今月号はインスタ映えに対する批判を編集部として行なっていました。引用すると編集長のことば(編集後記より)
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「インスタ映え」写真、見飽きました。この言葉が2017年の流行語大賞に選ばれてから1年半以上。
いま、コンテストの現場では、どこかで見たことがあるような写真ばかりが並びます。
「映える」写真と同じ場所を訪れて、同じ画角で撮影し、彩度とコントラストを強めて仕上げる。
一点だけ見れば目をひくことも否定はしませんが、たくさんあれば埋没してしまいます。
写真家の審査員の方々からも、必ずと言っていいほど「レタッチしすぎ」という声があがるこのごろ。
みなさんもうっかり罠にかかっていないか、見直してみませんか。
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しかしながらインスタ映え、合成など今のSNSを代表している某SNSグループと組んで写真展やそのグループで選ばれたメンバーを誌面で紹介しているのもアサヒカメラです。
インスタ映えを一番応援してきた写真雑誌と受け止めてきました。
であるのにどうして急にまた?と疑問を抱かずにはおられません。恐らく来年もそのSNSグループと組んで写真展をやるはずです。
最古参の写真雑誌として、その歴史から土門拳先生のようにアマチュアだからこその写真のあり方、価値をひたすら追求してきた歴史を体験してきたと思います。だからインスタ映えを批判する力を持っていると言いたいのでしょうが、
今のアサヒカメラにそういう意気込みを強く持っているのでしょうか。
例えばアサヒカメラコンテストにその主張を持って写真を選んでいるのでしょうか?講評にも書いているのでしょうか。
私の目にはどうにもそう思えません。
何がどうしていい写真なのか?そしてそのいい写真というのはどういう価値があるのか?
写真雑誌の中だけ偉いプロ写真家の話に社会的な力はあるのでしょうか。
写真は内面が写るとか言いますが、それは幻想だと思います。いいやそうじゃない!というのであれば、それは動画だって漫画だって絵だって同じです。
もっと具体的に目的を持って訴えていくことを勧めていくべではないでしょうか。
入賞写真もよくわからないつまらない写真が多くて写真離れを加速していくだけです。
数十年前のリアリズム主義を伝統芸のように表面だけ真似て持ち上げる中身のないことは早々にやめていただきたいとインスタ映え批判を読んで強く思いました。
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