論の展開に多々問題がある。
(1)推量の上に断定のせる論法。
これでは全くの砂上楼閣である。例えば、「〇〇であると断ずるしかない。何故なら、××であろうと考えられるからだ」といった文章が見受けられる。断定の根拠が推量になってしまっているのでは、断じ得る方が妙であろう。推量の文体と断定の文体が入り混じっていて、何が言いたいのかも伝わらなくなっている。
(2)学界では常識だ論法。
学界なんぞという如何にも権威ありげなものを出すことで論を正当化しようとしているが、きちんとした裏付けを示していない。学界というのはトンデモ学界なのかな、なんて思ってしまう。
(3)否定だったり肯定だったりフラフラ論法。
例えば、ヤマトヒメの実在性を否定し、神宮側の史料も肯定的でないと述べる。一方で、ヤマトヒメの名を冠する『倭姫命世記』を史料として扱ったり、『皇太神宮儀式帳』の記述からヤマトヒメは伊勢に常住していなかったなどと述べたりもする。結局、何が言いたいんだろう。
まだまだ細かい問題点をあげつらう事はできる。が、書評としての範疇を超えてしまうので、やめておく。この書にも幾許かの正解が含まれている可能性はある。しかし、その論法については全く首肯できる点がない。
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