通して思うのは論理と警句である(論理は法律家としての、警句は社会学者の先駆としての)。また、構築した見解を自ら、壊しているようなところがあるように私には思えた。貴族である作者が民主主義に抱く、分裂症気味な思いが時に噴出するのではないか。それが、逆に論文に止まらない、ジレンマに立ち向かう思想書となっていると思える。
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アメリカのデモクラシー 第1巻 上 (岩波文庫 白 9-2) 文庫 – 2005/11/16
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19世紀フランスの政治思想家 アレクシ=シャルル=アンリ・クレレル・ド・トクヴィル(1805.7.29〜1859.4.16)。裁判官や国会議員、外務大臣など三権をそれぞれ経験した政治家でもあるが、1831年4月から1832年の2月まで、ジャクソン大統領時代のアメリカ合州国の諸地方を旅して実地に取材し、アメリカ社会全般の透徹した分析を通して広い視野で近代デモクラシーを論じたのが本書である。現代の民主主義を考えるにあたって読み直すべき古典的名著であるが、1835年に刊行された第1巻(第2巻は1840年刊)では、アメリカ社会の具体的な分析を行なっている。
- ISBN-104003400925
- ISBN-13978-4003400920
- 出版社岩波書店
- 発売日2005/11/16
- 言語日本語
- 本の長さ364ページ
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登録情報
- 出版社 : 岩波書店 (2005/11/16)
- 発売日 : 2005/11/16
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 364ページ
- ISBN-10 : 4003400925
- ISBN-13 : 978-4003400920
- Amazon 売れ筋ランキング: - 84,707位本 (の売れ筋ランキングを見る本)
- - 47位政治史・比較政治
- - 638位岩波文庫
- - 9,714位ビジネス・経済 (本)
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2012年6月15日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
他のレヴュアーは恐らく全体を通読した上でレヴューされているものと思われますが、当方はこの第1巻上巻しか読めていません。
その上で本書の内容を振り返ると、当時のアメリカが「政教分離とDIY精神」から成り立っていたことが、一貫して述べられているように思われます。
まず、建国に関わったピューリタンはイギリス本国での下克上に失敗した敗残兵です。当初はアングリカンに取って代わろうとしていたものの、敗れたことから自分たちの信仰も容認してもらいたい、と考えます。そういう人達が自由な信仰を求めて移住、建国したわけですから、結果的にはピューリタンで一枚岩ながらも、「自由な信仰」、つまり、政治によって国教を押し付けるのではなく、国民が自由に選択した宗教を信仰する、という形で政教分離が実現します。フランス革命では絶対王政とカトリックが自由の敵と目されましたが、アメリカでは政教分離を通じてむしろ自由な信仰が保証され、そのような信教の自由を通じて自由一般が実現します。宗教信仰と自由の協調が見出されたわけです。
また(若干第1巻下巻も絡みますが)、連邦政府が国家主権の一部しか備えず、そのほとんどは飽くまで州が保持しています。その州自体、タウンからのボトムアップで成立しています。では、タウンはどう機能するのかというと、個人の協調によって、です。そもそも個人が自分のことは自分でやるというDIY精神を備え、その裏返しとして、だからこそ他人にはとやかく言われない自由を保持しています(その大本は下克上失敗の怪我の功名、政教分離です)。そのような自由で自立した個人が、近隣住民同士で利害の一致を見出します。つまり、生活する境遇が類似すれば、類似した利害にさらされ、同じような不便を覚えれば、その不便を克服するために近隣住民同士が協力する。そのように協力した人たちの集まりが、結果としてタウンとなるのであり、そのタウンの集まりから州が構成されるわけです。中間規模の郡は、むしろ、タウンが非力な場合に助力する州の出先機関のような位置づけのようです。
なお、ある著名人がトクヴィルが言う「平等」が機会の平等である、とブログで述べていましたが、これはどうなんでしょうか? 均分相続による名家の消失と経済的な画一化、これに伴うエリート教育の消失と広範になされる初等教育、こうして生まれる圧倒的多数の平均的な民衆の話など、トクヴィルは結果の平等についてこそ述べている、とは言えないでしょうか?
飽くまでトクヴィルが観察した当時の話がなされているので、現代のアメリカには当てはまらないことも多々あります(周知の通り、現代アメリカの格差はひどいものです)。むしろ、だからこそ、トクヴィルの主張の生かせる点、批判されるべき点を見極める必要があるでしょう。
ともかく、政教分離による自由の確立と、その自由に基づいた各個人のDIY精神。これが本書の底流に、常に流れているように思われます。
その上で本書の内容を振り返ると、当時のアメリカが「政教分離とDIY精神」から成り立っていたことが、一貫して述べられているように思われます。
まず、建国に関わったピューリタンはイギリス本国での下克上に失敗した敗残兵です。当初はアングリカンに取って代わろうとしていたものの、敗れたことから自分たちの信仰も容認してもらいたい、と考えます。そういう人達が自由な信仰を求めて移住、建国したわけですから、結果的にはピューリタンで一枚岩ながらも、「自由な信仰」、つまり、政治によって国教を押し付けるのではなく、国民が自由に選択した宗教を信仰する、という形で政教分離が実現します。フランス革命では絶対王政とカトリックが自由の敵と目されましたが、アメリカでは政教分離を通じてむしろ自由な信仰が保証され、そのような信教の自由を通じて自由一般が実現します。宗教信仰と自由の協調が見出されたわけです。
また(若干第1巻下巻も絡みますが)、連邦政府が国家主権の一部しか備えず、そのほとんどは飽くまで州が保持しています。その州自体、タウンからのボトムアップで成立しています。では、タウンはどう機能するのかというと、個人の協調によって、です。そもそも個人が自分のことは自分でやるというDIY精神を備え、その裏返しとして、だからこそ他人にはとやかく言われない自由を保持しています(その大本は下克上失敗の怪我の功名、政教分離です)。そのような自由で自立した個人が、近隣住民同士で利害の一致を見出します。つまり、生活する境遇が類似すれば、類似した利害にさらされ、同じような不便を覚えれば、その不便を克服するために近隣住民同士が協力する。そのように協力した人たちの集まりが、結果としてタウンとなるのであり、そのタウンの集まりから州が構成されるわけです。中間規模の郡は、むしろ、タウンが非力な場合に助力する州の出先機関のような位置づけのようです。
なお、ある著名人がトクヴィルが言う「平等」が機会の平等である、とブログで述べていましたが、これはどうなんでしょうか? 均分相続による名家の消失と経済的な画一化、これに伴うエリート教育の消失と広範になされる初等教育、こうして生まれる圧倒的多数の平均的な民衆の話など、トクヴィルは結果の平等についてこそ述べている、とは言えないでしょうか?
飽くまでトクヴィルが観察した当時の話がなされているので、現代のアメリカには当てはまらないことも多々あります(周知の通り、現代アメリカの格差はひどいものです)。むしろ、だからこそ、トクヴィルの主張の生かせる点、批判されるべき点を見極める必要があるでしょう。
ともかく、政教分離による自由の確立と、その自由に基づいた各個人のDIY精神。これが本書の底流に、常に流れているように思われます。
2015年4月4日に日本でレビュー済み
30年近く前になるが、大学で政治思想史を講じていた勝田吉太郎先生の著書を通じて、自由と平等のパラドクスや多数者の専制という現代民主主義の病理に警鐘を鳴らしたトクヴィルの所説に接し、左翼気分の抜け切らない青二才の評者は目から鱗が落ちる思いがした。悪名高い井伊玄太郎訳を英訳を参照しながら悪戦苦闘して読んだものである。長らく新訳が出なかったのが不思議なくらいだが、ようやくまともな日本語でトクヴィルが読めるようになった。ウィーン体制で復活したブルボン王政が1830年の7月革命によって瓦解し、ブルジョア支配体制が確立した直後、いち早くフランス革命の精神を体現した民主主義の母国アメリカに渡り、その見聞をもとに著した本書は、民主主義論の古典であるとともにアメリカ政治文化論の金字塔と言ってよい。
ただ何分1500頁を越える大著であり、文庫本とは言え全巻揃えると結構な出費でもある。導入にあたる本巻は、今となっては常識に属する(そして一部は古くなった)アメリカの憲法体制の教科書的叙述が大半を占めており、解説書や研究書などで引用・言及されることも少ない。評者が参照した英訳は抄訳であるが、現代の視点からあまり重要と思われない本巻該当部分はかなりカットされている。トクヴィルが本領を発揮するのは多数者の専制を論じた1巻の下からであるが、これも5年後に同じ論点を文明論的に掘り下げた続編である2巻との重複が多い。本書と並び称されるバークの『 [新訳]フランス革命の省察 「保守主義の父」かく語りき 』が佐藤健志氏の編集・抄訳でヒットしたが、暇のない社会人や金のない学生のために、本書にも抄訳版があってしかるべきと思う。
本巻で評者の印象に残った部分を挙げるとすれば、平等の進展と民主主義を積極的には信奉しないながらも、避けられない歴史の趨勢と観念し、徒らに排除するのではなく、その悪徳を緩和し美点を伸長する観点から本書執筆の動機を述べた序論や、民主主義の欠点を抑制する制度的枠組として、連邦制という一見複雑で非能率的なアメリカの政治システムを評価するところなどである。フランス革命がもたらした中央集権体制の強化に自由の圧殺を予見したトクヴィルならではの洞察が光っている。
(追記)『世界の名著』シリーズに入っていた抄訳 『 アメリカにおけるデモクラシーについて (中公クラシックス W 82) 』が復刊しました!
ただ何分1500頁を越える大著であり、文庫本とは言え全巻揃えると結構な出費でもある。導入にあたる本巻は、今となっては常識に属する(そして一部は古くなった)アメリカの憲法体制の教科書的叙述が大半を占めており、解説書や研究書などで引用・言及されることも少ない。評者が参照した英訳は抄訳であるが、現代の視点からあまり重要と思われない本巻該当部分はかなりカットされている。トクヴィルが本領を発揮するのは多数者の専制を論じた1巻の下からであるが、これも5年後に同じ論点を文明論的に掘り下げた続編である2巻との重複が多い。本書と並び称されるバークの『 [新訳]フランス革命の省察 「保守主義の父」かく語りき 』が佐藤健志氏の編集・抄訳でヒットしたが、暇のない社会人や金のない学生のために、本書にも抄訳版があってしかるべきと思う。
本巻で評者の印象に残った部分を挙げるとすれば、平等の進展と民主主義を積極的には信奉しないながらも、避けられない歴史の趨勢と観念し、徒らに排除するのではなく、その悪徳を緩和し美点を伸長する観点から本書執筆の動機を述べた序論や、民主主義の欠点を抑制する制度的枠組として、連邦制という一見複雑で非能率的なアメリカの政治システムを評価するところなどである。フランス革命がもたらした中央集権体制の強化に自由の圧殺を予見したトクヴィルならではの洞察が光っている。
(追記)『世界の名著』シリーズに入っていた抄訳 『 アメリカにおけるデモクラシーについて (中公クラシックス W 82) 』が復刊しました!
ベスト100レビュアー
ジェームズ・C.スコット『実践 日々のアナキズム―世界に抗う土着の秩序の作り方』(岩波書店)に、トクヴィルがアナキストの一人として紹介されていた(p.xxv)。正直驚いた。トクヴィルのどこがアナキストなのかを考えてみた。
1.アナキストとは
先日9月2日に亡くなったデヴィッド グレーバーの『アナーキスト人類学のための断章』(以文社)に、ピヨートル・クロポトキンによる説明が引用されている(p.32)。
「政府なき社会において「生」と「行い」に関する原理あるいは理論に与えられた名前である。そのような社会における調和は、法への服従や権威への従属によってではなく、生産と消費のために自由に形成された地域的/職業的なさまざまな集団の間で獲得される自由合意によって、かつ市民的存在のための千変万化の必要性や希望を満足させるために、得られるものである。」
どうだろう、これを聖人クロポトキンの言葉でなく、トクヴィルの言葉だとしても納得してしまうのではないだろうか。くれぐれもアナキストを無政府主義者と訳されるからといって、テロリストと同一視するべきではない。
2.トクヴィルは王政主義者か
アナキズムも誤解されていれば、トクヴィルも誤解されている。「民主主義においては、人々は自分たちにふさわしい政府を持つ」が、トクヴィルの言葉とされているが、正しくはジョゼフ・ド・メーストルのものだそうだ(ウィキペディア;「アレクシ・ド・トクヴィル」2020/9/7閲覧)。
ふさわしい政府とは、この言葉を発した者が属する政府ということで、アメリカ民主党の大統領候補者が発すれば、民主党の大統領ということになる。トクヴィルは特定の政治体制がよいとはいっていない。中央政府から距離を置いた、地方自治を、小さな政治の場を志向した。そして自発的結社を志向した。この辺がアナキストぽいところだ。
本書の第一巻下と『旧体制と大革命』では、フランス革命前に王権の下で、王権を除く他の平等はかなり実現していたと報告される。従って王権を評価しているように見える。
民俗学者の柳田国男は文化勲章を授与されており、およそ過激な印象のアナキズムとは縁遠い存在であるが、彼は明治の国家官僚、しかも宮廷官僚であった。そして柳田はアナキストであったとする論文がある(絓(すが) 秀実, 木藤亮太『アナキスト民俗学: 尊皇の官僚・柳田国男』筑摩選書)。トクヴィルも官僚(外相)であったし、ナポレオン三世のクーデターに巻き込まれて逮捕されるところなどアナキストぽい。
王権を評価しているように見えるのは、七月王政期(1847-1848)の首相をつとめたフランソワ・ギゾーのソルボンヌ大学での講義に、トクヴィルは多大な影響を受けたことからも類推できる。その講義は、フランソワ・ギゾー『ヨーロッパ文明史―ローマ帝国の崩壊よりフランス革命にいたる』(みすず書房)として出版されている。ギゾーの言葉、「どの時代にあっても権力が自分の力を過信すれば、必ず誤りを犯す」を、トクヴィルも信じていたのだろう。この点もアナキストらしい。
3.多数者による専制
アメリカの特徴を、隅々に及ぶ平等主義とトクヴィルは捉えた。人々は平等であるが故に個性もなく大衆の中に埋没し、多数派であることが唯一の権威になる。デモクラシーの危機は、無政府的な弱さにあるのではなく、この平等主義が生む「多数者の専制」の気まぐれに起因する。大衆化した個人は頼るものがなく、個人を保護する後見人たる国家に依存するようになり、国家の権力はますます大きなものとなる。こう分析するトクヴィルもアナキストらしい。
以上、トクヴィルはアナキストであるというスコットの指摘は正しい。ただ、「平等な社会」を志向するトクヴィルだが、「自由」を加えればもっとアナキストらしくなる。その際、アナキストを無政府主義者とくれぐれも訳さないで頂きたい。
1.アナキストとは
先日9月2日に亡くなったデヴィッド グレーバーの『アナーキスト人類学のための断章』(以文社)に、ピヨートル・クロポトキンによる説明が引用されている(p.32)。
「政府なき社会において「生」と「行い」に関する原理あるいは理論に与えられた名前である。そのような社会における調和は、法への服従や権威への従属によってではなく、生産と消費のために自由に形成された地域的/職業的なさまざまな集団の間で獲得される自由合意によって、かつ市民的存在のための千変万化の必要性や希望を満足させるために、得られるものである。」
どうだろう、これを聖人クロポトキンの言葉でなく、トクヴィルの言葉だとしても納得してしまうのではないだろうか。くれぐれもアナキストを無政府主義者と訳されるからといって、テロリストと同一視するべきではない。
2.トクヴィルは王政主義者か
アナキズムも誤解されていれば、トクヴィルも誤解されている。「民主主義においては、人々は自分たちにふさわしい政府を持つ」が、トクヴィルの言葉とされているが、正しくはジョゼフ・ド・メーストルのものだそうだ(ウィキペディア;「アレクシ・ド・トクヴィル」2020/9/7閲覧)。
ふさわしい政府とは、この言葉を発した者が属する政府ということで、アメリカ民主党の大統領候補者が発すれば、民主党の大統領ということになる。トクヴィルは特定の政治体制がよいとはいっていない。中央政府から距離を置いた、地方自治を、小さな政治の場を志向した。そして自発的結社を志向した。この辺がアナキストぽいところだ。
本書の第一巻下と『旧体制と大革命』では、フランス革命前に王権の下で、王権を除く他の平等はかなり実現していたと報告される。従って王権を評価しているように見える。
民俗学者の柳田国男は文化勲章を授与されており、およそ過激な印象のアナキズムとは縁遠い存在であるが、彼は明治の国家官僚、しかも宮廷官僚であった。そして柳田はアナキストであったとする論文がある(絓(すが) 秀実, 木藤亮太『アナキスト民俗学: 尊皇の官僚・柳田国男』筑摩選書)。トクヴィルも官僚(外相)であったし、ナポレオン三世のクーデターに巻き込まれて逮捕されるところなどアナキストぽい。
王権を評価しているように見えるのは、七月王政期(1847-1848)の首相をつとめたフランソワ・ギゾーのソルボンヌ大学での講義に、トクヴィルは多大な影響を受けたことからも類推できる。その講義は、フランソワ・ギゾー『ヨーロッパ文明史―ローマ帝国の崩壊よりフランス革命にいたる』(みすず書房)として出版されている。ギゾーの言葉、「どの時代にあっても権力が自分の力を過信すれば、必ず誤りを犯す」を、トクヴィルも信じていたのだろう。この点もアナキストらしい。
3.多数者による専制
アメリカの特徴を、隅々に及ぶ平等主義とトクヴィルは捉えた。人々は平等であるが故に個性もなく大衆の中に埋没し、多数派であることが唯一の権威になる。デモクラシーの危機は、無政府的な弱さにあるのではなく、この平等主義が生む「多数者の専制」の気まぐれに起因する。大衆化した個人は頼るものがなく、個人を保護する後見人たる国家に依存するようになり、国家の権力はますます大きなものとなる。こう分析するトクヴィルもアナキストらしい。
以上、トクヴィルはアナキストであるというスコットの指摘は正しい。ただ、「平等な社会」を志向するトクヴィルだが、「自由」を加えればもっとアナキストらしくなる。その際、アナキストを無政府主義者とくれぐれも訳さないで頂きたい。
2016年9月17日に日本でレビュー済み
内容の評価はもうほかの人たちが語りつくしていると思いますので もうちょっと感覚的なことを・・・
この本を読む体験というのがすごく気持ちいいんですね これは多分トクヴィルのアメリカでの実体験が沈潜していくときに トクヴィルの教養と深く結びついていることによっているんじゃないか・・・と なんか”調べました!”って感覚が全然ないんですね だから読んでるときに 一寸昔の人が書見台に向かって読んでいるような(・・・ってそんなことした事はないんですがね・・・イメージとして)明らかに現代とは異なる時間の流れがあって でもって立脚点は古典じゃなく近代を完全に見据えている これが幕末のころに書かれたってことに ものすごく嫉妬を覚えるなあ 死滅してしまった”教養”ってものに対する憧れと味わい深さは病みつきになる 決してむつかしい本じゃないにもかかわらず 言葉の端々から滲み出してくるんですね 政治というプロフェッショナルなジャンルになる前の教養としての政治のあり方を考えるうえでも貴重だと思いますが それよりもこの官能性を持った文体に浸るためだけでも十分おつりがくると思います また何年かしたらゆっくり読みたいと思わせる書物です
この本を読む体験というのがすごく気持ちいいんですね これは多分トクヴィルのアメリカでの実体験が沈潜していくときに トクヴィルの教養と深く結びついていることによっているんじゃないか・・・と なんか”調べました!”って感覚が全然ないんですね だから読んでるときに 一寸昔の人が書見台に向かって読んでいるような(・・・ってそんなことした事はないんですがね・・・イメージとして)明らかに現代とは異なる時間の流れがあって でもって立脚点は古典じゃなく近代を完全に見据えている これが幕末のころに書かれたってことに ものすごく嫉妬を覚えるなあ 死滅してしまった”教養”ってものに対する憧れと味わい深さは病みつきになる 決してむつかしい本じゃないにもかかわらず 言葉の端々から滲み出してくるんですね 政治というプロフェッショナルなジャンルになる前の教養としての政治のあり方を考えるうえでも貴重だと思いますが それよりもこの官能性を持った文体に浸るためだけでも十分おつりがくると思います また何年かしたらゆっくり読みたいと思わせる書物です





