マンガの世界では現実離れした主人公(もしくは登場人物)たちが活躍する作品が数多くあるが、本書では昔(『
ハレンチ学園
』〈1968~72〉)から近年(『編集王』〈1994~97〉)に至るまでの文字通り“やりすぎマンガ”(の一部)が紹介されている。
ただし、ここでは主に1960~70年代に発表された作品が多いので若年層には馴染みがないかもしれないが、本書を読めばその作品に俄然と興味がわくであろう。
そもそもなぜ“やりすぎマンガ”というものが出てくるのかといえば、序章にも紹介しているように日本の漫画が週刊誌のサイクルになって、現場の漫画家や編集者たちの負担が大きいなかで人気至上主義のために毎週毎週見せ場を作って来週も読みたいと思わせる“引き”を作らなければならなくなり、その結果どんどん派手に大げさになっていくようになってしまった事が大きな要因として挙げられている。
特に『少年ジャンプ』は『マガジン』『サンデー』より遅れること十年で連載にあたり、新人漫画家を起用しなければならない事情から自然とそのような流れをつくった一因といえる。
その結果、“やりすぎマンガ”というものは日本の漫画文化の中でも必然のモノとなってしまった。それを踏まえて読むと時代やジャンルによっても求められる“やりすぎ”というものがそれぞれ異なり、いろんな楽しみ方ができる事が本書を読んでわかると思います。
まずは「野球マンガ」のジャンルでいえば『
巨人の星
』〈1966~71〉がその最高峰で大リーグ養成ギプスや消える魔球など、知らない世代の読者でもその伝説ともいえる数々の「やりすぎ感」が伝わる名作マンガであるが、本書ではその上をいく『アストロ球団』と『侍ジャイアンツ』を取り上げているところに「やりすぎ度」がビンビンに伝わってくる。
『
アストロ球団
』〈1972~76〉は未読であるものの、野球マンガの「やりすぎ」というよりもトンデモ度がものすごく伝わってるし(タレントの伊集院光氏が『アストロ球団』について熱く語っていた内容からもトンデモナイ野球マンガである事はよくわかった)、『
侍ジャイアンツ
』〈1971~74〉はアニメの再放送でよく見ていて、ハイジャンプ魔球や分身魔球といった『巨人の星』の上を行く(人間離れをした)魔球が編み出され、今から思えば命がけの特訓シーンも含めて「やりすぎ感」が物凄くありました(長嶋茂雄が殴ったパンチで蛮が壁に激突して突き破るという物凄い描写も印象的だった)。
他にもボクシング漫画『
リングにかけろ
』〈1977~81〉では中学生でありながら主人公の高嶺竜児が必殺技であるブーメランスクエアーで相手を吹っ飛ばすほどのパンチを身につければ、永遠のライバルである天才・剣崎も必殺技・ギャラクティカ・マグナムで宇宙規模のパンチが炸裂し、対戦相手が競技場の外へ吹っ飛ぶという今から思えばトンでもない破壊力のパンチの応酬で「やりすぎ感」満載であったが(しかも対戦相手は死なない!)、子どもの頃は、そのスポーツの事を知らなくとも(もしくは興味がなくとも)それを楽しんで読んでいた(サッカー漫画の金字塔『キャプテン翼』も同様でした)。
ゴルフ漫画のパイオニアである『
プロゴルファー猿
』〈1974~78〉も天才少年ゴルファー・猿の繰り出す必殺技の数々、特にピンの旗にボールを包んで真下に落とす「旗包み」は後年、番組企画で青木功氏がチャレンジしてみたがピンの旗の的が小さいのでボールが当てられずに苦労されていたのが印象的だった(敵の功夫(クンフー)ゴルファー・竜のヌンチャックドライバーも強烈な印象を残した)。
長寿野球マンガ『
あぶさん
』〈1973~2014〉は上記の必殺技や魔球とは違った「やりすぎ感」があって、1973年の連載開始(「あぶさん」こと景浦安武26歳)から連載年数を重ねるごとに作中のあぶさんも年齢を重ねて気がつけば連載40年を迎えて還暦を過ぎても現役を続けていたあぶさんはそれだけでも驚きだが、作中では数々のプロ野球記録を打ちたて、それまで代打ひとすじであったが40歳を過ぎてレギュラーになって三年連続三冠王になり、当時のシーズン最多本塁打記録55本を塗り替える56号を達成し、しかも還暦になってもプロ野球史上初の4割打者となる(ある意味あきれてものが言えない)球史に残る大打者となったあぶさんだが、明らかに引退するタイミングを失ってしまった。
当初は所属先であった南海ホークスが球団売却された時に「あぶさん」もその年で引退する予定であったそうだが、当時の杉浦監督の「あぶさんも一緒に九州(ダイエー)へ行こう」との誘いに作者である水島先生が応じてそのままダイエーでも現役を続行して、その後も後任となる田渕監督からは「俺だったら4番であぶさんを使う」との発言したことから作中でも4番レギュラーが定着してその結果、数々のプロ野球記録を打ち立ててしまった事に作者にとっても読者にとっても想定外の「やりすぎてしまった感」があるだろう。
学園マンガ『
男組
』〈1974~79〉も当時の学園モノ(番長モノ)では「やりすぎ感」満載で学園を支配する神竜が政財界に顔の利く親父の力をバックにやりたい放題を尽くして関東一円の学校を支配しようとする、まさに当時の学園マンガさながらの「やりすぎマンガ」だ。
当時の番長(ヤンキー)マンガは『
男一匹ガキ大将
』に代表されるように主人公が全国制覇を目指すか『男組』のように全国制覇を狙う敵に立ち向かう学園モノでしかなかった(こういう時は敵のバックには政財界に顔の利く父親が多く、よって警察権力の及ばない無法地帯となる学園モノを舞台に死闘を繰り広げる展開が当時の番長マンガの主流だった)。
当時の少年誌では異色とも思える『
ドーベルマン刑事
』〈1975~79〉では警視庁特別犯罪課(通称:特犯課)に所属する加納が44マグナムで悪党をぶち殺す描写(顔が吹っ飛んだり、目玉が飛び出たりする)が物凄かったし、一刑事ではとても手に負えないような凶悪犯罪(外国のテログループや自衛隊、米軍など)に対して立ち向かう展開は印象的だった(作中に登場する女たちが加納にセクハラな目(オッパイをわしづかみ)にあう描写にドキドキ(*゚д゚*)しました)。
他にも『光る風』『共犯幻想』『餓鬼』『同棲時代』といったシブイ作品も取り上げているので興味を持たれた方は読まれた方がよい。
今回の主題である「やりすぎ」の定義でいえば、本作で取り上げた作品群から現在に至るまでいろんな「やりすぎマンガ」があると思うが、読者にとっても必ずしもリアリティのみならず、時には現実離れした主人公(登場人物)たちの活躍を見ることが何よりも読者にとっての面白さにつながるので「やりすぎ」はマンガの糧としても必要なのだ。
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