本書には「知能や犯罪の気質は遺伝して、環境の影響をほとんど受けない」と書かれている。
「「言ってはいけない」でも述べたが、行動遺伝学が発見した「不都合な真実」とは、知能や性格、精神疾患などの遺伝率が一般に思われているよりもずっと高いことではなく (これは多くのひとが気づいていた)、ほとんどの領域で共有環境(子育て)の影響が計測できないほど小さいことだ。音楽や数学、スポーツなどの「才能」だけでなく、 外交性、協調性などの性格でも共有環境の寄与度はゼロで、子どもが親に似ているのは同じ遺伝子を受け継いでいるからだ。
ところが子育ての大切さを説くひとたちは、親の努力によって子どもの運命が決まるかのような主張をする。これがほんとうだとすれば、子育てに成功した親は気分がいいだろうが、「失敗」した親は罰せられることになる。 どんな子どもも親が「正しい教育」をすれば輝けるなら、子どもが輝けないのは親の責任だ。「犯罪が遺伝する」ことがあり得ないなら、子どもが犯罪者になるのは子育てが悪いからだという理屈もいまでは「言ってはいけない」ことになったので、「社会が悪い」となった。
「人権」を振りかざす"自称"リベラルが目指すのは、「努力が報われる」遺伝率ゼロの世界なのだ。しかしこの主張が正しいとすると(私はそうは思わないが)、同性愛はどうなるのだろうか。
もちろん「リベラル」なひとは、こうした批判に耳を貸さないだろう。彼らは、「知能や精神疾患、犯罪は遺伝しないが、同性愛は生得的だ」というにちがいない。なぜなら科学的に正しいかどうかには関係なく、すべては「政治的に正しい」べきだから。これがPC (Political Correctness/政治的正しさ)で、1970年代以降、アメリカのアカデミズムでは「科学」と「政治」のどちらを取るかが大論争になった。 日本のアカデミズムではまったく話題にならなかったが」(p43)
たしかに、ギャンブルや薬物への依存も遺伝するらしいから、そうなのだろう。
「ギャンブルや薬物などへの依存は、同じ家族に集まっている。つまり、ギャンブルをする人は酒飲みの家系(彼ら自身はギャンブラーでなくとも)に現れ、また、酒を飲む人はギャンブルをする人の家系に現れるということなのである。
さらにまた、この二つの家系においては、反社会的パーソナリティ障害をもつ傾向が、偶然より高い頻度で現れる。 反社会的パーソナリティ障害というのはどちらかというと広汎な分類であって、実際にはいくつかの異なるパーソナリティ構成からなっているのだろう。 ギャンブラーの家系と依存症をもつ家系に現れる反社会性の特徴は、車を乗り捨てる例の男性の行動のように、無責任な行為と違法行為の繰り返しであるようだ。
研究者たちは、ギャンブル、薬物依存、そして反社会的行動について、集団全体、家族内、そして双子を使って、その共存度を調査してきた。
その結果、この種の抑制のきかない行動には、共通した遺伝的傾向があるという結論に達している。 飲酒、薬物、ギャンブル、そして違法行為が、同じ環境内で起こるのであれば、おそらくそれは歴史の偶然ではないはずだ。それは、そうした状況に引きずりこまれる人たちの気質構造を反映する」
(パーソナリティを科学するp148)
この著者の本は攻撃的ですね。だから賛否両論なのかな。科学のちからで著者のまわりの「チンパンジー」を攻撃してるような。
著者は本書のあとがきの最後の行にイーロンマスクの「子どもの頃から、ずっといいつづけてきた。一人ぼっちにはぜったいになりたくない。一人はイヤなんだ」(p245)という発言を書いていて、「一人ぼっちになるのは嫌だ」という恐怖が人間の根本的な欲求だということを書いている。「依存し苦しもうとするマゾヒズム的願望と、他人を支配し苦しめようとするサディズム的願望は、一つの根本的な要求、すなわち「孤独に耐えられないことと、自己自身の弱点から逃れ出ること」のあらわれである」(エーリッヒ・フロム「自由からの逃走」)。
小さい頃からずっと「競争に勝つ」「勉強する意味がとてもよくわかる」男ならこんな本は書かないと思う。こういう男、ほんとは競争に勝つことが大好きなんだろう。
理由はあとがきにイーロンマスクのことを書いていて、著者は読者から巻き上げた金で豪遊ライフとこれを言いたいがために本書を書いたようなものである。だから、私にはまわりに復讐するために書いているように見える。
他のレビューに「論文のつまみ食い」「著者の物語や結論に合うものを選んでいる」「無理筋、暴論を適切であるかのように断定的に記述している」と書かれていても当たり前。なぜならこの著者は「ぐれている」作家だからです。(頭のいいやり方で)
この本、中島義道の本「ぐれる!」の「男のぐれ方」みたい。
縄文人と弥生人(渡来人)について書かれているとは驚いた。サピエンス関連の本が売れてるけど人類学とはね。で、本書の内容。
日本に入ってきた渡来人とはなにか。実は、DNAの解析でほぼ判明していて、それはいまの韓国人、北朝鮮人である。(正確には朝鮮人)
「近年のDNA解析によれば、ヤマト人(現代日本人)は大陸由来の弥生人と土着の縄文人の混血であることがわかっている(二重構造説)。地域によって異なるが縄文人のDNAの割合は平均して14〜20%程度で、アイヌ人とオキナワ(琉球)人は弥生系との混血の度合いが少ない。またゲノム全体を比較すると、ヤマト人、アイヌ人、オキナワ人にもっとも近縁なのは地理的に近接した韓国人で、これら4つの人類集団は統計的に100%の確率でひとつのグループに入る。上海、北京の漢民族との遺伝的違いは、ヤマト人と韓国人の遺伝的違いのおよそ3倍程度だ」(p192)
私は、日本人と韓国人は性格的に「似ている」と思っていた。
凄まじい受験競争、「嫌われる勇気」大ヒット(韓国では社会現象になる)にわかる他人の目、カルト的な上下関係、大阪などを中心とするせっかちな気質、派手な広告、お笑い芸人、異常な集団主義(これは利他的ではないことが注目である。つまり、まわりにあわせるだけ) などそっくりではないか。とくに注目に値するのが「自己責任」である。「もっと貧しいひとたちを国は援助すべき」と答えた人は日本人が断トツの最下位で、韓国も同じように低かった。(政府は助けるべきか 世界ランキング、Google検索)
ちなみに、脳科学では妬みが強い人ほど自己責任で弱者をたたく。自分よりも弱いものをたたくのは脳の快楽中枢の線状体が活性化するからで、これは妬みの領域である前部帯状回の活動が強いほど活性化する。また男のほうが女より妬みが桁違いに強い。(中野信子「正しい恨みの晴らしかた」より)
つまり、日本人や韓国人や北朝鮮人の男は特に妬みが強いのではないか。
また、言語学的にも同じである。
「再構された高句麗語語彙と周辺言語との比較の結果、高句麗語は中期朝鮮語よりも上代日本語との方が、類似語が見出される割合が大きいという研究がある。資料がほとんど残っていない高句麗語の復元については、『三国史記』の巻37にある高句麗の地名の表記(下記の表を参照)が手がかりとされているが、それによれば、例えば「三」をミツ、「七」をナノン、「五」をウィツ、「兎」をウサグム、「鉛」をナマリ、「谷」をタンと発音していた。高句麗語で判明している数詞4つすべてにおいて日本語との間で一定の音韻的共通性が認められるとして、日本語の起源として考える研究者も存在する」(高句麗語、Wikipedia)
さらに、Wikipediaの「扶余語族」(ふよごぞく、古代中国の資料から夫余語、高句麗語、濊貊語、沃沮語、百済語を同系と推定する語族)の項目にある「扶余語族と他語族の語彙対応比較表」で古代日本語と高句麗語、百済語を比較すると同じ系統の言語であるとわかる。
また、性生活についても似ているのではないか。
「韓国人の性生活満足度が世界最下位圏であることが明らかになった。 グローバルセクシャルヘルスケア企業「TENGA」が市場調査企業に依頼して実施した調査によると、性交およびマスターベーションの質・頻度、性的能力、パートナーとの感情的なつながりなどを総合評価した性生活満足度指数で、韓国は40.7点で調査対象18カ国中17位を占めた。調査国平均は62.3点だった。韓国より低い点数で最下位を記録したのは日本(37.9点)だ」(中央日報)
つまり、パートナーがいれば性行為、あるいは女性の裸の画像などをトイレや自分の部屋などで、スマホで検索してマスターベーションしたとしても、日本人や韓国人の男性は満足していないということである。
また韓国ではこういうことがあった。
「反共イデオロギーからの脱却、進歩志向の最左派の論調をとり、「偏狭なナショナリズムを打破する」として、1999年に大韓民国国軍退役軍人会の反発を覚悟の上で、ベトナム戦争の韓国軍慰安婦『ライダイハン問題』を取り上げた。また、被害者の証言や当時の記録などに当たった独自の調査に基づき「ベトナム戦争参戦の一部韓国軍人が、故意にベトナム人住民を虐殺・強姦した」との論陣を張り、これに対して枯葉剤後遺症患者である韓国退役軍人会2000人が、ハンギョレに押しかけて、施設を破壊するなど暴力的な抗議行動が行われた」
(ハンギョレ、Wikipedia)
それらのような疑問がDNAで解明できるのかと思った。
本書にはDNAの解析により日本列島の人口が3000~4000年前に急減していることが示されていると書かれている。(p193)そして著者は渡来人(いまの韓国人、北朝鮮人)が日本に入ってきた時と同じという前提から「ジェノサイド」があったのではないかと言う。
「こうした仮説を不快に思うひともいるだろうが、人類史のなかで日本列島の住人だけが「平和主義者」で、弥生人は穏便に縄文人の生活圏に入植し、ともに仲良く愛し合ったなどというお話よりずっと説得力があるのではないだろうか」(p194)
著者は知能は遺伝するということを書いているが、努力する能力も遺伝の影響が強いのではないか。
「退屈な作業をやりとげようとする意欲の強い人と、途中であきらめてしまう人がいる。彼らの「脳の違い」を明らかにする研究が行われた。この文章を書いているわたしは、そのうち退屈し始めるだろう。文字を見続けることに飽きて、気晴らしを求め始めるのだ。この画面から去って、どこか別のページへ行き、まったく関係ないサイトで楽しむ。そうした無駄な時間をしばらく費やしたあと、罪悪感が大きくなってきて、再びこの文章に戻ってくるはずだ。
ヴァンダービルト大学のマイケル・トレッドウェイが率いる研究チームが『Journal of Neuroscience』に新しく発表した研究論文は、この謎を解明しようとしている。努力と怠慢、仕事と気晴らしの間で、脳において何が起こっているかを表す初めての試みだ。研究の結果、ボタンを押すのを途中でやめてしまう人と、たとえ小指が痛くなってもボタンを押し続ける人の違いが明らかになった。
チームが最初に発見したことは、左線条体と前頭前皮質腹内側部(ventromedial prefrontal cortex)におけるドーパミン作動性活性が高い被験者のほうが、多くの報酬を得るために努力する意欲が高かったことだ。この違いは、報酬を得られる確率が低い場合に、特に顕著に現われた。実際に金銭が得られるチャンスはごくわずかでも、このタイプの被験者はどうにかモチベーションを保つことができたのだ。
さらに、今回の研究では、島(とう)皮質のドーパミン活性と、努力しようとする意欲との間には、逆の相関関係が存在するという驚くべき結果も明らかになった。どうやら、島皮質の活性化は、われわれを怠惰にするらしい。島皮質はひょっとすると、退屈のむなしさや、疲れた指のうずきや、したくないことをしなければならない「存在の痛み」を感じとっているのかもしれない。言えそうなことは、島皮質のドーパミン作動性活性が高いほど、努力の苦しみはより顕著になり、そのせいで、われわれは努力をやめてしまうということだ。
この種の勤勉な人々は、「報酬が得られる可能性」から、ほかの人よりも少しだけ多くの快楽を得ていると思われる。そしてその一方で、自分の内なる「不平家」の声には鈍感なようだ。
秩序を乱すその声は、『マインスイーパ』で遊ぶほうが編集作業より楽しい、あるいは、テレビで野球中継を見るほうが宿題をするよりずっと面白いということを、われわれに思い出させる声なのだが」
(「努力できる人」は脳が違う、WIRED)
本書はほとんどのページがはっきり言ってどうでもよく、本当に重要なのはp236からp238である。
「他人や世間を変えることができなければ、自分が「嫌われる勇気」をもつ以外ない。 いまいる場所から動くことができないなら、「置かれた場所で咲く」ほかはない。だが残酷なことに、「ひ弱なラン」はどこでも花を咲かせられるようには遺伝的に設計されていない。幸福になりたければ、「咲ける場所に移る」ほかないのだ。日本人の不幸は、遺伝的にストレスに弱いにもかかわらず、文化的に高ストレスの環境をつくってしまうことにある。そんなムラ社会の閉塞感のなかで、本来はランとして美しい花を咲かせるべき個人が次々と枯れていく。だがこれは、絶望的な話というわけではない。自分に適した環境に恵まれさえすれば、 敏感なS型は(鈍感な)L型よりはるかに大きな喜びを手にすることができるのだから。そのことを前提としたうえで、「ひ弱なラン」としてどのような人生の選択をするのかが、すべての日本人(東アジア人)に与えられた課題なのだろう。 もちろん、どのような人生を選ぼうとあなたの自由だ」(p238)
評論家についての哲学者の意見。
「果てしなく頭の悪い評論家のセンセイ方は「現代は希望の持てない時代だから、若者はかわいそうだ」とアホ面さげてのたまう。だが、人類発生以来、どんな時代にあっても、理性なんぞを抱え込んだがゆえに、人間は「生きがい」や「希望」を持てるわけはないのである。正確に言えば、カントが述べているように、生きがいや希望を持てという命令だけが与えられて、じつは絶対に持てない仕組みになっているのである。すべての人は、ごまかし通すのでない限り、常に自分が死ぬことに怯え、何が正しいか悪いかもわからず、生きている意味も見出せず、虚しさを呑み込んで死ぬだけだからである。日々の生活に追われているうちは、幸せなことに、こうした根源的問いはうまい具合に隠蔽されていた。だが、衣食足りて、物が溢れ、考える暇が出てくるや、「本当のこと」が前面に押し出されてきた。何をしても虚しいことが、残酷なほどよく見えてきた。
しかも、この耐え難い状況の憂さ晴らしをしようとしても、現代社会では、各人は、自然に反して、攻撃欲を抑え、弱者を保護し、平和と秩序を愛し、つまり我慢に我慢を重ねねばならないと来ている。眼前に欲しい商品があっても盗んではならず、 眼前に若い魅力的な女体があっても触ってはならず、眼前に鳥肌が立つほど厭な奴がいてもぶち殺してもならず……とすると、あとは精神に変調をきたすしかないではないか!せめて、そうやって自分を救うしかないではないか!現代日本のように、安全で平和で、みんな優しく思いやりのある社会を実現してみたら、百万単位で心の病に悩む人が生じてしまった!なかなか意味深長な結果である。としても、また戦国時代に、狩猟時代に戻るわけにはいかない。とすると、道は一つ。みなさん、他人にはもっと優しく、もっと思いやりをもち、そして自分はもっと病気になりましょう!」(中島義道「人生に生きる価値はない」p44)
知能に異様に関心を持つ橘玲は「80's エイティーズ ある80年代の物語」でこう書いている。
「それは「学校」という集団にどうしても馴染めなかったからで、中学や高校でもこの違和感はつきまとった。 中学までは大人のいうとおりやっていたが、高校になると勉強する理由がさっぱりわからなくなった」(p26)
面白かったのが「大人になるほど知能は親に似る」ということ。
「これをかんたんにいうと、「知能に及ぼす遺伝の影響は発達とともに増加する」ということだ。日本における行動遺伝学の第一人者である安藤寿康氏はこれを、「行動遺伝学の発見の中でも最も重要なものの一つ」 という。
大半のひとは、赤ちゃんのときに遺伝の影響がもっとも大きく、成長するにつれて家庭や学校などで多様な刺激を受けるのだから、環境要因が強まって遺伝の影響は小さくなっていくと思うだろう。だが発達行動遺伝学の研究は、これを真っ向から否定する。
もしひとびとの素朴な常識が正しいなら、成長につれて一卵性双生児の類似性は下がっていくはずだが、実際には逆に高まっていくのだ」(p72)
また「言い返せるから」リベラルになるのも面白い。
「認知心理学では、政治的にリベラルなひとは保守的なひとに比べて知能が高いことが繰り返し確認されている。子どものときの知能で成人後の政治的立場を予測できるとか、 政治的立場はある程度生得的に決まっているとの研究もある。これについては別の本で詳述したので繰り返さないが、リベラルと保守を分けるのは言語的知能と新奇なものへの好みにある。 言語的知能が低いと(いわゆる口べただと)、世界を脅威として感じるようになる。 なんらかのトラブルに巻き込まれたときに、自分の行動を相手にうまく説明できないからだ。
このことは、子ども時代に叱られた体験を思い浮かべればわかるだろう。悪ふざけをしたとき、大人は「なんでそんなことをしたのか?」と訊く。この問いに即座に納得のいく返事ができた子どもは許され、口ごもってしまう子どもは罰せられる。
大人は子どもを道徳的に「教育」しようとしているのではなく、その行動を理解するための説明を求めている。なぜなら、理解できないものは不安だから。こうした経験を子どもの頃から繰り返していると、言語的知能の高い子どもは見知らぬ他人との出会いを恐れなくなり(怒られても言い返せるから)、口下手な子どもは親族や友人の狭い交友関係から出ようとしなくなるだろう(自分の行動を説明する必要がないから)。
これが「リベラル」と「保守」の生得的基盤だとされているが、だとすれば、世界を恐れない(言語的知能の高い)子どもは、異人種の友だちや外国人との恋愛、留学、一人旅まで「新奇な体験」全般に興味を抱くようになるはずで、これが「ネオフィリア (新奇好み)」だ。それに対して世界を脅威と感じている(言語的知能の低い)子どもは、 いつも同じ仲間とつるみ、知らない相手を遠ざける「ネオフォビア(新奇嫌い)」になるだろう」(p173)
さらに「道徳の起源は相互監視」というのも刺激的だ。
「それ以外でも、「農業による集団生活」というまったく新しい環境は、ヒトに対してさまざまな淘汰圧を加えた。狩猟採集生活では獲得した獲物はその場で食べるか、仲間と平等に分けるしかなかったが、貯蔵できる穀物は「所有」の概念を生み出し、自分の財産を管理するための数学的能力や、紛争を解決するための言語的能力が重視されるようになった。
その一方で、狩猟採集社会では有用だった勇敢さや獰猛さといった気質が人口稠密な集住社会(ムラ社会)では嫌われるようになった。牧畜業では気性の荒い牛は仲間を傷つけるので真っ先に排除される。それと同様に、農耕によってはじめて登場した共同体の支配者(権力者)は自分に歯向かう攻撃的な人間を容赦なく処分しただろうし、村人たちも攻撃的な人間をムラの平和を乱す迷惑者として村八分にして追い出しただろう。 農耕社会では、温厚な気性が選択的に優遇されたのだ」(p211)
また、リベラルと保守の違いついて書かれている。言語的知能が高く新しいものへの好奇心が強いとリベラルになる。(p173)
これらのことを著者は認知心理学の研究を参照して論じている。それらの研究は遺伝というより環境の要素が強いのではないだろうか。脳科学で説明すると理解しやすいと思うから、それらの研究も書いたほうがいいと思う。
「英ロンドン大学ユニバーシティー・カレッジ(University College London、UCL)の研究チームは、健康で若い成人90人を対象に実験を行った。その結果、リベラル派であるほど前帯状皮質の灰白質の容積が大きく、保守派であるほど右へんとう体の容積が大きい傾向があることがわかった」
(AFPBBニュース)
ついでに、著者の本「「リベラル」がうさんくさいのには理由がある」 (集英社文庫)で「日本の政治はおかしい」とこれでもかと言っているけど「ノルウェー、スウェーデン、フィンランド、デンマーク、アイスランド、オランダのように小選挙区ではなく全議席を比例代表制にすべきだ」と書くべきではないか。
また、笑ってしまうものがあった。
「協調性については、日米で際立ったちがいが観察される。日本の場合、男性では年間所得と協調性が正の相関なのに対し、アメリカでは男性、女性とも負の相関になっているのだ」(p217)
つまり、日本ではまわりにあわせる芸人みたいな男のほうが報われて、女はいくら組織に協調しても変わらないということ、逆にアメリカでは男女とも協調性がないほうが報われるということだ。
ただ、著者には普通日本の現代社会は協調性は必要ないようなことを考察して書いてもらいたい。なぜなら、仕事は分業だからそれぞれ自分のことをすればいいだけだからである(家庭などの生活は協調性が必要だろう)。
差別についても書かれていて、制度的な差別は表現の自由を制限されてもいいものの、科学的な説明なら差別にならないと書いている。そうであれば、私は感情的な差別について脳科学的に書いてもらいたいと思う。今や女性の裸はスマホのインターネットで見放題なのに「若い女性をものとして扱ってはいけない」と言われても説得力があるのだろうか。だから制度としては女性を人間として扱っても、大多数の男性の脳科学としては、若い女性を性欲を満たすものとして「見える」のは当然だ、と書いてもらいたい。だから「誠実」な男性は珍しいから「美しい」のだ。
ついでに書いておくと、何かに気をとられたり依存するのは「チンパンジー」の脳(大脳辺縁系)が暴走して「理性」の前頭前野が抑えきれなくなると考えられていて、そのようなことを心理学者たちは言っているけれど、前頭葉(理性)も快楽などを求めるのではないか。
「共同研究グループは、10人の喫煙者を対象として実験的に喫煙可・不可という状況をつくり、それぞれの状況で視覚刺激により誘導されたときの喫煙欲求に関わる脳の活性化部位をfMRIを用いて観察しました。
その結果、喫煙欲求の強さに関わる部位として前頭前野の腹内側部(眼窩前頭皮質)を、喫煙可能状況に応じて喫煙欲求を促進する部位として前頭前野の背外側面(背外側前頭前野)を見いだしました。
さらに背外側前頭前野の活動をTMSにより人為的に抑制すると、状況に依存する喫煙欲求の変化が起こらなくなることが分かりました。
今回の結果から、状況に応じた喫煙欲求の促進は、背外側前頭前野と眼窩前頭皮質を結ぶ神経ネットワークの連携に基づくものであることが分かりました」
(タバコを吸いたい気持ちを自己制御する2つの脳部位を発見-薬物依存の発症メカニズム解明に期待-理化学研究所)
「不正をした人たちは(統計的にありえない90パーセントちかい正答を出したため、彼らを見分けるのは簡単だった)、前頭葉の領域が活性化していることを発見した。
ここはまさに、認知制御を司り、自動的、感情的な反応を抑えるにあたっての基礎となる部位である」
(なぜやる気は長続きしないのかp65)
幸福度についてはこんな情報がある。
「 自分が幸福かどうかということを決定づけているのは、収入や肩書きなど他者との比較ではなく、自己決定権だという研究結果もあります。
二〇一八年、神戸大学社会システムイノベーションセンターの西村和雄特命教授と同志社大学経済学研究科の八木匡教授が、独立行政法人経済産業研究所における「日本経済の成長と生産性向上のための基礎的研究」の一環として約二万人に調査を実施。オックスフォード式の心理的幸福感を測る質問を用い「所得」「学歴」「自己決定」「健康」「人間関係」の五つがいかに幸福感との相関性が強いかについて分析を行いました。
その結果、人生の幸福度を決めるのは学歴や資産ではなく「自己決定権があるかどうか」という驚くべき結論が導かれたのです。この自己決定権というのは、つまり自分でさまざまな物事を決めることができるということです。サラリーマンの場合は出勤日や働く時間、場所などを自分で決められませんし、その仕事をするかどうかということも自分では選べません。 大半の人は誰かに雇われている=「人生の選択の自由」の低い人がほとんどといえます」
(世界のニュースを日本人は何も知らないp185)
この本は知能格差の問題点などを考察して、どのような社会構造なら満足するのかを目的に書かれている。著者はイーロンマスクの話を書いているのだから、社会構造の満足だけでなくどうすれば脳科学的に満足するのかも書くべきではないだろうか。
面白いのは、この本は全部自分に関係することだ。つまり、知能も遺伝もリベラルも全部自分はどうすれば気持ちよくなるかである。でも、幸福とは「良い人間関係」であると証明されているのに!(ハーバード成人発達研究)
良い人間関係を求める代わりに知能とか遺伝とか進化で補強しようとしているのだろう。だってまわりの「チンパンジー」を「仲間」とは思えないだろう。
「さまざまな国際比較調査で、日本のサラリーマンは世界で一番会社を憎んでおり、仕事への忠誠心が低いことが繰り返し示されているが、皮肉なことにそこでしか生きていくことができないのだ」(p235)
橘玲公式ブログにはこう書いてある。
「ただ少しだけ言い訳させてもらえば、私は「人生かく生きるべし」というポジティヴ(積極的)な人生論を語っているわけではありません。見ず知らずの人間に説教されるのは鬱陶しいだけだろうし、そのうえほとんど役に立たないからです。
私がここで書いたのは、「日本人の人生はどのような制度的・経済的要因によって規定されているか?」というネガティヴ(消極的)な人生論です。その土台(下部構造)の上にどのような夢(上部構造)を描くかは、あなた次第です」
その意味では役に立つと思う。
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もっと言ってはいけない (新潮新書) 新書 – 2019/1/17
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本書の内容を、決して口外しないでください。
新書大賞受賞のベストセラー『言ってはいけない 残酷すぎる真実』がパワーアップして帰還!
分子遺伝学、脳科学、統計解析、人類学……
最新知見から人気作家が明かす、現代の人間社会に潜む残酷なタブー!
◎日本人は優れているのか、愚かなのか?
・日本人の3分の1が日本語が読めない!?
・それでも日本人は先進国でトップクラス
・日本人は世界一「自己家畜化」された特別な民族
・古代の大虐殺の果てに誕生した日本人
・海外で成功した日本人の知られざる秘密
・「日本が華僑に侵されなかった」真相
・縄文人と弥生人のちがいは「下戸遺伝子」
・「内向性」にも遺伝子が関係
・「置かれた場所」で咲いても不幸がある
・日本人は「ひ弱なラン」
・現代の日本で幸福を感じにくいワケ
◎人種と知能の禁断の関係
・「国別知能指数ランキング」の衝撃
・白人と黒人のIQを比較してみたら
・IQの高い国と低い国があるという統計
・知能の低い国民が多いほど、その国が混乱する
・科挙が東アジア系の知能を上げた?
・アボリジニのIQは高い
・欧州ではなぜ北に行くほどIQが高いのか?
・知能の高い人が低い人から搾取する社会
・男の脳は極端、女の脳は平均を求める
・東アジアには遺伝的に「うつ病」が多い
・遺伝とその国の文化は「共進化」する
◎これが残酷すぎる「社会の黙示」である
・ネットやSNSが、実は未来の希望を塞いでいる
・知識社会で生き抜くための知能のハードルは上昇中
・知識社会に対応できるのは全体の一割
・リベラルな社会ほど遺伝率が上がっている
・高年収をもたらす性格がある
・恋愛、結婚、老後に遺伝が影響している
・年を取るほど、親に酷似する
・天才は難病に見舞われやすい
・楽観的な脳と悲観的な脳がある
・言語が乏しいと保守化する
・教育無償化で弱者はさらに苦しむ
・「ゲイ遺伝子」が存在する意味
・日本のリベラルは睾丸が小さい?
・やはり努力は遺伝に勝てないのか?
(本書より抜粋)
新書大賞受賞のベストセラー『言ってはいけない 残酷すぎる真実』がパワーアップして帰還!
分子遺伝学、脳科学、統計解析、人類学……
最新知見から人気作家が明かす、現代の人間社会に潜む残酷なタブー!
◎日本人は優れているのか、愚かなのか?
・日本人の3分の1が日本語が読めない!?
・それでも日本人は先進国でトップクラス
・日本人は世界一「自己家畜化」された特別な民族
・古代の大虐殺の果てに誕生した日本人
・海外で成功した日本人の知られざる秘密
・「日本が華僑に侵されなかった」真相
・縄文人と弥生人のちがいは「下戸遺伝子」
・「内向性」にも遺伝子が関係
・「置かれた場所」で咲いても不幸がある
・日本人は「ひ弱なラン」
・現代の日本で幸福を感じにくいワケ
◎人種と知能の禁断の関係
・「国別知能指数ランキング」の衝撃
・白人と黒人のIQを比較してみたら
・IQの高い国と低い国があるという統計
・知能の低い国民が多いほど、その国が混乱する
・科挙が東アジア系の知能を上げた?
・アボリジニのIQは高い
・欧州ではなぜ北に行くほどIQが高いのか?
・知能の高い人が低い人から搾取する社会
・男の脳は極端、女の脳は平均を求める
・東アジアには遺伝的に「うつ病」が多い
・遺伝とその国の文化は「共進化」する
◎これが残酷すぎる「社会の黙示」である
・ネットやSNSが、実は未来の希望を塞いでいる
・知識社会で生き抜くための知能のハードルは上昇中
・知識社会に対応できるのは全体の一割
・リベラルな社会ほど遺伝率が上がっている
・高年収をもたらす性格がある
・恋愛、結婚、老後に遺伝が影響している
・年を取るほど、親に酷似する
・天才は難病に見舞われやすい
・楽観的な脳と悲観的な脳がある
・言語が乏しいと保守化する
・教育無償化で弱者はさらに苦しむ
・「ゲイ遺伝子」が存在する意味
・日本のリベラルは睾丸が小さい?
・やはり努力は遺伝に勝てないのか?
(本書より抜粋)
- 本の長さ256ページ
- 言語日本語
- 出版社新潮社
- 発売日2019/1/17
- 寸法10.8 x 1.2 x 17.3 cm
- ISBN-104106107996
- ISBN-13978-4106107993
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商品の説明
出版社からのコメント
この社会は残酷で不愉快な真実に満ちている。「日本人の3人に1人は日本語が読めない」「日本人は世界一〝自己家畜化″された民族」「学力、年収、老後の生活まで遺伝が影響する」「男は極端、女は平均を好む」「言語が乏しいと保守化する」「日本が華僑に侵されない真相」「東アジアにうつ病が多い理由」「現代で幸福を感じにくい訳」……人気作家がタブーを明かしたベストセラー『言ってはいけない』がパワーアップして帰還!
内容(「BOOK」データベースより)
この社会は残酷で不愉快な真実に満ちている。「日本人の3人に1人は日本語が読めない」「日本人は世界一“自己家畜化”された民族」「学力、年収、老後の生活まで遺伝が影響する」「男は極端、女は平均を好む」「言語が乏しいと保守化する」「日本が華僑に侵されない真相」「東アジアにうつ病が多い理由」「現代で幸福を感じにくい訳」…人気作家がタブーを明かしたベストセラー『言ってはいけない』がパワーアップして帰還!
著者について
橘玲(たちばな・あきら)
1959(昭和34)年生まれ。作家。小説に『マネーロンダリング』『ダブルマリッジ』など。ノンフィクションに、『幸福の「資本」論』『残酷すぎる成功法則』(監訳)や『80‘s』『朝日ぎらい』など、著作多数。『言ってはいけない 残酷すぎる真実』が48万部突破のベストセラーとなり、2017新書大賞を受賞。
1959(昭和34)年生まれ。作家。小説に『マネーロンダリング』『ダブルマリッジ』など。ノンフィクションに、『幸福の「資本」論』『残酷すぎる成功法則』(監訳)や『80‘s』『朝日ぎらい』など、著作多数。『言ってはいけない 残酷すぎる真実』が48万部突破のベストセラーとなり、2017新書大賞を受賞。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
橘/玲
1959(昭和34)年生まれ。作家。『言ってはいけない―残酷すぎる真実』がベストセラーとなり、2017新書大賞受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
1959(昭和34)年生まれ。作家。『言ってはいけない―残酷すぎる真実』がベストセラーとなり、2017新書大賞受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
著者について
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2002年、国際金融小説『マネーロンダリング』でデビュー。同年、「新世紀の資本論」と評された『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』が30万部を超えるベストセラーに。06年『永遠の旅行者』が第19回山本周五郎賞候補。『言ってはいけない 残酷すぎる真実』で2017新書大賞受賞。橘玲公式サイト http://www.tachibana-akira.com/
カスタマーレビュー
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2019年1月19日に日本でレビュー済み
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2019年1月19日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
本書では「どう生きるべきか」との結論は示されていません。しかしながら数少ない強みをもった日本人がどう生きるべきかが示されています。残念ながら私はもう年を食ってしまっていますので自分には適用できないのですが、自分の子もしくは孫ができればサポートできるのではないかと。ひ弱なランを枯らすことなく大輪の花を咲かせる手助けができるのではないかと。そんな可能性を信じることができる良書でした。
2019年2月18日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
前作から2年以上の沈黙(一般教養書としては)を破っての出版で橘氏健在なのが嬉しい。おそらく最近邦訳出版されたデイヴィッド・ライクの「交雑する人類」にインスパイアーされての出版だったのだろう。著述内容に関してはこれまで国内外(国内は極端に少ないが)で発表されてきた動物行動学、人間行動学、進化生物学、進化心理学、進化人類学、ゲーム理論の紹介を中心に橘氏独自の視点を述べている。多くのレビュアーが指摘するように氏の提示するデータの信頼性に問題があったり、遺伝でのプロモーター(遺伝子の発現を制御する非タンパク質コードDNAで多くの科学者がたとえDNAそのものは複製されるにしてもその働き自体は遺伝しない、子孫に複製されない・・・親の代で遺伝子の発現に関わっていたとしても次世代以降で親と同じように遺伝子を発現したりオフにすることに関わるわけではない、子の代でいったんリセットされるとしている)の役割(エピジェネティックス)についても言及がないなど科学書としては不十分でそれは橘氏の充分認識するところだろう。私は氏がこの種の著書を発表し続ける真意は戦後DNA構造の解明などで科学的裏付けを得た進化論(ネオダーウィニズム)及びゲーム理論が単に生物学の領域にとどまらず歴史や行動・心理・配偶者選択・経済・政治など人間(動物)の社会的活動のあらゆる領域に関わっている(リチャード・ドーキンスの言うユニバーサル・ダーウィニズム)という研究・議論が世界的に活発に行われている中で「日本国」の多くの研究者やNHKなどのメディアが進化を差し障りのない生物学の分野に限定したり、現実から逃避した非科学的・観念的・情緒的な結論に誘導し(昨年放送されたNHKスペシャル「人類誕生」などがその典型、あの番組内容に全面的に賛同する人類学者や科学者などの専門家は一人もいないだろう。もちろん彼らは現代進化論やゲーム理論を理解し認めてさえいるがそれを表明することでの社会からの反発や自身が被るであろう不利益を認識したうえで)、それを「人間の行動は進化や遺伝とは関係なく文化的な基盤しか持たない」と考える多くの「国民」が受け入れたがっているという現状へのいら立ち・批判・啓蒙ではと考えている。その意味で氏の著書の内容が挑発的・刺激的になることも納得できる。また、レビューにある、だからどうなのだ、どうなるのか、どう解決するのかという疑問も的外れだと思う。何故なら進化や差異はあくまで自然選択(自然淘汰)での現段階での結果であってあらかじめの方向性(進歩も含めて)や結論を持ったものではないからだ。その意味で現実を直視することが重要で、そこから何を考えるか、どのような教訓を得ることができるかはある意味個人的な問題だと思う。進化と優生論の関係も現実を無視して一方的に進化及び差異の存在を否定しているだけでは何も変わらない。ホモサピエンスとして分化してから実質的な優生思想が続いたこれだけの長い時間が経っているにもかかわらず世界中共通に一定の割合で「精神疾患に関わる遺伝子群」を持つ人々が存在するという事実は示唆的だと思う。ダーウィンの言う「強いものが生き残るのではなく適応できるものが生き残る」のであるとすれば「精神疾患に関わる遺伝子群」も密接に「生存に有利な遺伝子群」とリンクしていることで選択的あるいは浮動的(遺伝的浮動、偶然性に影響されるので少人数の集団内では淘汰される可能性が大きいがが大人数の集団内では存続し続ける可能性が大きい。ホモサピエンスは一貫してその数を拡大し続けけきたことを考えれば常にこの種の遺伝子群が一定の割合で存在し続けてきた。)だったのではないだろうか、したがってそのような遺伝子群を持つ人々を排除しようとすることは倫理的だけでなく科学的にもまったく意味がない。集団間のIQの差異に関する氏の「仮説」はちょっと勇み足ではとも思う。氏の「日本人のIQの高さは江戸時代の食料供給事情による適応がもたらした」という説は納得できない。封建社会での非常に狭い生活圏・通婚圏の中での「工夫」などほとんどIQの向上には貢献しないどころか停滞や退歩の時代ではなかったのかと思う。明治期以降、特に第2次大戦以降現在まで続く急速なパラダイムチェンジによる通婚圏の拡大や職業選択の多様化などでの遺伝子の交流拡大(そこには当然過酷な競争、淘汰が伴うが)が食料供給事情や医療衛生事情の向上、ロビン・ダンバーの言う時間収支の改善(労働にさく時間の減少)などとともに、いやそれ以上に性淘汰の急激な進行がIQの変化に貢献したのではと考える。「日本人」の平均身長をみても男女とも江戸末期から20cm近く、第2次大戦直後から10cm以上伸びているがその原因を衣食住や医療・衛生・生活習慣などの環境の変化だけに求めるには無理がある(獲得形質は遺伝しないことは科学的に明らかで環境の作用とともに世代交代で身長の高い遺伝子が急速に選択されてきたことも無視できないと思う。)。この列島に人が住み始めてから最初の爆発的遺伝子交流(大規模な男女共の性淘汰の急激な進行。橘氏も指摘する外来弥生人集団と原住縄文人集団との間の遺伝子交流の進行もあったがそれは 千年以上もかけたゆっくりしたものであり性淘汰が急速に、強力に働いたとは言えない。)はつい最近の出来事でありIQの上昇がそれと無関係だとはとても思えない。私はIQを含め体格、肌の色、目の色、身体能力などの集団間の差異は環境もさることながら配偶者選択メカニズムの差異(性淘汰)が主な理由だと考えている。そうでなければ何故自然環境や食料供給事情が過酷な北欧やアフリカに体格の良い人々が今日も繁栄しているのか、寒冷地に暮らす人々が必ず白い肌を持つとは限らない(エスキモーなど)ことの説明はつかない。私は性淘汰での地域的違い、集団間の違い、端的に言えば女性はより安全により良い遺伝子を残すための配偶者選択での傾向や好み、男性は女性獲得に有利になるような男性内での淘汰の違い(地域・集団での配偶者選択における価値観の違いとそれを促す社会状況の違い。たとえば「日本」では評価されている「艱難辛苦」のすえの成功も中南米の国々ではたいして評価されていない。それよりもいかに人生を楽しむかのほうに関心が強い。結果としてどちらが繁殖成功率が高いのだろうか。)が現在でのIQや知的・身体能力の差異、多様な文化、身体的表現型の違いをもたらしているのではと思う。そして直近の「この国」の例にもあるように配偶者選択のメカニズムの変化(性淘汰)は時には急速に進行するものだとも思う。私は進化に関しては様々な「仮説」があるべきだと考えているので橘氏の「仮説」もまた重要だと思う。氏にはその知名度を活かして近い将来に生物種としての「人類」が登場して以降の歩みを真実を隠したりオブラートに包み続ける「この国」の人類学者、生物学者、考古学者、フロイト漬け心理学者や英雄万歳歴史学者への批判をこめて「逆説の人類史」として語ってもらいたいものだ。ダーウイニズムという魅力的なウィルスに憑りつかれた一人として橘氏のますますの挑発に期待している。蛇足ながら橘理論の原点を探りたいなら(おそらく氏はこの著書を読んだことがきっかけでその考えが形成されたと推察している)世界中に衝撃を与えたリチャード・ドーキンスの名著「利己的な遺伝子」、ネオダーウィニズム・ゲーム理論研究の最新状況を知りたいのなら東大出版会の「進化心理学を学びたいあなたへ」を読むことをお薦めする。
ベスト500レビュアー
この本は「遺伝」に偏り過ぎているように思えます。別の表現をだと「こだわりが強い」でしょうか。エビデンスベースドであるなら、国・地域・民族で分類された「各国別のIQ一覧」図表7のデーター数があまりにも少ないのです。アメリカが最大の40、日本は24、中国で12、ほとんどの国が一桁では比較するのは無理があります。そもそも異なる尺度のIQで比較できるものなのでしょうか。そんな思いに引きずられながら最後まで読むのはしんどかったです。大反響の前作「言ってはいけない」が世に出てから2年半、発達障害の知見や理解(環境)も大きく変わりつつあります。考えればわかることですが、「育て方のせいではない」し「育て方と無関係ではない」のです。本書が提示する数々の最新知見それ自体は興味深いのですが、いまさら「遺伝」か「環境」かでもないでしょう。世の中の変化も思いのほか速かったりします。科学的事実も視点を変えればどのようにも利用できるので、立ち位置が問われるのだと思います。






