本のはじめには詩が掲載されている。私は正直詩にはあまり興味がなく、書いてあることもまぁよくあるキレイな言葉を並べただけにみえる詩だったので、飛ばして本文を読んだ。
正直驚いた。言葉がないと思われていた重症心身障害者や発達障害の方たちに対してこれほど実践的なアプローチをした人はいないかもしれない。柴田さんは、言葉も話せず視線も合わせられないような彼らと粘り強くコミュニケーションを続け、簡易なスイッチを作成して彼らの内面を知ろうとした。その結果、おどろくべきことが分かった。彼らは言葉を学習できないどころか、ちゃんと教えられていない言葉を見聞きしていくうちに独学で発展させ、詩まで構想していた。体を動かすことも話すことも自由にできない彼らは、ずっと言葉を伝えられる日を待っていた。そのわずかな希望を小さいろうそくに例えて詩につづっていた。それが柴田さんによって、言葉を一音一音つづっていく方法を知り、詩を私たちに伝えることができるようになった。
ただ、その方法が介助者が彼らの手をにぎってスイッチを押したり指文字を書いたりする方法であったために、多くの人から介助者の自作自演ではないかと批判を受けていた。しかし、どうだろう、操作に慣れてきた障害者の子が、自らの手でわずかな動きで操作ができるようになって多くの言葉を表現し、多くの人に今までどれだけ忍耐してきたかを伝えていたりする。また、親しかしらない障害者の子の思いでを、手を握っているだけの柴田さんがつづっているのをどう説明するのか。
本を読み終わって、改めて最初に戻って詩を読んだ。
その詩を書いた人がどんな人で、どんな背景があるのかが分かった上で読んだ。
そしたら涙が止まらなかった。
はじめはまったく理解できなかった詩であったのに、今は一言一言が強い感情のこもった叫びとして聞こえ、胸に響いてきた。
それも、言葉巧みに豊かな表現力をもった文才ある詩であった。
言葉も発せず、視線も合わず、体を動かすこともせず、問いかけに何の反応も示さず何を考えているのかも分からない彼らが、こんな美しい世界を持っていたなんて誰が知りえよう。
ぜひ多くの人に知ってもらいたい本だと思います。
ただ、誤解をしないように言っておきたいのは、すべての重症心身障害者と呼ばれている子や知的障害者の子が言葉を持っているとはまだ言い切れないということです。しかし、彼らが言葉を理解している、ということを前提で接するべきだとこの本を通して私は思います。
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